第4話前編「商のタイタン」
・灯台の巨像
湾の国にそびえ立つのは輝く黒い巨像。手に灯台を持ち、照らす光は彼方まで照らす。
男の造りの彼は年に一度、商神から海神へ貸し出されて姿を消す日がある。
巨像の縁あればこそ湾には私掠党も海賊も手を出さない。あらゆる海難から守られる加護がある。
しかし巨像、いかような種族にも似ぬ姿は果たして誰なのだろうか? 融和の象徴、見本がいないからこその姿との通説あり。
■■■
世界唯一帝国を三分するその一つ、エルフ副王領の王太子アジルズは機嫌も悪く警備という名の、巡回、ややもすれば興行任務に就いていた。
王族らしく顎を上げ、胸を張り、白馬に跨った堂々たる態度で湾の国首都を練り歩く。供は最後の近衛兵チャルクアムに、何の因果か始皇帝の甲冑を着る青年ヒューネル、それからお行儀の良い傭兵隊である。
道行くエルフ達が中心になって「千歳!」と歓声を上げ、王太子殿下は訓練された仕草にて手を上げて応える。
この巡回は見せびらかしである。神敵の摘発、処刑は湾の国の警察が己の庭と活躍しているので出番が無いとも言える。邪なれば女子供も血に染め、お前らの邪悪な同志はどこにいるのだ、と激しい拷問を加えるような名誉が無い汚れ仕事は適当ではないのだ。宝飾は絹で磨かれているべきで、血に塗れようともそれは美しくなければいけない。
「帝国の王族たるもの武威を示すものだ。黙ってお飾りなど気が狂うわ」
アジルズは愚痴る。帝都では誇るところも無く逃げ去り、皇帝陛下の死に目にも会えなかった。”焚火”に焚きつけられた復讐の炎は燻ったまま。
一方の青年ヒューネルの気を晴らす要素は帝都を去ってより一つとして無く、精神、肉体、祓魔術全て、己の弱さを恥じていた。休憩時間の度に剣を素振りする。
「身の入らぬ素振りなど毒にしかならんぞ」
アジルズは遠慮無く言う。優しくない。
チャルクアムは何も言わない。
この首都はかつて商神の神殿都市として発展し、海に半ば領分を置くならばと海神が影響力を行使し、折衷案にて市民が直接統治する共和制へと至たった。今は帝国構成国。
商神本殿都市は大陸陸上交通の中心地にあり、その道は計画的にこの首都と繋がる。そんな物流の便を活かして難民、使徒そして商神までもが避難しに来ているのが現状であった。
死神、知神、皇帝と立て続けに世界を支える柱が折られている。商の柱は折れなかったがその本殿、エンシェントドラゴン”宝石””吹雪”の同時攻撃によって崩壊させられた。
神々も最早黙ってはいなかった。
海神は大津波で”焚火”の群島、”流血”の半島、”合奏”の列島を押し流して破壊した。
地神は内陸の”宝石”の山地、”吹雪”の山脈を大地震と大噴火で破壊した。
豊神は破壊されたドラゴン領から更に実りの力を奪い去って砂漠にしてしまい、その分を正しい信仰を持つ者達に分配して豊作を約束した。
天神が破壊され砂漠になったその地へ更に絶えぬ暴風を吹かせて表土すら払う程に追い打ちをかけた。
まつろわぬ者達の領土は完膚なきまでに生命が在るべきではない場所にされた。戦地に赴かなかった者達は一掃、ドラゴン勢の補給と補充は断たれた。
残る神敵は神殿と帝国の領土に遠征に出ていた愚かな大逆の者達と、それでも死なぬわずかな生き残りが相手である。そんな者共には竈神が呪いを掛けて見せしめに満たされない飢えに苦しませ、動けなくした。身も地も干したのだ。
匠と戦の神は最終決戦に備えて神の武装する軍勢を揃えている。
人心を落ち着かせるためと神々も珍しくそのような宣伝をしたものの、まつろわぬ者達の降伏の時まで後わずか、とは見られなかった。
邪教徒達はむしろ盛況。魔女の復活を喜び、神々の呪いもあまり効かぬようになっては行動が大胆になってきている。邪に信心が深ければ直接暴力は避けられずとも、個人に直接降りかかる呪いならば程度により避けてしまうのであった。そうでなければもう既に勝利している。
