第3話後編「唯一世界皇帝ガイセリオン一世」
・”焚火”の娘
燃えるお山で皆と仲良く暮らしていた。岩でさえ水となる中で孵った純血ではない合いの子だと言われ、兄弟姉妹の中では確かに異形で小さかった。不思議を尋ねた。
「生物多様性こそが生存戦略。面白いのが居てもいい。皆、見解で一致している」
遠い島の地下にあった錆びた蓋の中を見て変な気を吸った。皆から褒められ、もっと遠い島の友達からもおめでとうって言われた。
「良く滅びず戻った、我が娘よ。良い名をつけよう。うーむ、そうだな……」
■■■
月光伯と今は呼ばれているヴァシライエは、帝国情勢と分権的ながらその強固な軍政に行政、現代錬金術の進捗とゴーレム生産体制、あの時からの一〇〇〇年史、新ロクサールの奮闘による世界の疲弊、法神の復活阻止と代行の存在、人口減つまり信者減少からのタイタンの弱り様などなど、シャハズに必要な情報を隠匿の力が働き盗聴が出来ない馬車内で語っていた最中だったが、話を聞くシャハズのその視線、聞く耳の変わりように途中で切り上げた。
『戻ったのか』
『三度目』
『それは難儀だ。”抹殺者”は役に立っているのか』
『うん』
無口や唖騎士などは勿論、”秩序の尖兵”という呼び名も本体ではなく化身とするのが適当な彼には正しくなかった。その無味な呼び名は語る口が無ければ今日まで知られず、可愛げが無ければ周知されても呼び辛い。
『勝ち筋は見えたか』
『うん』
『ならばいい』
『お姉さん』
『どうした』
『ヴァンピール、”抹消”、夜のタイタン、使徒、”予言の隠者”?』
『佳い女には謎が必要なのだよ』
ヴァシライエが人差し指を、シャハズの唇に内緒と当てた。
外の音など一切聞こえぬ異界の如き馬車から降り、騒々しい外、帝都へ戻る。
ドラゴンの娘が楽し気に走って来た。
「わっわっわっ!」
三度目なので彼女も要領を得ている。口には堅パンと干し肉を重ねて咥えている。前回は堅パンだけで、前々回はお腹空いたと言っていた。
二度目は一度目の記憶があったが、三度目でも一度目と二度目の記憶があるか確かめなくてはいけない。
「お座り」
「わ」
「お手」
「わ」
「お代わり」
「わ」
「ちんちん」
「わ」
一度目で動きを仕込んだ。二度目では、でもちんちんついてないよ? という反応だったので、これで問題無いことが分かった。
「良く出来ました」
シャハズがドラゴンの娘の頭を撫でると笑って尻尾を大きく振る。
ドラゴンの娘は肘打ちで砕くような堅パンと湯に戻さないとならないような干し肉を一気に噛み砕いて飲み込んだ。
無口のまま見ている”抹殺者”。とりあえず彼の頭も撫でてみるが勿論無反応である。
段取りは盗聴の危険を考慮し、既に二度目で済ませてある。シャハズは手を叩いてドラゴンの娘を指差す。
「待て」
「わん」
「伏せ」
「わん」
隠匿性の高い待ち伏せ命令の暗号符丁である。敢えて現代語を使うことにより、邪な企みをしていないと誤認させるのだ。これで良し。
《お兄ちゃん》
《お兄ちゃん大好き》
ドラゴンの娘、ドラゴンとデーモンの合いの子のような姿であった。かの種族が行った声無き会話が通じる。
シャハズと”抹殺者”は帝都中央、宮殿へ向かう。それを囲う帝国兵の封鎖網は精霊術も使ってあっさり秘密に抜ける。
暴走するゴーレム兵団は相手にしない。対抗精霊術でその動く力を捻じ曲げれば二人を確認しても敵対すらしない。
魔法生物技術はタイタン達によって危険視され、無生物たるゴーレムも煽りを受けて知識から抹消されかけたが旧ロクサールが何処かに遺し、新ロクサールが発見、復活させて猛威を奮い、不死宰相となったエリクディスが禁忌に触れるそれをタイタンと合意で復活させたらしい。そしてその結果がこの暴走である。知のタイタンの死からの、神官そしてエリクディスの半呆、発狂からの誤作動など想定した者はタイタン達の中にすらいなかったのかもしれない。
哀れな師匠エリクディス。小便漏らす身体こそ失ったが未だに知識から豊かに粗相を致している。引導を渡してやるのが弟子の務めだろう。
二人は難なく宮殿前広場に到着する。そこには異形の、デーモン種の名残は角ぐらいしか残っていない、自らを魔法生物技術により合成強化した魔王ロクサールの変わり果てた頭骨が戦勝の証として硝子に囲まれた台上に晒されていた。
神罪の値が極限に蓄積した魔王ロクサール。敵味方からの想い、呪いの力が結集して遂には法のタイタンが己の命と引き換えにし、尚且つガイセリオンなどを利用しなければ神罰即死に至れなかった程の強者が晒し者である。
