第3話前編「唯一世界皇帝ガイセリオン一世」

・不死宰相エリクディス

 唯一世界帝国の要とは誰かと問えば現人神たるガイセリオン一世皇帝陛下? さにあらず、不死宰相エリクディス。鬼女法王ヤハルと双璧を成すものなり。

 古代に賢者と謳われし見識は放浪の身分にはあまりに余り、黎明を迎えた帝国を作り上げるに十分であった。

 戦国の世に割拠していた国々を纏め、人の手が及ぶ世界秩序を帝国法にて守り、今日の唯一を号して世界に冠たる帝国へと育て上げたる偉業は唯一無二。

 いと敬虔にして数々の祝福を神々から受けし不死の賢者エリクディス。初代より数えて今代まで皇帝達を教導してきた姿は正に国父であられる。


■■■


 若きヒューネルが導く消耗し切った難民一行はついに帝都へ到着した。

 縦横に通りが突き抜ける完璧に計算されて作られた秩序ある大都市帝都。海神本殿都市地上部より広く、人口だけは劣る。そんなこれ以上望めぬ避難場所であるにも拘わらず、難民達は寝床の確保もままならず、路上や公園で身を寄せ合うしかない。

 不幸は己にのみ降りかかるのではない。難民は多方向から押し寄せており、最も数を占めるのは何と帝都内難民。助け合いに市民と公設備の屋根を貸しても限りがあり、軍が提供する天幕も数限りがある。

「君の義勇、賞賛に値しよう。是非陛下に面通しと言いたいところだが御親征あそばされたばかりでこの有り様だ。現状では何もしてやれない。本当に小銭をくれてやることも出来ないのだ。許せ」

 もし待遇の改善を要求するならばこの帝都管理責任者、この地では皇帝陛下と宰相閣下に次ぐ権威者たる月光伯ヴァシライエ閣下である。弁えるヒューネルは多くどころかわずかな要求も口に出来ず、己がここにまで至った経緯を詳らかに語り、正当な難民として認めて貰って配給の列に並ぶ権利を得る以上は叶わなかった。

 月光伯ヴァシライエ。皇帝陛下を太陽とするならその裏ともされる貴人中の貴人。少年が直視するには麗しが過ぎて尊顔を拝することも出来ない不思議のお方であった。半神英雄のように神々の祝福があるのだろう。

 この帝国、この世界に降りかかる不幸は連鎖を続ける。

 死神の御隠れ、半死人の横行、地盤沈下、大洪水。

 知神の御隠れ、神官達の半呆と発狂、図書、行政、郵便業務の麻痺。

 ”焚火”の軍勢による神々への大逆。

 魔物の横行、邪教徒の蜂起。魔女復活の噂。

 それらに煽られて彷徨い、混乱の洪水と化した難民の群れ。

 そして止めには早いが予兆を感じるのは、帝国中枢たる帝都中央部の封鎖である。

 その原因は突発的に起こり、人の口に戸を立てる暇も無かった。神官発狂の折り、敬虔と知られる不死宰相エリクディスも同じく狂ってしまったのだ。それは個人の不詳に留まらず、かの御仁が制御していたゴーレム兵の暴走に繋がり、それによる治安の乱れは半死人の討伐に支障を来して横行を許し、帝都内難民を作り出し、救えるはずだった他の難民に保護が行き渡らず、限りある帝国軍とその資源が内外の対応に振り分けられて掛る事態の収拾に手が回らぬという負の連鎖に至る。

 神々に奇跡を祈ろうにも祈り人たる神官達の多くが今、発狂により失われ、半呆により無能となっている。祈り人として才有る者を発掘して新たに教育を始めなければいけない程で、しかも知神本殿防衛時に帝国財政は危機的に、貨幣枯渇に追い詰められて個人の真摯さのみに頼るしかない。

 ここで頼れるのは皇帝陛下ガイセリオンであられるが、彼は今帝都に迫るリザードの軍勢を討伐しに主力を率いて出兵されている。帝都中央の混乱よりも帝都に迫る脅威に対処することが優先とされた。民を守り、家族を守るのではないと奥の宮に御一家を残されてでも。