奇襲されて一方的にやられる時期は過ぎた。しかし反撃の体制は万全ではない。一時引き、防御を固める時期なのだと商神の行動が物語る。
帝国西側本領は真に捨てられる。
鉄の国は領土を放棄して山越の国へ逃避。指導は唯一背信せぬエンシェントドラゴンの英雄”新星”がしていると遠くから噂に伝わる。
かつて帝都救援要請が出された鉄火軍であるが、海神本殿にて鉄火艦隊に再編制されてこの危機に対応しようということになり湾の国にすらいなかった。
湾の国は一時避難先でこれも放棄が予定され、商神と共に人々は海神本殿へ逃避する。神なる機能を全移転することになっている。
かかる危急の事態、勇ましくも戦場、矢面に立つべきと考えるアジルズが思い描く栄光の、万と向き合う大合戦の姿は遠い。
巡回の途中、不満な顔は大衆の面前以外では遠慮なく晒す王太子殿下は不機嫌であらせられる。わざわざ出向いて来て新たな指示を下す共和の統領、この国の頭たるエンリーを見下し睨む。
「大宝船出港作業も残りわずかとなりました。殿下はそちらの警備に移って頂きたい」
「分かった」
全く分からぬと浅黒い肌の高貴な副王のエルフは返事した。
エンリーは小奇麗な恰好こそすれ見てくれは酷かった。暗緑系の肌色と、頭身の低い矮躯、不釣り合いに大きい鼻と尖った耳の持ち主はゴブリン種。あまりにも醜く、貧相で嫌らしい顔つきで、オークの姿をあらゆる面で陰鬱に負の方向へと転換させたかのような生まれながらにして半ば呪われた姿。視覚が尊敬を拒否する。
ゴブリンが国の頂点など正に奇跡であった。昇進の機会どころか、文明入りする機会すらほとんど与えられない下種であるのに真、神秘であろう。策謀と裏切りの限りを尽くして手に入れた地位なのだとしてもここまで這い上がるには並々ならぬ熱情、頭脳、幸運、祝福が揃っていなければいけない。しかも指には不思議な虹にうつろう輝きの、貝殻の裏面、蛋白石のようでしかし透明なエーテル結晶の指輪が九つも嵌っていれば財の程も崩壊する前の帝都国庫を底浚いにしても及ばない。
玉座に溝鼠が君臨し、正気で傅く臣下が並べば神懸りが見える。商と海の神の狭間、その国の統領にはそれがあった。
「魔女がこの都市に潜入したという未確認情報があります」
アジルズの燻った復讐の炎が赤らめいた。総毛が立つ。
「大宝船は御柱様が直接強力に、専念するように加護していらっしゃいます。勿論ですが、あれが沈んでは何もかも終わりだからです。はっきり申し上げますと、御身の保証が全く出来ない状況となっており、御船に近いところならご加護もあり、お役目を果たしつつも即座に避難が可能という判断です。先んじて申しますが、殿下はご自分お一人の身体ではないことはご承知ですね」
「くっ、ゴブリンめ」
「左様でございます」
血の貴さと位の高さ、今比較されるのは位である。国を圧倒するような大軍でも率いていれば別だが、実質アジルズの手駒と呼べるのはチャルクアムにヒューネルだけだった。エルフがゴブリンに逆らえない。
「しかし、私は奴の顔を知っているぞ! あれは野人の出来損ないの女だった」
高貴なエルフは野人エルフを同種と認めたがらず、出来損ないと呼ぶ。野人は野人で伝統的に糞と呼び返し、溝が埋まる気配は無い。
「情報提供をありがとうございます。まさか魔女を乗船させるわけにはいかないので岸壁で、舷門も番をして頂きたいと存じます。不安な人々も殿下のお顔を見れば安心することでしょう。ご立派な御勤めかと」
「くっ、ゴブリンめ」
「左様にございます」
一行は港へと場所を移す。
広く、岬を成す半島に守られて静かな湾があり、首都の象徴である灯台の巨象が岬に立っている。
巨像は黒曜石で作った彫刻のような壮麗さの、黒く肉体美の素晴らしい裸の像。髪は銀に輝き長い。伸ばした腕は灯台を掲げ、世界一に遥か水平線の彼方まで照らし、噂では海洋宮にまで届くとも云われる。また精緻さえ故、湾に出入りする時に前もそうならあそこまで再現されているのかと見上げられるのが通例である。