分厚い硝子を精霊術で粉砕し、シャハズは直接その古い弟子に手を当てる。
《先生、この身で伝えられるのはわずかです。魔王の遺志を受け取って下さい。そうすれば信徒の想いの力は全て貴女に繋がります》
《分かった。全員殺す》
一度目は愚かにも気付かず、二度目でドラゴンの娘が遠い島のお友達と同じ声がすると気付いたのだ。この機があるという可能性に賭けた健気さが分かるまで時が必要だった。
今の言葉でロクサールの声無き最期の言葉は終わり、短く魔王継承の儀式は完了する。問い、応えのやり取りは二つの動作で十分。
ロクサールは己を魔王と呼ばせてまつろわぬ者達に信仰させ、想いの力、呪いの力を集めてタイタン達の呪術にも対抗する力を身に着けた。そしてシャハズの生存に望みをかけ、魔女という崇拝対象も並んで作り出した。呪術の仕組みを一部でも理解した結果の行動である。これにより、雪の魔女が施した呪いに伴う抗呪を凌駕する力が手に入ったのだ。
シャハズは信仰された偽りの魔女像を継承して魔女を、遂最近名乗った。今、ロクサールより魔王の役目、遺志を継いだ。まつろわぬ者達の信仰を受け、遠い別大陸に移ったデーモン達の望郷伴う想いも流れ、敵か味方か曖昧な糞のタイタンの一角である雪の魔女の古い呪いもかすかにかおり、二度に渡り成功したタイタン殺しの畏怖、世界を破滅に誘う恐怖がタイタンと人々に伝播して返って来た力、それらが流れ込む。
神と名乗る性分ではなく王のように率いることはない。適者生存、容赦を知らず、敵であるから殺すだけの森エルフであって巨人でも小人でもない。怖ろしい魔女に今、静かに昇華した。
頭骨は精霊術により塵になるまで分解し、一部凝縮の限りに結晶化させてミスリルの首飾りに宝石として足した。
■■■
老眼が酷いと思った。
エリクディスは四桁も冬を過ごせば物忘れに思い違いも多いだろうと、昔からこの事を見越して記憶整理のために可能な限り欠かさず書き続けて来た覚書を読んでも焦点が微妙に合わず歯痒かった。文字が小さい。
そして目を凝らせば知らぬ文字が書かれているとなれば正気を疑った。悪戯? 説教した仕返しに悪ガキ共がやらかしたと思って見回せば何故か執務室が荒れていた。その覚書も破れて読むどころではない。
誰か!? と叫んではみたが返事も無く、廊下を見渡せば兵士が武器を手に無残にも乱暴に解体されたかのように死んでいた。
邪教徒の奇襲である。折角拵えたゴーレム兵も破壊されていて官僚に下働きの女中でさえも死んでいる。音も無く悪魔の魔法でやられてしまったようだった。
外も荒れている。破壊痕に死体。何がどうしてしまったのかエリクディスの知能をもってしても分からなかった。それに先程から何やら風景が妙に小さく、幻を見せられているようである。
魔法に欺瞞を仕込むものなどあっただろうか。魔王が特別に用いる複雑な魔法か。ともかく宮殿を周った。
守備の兵士が一人も生き残っていない。生きていても誰が邪教徒か分からない。
ゴーレム兵に宮殿守備を命じる。命じ方が分からない。ここで呆けるとは何事かと己の頭を叩けば変な音が鳴る。
宮殿は何故か外も壊れている。何時の間に荒廃したのか分からない。敵によって投石機でも持ち込まれたというおかしな考えが浮かんだ。そんな事態が訪れたらエリクディスに報告が来ないはずが無かった。ではまだ外からの攻撃で済んでいる。奥の宮のお后方はお強く、外を固めればまず凌げよう。あそこにはまだ行っていない。
そんな中、アジルズの鼻たれが何と無礼か不死宰相たるエリクディスに矢を射かけて来た。それにわけの分らぬ言葉を喚いている。
馬鹿者め、そんなことをしているから砂漠エルフは糞と呼ばれるのだぞ、と声を出そうとしたがおかしい。
エリクディスはいつものように拳骨でもくれてやろうとしたが逃げられてしまった。お后方の寝床に潜り込んでやり過ごすのが何時ものやり方である。骨とはいえまさか男が行くわけにはいかなかった。宦官なら行けるがそれはそれであろう。
頭がはっきりしなかった。呪われているように辛い。タイタンの仕業と推測するが、今や神々は帝国の支援者。ではエンシェントドラゴンか旧神か、魔王のデーモンの方のロクサールかと頭の中を整理していく。
デーモンとは何であったか遠い記憶を探ると朧げである。ジンのロクサールではない。ロクサールじゃないロクサールは複合精霊術と奇跡の処刑の剣で殺した。あの機動要塞の中からの脱出は難しかった。
『おお、シャハズか。久しいな、どこを旅しておったのだ。チッカを送ってから……』