 留守を任される月光伯だが彼女の手元にある兵力は老兵と新兵と義勇兵ばかり。帝都中央からは出てこないゴーレムへの警戒、時折漏れ出て来る半死人の迎撃、難民の暴徒化を抑えるのが精一杯である。せめてここに切り札である近衛隊さえあればと思われるがその手はもう切った後なのだ。如何に勇士といえど最後の一人チャルクアムに出来ることは少ない。

 皇帝陛下さえ存命であれば皇族は不滅。その冷酷を実行せねばならぬ時だ。

 一つ希望がある。不死宰相エリクディスを凌ぎ、帝国最高頭脳と謳われる帝国大学士率いる鉄火軍へ救援の伝令が出されていることだ。あの軍が対応出来ねば残る手立てが無いと云われる。しかし知神の祝福に依った郵便業務が無くなった今、伝令の到達からの鉄火軍大返しまでに要する時間は誰にも分からない。最後の希望は絶望を際立たせているようだ。

 誰も口に出さぬがこれと同じ絶望がある。残る”焚火”以外のエンシェントドラゴン達も大逆に加わっているかどうかが全く分からないことだ。何れも帝都から見れば辺境の彼方にあるドラゴン領。もしかの地で事が起きたとしてもそれが伝わるまで一体どれ程の時間を要し、対処に掛れるのかは知神でもなければ計算出来ないだろう。

 ヒューネルは都内の野営で燻る。布の天井は弱った者に譲り、露天の夜は寒い。

 寒さを紛らわすために露天の野営を強いられる人々は身を寄せ合う。彼の隣にもいた。しかも何と言うことか混血とはいえ少女である。ここまで増えては落伍して減って来た難民の中に、いつの間にか加わっていた一人である。この時勢において混血の姿は魔物を思わせることもあり騒動の元。しかし誰しも生まれを選べぬのだから罪は無く、ヒューネルは男気に傍にいろと言い聞かせていた。

 混血の奇跡という御業がある。竈神に祝福されし異種夫婦間には本来生まれるはずのない混血児が出来る。混血児の血統は世の理を乱す可能性があるとされ、生殖能力を持たぬ一代限りの存在と限定されるも、不可能を可能とするその寛容さは女神の愛。

 混血の娘には名乗る名が無かった。地方によっては女に名などつけぬという風習もある。単純に孤児ということも有り得た。その姿は人間とリザードが混じったようであった。頑丈そうな鱗が全身ではないが生えており、立派な尻尾がある。角もあったがリザードは有角ではないのでヒューネルの知識では足りない。有角の種といえばオーガだが、尋ねても己の出生に興味がないのか返答は「何だろうね」と要領を得ない。

 彼女は大層に可愛いらしかった。食事中は妙に嬉しそうにして「おいしー」と言って尻尾を振る。尻尾を振っていると指摘すれば身を捩り、それを確認して見返してきては「ほんとだね」と笑って更に大きく尻尾を振った。

 飯時も寝る時でさえ、傍にいろという言葉を遵守してか隣に居続けるので若さから胸が掻き乱される。

 一代限りの血統、未来の妻と望んではならぬ。永遠の愛を誓った後に家族構成と生計手段まで考えてはならぬのだ。ましてや間取りなど意味がない。

 そんなことよりもヒューネルにはやらねばならぬことがある。奥の宮には鉄宮后陛下が取り残されているとのことだ。もし何かあるとしてもクエネラ殿下の勇気をお伝えしなければならない。生きた証、成した大業を伝えてその生が凡百ではなく卓越だったと語らなければならないのだ。

 帝都中央は封鎖されている。一体で近衛兵に勝るとも劣らぬと云われるゴーレム兵が巡回し、あちこちに半死人がうろついていて危険極まりない。

 供がいれば安心である。ここまでの道程、頼れる者は三人浮かぶ。

 名射手が唖騎士の首に花輪作って下げている姿を見れば声も掛けられない。彼等は、一時的かもしれないが逃げ切って今は安全なのだ。片道も行ければ良く出来たと言える道に連れて行くことなど出来ない。

 チャルクアムは近衛兵。最後の一人であろうとも国家に尽くす義務がある。声など掛けられようか。心細さは、彼から学び極意には至らずとも会得した剣術と格闘術で補おう。

 無謀は承知。しかし怖れに義が勝る。


■■■


 ヒューネルは奥の宮を目指す。正面突破はまず不可能。しかし策も思いつかず、考えに耽る堪え性は今持ち合わせず、恥じることなく正直に道を封鎖する兵士に尋ねたところ、帝都外堀の下水口からなら行けるかもしれないと教えて貰った。