作者不詳。素材不詳。神の手か芸術を極めたいずこかの半神英雄の手によると云われる。
そして巨像も遥かに及ばぬ、皆を避難させられる彩色豊かな大宝船が一隻だけで湾を埋め尽くしていた。小都市ならば建造物ごと丸ごと積載可能な巨大で、商神の使徒黄金軍団が総出で物資搬入作業を昼夜休まず、連日行っているが未だに終わる気配が無い。このような大船、受け入れ先は海神本殿都市しかない。
神でさえも討ち取られてきた。単独で危険ならば複数寄り合って護身するのが理。商と海の神は一体となる。
新たな舷門警備の任務はその規模に比例して慌ただしいものの、高貴な殿下の任務とは立って親の光を反射して照らすことだけであった。
大宝船に乗るのは湾の民、難民、そして服従の代わりに保護が与えられた奴隷である。
商神本殿都市からの避難者は皆、奴隷と化していた。商神が混乱を避けるために施した呪いであり祝福であり、あたふたとする非奴隷達の喧騒と醜態を見ればそれが正解と見て分かる。
奴隷達はそれぞれに役割分担がされ、長大な避難の列も指揮系統が一元に整理されている。ご加護により人と物とその流れの管理が完全に行き届き、人智を越える統制がされていた。
商神の巫女こそが舷門番の主役である。乗船希望者の一群に対し、邪教徒にのみ通じるよう呪いを掛ける。そうすると幾名かがその身に等しい額の硬貨に両替される。魔女の復活で呪いに抗い始めたとはいえ、顔が見えるところから直接呪われれば抗うことは難しい。
尚、呪いの連発に巫女は疲弊していると思われるが、その媒体には商神硬貨が使われており、彼女の隣にはそれが山積みになっている。肉体的な疲労以外は問題になっていない。
避難はこの選別によって作業が遅れている。しかし今はこうするしかない。心根まで見通すことは難しかった。
場所が変わってもヒューネルは己の弱さを恥じることを止めない。流石に素振りを舷門で行うことはないが、いつまでも顔が暗いので後ろに下げられている。王太子のように人前で堂々と振舞うには、などという支配者の教えなど受けたことはない。
青年はいじけるように、手の平に黒石を練って造り、マナ術の修行に務めていた。もしもっと熟達していれば、もしかしたら皇帝陛下をお守りすることが出来たかもしれないと後悔の念に囚われている。
休憩時間となった巫女がヒューネルに声をかける、だけではない。隣に座って下腿を寄せて手も握った上に、下から覗き込むという仕草が堂に入る。
「一朝一夕で勿論上達はしません。しかし、今すぐ何とかする方法はあります」
ヒューネルの手に柔らかく握り込まされたのはマナ結晶の商神硬貨だった。
「これを燃料とすれば大きく、また長く扱えます。今はこれを切り札に持って、まずは共に逃げ延びることを考えましょう」
ふふ、と賢き美女が微笑んで髭も生えぬ頬を撫でれば、一先ず女の悩みが吹き飛んだ。頭のつかえが一つ取れればそれは楽になる。
商い司る巫女ともなれば青年など手の平で踊る。しかめ面の耳長男など何の役に立つだろうか。
「硬貨棄損は禁止との法ですが、よろしいのでしょうか」
ヒューネルは現実的な話をするまでに回復した。正に現金。
「マナ貨とエーテル貨に限っては特別な用法が認められていますのよ」
「そうなんですか」
「ええ。大変高額ですけれど、もし欲しいのであれば両替でご用意出来ます。少々両替税がかかりますが命には代えられません」
「確かに」
「これは私の口からは直接申し上げられませんが、不足するならばアジルズ殿下に頼ってみてはいかがでしょう。我らが御柱様の御力で、お金は大陸のどこからでも引き出せます」
「それは……これで足りなければ」
「それを扱い切るには私でも苦労しますよ?」
「いやぁ、それは、大口を叩いてしまい……」
「ふふ」
それから巫女との楽しい、心が軽くなるお話が続き、時間とは本当に短いものだと体感する頃には彼女の休憩時間は終わっていた。本当はもっとお疲れではなかろうか?