久し振りに音の精霊術で声を出したら成功した。まだまだ錆びついていなかった。
宮殿に来客である。非才エリクディスが何とか導いて天の才を開く道を誘ったあの森エルフの才媛。この一〇〇〇年帝国の成果を見せて、自慢してやりたい人物がいたとしたら五指には間違いなく入る。
知のタイタンの死によって欠落した記憶の量も多く、また解呪によって戻った記憶の量も多く、長年の積み重ねは切っ掛けが無ければ思い出すことも難しい。シャハズ程、欠落の隙を繋ぐ情報は無かった。断ち切られた根が繋がったからだ。
『シャハズ! 地獄を抜けるとはとんでもない奴だ。死のタイタンも殺すとは本当にとんでもない』
『うん、知もやった。あいつ糞』
覚醒するエリクディス、己の状態と振る舞いを理解した。不死の姿と化してより心肺の異常などなく、感情の起伏も抑えられているお陰でまた生理的に発狂することはなかったが罪の重さを正気で自覚し、優先順位を付けて脇に置いておく。
禁足の島で、骨の杖でシャハズを地獄に墜として以来、知のタイタンに記憶を改竄され、注ぎ足されてきたことを推測したのだ。遥か昔から今までを振り返ることが、斑に落ちた記憶からは困難に過ぎたが老骨には確信出来ることがあった。
一〇〇〇年帝国は今や億の臣民を預かる。それを自衛と復讐の目的であの愛弟子シャハズが破壊しようとしている。道徳と大を活かすために小を殺す道理を弁えたエリクディスに選択肢は無い。迷える程若くなく、ともすればその責はタイタンより重い。
『大人しく征伐される気は無いのだな』
『まあ』
(アジルズ、大杖を!)
外の様子を鋭敏に察知していたアジルズが宮殿の窓から覗いており「心得た!」と返事し、シャハズが瞬間的に放った矢が窓を破って、反れた。ガイセルがかつて身に着けていた大狼の毛皮、数多の戦と伝説により矢弾を避ける神器と化していたのだ。
シャハズが言葉も不要に複合精霊術を発動しようとし、エリクディスは虹色の複合マナ術によって易々と無力化しつつ精霊術では防げぬ万物を破壊する反撃を行うも、今度はマナが瞬時に欠乏するほど無為に精霊に食われて消滅。
精霊を悪魔とし、それを防ぐことを得意とする祓魔と呼ばれたマナ術は確かにエリクディスへ、知のタイタン経由で伝えられた術ではあるが、それを人々に教えた経験、工夫してものにした経験は本物である。苗こそ借り物だが実は己の物だった。
『どうだ嬢! ワシもやるもんだろ』
『ジジイ、ハゲ』
複合の精霊術とマナ術とマナ食い、応酬しても千日手で決まらぬが、エリクディスは対魔王を想定した獣のゴーレムに駆る。
神器のように呪いさえ乗らねば何物でも破壊出来る顎と牙、膂力の四肢による徒手に爪の斬撃、剣付きの尾撃を繰り出してシャハズの集中を乱して術のし損ないも狙う。しかしさしもの天才、尋常ではない身のこなしと判断力と打撃に対する脅威評価、取捨選択によって最小限に、紙一重に避け続けて全くかすりもしない。五感の鋭さだけでは説明が出来ない体捌きで、脅威であるが彼女なら驚異と言えない。
エリクディスはまだ手があった。マナ食い、枯渇の状況でもミスリルの骨に貯めたマナを利用して精霊術を放って一手増やして追い詰めようとし、対抗術で偏向されて返され、それも対抗術で偏向して返してと応酬する内に精霊が飽きて消滅。
エリクディスは武術の極みに達する才能は無かった。獣の連撃も遂に見切られ始め、シャハズは余裕を持って弓に矢を番えて術の矢を放って口内を狙い、寸で顎を閉じて防ぐ。ゴーレム身体はエーテル皮膜で守られ、それは口内も同様だが中に特別な攻撃が伝わると機能不全の可能性があった。何の有効打を隠しているか分からず、噛み付きが封じられる。
見切られ、一手封じられ、今度はエリクディスが不利になり始めるが、もう一手加わった。宮殿正門が破られる。貴婦人とは仮の姿、戦士たる后達が半裸で輿に大杖を担いで運んできたのだ。そして最後に鉄宮后一人へその一本が渡され全力一投、エリクディスの手元に投じられて掴む。瞬きの油断も許されぬ戦いの中、そうしなければ受け取る暇もなかった。全身の筋肉と腱が弾けて瞬く間に白い肌が赤黒く染まった鉄宮后は絶命した。
獣のエリクディス、二本脚で立つ。そして掴んだ大杖で突きを繰り出し、シャハズは避け、次の一撃のための引く動作の途中、砲撃。放たれた散弾の隙間を縫うようにシャハズはまた紙一重に避けたが、仕込み杖による抜刀で一部弾丸を反らす動きを強要された。奇襲の切り札を一枚剥ぎ取ったのだ。
(裁場と刑場、正義を司る法神の代行者たる裁定者よ。審判を!)