 その下水口、半死人が出て来るかもしれないと見張りの兵士が土嚢を積んで見張っている。ゴーレム兵の身体では都内の地上と地下を繋ぐ点検口と排水口には入れないとされる。

 兵士からは自殺同然と評されるも、ヒューネルはそれでも行かねばと廃水に濡れる暗い道へ入る。クエネラ殿下の件を言えば止める者は無く、助言をくれた。

「ゴーレム兵は音でも追って来るぞ」

「下水道で松明を灯すと爆発するかもしれない。臭いところは特に」

 下水道、それは酷い臭いである。地上のゴミが流水と共に流れ着いて中で腐食して泥臭い。そして糞尿に残飯も流れ込んでは臭さより呼吸の困難が死を感じさせる。根性で我慢どころではないのだ。気を失う程の臭気は猛毒である。

 暗闇の中、先住民たる鼠や油虫を驚かせ、時に触り、壁に手をつけながら進む。地上と繋がる点検口や排水口から漏れる光を頼り、そこを目指しては縦穴の梯子を上り、無ければ手足を突っ張ってよじ登り、地上には頭を出さないよう清浄な空気で呼吸を整え、また窒息に臭い道を突き進む。

 時に大きな何かに躓き、触れば知った死人の手触り。逃げ出せた者とそうではない者がいる。

 臭い、臭くないには偏りがあって呼吸に窮しない道もある。水中を進むよりは自由であった。だがやはり、新鮮な排泄物が地上の生活から流れ落ちる様を何度も見かけることになり、気が萎えそうになる。

 帝都は広い。外壁側から入ればその広さを良く実感出来る。整えて作られているので下水の道も分かりやすく迷うことは無いのだが、遂に迂回路を使わなくてはならなくなった。

 初めに目にしたのは下水道をうろつく半死人である。こちらを見つけて叫び声をあげた。

 半死人とは幾度も戦ったヒューネルなら充分に倒せる相手であったが、それで終わらなかった。今度は点検口を破壊、縦穴からゴーレム兵が鉄格子蓋、石片と共に降り立ってその半死人を一刀に両断し、そして跳ねては縦穴をよじ登って地上へ戻ったのだ。

 一体で完全武装の近衛兵に匹敵するというゴーレム兵。今降りて来た一体で済むとは限らず、仮に勝てたとしても勝負を挑むのは愚か。

 ここまではゴーレム兵に感知されることは無かった。今やってきたのは半死人の叫び声が原因だ。もう脅威は去ったと言えるかもしれないが、破壊された点検口は蓋が外れ、音が通りやすくなっている。それから単純に上から覗けば下が見える状態になった。

 ここで危険に挑戦している場合ではない。ヒューネルは迂回して進んだ。

 帝都中央部に近づくにつれて死体が良く目につくようになり、ゴーレム兵が砕いて広げた点検口や排水口が目立ってくる。通路を己の肉体で塞ごうと横隊を組んで、あえなく撫で斬りにされたと見られる兵士達もあった。槍どころか甲冑までも破壊的に切り裂かれている。

 頭上から道路を踏み鳴らすゴーレム兵の金属塊が打ち付ける重たい足音が響く。破壊する音も、半死人の叫び声も遠くから反響してくる。

 下水道は中央へ近づくほどに血腥く、死体に集る鼠が増え、窒息するような臭いが薄らいでいった。汚れを落とす市民がいなくなっている証であろう。

 そしてまた問題がやってきた。点検口と排水口から漏れる光の色が代わり、間もなく暗闇に閉ざされたのだ。夜の訪れである。いかに整然した作りであっても前も見ずに進めるものではない。ヒューネルは松明を灯すかどうか考える。

 今日は壁に背を預けて日出まで待つことにした。

 待つことにしたが、足音がする。水を爪先で蹴る足音で、体重はそこまで重くない。

 完全な暗闇の中で半死人と戦うことは初めてではないが、多くの犠牲を出してきたことを思い出す。

 近づいてくる。その方向へ剣を突き出し、切っ先に触れる者を両断するのだ。

 もう目の前、剣先に触れた。振り上げて斬る。半死人の叫び声、頭ではなく肩に当たった。もう一度振って頭、また肩。刃が食い込んだまま押して、距離を取ってさらに一撃、頭を割った。