その元気を取り戻した青年の背を叩き、仕事をするぞと誘うのはチャルクアム。頼れる兄貴分は風格が違った。
■■■
商神本殿都市より追跡してきた”宝石”の軍勢が遂に湾の国首都に到達した。
第一の攻め手は、強肩で唸る土のドラゴンが丸まった岩獣の魔物を投擲して城壁や塔を粉砕。頑丈な岩獣は、時に骨折で瀕死だが、身体を開いて動き出して小さな守備兵を殺戮する。砲撃の衝撃でも死なぬ岩獣の身体に人の剣や槍が通るはずもない。
捨て駒にもなるか分からぬ尋常の兵士は頼りにならない。黄金軍団が荷揚げを中止して出撃した。金に輝く壮麗な軍団によりその侵略は食い止められるが、街に混乱が広がり悲鳴が各所で上がる。
襲撃の恐怖により大宝船には奴隷化されていない人々が殺到する。今までは旅の準備を済ませた者ばかりだったが、攻城戦の迫力に負けて着の身着のままという風体でやってくる。しかして舷門番は焦る人々を急かして船内に入れるわけにはいかない。邪教徒のみを呪い、選別して入れる決まりを崩すわけにはいかなかった。むしろこの機会を狙っているとみて更に慎重である。
焦る人々の中には逆に動きが遅い者もいる。具合の悪い者、悪いことがあって塞ぎ込んでいる様子。
事態は攻城戦前より逼迫している。老いた者、体調不良者は敢えて乗船を後回しにして未来に繋げることが優先されていて、動きの遅い者は舷門の列より脇に退かされる。
心が疲れた程度の者、それが妊婦なら後回しにされなかった。ある女が巫女の呪いを受け、何事も無く大宝船に繋がる大橋状のなだらかな舷梯に足を掛け、しばし進んだ後に絶叫を上げた。腹を突き破って成り損ないのドラゴンであるワームの幼体が現れた時には悲鳴どころの騒ぎではなかった。
「ここまでするか邪教徒!」
邪教徒ではない敬虔な信徒の精神を壊し、腹に化け物を植え付け、舷門警備を突破させるという策だ。ワームもまつろわぬ者だが、赤子となれば無垢に信心など持たず、邪教徒ではない。睡眠薬でも飲ませて時限に行動を制御しているのだろう。
子ワームの近くにいた傭兵が剣で切りかかった。しかし身体は岩のように固く刃が立たない。そして幼体と言えど本能があり、反撃に転じて噛み付けば脇腹に牙を食いこませて身体を捻って回り抉る。傭兵の鎧は正面のみを守る軽い物であった。
鉄岩剣を構えたチャルクアムが一刀で子ワームを両断するが勢い止まらず舷梯に刃が食い込む。その勢いでなければ殺せない。
今が時限であった。大宝船内から絶叫に悲鳴が木霊する。優先して避難を許された妊婦と思われた者の腹が破れ、子ワームが暴れ出した。
乗船は一時中止され、舷門番は船内に突入する。
至るところで腹を血塗れにして倒れる女がいて、子ワームは人を優先して襲い掛かると思いきや巨大な船食い虫と化して船体に潜り込もうと甲板を穿っていた。噛み付きは自己防衛の範囲で、幼体の習性に従う逃げの一手が船体損傷に繋がる。何という厄介さだろうか。殺すにも逃がすにも船体への傷は避けられない。
船体損傷を甘受して舷門番は子ワームを力強く両断に武器を撃ち込む。達人の腕があれば船体に傷をつけつつ両断か、半ば圧し折るに至って絶命させる。
厄介にも船体に完全に潜り込んでしまった子ワームに対しては巫女に神官がマナ術で物魔干渉の青水を流し込んだ。これで身動きを抑え、魔法を使ったとしても遮り、単純に窒息させる。
船内は広く、都市のように複雑。各自手分けして退治を繰り返す。腹を破られた者の数と討伐した数が合った後も、本物の妊婦と偽物の選別をしなければならなかった。こうした混乱の中でも乗船者の選別を行わなければならない。
敵は邪教徒だけではなく邪教徒に利用されている者も含まれるようになった。こうなれば信心以外にも身体への疑心暗鬼が始まり、奴隷化されている者達以外の間で諍いが始まる。そんな争いはヒューネルが率先して鉄拳で制裁するが数が多い。
悪いことは続き、今度は地震が始まる。地震など起こらないこの地の者達は何事かと怯え、揺れが段々と強さを増して全く収まる気配が無ければ地震を知る者も不安になり、大地震へ発展せずに長く続けば不気味さに人々は恐慌状態に陥る。
「鎮まれ」
荘厳に響く声、そして巨大な人型が微光放つ姿で現れた。太鼓腹で太った耳たぶが垂れ下がっている御姿は商神。福有りと見てわかる。神々は巫女にしか姿をほとんど見せないものだ。