これは神器、裁きの雷の大杖。大砲を兼ねる杖であり、法のタイタンの奇跡の呼び代でもある。
『糞のタイタン死ね』
信心など無きシャハズが祝詞を唱える。音は記号、込めた想いに意味がある。
白色に染める閃光、轟音。神罰執行の裁きの雷がシャハズを打って、何もなかった。地面にさえ焦げ跡もつかず、無力化されたのだ。避けたのではない。
『やはり天才!』
シャハズは最も強力に、処刑に特化した法神の奇跡、タイタンの呪術でさえ全く無効にする力を手に入れたのだ。これでは魔王ロクサールを討った時の再現でもしなければおそらく通用しまい。
エリクディスは愛弟子の偉業を褒め称えつつ、大砲に壊れたゴーレムを詰め、尾先の剣を繰り出し、精霊術とマナ術の応酬を行い、大杖を振るい、火薬代わりにミスリルの骨に再蓄積されたマナを使って精霊術で筒内を爆発させてゴーレム砲弾を浴びせ、発射反動で素早く戻した杖で再度突きつつ(裁場と刑場、正義を司る法神の代行者たる裁定者よ。審判を!)と再度祝詞を上げて裁きの雷を浴びせ、アジルズが横合いから矢を、后達が槍や石を投擲して、全ていなされた。
「諦めるな! いかな化物とて生身、集中が切れるまで続けろ!」
アジルズが叫ぶ。その通りで、シャハズは超人に捌くが飯を喰らって呼吸する生身、限界がある。
しかし仲間もあった。
宮殿奥側から女子供の悲鳴。エリクディスによるシャハズへの猛攻は、その攻撃を封じる意味でも止められない。
血塗れになり、首に花輪を下げる姿が異様なダンピールの騎士が后に子供達を斬殺しながら現れたのだ。怖ろしく手練れで、投擲に武器を失ったこともあるが戦士たる彼女達でも敵わず、瞬く間に討ち取られていく。
エリクディスの脳裏、記憶の隙間が埋められて繋がる。あれはいつぞやの首無し騎士の似姿。首無しのダンピール。月光伯ヴァシライエなどと、一体いつからあの者が帝国に潜り込んで帝都責任者などという地位に就いたのか全く不明であった。
皇統抹殺、夜神とかつて呼ばれた何かの関係者による暗躍、旧神が動いている、シャハズの仲間はどれ程の規模、ヒュレメと娘は、などと思考が連鎖して回れば手が回らぬ。懐に入り込んだシャハズの仕込みの剣が、エーテル皮膜がされて無敵のはずのゴーレムの胸を切り裂いた。思い出し、得られた情報の刺激は個人の限界を超えた。思慮の深さが仇となる。
(殿下、落ち延びよ!)