 破壊、重たい落着音。ゴーレム兵が下水道に降りた。見えない。

 見えないが重い足音は分かる。どうする? 相手はこちらが見えているのか、見えていないのかヒューネルには判断が出来ない。

 また破壊、重たい落着。一体だけで済むとは限らなかった。

 ヒューネルは多対一の基本、背中を取られぬようにと壁に預ける。後はもう勘で挑むしかない。

 ゴーレム兵が走り、迫って、一瞬止まって、通路の奥に灯りが見えた。誰か?

 灯りが広がって下水に反射し眩い。暗闇になれたヒューネルの痛む目に見えたのは鉄岩剣を大上段に構えてゴーレム兵を滅多打ちに始めたオークの近衛兵チャルクアムである。近衛の鎧姿、重量感、大ゴーレムの様相で負ける要素が無い。

 耳を砕くような大音響。近衛兵に匹敵するらしいゴーレム兵が膂力で押されて金属の身体を曲げて潰れて体勢が崩れても滅多打ちが続いて部品に分かれて壊れた。

 もう一体のゴーレム兵、ヒューネルに剣で撃ちかかる。手加減など当たり前に出来ぬ相手、盾に黒石を纏わせて防ぎ、反撃に剣で撃てば刃など立たぬし撃ち返りがむしろ腕を壊さんと響く。

 またゴーレム兵が降りて来る。ヒューネルに出来ることは、囮になって盾で抑えてチャルクアムが多対一の不利に持ち込まれるないようにするだけだ。

 チャルクアムが何度もゴーレム兵を滅多打ちに破壊、ヒューネルはその背中について守る。熱風が灯りの元から吹いて来る。誰かもう一人いた。

 ヒューネルの黒石が消える。祓魔のマナ術は体内に自然と溜まったマナ分量しか扱えず、回復は長く待てねばならない。そして裸の盾で直接ゴーレム兵の剣を受ければ一撃で膝が勝手に曲がる程で、盾がひしゃげた。次を受けたら盾が半ば千切れ、腕に切れ込みが入る。次は剣身を掴んで受けて折れ、親指が落ちた。次は無く、懐に飛び込んでしがみ付いて刃を逃れた。

 相手が常人ならここから組み討ちへ移行出来るが、相手は馬のように重いゴーレム兵。脚を絡ませても動じず、持ち上げるなり体勢を崩すなりが全く出来ない。そんな足掻きをしている間に脇腹を掴まれ、肉を破り骨が折れて腹の中に指が入った。鉄指の握力、人体を容易に破壊。

 チャルクアムはまだ滅多打ちに別のゴーレム兵を破壊している。何度も剣を撃ち込んでは増援に現れるゴーレム兵を破壊。

 ヒューネルは一体でさえ倒せていなかった。せめて時間稼ぎにと思うが、内臓を捩じられては立っているだけで限界。狂戦士の加護でもあればと現実逃避の思考に傾くが、クエネラ殿下の物語を伝える者が膝を折ってはならず、持ち堪える。回転するゴーレム兵の手首が腸を引きずり出して腰が抜けてもしがみ付いて倒れない。

 チャルクアムの鉄岩剣が遂に、ヒューネルの腕ごとそのゴーレム兵を撃った。最後の一体となったのだ。

 誰かに引き剥がされて倒れる。腕が残っていたら無我の領域に迫った拘束によりそれは無理だった。あれは救いの斬撃であった。

 オーク剣術の滅多打ちが腸を掴むゴーレム兵を破壊した。

 意識が薄れる中、ヒューネルの身体に熱が今更に走って急に目が覚める。強引な覚醒、熱の体感は凄まじく、腸抉りに耐えた者とは思えぬほどに叫んで、転がり回ってチャルクアムともう一人に抑えつけられた。