「奴隷となることをよしとするなら救おうぞ」
と弱きを酌む声を掛けた。人々の多くがそれを望み、呪いであり祝福である奴隷となって統制されて混乱が収束していく。望まねば救われぬ。契約は互いの合意があって成り立った。
商神の尊顔が一瞬、微光とは別に点で光った。そして返すようにその大きな指が差す先、群衆に紛れて魔女を模した怪しげな装束の野人エルフ、小魔女が潜んでいた。誰の目にも映っていなかったが、今その御手に暴露された。
「うそ!?」
と小魔女は叫び、目眩ましの発光を続けて逃げ出すがしかし、甲冑の加護に防いだヒューネルが追う。
小魔女は顔だけ見れば可憐で、何の罪もない幼気な少女の風体である。しかも動きは何だか鈍くさい。
「ひゃあぁ!? 来るなぁ!」
と声も間抜け。しかしこれが邪教徒、神敵。罪なき人々を苦しめ殺戮する悪。
小魔女が向ける指先。ヒューネルは黒石で身を覆い、強い魔法も効かない状態になって追い付く。何か魔法を受けたが音も姿もその目で確認出来なかった。商神の顔を思い出せば、当たったところだけが光る魔法である。どのような威力かは知る由もなかったが、悪いことしかないだろう。
手は少し迷いつつも邪教徒の所業を思い返して剣を振り、小魔女の後ろ髪が切れ落ち、服が裂け、白い肌が張りに大きく開いて肉と骨が見えた後、湧くように血が溢れる。
「うぇぇ、痛いぃ……」
まだ小魔女には息がある。追い追う関係で目測誤ったか、無意識に手加減か。こんな少女を相手にとどめを刺せる手がヒューネルにはなかった。
這いずり逃げられぬのに逃げる小魔女。その後頭部に矢が立つ。
「戻るぞ」
アジルズの声がして、悩みは一つ増えた。
地震は続く。
■■■
大宝船周囲の混乱は収まったが岩獣と黄金軍団の攻防は続き、そして次は市街中心部の建物と土砂が爆発に噴き出した。直後地上に太陽が現れたような光は目を開けられないどころではない。素肌を思わず庇い隠そうと体が反射に動く程の熱光。
そしてエンシェントドラゴン”宝石”が地中より空に舞い上がったと認識した時、焼ける光が消えた時、眩い宝石で出来たような輝く巨体を晒した時、混乱に騒がしかった街が悲鳴の合唱に包まれた。
音も光も無かったがしかし、今の一瞬で首都の生きる物、一部を除いて全てに焼け焦げる小さな穴が空けられ即死した。
ヒューネルは甲冑の力で難を逃れた。
アジルズは大宝船内へ剛力で投げられ、壁に衝突して頭から血を流して失神。胸に焦げた穴が開いたチャルクアムの手による。目先の良さは光速の一撃必殺を予期し咄嗟に庇うことに成功した。
屋根の下にいた者も無事では済まない。建物も至るとこに焼け焦げ、穴が空いて内部を貫通。木材部分なども燻りながら徐々に燃えて火災に至る。
無事なのは大宝船へ既に乗船した者達と、商神と奴隷契約を結んだ保護される者達だけだった。
エンシェントドラゴン”宝石”による虐殺魔法は本の手始め。かのドラゴンが掘り抜いた穴から今度は成体のワームが群れと溢れ出し、洪水のように市街を破壊して広がり出した。どこに隠れていようが瓦礫諸共粉砕し始める
ここにてある種、選別が終了してしまった。商神の奴隷ならばたとえ邪教徒であろうとも統制の下に暴れることも出来ない。それを理解した巫女が生存者たちに乗船を呼び掛ける。奴隷達は混乱することなく、一種何か憑かれたように整然と行動を開始した。
奴隷の保護にも限界があった。暴れるワームの突進を受けた者は、常人よりはしぶとかったもののあっと言う間に地面毎磨り潰され、殺戮破壊を目的にする顎に両断、噛み砕かれて飲み込まれもせずに吐き出される。
整然としかし全速力で、自力で怪我を負うような潜在力を発揮した奴隷達が街から一挙に大宝船へ避難に走る。
巫女がヒューネルに声を掛ける。
「私に合わせて下さい」
「はい」
「念のために黒石で全身を防御。差し上げたマナ硬貨一つあれば己を守り続ける分には長持ちします」
「はい」
巫女は呪い用の山積み硬貨の中から袋を取り出し、中の黒いマナ硬貨を足元にばら撒き、最後の残りを手に落す。
「動きを止めます。あなたは止めを」
「承知」
巫女はマナ硬貨を投げ、逃げる奴隷の背に迫るワームに当たる寸前、祓真の青水に変化させ包んで地面に倒し、物理と魔法に干渉する力で拘束。