ダンピール騎士の剣を曲刀で受けて、巻き上げに奪われたアジルズが吼えて、背を向けて逃げた。エリクディスには他人に目を配る余裕など無かったはずで、それでもしてしまったことがまた仇となる。
シャハズがまた胸を切り裂いて、獣のゴーレムは機能を停止して倒れる。中枢神経は胸に集中、脳に当たる部位はそこにある。
エリクディスは倒れ、腹の側にシャハズが似合わぬ汗を流し、肩で息して立つ。
胸が開いた。ゴーレムに搭乗してたエリクディスが二線に断たれた老骨を晒し、動く手に持つ歯輪着火式の拳銃でシャハズの脳天を鉛弾で砕いた。初代雷の杖は精霊術の拙さを錬金術で補った間に合わせの武器だった。錬金術は発達し、今では精霊術に一切頼らずともこのような性能に至る。指が動けば使えるのだ。
『帝国だけは譲れん』
足の裏がエリクディスの顔面を捉えた。ダンピールの騎士がその古い頭蓋骨を踏み砕く。外からエーテルの刃にて切り裂かれた老骨は、今度は粉々になるまで執拗に蹴られた。死の祝福はもうない。
■■■
一晩掛けて下水道伝いに宮殿へやってきたヒューネルとチャルクアムは呆然とするしかなかった。
荒れ果てた宮殿には破壊されたゴーレム兵が転がる。下水道で苦戦させられた敵だからそれが壊れたぐらいで動揺などしない。酷いのは無数の死体の中には女子供が混じって折り重なり、半裸ながら下着の物の良さから貴人と分かる方々が多く見られることだ。皇統の根絶やしを狙った無慈悲な殺戮者が先にやってきていたのだ。
初めは狂ったと言われる不死宰相エリクディスの行いかと思われたが、当人は粉砕された骨として発見される。破壊されたゴーレムの獣があり、それこそ宰相閣下の兵器であるとチャルクアムが知っていたので分かったこと。宰相はその殺戮者に敗北したと見える。
兵士達の死に様はゴーレム兵の剛剣や、巨大な獣に粉砕されたような傷ばかりでこちらはゴーレムか宰相の暴走である。
女子供、皇統にあられると見られる方々の刀傷は何れも見事、冷酷な一太刀で揃っていた。クエネラ殿下の母君であられる鉄宮后だけは異様な、内出血による死にざまであったが戦いの結果であることは明白。
刺客は明確な遺志を持っている手練れと分かる。邪教徒が最強の暗殺者を混乱に乗じて送り込んだのだ。
生存者がいないか、その希望が無いことを心中拒絶して宮殿内を捜索するがやはりいなかった。宮殿の隅から隅まで、怯えて子供が狭いところに、地下室、倉庫、物置、何でもよいから誰かいないかと声を張り上げて探ったが、無慈悲にも隠れ場所へ剣が突き入れられていた結果しか分からなかった。
チャルクアムが言うにはアジルズ王太子という、エルフの副王の嫡男が帝都留学に宮殿住まいであったがそのご遺体が無いという。彼は優れた戦士なので不利を悟って再起を誓って身を隠しているかもしれないとのことが唯一の希望である。彼の物と思われる曲刀が転がっていたことからも、挑むも及ばなかったことが示唆された。生存の証と捉えることが出来る。
わずかな希望があると信じ、出来ることもないからと捜索を続け、気が付けば日が暮れ、二人へ虚しさと同時に疲労感が押し寄せてきた。そしてまずい事態が訪れた。
暗くなり始めた空、陰が濃く落ち始めた街並みが赤く照らされた。火災ならばまだ良かったが、あれは襲撃だった。
巨大な翼を広げる、赤と黒の不気味な姿で火炎を吐き出し、火柱どころか火の壁を作って帝都を破壊する火のドラゴンの襲撃。文明を否定している。
リザードの軍勢を討ちに行ったガイセリオン陛下ご不在の中での、最も優れた英雄でもなければ対処不能と見られる怪物の登場は絶望以外に他、あるだろうか。
チャルクアムが剣に甲冑、鎖帷子を一着持って来た。それは奥の宮入り口に飾られていた始皇帝ガイセルの物である。
「見立てだが、始皇帝陛下の武具がお前に合うようだ。着る者もいない。市民を救うには神器の力が必要だ。これは火炎も物ともしないと言われる。役に立つだろう」
「分かりました」
ヒューネルに迷う暇はない。直ぐに手を借りて着ると、まるで専用に仕立てたように身体に合った。まるで以前から来ていたように馴染む。
燃える街を駆ける。始皇帝の甲冑は炎を寄せ付けなかった。呼吸すら容易で、神器の力が発揮されていた。だが空を飛ぶ火のドラゴンに追いつくことも出来ず、当然倒すことも出来ない。あの巨体を屠るような弓矢に弩砲、鉄火軍のみが扱える火器も無いのだ。
市民の避難を、火炎が塞いでいない道を教えることで促す。
市民に襲い掛かるゴーレム兵を、切れ味抜群な剣にて切り砕いて打ち倒す。