「目です!」
覆った青水、ワームの目の部分のみ除かれる。そこをヒューネルは剣で奥まで突き刺し、抉って脳を破壊。殺す。
「そうです! 次!」
死んだ個体から離れて生き物のように飛び跳ねた青水が次に襲い来るワームに当たり、包んで倒し、拘束。またもや目の部分だけ取り除かれ、剣で止めを刺す。
避難する奴隷の内、こうして助けられるのは岸壁付近に到着した者だけである。
一方の”宝石”は、空から力を失ったように墜落してまた地震のような揺れを起こす。見えない戦いがあったのだろうか? しかしその後、並ぶ建物を優に越える頭が突き出て動き出し、大宝船の一部が音も無くある面だけが輝いて焼けて火を噴き、船員が海水で消火。
城壁外周では土のドラゴン、岩獣の魔物と黄金軍団の戦いは続いている。
都市中心部からは”宝石”が光の魔法で大宝船に焼き討ちを仕掛ける。
巫女はマナ硬貨を次々投じ、青水に変化させてワームを何頭も同時に拘束し、ヒューネルは一体ずつ丁寧に目から脳を破壊して回る。
ワームは数が増え続ける。青水の量も制御数も増え、巫女は脂汗を流す。
ヒューネルは出来るだけ急ぐが身一つ。時に巫女がしくじり逃したワームの噛み付きと同時の突進を受け、黒石と甲冑で防いで、口内から剣で刺し、手が無理ならばと敢えて中に入って両手で踏ん張り足で押し込んで脳を破壊。出来損ないとはいえドラゴン。青水の拘束抜きで殺すには伝説のような口内からの自殺覚悟の攻撃でなければ通用しない。
また地震のような揺れだったが、大宝船からは歓声が上がった。岬に立つ灯台掲げる巨像が動き出したのだ。
岬の岩盤を削って降り、湾に足を入れて波を起こして掻き分け歩く。巨体が過ぎて動きは鈍重に見えるが、並の大きさに合わせれば疾風の動作。
巨像は港を粉砕して上陸して魔法に専念する以外に動きが止まった”宝石”を灯台でぶん殴る。砕けた灯台に混じって輝く結晶鱗が散り剥げ血が散る。
思いの他動きが鈍い”宝石”が反撃に光を浴びせて巨像を輝かせるが、黒の宝石のような肌はそれを乱反射させるだけ。
巨像がぶん殴る。”宝石”の首が反れて顎が上がって大牙が飛び散る。両腕を交互に殴って殴る。
”宝石”が嫌がる突き飛ばしを繰り出して巨像を浮かせる程に離し、落下寸前に尾を、今までの鈍重が嘘のように風切る縦振りに宙で当てて都市基盤毎砕いて埋め、鋸刃と化した鱗で挽き斬った。
そして攻撃したはずの”宝石”が突如吐血。吐き様は口内が切れた程度のものではなく、内臓が潰れたような腹底からの大嘔吐。病に見えた。
岸壁の闘争。巫女は限界に近づき、応援に駆け付けたマナ術を使える神官は数だけはいたが頼り甲斐が無い。先の半呆病の影響で彼等は即席教育された者ばかりだからだ。代わりに失神から起き上がったアジルズが参加し、奴隷の内、腕に覚えがある勇士が出張ってワームの討伐数を増やす。
大活躍の巨象だが倒れてからは動き出さない。”宝石”は今も吐血に苦しんで鈍重化。
それでももう避難民を捨てて大宝船に退去すべき時が来た。ワームの群れ抗えぬ規模で殺到。しかし、群れは突如潰れた。
陪神義賊が救援。投擲一閃で瞬く間に頭を潰したのだ。しかし希望が見えるようでいて、血塗れの何かを手にした姿であっという間にその場を去る。去り際に「魔女を足止めしろ!」との、語調も強く焦った言葉を残して。
魔女と言った。その顔が分かる復讐のアジルズが、もう大分数の少なくなった避難する奴隷の中から見分け、矢を番えて弓を構えようとした途端に何十種類混ぜたかも分からない魔法の暴風を受けて粉微塵に、原型止めず砕け散った。巻き添えも相当数。岸壁で戦う者達の過半が消える。
魔女とは誰か? ヒューネルの目に見えた、らしい人物とはあのエルフの名射手である。信じられない、いやだがしかし、混血の娘のことを思い出せば証拠は十分。
魔女はヒューネルには一瞥もくれず、岸壁で戦う者達を一掃するように魔法の暴風を再度放った。甲冑と黒石で持ち堪えるヒューネルは死なないが、保身が限界だった巫女以外全て消え去る。
足止めをしなければならない。義賊の言葉を忘れず、魔女に手を伸ばして肩を掴み損ね、矢筒に指が触れ、相手は振り返りもせず跳び、両足でヒューネルを蹴って振りほどいて瞬足に走り出していた。
「待て……! あ」
手に残ったのは魔女の肩掛けの帯がいつの間にか切断された矢筒と中の矢。ヒューネルが物を掴んだ感触を得て、待てと声を出した時にはもう魔女は去った後。この足止めで稼いだ時間は一瞬に等しいが、義賊は遥か彼方である。
魔女に岸壁の戦力を瞬く間に消された。
ヒューネルはアジルズの代わりに残った、神器と化した大狼の毛皮を拾って羽織る。かつて始皇帝はこの姿で戦場に赴いたという。
街にはまだ生き残りがいて、ワームに殺されながらもわずかな生き残りが続々と到着している。
戦う仲間はほぼ死んだが巫女は生き残っている。
敵はまだいた。黄金軍団の守りをすり抜けて来たと見える、言わば幻影の岩獣。
”焚火”の時もそうだったが、ただの樹人の他に焼き討ちの樹人などという、魔法の力で凶悪さを増した魔物が存在するのだ。
幻影の岩獣は目で良く捉えることが出来ない。姿が擦れるように消えて、現れて、四肢が完全に消えたり、姿はそのまま何色かに分身したかのようになる。これの繰り返しで頭が混乱する。
戦う要領はワームと同じだが、疲労に精彩を欠く巫女のマナ術は一体を拘束するのが限界。
ヒューネルは岩獣の一撃を何度も受けては黒石で防ぎ、防ぎ損ねて吹き飛び、転がされる。幻影の一撃はまるで達人の、素人に理解させぬ武術に似ていた。甲冑、黒石を支えるマナ硬貨が無ければ幾度も身を砕かれていた。
突然の連続はまた起きた。今度は大宝船の上より、巨像を凌いで”宝石”より一回り巨大な黄金の豚が現れた。正に奇跡の光景である。
黄金の豚は”宝石”に突進、顎牙を突くかち上げであの巨体を宙に舞わせ、落下に合わせ、棹立ちになって両前肢の踏みつけで叩き潰した。その衝撃、”宝石”が巨象を倒した尾撃どころではなく、首都の半分が陥没して砕けて湾から海水が流れ込んで水没し始める程。地盤を砕いた。
衝撃の縦揺れで転がったヒューネルは立ち上がり、青水で拘束されて幻影も無い岩獣の目に剣を突き刺して脳を破壊、殺す。
神々の闘争とはかくも常人の理解を越える。剣一本で細かく金属を削り、肉を裂いているのが馬鹿らしくなる。
”宝石”は討たれたらしい。土のドラゴンは岩獣の投擲を停止して逃亡。ワームに岩獣も統制がされており、悲しみの叫び声を上げて逃げ出す。
黄金の豚が現れてからの、あっと言う間の撃退劇。初めからあれがいたら、と思いつつヒューネルは座り込んだ。
■■■
大宝船は崩壊した湾の国の首都を後に出港した。”宝石”の軍勢による虐殺のせいで準備は早く済んでしまったのだ。
大陸西部は本格的に放棄がされた。そこには魔女や、裏切りの月光伯軍、エンシェントドラゴンの軍勢が拠点を構えることになる。ドラゴン領のような破壊があるかもしれないが、その時は例え勝利しても敗北に等しい荒廃を得てしまうだろう。
あの黄金の豚であるが、巫女の説明では商神の御力であったそうだ。そう説明されねば理解出来ぬ破壊力であった。尚、強力だが極めて繊細な扱いが必要とも。
生き延びたヒューネルは伊達に着飾った紳士、一見して人間と変わらぬ陪神義賊より、透明な虹の輝きのエーテル硬貨を一枚受け取った。
「君のお陰で助かった。あの矢を封じただけで本当に助かったんだよ」
「勿体なきお言葉です」
次に義賊が手に持って見せたのは、ガイセリオン陛下の甲冑と同素材と見える結晶塊である。魔女から逃げていた時に血塗れに手にしていた。
「これは金剛石と呼ばれる。これから君もあの魔女やドラゴン達と戦うのならば覚えておきたまえ。今最も神に仇なす武器はこれだと」
「そのような秘密、私に教えてよろしいのですか?」
「最も祝福された勇者ガイセルの武具を纏う者ならば、良いのではないかな」
「畏れ多いです」
「謙虚でありたまえ」
エーテル硬貨は神に奇跡を祈る対価として使うことが出来る。ヒューネルは迷わなかった。
「魔女に抗う力が欲しい」
手に願えば硬貨は消滅した。
「あー……」
ヒューネルに声を、残念そうに掛けたのは、嵌めたエーテル結晶の指輪が八つに減っている統領エンリーであった。
「エンリー殿、どうされました?」
「願いを叶えてしまったのですね。内容によれば予期せぬ、良からぬことが起きてしまいます」
「何と?」
「今、義賊様より頂いた姿を見ましたのでご忠告をと思いましたが……」
「それは……ですが、おかしな願いはしておりません」
「お聞かせ願えますか?」