暴れる半死人は首を刎ねて行動不能にする。
蜂起した邪教徒は蹴飛ばし火中に追い込む。
頼りのチャルクアムは火炎の道中には追随出来ず、彼なりに道を探して市民を守りに動いている。
疲れたヒューネルの動きは鈍い。始皇帝の武具がなければゴーレム兵の相手など丸で務まらない。使命感だけで動く身体は目の前にいた、救えるはずの人を取りこぼす。悲鳴が遺言となるばかり。
下水道を一日掛けてより休みなく、宮殿の惨状を目にし、いない生存者を日が暮れるまで捜索した疲労は精気溢れる若者に動かなければならない時にすら鈍足を強いる。何回も手が届かず救えなかった。最善を尽くした見殺しである。
街は次々と灰と黒に塗り潰される。火のドラゴンの火炎は爆発するように燃え広がると同時に、石に鉄骨ですら白熱の泥と化す程の高熱を保ってしかも、燃料が撒かれたわけでもないのにしばしその場で盛るのだ。堅牢な造りの建物でさえ潰れていく。生身の市民など火炎に撒かれれば瞬く間に、影がどこかに焼き付けば良い方である。
これに怒りを覚えて奮起出来ればまだ良かった。死神本殿都市より無造作に死を目の当たりにし過ぎたヒューネルの心には旅立ちの前の日のように響かない。
月光伯は何処か、帝都責任者は何をやっているかと八つ当たりの気分が疲れた若い心に沸いて来たが、文句を言うべきその姿は彼女の部下共々存在しない。あの、思い返せば薄気味の悪い色白の者達はそもそも何なのか、田舎の出でも疑問が沸いてくる。余計なことを考える程に集中も切れて来た。
灰が降る火炎の中を駆けて、救えるだけ市民を救う。無為になることが多く、己だけ燃えなくても既に火炎に囲まれて絶望し、救えず、焼けて苦しむよりはと介錯を頼む者すらいる。それが男ならばさらばと突き刺すが、女子供となれば手が惑った。
そんな中でヒューネルの他にもう一人、火炎の中を走る者がいた。振る舞いからして頼もしき男である。見て分かる。
「坊主! 始皇帝のを着るとは何だお前、まあ良いわ。手伝え! あの飛び蜥蜴、しばらく炎を吐いたら息切れか下に降りて休憩しおるわ。来い!」
「はい!」
頼もしきは唯一世界皇帝ガイセリオン一世陛下であられる。その何種も混じったような異形を覆う、結晶のような甲冑姿もまた異形。父性の大彫刻たる声が掛れば若き戦士など立ちどころに気力が戻る。戻せるからこその戦う皇帝ガイセリオン一世。数多の力を借りたとはいえ魔王ロクサールを討ったことは伊達ではないのだ。
帝都焼き討ちの元凶、火のドラゴンをヒューネルは皇帝と追う。物語の英雄と肩を並べ、極度の疲労も合わさって夢心地であった。
また火のドラゴン、飛びながら火炎の壁を作り出して通りを一つ丸ごと破壊して焼き払う。悲鳴も飲み込む爆轟、地面も震える。
「遠征に行かれておいででは!?」
「飛び蜥蜴相手に烏合の衆であったわ」
「なんと」
火のドラゴンに壊滅させられたという。精強たる世界防衛の要、帝国軍ですら敵わない相手だと信じたくはないものだ。
「坊主、名は」
「鉄の国のヒューネルと申します」
「そうか、それは俺がつけた!」
「なんと!?」
育ての親、義父”新星”は人間ではなくドラゴンだった。そして皇帝の友と伝説でも云われていた。産みの親がいて、名づけ親がいて、それが皇帝であっても不思議は少ない。
火のドラゴンが高度を下げ、城壁にある塔の一つを踏み砕きながら着地し、次はどこを破壊しようかと睥睨している姿が見えた。胸も大きく動き、息を荒らげているように見られる。
「仕掛けるぞ!」
「はい!」
そしてヒューネルは無視出来なかった。火炎に囲まれる中、あの好いた混血の娘がうずくまっていたのだ。逃げ遅れである。駆けつけ抱き起し、思わずその陽の匂いがする髪に顔を埋めてしまう。
「君、生きてて良かった!」
己でも驚くような上擦り動揺する、男らしからぬ声が出た。
「皇帝さんは?」
「来て下さったぞ。助かる、あの方は無敵だぞ」
「どこ?」
ヒューネル、この絶好に寄り道をしてしまったことに叱責あろうかと身構えるが、その声はそんなものではなかった。
「俺が皇帝さんだ! ほう、お前のコレか! めんこい子よのう! 何、混血? 任せろ。竈神に後で頼んでやるわ! あのお方はな、駄々こねると結構通じるのだ。心配ないぞ!」
庶流に小指など立てるガイセリオン陛下、甲冑越しだがむしろ我が事のように喜色が浮かんでいる。親しみやすいとの噂は本物だ。
「皇帝さんあのね」
混血の娘が大きく息を吸い、胸を膨らませてから口から何か伸ばした。
「呪い殺せ”火炎舌”」
火炎のような何かに巻かれた不滅のはずの金剛石の甲冑と剣が飴のように融けて型を崩し、その中身が潰れて消えてしまった。断末魔に灰どころか煙も残らない。
「って、ロクサールくんから前に言われたんだけど、これであってる?」
融けて落ちる形に潰れた金剛石の塊を混血の娘が指で突いて穴を開け、三度目に突いた時には固まっていた。それから小突いて鳴らして「もしもし?」と尋ねても返事は当然有りはしない。
突然であり、ヒューネルは戦意が挫けた。何もかも失った気がしたのだ。
「ヒューネルくんを殺せっては、言われてなかったよね」
混血の娘は邪教徒か? そんなものではない。あれは人真似の異形のドラゴン。魔王ロクサールのような異形の怪物なのだ。見て分かるはずだったのに理解を拒否していた。そのような愛嬌で、謀りなのだ。無双の英雄が寝床で女に首を掻かれて死ぬことなど、昔話に幾らでもあったのに。
「ばいばーい」
人真似のドラゴン、熱も感じぬと火中を歩いて、尻尾を振りながら去った。
帝都が灰燼へ帰し、冷えて焦げと硝子ばかりに均された頃。立ち上がれぬままのヒューネルを担ぎ上げたのは最後の近衛兵、帝都市民やもしれぬチャルクアムである。
「再起するぞ」
まどろみから覚醒するには時間を要する。
■■■
一度目はシャハズを見て正気を取り戻したゴーレムの獣たるエリクディスに勝てなかった。死した法のタイタンの代行たる裁定者の呪術、裁きの雷の威力たるや抗う気力から砕ける程で逃げるよりなかった。死のタイタンの場合は奇襲もあって定かではないが、知のタイタンからは明確に呪いがかけられなかったシャハズでさえも深手を負う程だったのだ。
またせめて皇帝ガイセリオンの殺害方法だけでも回収しようと試みたものの、匠のタイタンが一〇〇〇年掛けて期間中は神器製作も諦めて鍛えた金剛石の甲冑に精霊術は通用せず、物理衝撃も無意味であった。”お兄ちゃん”の”焚火”を継承して呪いが乗る火炎も効かなかった。そして奇襲に失敗すると戦巧者の動きを見せ、有効な手段を持っていたとしても手出しのしようがなくなった。強力な呪術を扱える”火炎舌”だが、戦いに関しては鈍さが臭ってどうにもならないことも分かった。
二度目で”火炎舌”はロクサールと話が出来ることに気付き、シャハズが魔王継承の儀式を行えると突き止めた。また金剛石対策の研究は”抹殺者”の身体から抉り出した結晶に対し、”更新の灼熱”の力を借りる呪いの火炎を試すと柔らかくなることを戻り時点前に突き止めた。柔らかくなるのは消滅と不壊の呪いがぶつかった結果と見られる。
地上の太陽が没した帝都跡、そこにはまるで昔からあったような城が出現していた。それは現代人が見たこともないような建築様式、古代人の中でも更に古い者が知る旧西帝国様式のヴァンピール城で、正体明らかにせずのエンシェントドラゴン”抹消”の本拠、かつて夜神と言われた何者かの力が及ぶ場所、ダンピールの長である月光伯ヴァシライエの拠点である。陽が沈めば月が昇るように、しかし異常にも忽然と現れた。
かつて突然に、歴史や記憶からも消えたダンピール達が動き出している。手練れの騎士達が帝都周辺の敗残兵を狩り、集落を襲っては一二神信者ならば虐殺し、物心つかぬ幼児は奴隷に連れ去って未来の手足とする。古代を浅く知る者なら信じられない大逆行為に及び、良く知れば闇夜の中に封じ込められたという古い恨みを晴らしている最中であると納得しよう。信者の死はタイタンの弱体に繋がるから容赦をすれば己に返る。これはそういう戦いである。
”焚火”の次代たる赤鱗が剥げつつある火のドラゴンはヴァシライエと勢力圏の確定交渉を行っている。互いの支配領域を重ねる程に仲睦まじくはないのだ。
難しい話に興味がない”火炎舌”は兄ドラゴンの鱗を毟っては落とす。
「脱皮お兄ちゃん」
鱗が剥げた後は父ドラゴンのように黒い炭のような肌になっていた。
「禿げお兄ちゃん」
”焚火”の遺灰を喰らい、その力を正統後継者として継いだ姿が徐々に露わになって来ている。
「お父さんお兄ちゃん」
鱗が自然に取れて境が広がって一面を覆わなくなっている。急成長中だ。
「成長期お兄ちゃん」
古い鱗が痒いらしく、会話しながら体を掻いて鱗を落している。
「疥癬お兄ちゃん」
変化が終われば往年の”焚火”に劣らぬ黒い威容を手に入れよう。
「うるさいぞ」
「エンシェントドラゴン”脱皮”!」
「やめろ馬鹿」
「脱皮はともかく、新しい名乗りは必要ではないかな」
ヴァシライエが、ダンピールの女中に茶を淹れて貰いながら提案する。焼け焦げた地面に茶の湯の一式が揃って優雅である。