「隠すようなことではありません。魔女に抗う力が欲しいと」
「ふむ……こう、身体に妙な変化など起こっていませんか?」
「変化?」
「例え話が良いでしょう。昔話で、戦神にまつわるもので、無邪気に力が欲しいと戦神に祈った少年がそれを雑に叶えられ、理性を失った半獣と化して家族を殺してしまうというものです」
「それは似たような話を聞いたことが……ああ!? それは迂闊! しかし……」
ヒューネル、己に太い毛が生えていないか尻尾が無いか足が曲がっていないかと飛び跳ねて、異常は確認出来なかった。
「今のところ何も無いようであれば、理性もあれば問題無いでしょう。奇跡を祈る時、その効果は即時に見られるものです」
「でしょうか?」
「仮に父君のような異形になっても偉大であれば問題ありません。そこで、身の振り方をお教えしましょう。ヒューネル殿下」
「殿下?」
ゴブリンの成り上がり者エンリーの眼光は鋭い。牙も爪も無いのに猛禽のように獲物を狩る様子。
「鉄の国の、皇帝陛下の隠し子、鉄宮后の甥、”新星”の養子、ヒューネル様」
「そんな、陛下の? 鉄の宮様の甥? 名付け親とは聞きましたが、そんなことって、え?」
突然に出生の秘密を、縁者でもない者に明かされた。相手は滅んだ国であるがそこの統領だった男。嘘を吐くな、と言葉は浮かばない。
「了解も無く身辺を探ったことは卑しいと蔑んで下さって結構。しかし私のような者は情報が命でして。今の殿下が為すべきことは、出来ることはお若く、失礼ですが経験も足りず計りかねておいででしょう」
「それは……」
悔しいがヒューネルには身の振り方など一つも分からなかった。神敵に対して己の力は卑小に過ぎる。策謀巡らすような頭は無い。皇帝陛下の隠し子などと、宣伝して回って仮に信じられたとしてもそれから何が出来るか見当もつかないのだ。身一つで大勢に影響もしない雑魚を剣で切るのが精一杯。
「その甲冑と毛皮の姿に義務が無いとは言わせませんよ。あまり殿下の望まぬ方法も取るかもしれませんが、しかし、危機にある民を救うために、殿下にしか出来ないことというものがあります。分かりますね」
「それは確かに」
「詐欺師のようお思いでしょう。しかし、これは己を賭けた大博打です。私は殿下に賭けました。もし裏切りが不安であれば奴隷契約も致しましょう」
「申し訳ないが、一度に言われても田舎者にはわかりません!」
田舎の青年はそのようなことを言われても荷が重過ぎた。足りない想像力で、ふわりと脳裏に浮かぶのは皇帝陛下の代役か、それに劣る何かか。とにかくその手に余る巨大な何か。
「それではいけません。殿下は只の人ではもうないのです」
「考える時間を!」
もうヒューネルはエンリーの目も見ていられなかった。
「船はまだ出たばかり。しかし海神本殿都市にいる無数の人々の勢いはそれを許しはしませんよ」
大役を迫られて眩暈がしてしまう。
「……身の入らぬ素振りなど毒にしかならんぞ」
アジルズは遠慮無く言う。
チャルクアムは何も言わない。
地面は石畳。船が波を分ける音は聞こえず、揺れない。臭いは雑踏の入り混じった臭いで、人々の声が騒がしい。
ヒューネルは手にした剣を、剣士失格に取り落とした。これは首都市街地を警備していた頃の光景である。
悲しむ暇も無く死んでしまった二人の、訝し気な顔があった。
■■■
・奇跡を願う
タイタンを神と信仰する文化では、タイタンが扱う呪術を奇跡と呼ぶ。
尋常の生物は呪術を扱えず、それに頼るにはタイタンなど呪術を使える上で代行する意志がある存在に願わなければならない。
有償に願う場合は商神硬貨が一般に望まれる。願う効果の規模と呪いの力の消耗は釣り合うので対価を十分に備えるべきである。
無償に願い、叶えられるのは基本的に神官のような神殿業務従事者であり、タイタンの代行者として任務を遂行する時である。それでも対価として商神硬貨を用意することが望ましい。
稀に無償、対価不足でも願いが叶えられる場合もあるがそれは気紛れであり、同情や悪戯である。懲罰対象であることも。
対価が十分であっても願う内容によっては思わぬ結果が待ち受ける。タイタンも予期せぬことかもしれない。
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