「それもそうだ。火のドラゴンなどとあやふやな呼ばれはいかん」
「”脱皮”!」
”火炎舌”は爪で弾かれて、きゃあと転がる。
「父の遺灰を喰らい、何より帝都を灰とした。”灰燼”いかがか」
「頂こう」
「お収めを」
「あ、お兄ちゃん、この人名付け親になっちゃうよ」
「先手を取ったが先は長い。タイタンとの戦いに古い先達が必要だ。それが弱いと頼りにならん」
「ほえー」
「名付けの成り手が今の時代にはいないだろう。私が引き受けさせて貰う」
タイタンとの戦いは激しくなる。エンシェントドラゴンの代替わりが”焚火”の一例で終わると限らない。全次代のドラゴンの名付け親となれればヴァシライエには只ならぬ呪いの力が備わる。一個に纏まっているわけではないまつろわぬ者達には強い導き手が必要で、それに相応しいのは現代の現時点にて彼女以外にいない。古代のそのまた神代を知り、エンシェントドラゴン”抹消”の代行で、滅ぼされたはずの旧西帝国の代表ならば格は十分である。
「ドラゴンお婆ちゃん」
「お母さんだろう」
お姉さんである。
”火炎舌”は”灰燼”に邪魔だからあっちに行きなさいと追い払われる。帝国の破壊とタイタン殺しの両立について、難しい話が始まったのだ。普段ならこっちに来なさいとうるさい癖にだ。
暇を持て余し、毟った赤鱗をただ並べていると”抹殺者”が呼びに来た。声も出さなければ表情も作らず、手を動かすでもないが、大体察することが出来た。
”火炎舌”が向かった先には出来るだけ綺麗にされた、頭を砕かれ死亡したシャハズの遺体が寝かされている寝床。”抹殺者”が故郷の城にある花屋から貰って、下手に編んだ花輪が死者へ手向けられるように枕元に置かれているが決して死体安置所ではない。
まつろわぬ皆から強く求められている、魔王の遺志を継ぎタイタンの秩序を破壊する使命を負った魔女には静かな眠りなど許されない。想いの力が流れる中で肉体の死が安らぎに直結するほど短絡ではないのだ。
”火炎舌”がシャハズの腰に跨り、魔王の僕、魔女の信仰者、遠いデーモン、タイタンに古い恨み持つ者達の想いの力を汲み取りつつ”更新の灼熱”の火炎を、息を吸って胸を膨らませ、シャハズに吹き掛けて灯した。
旧神と呼ばれる”更新の灼熱”という意思があるかも分からない何かには、破壊と再生の力のようなものが備わっている。厳密なその性質の解明などしようもないのだが、力を借り受ければ物質どころか概念まで消滅させられる。”火炎舌”の器用の程度は高が知れるも、死んだことを無かったことにする呪いを掛ける程度は出来た。さして思い入れのないヒューネルから宮殿の者達の致命に至る欠損すら治せたのだから、大事な彼女を治せぬはずがなかった。
シャハズは生前の姿を取り戻す。”火炎舌”はその平な胸に耳を当てて待つ。心音の復活を一番に聞きたいのだ。当たり前だ。
とくんと鳴った。
「おわ」
シャハズが目を開け、腹に乗る”火炎舌”へ驚いたような割には平静な声を出した。魔女の復活の割にはおどろおどろしさも何もない。朝、普通に起きた程度。
「シャハぁズ!」
”火炎舌”はその胸に頬を擦り付けて尻尾を大きく縦に振って寝台を叩く。
「ベロちゃん、重い」
感傷的になる気もないシャハズは”火炎舌”の頭を押してあっち行けとやるもくっついて離れない。
「シロくん」
シャハズはダンピールなら珍しくもない色白の”抹殺者”にこっちに来いと手招き。頭を下げたので撫でた。
■■■
・まつろわぬ者達へ示される方針
タイタン達の力は想い、呪いの力で得られ、供給の多くを一二神信者からの畏敬と儀式によって獲得している。一二神信者の減少が何れ勝利を呼ぶ。虐殺せよ。
一二神信者を直接守護するのがそれを国教とするガイセルの帝国。帝国崩壊のために絶えず戦争を仕掛けて疲弊させ、社会を崩壊させ暗黒の時代へ回帰させよ。
一個ながら分権的に強固な帝国を破壊するためには力押しでは途方もない。タイタンを抹殺し、祝福による過剰繁栄を断ち、大災害を招いて基盤を揺るがせよ。
タイタンと帝国から奪った土地にはまつろわぬ者達の新たな国を築き繁栄させる。想いの力の流れを変えて呪いの天秤を傾けることが肝要。皆で一致団結せよ。
旧神、ドラゴン、魔王と魔女、素朴な崇拝。これら信仰で世界を塗り替え歴史から神々を名乗るタイタンが消えるまで互いの絶滅戦争は終わらない。覚悟せよ。
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