 ヒューネル、謎の炎に炙られながら意識が正気の段階へ戻る。

 灯りに包まれる中、チャルクアムの顔が見えて、もう一人はあの混血の娘だった。

 熱の苦しみが腹から無くなり、腕だけになる。口が利けるようになった。

「何故ここに?」

「共に行こうと思えば先に行ったと聞いた。困る」

「それは……申し訳ない」

 近衛ならば奥の宮の方々を守るものだ。玉砕するかしないかなど考慮の内にはなく、供連れを選ぶとすれば彼だった。

「君はどうして?」

「だって、ヒューネルくんが危ないから傍にいろって言ったでしょ」

 息を吹き込んで保つ炎のような何かで瀕死のヒューネルを癒す混血の娘、笑って尻尾を振っている。

 良い匂いがしてきた。それは天日に干された布団のよう。混血の娘の炎は明るく暗闇を照らし、傷を癒し、失いかけた意識も取り戻し、しかも下水に汚れた衣服を焼かずに清潔にしていると分かる。

 癒しと浄化の炎、竈の火を守るように吹き込んで灯る。竈神に由来すると思われる奇跡に対して祈る素振りもないが、無垢に敬虔であればこそ祈祷が不要と云われる。祈祷や儀式など型式を作らねば祈れぬのは心に並程度とはいえ邪を抱える大人の罪深さだ。

 竈神の力の源は愛である。熱を帯びた若者は指先まで復元された手で混血の娘の手を握った。

「ほえ?」

「私は君に永遠の愛を誓いたく思います」

「ほえー」

 混血の娘、否と応とも返事をしなかった。

 太い唸り声が一つ。二人の空間が俄かに形成されつつあるがここには三人いる。

「私はあなたに永遠の友情を誓いたく思います!」

「いいから行くぞ」

 オークの近衛、頭を掻く背中は応との返事である。


■■■


 チャルクアムの案内にて辿り着いた先は実質の行き止まりである。下水道自体は先に続くが、人も通れぬ排水管口しか穴はない。常時排水されて鼠も通れぬだろう。

 頭上には排水口がある。明かりが差して朝である。そこに梯子はなく、縦穴をよじ登るより先は無い。

「宮中ですか?」

「敷地の際、外だ」

「秘密の抜け道などありませんか?」

「使えるのならばもう逃げている」

「真下に繋がる点検口や排水口は?」

 勿論便所の穴もであるが、高貴さ故に口に出すのは憚られる。

「ここより先は坑道作戦に備えた城壁としても機能している。工兵が要る」

 頭上より重い足音は聞こえない。山越にて目先を磨いたチャルクアムが鉄岩剣を背負って手足で縦穴を突っ張りながらよじ登る。何かあれば直ぐに落ちて逃げて来るので二人は下で待った。

 地上にゴーレム兵はいなかった。二人も続いてよじ登り、宮殿の門前広場に出た。戦時には帝国軍主力が集って出陣の式を執り行う場所であり、平時は市民達の憩いの場である。好き好きに運動をしたり、お喋りをしたり、出店で買い食いをするのだが今は誰もいない。もし一つ挙げるとすれば悪魔と交わり魔物を取り込み続け、異形の怪物と化した魔王ロクサールの頭骨が在る。展示台に置かれ、透明硝子の箱に入れられた姿は最早元の種族が何であったかは分からない。

 チャルクアムは見慣れている。ヒューネルは言い知れぬおぞましさに一目見ただけ。混血の娘は「おー」と足を止めて展示台を一周し、磨く者がいなくなった硝子の埃を袖で拭って再度見る。

 小さな観光は終わり、ひしゃげて破られた格子の宮殿門を通る。門衛は勿論いない。

 宮殿敷地内には破壊されて機能停止したゴーレム兵を除いて誰もいない。ただ噴水や花瓶に花壇から階段の手すり、飾り柱や東屋から床、窓に雨戸、様々な宮殿を構成する物がところどころ破壊され、血の染みがあり、武具や石の欠片、わずかな肉片に布片、泥が飛び散っていて一戦あったと分かる。肉が残っていないのは糞の跡から鳥の仕業だろう。

「何の用事か」

 大狼の毛皮を羽織ったエルフの貴人が宮殿正門脇、通用門から曲刀を引っ提げて現れた。背には豪と見られる弓。

「アジルズ殿下、御無事で」

 チャルクアムが敬礼。エルフ副王のご嫡子であった。であればその毛皮、始皇帝が愛用し、友情の証にと初代副王へ贈られた逸品である。あらゆる矢弾を避けるとされる。

「用事を聞いている」

「実はクエネラ殿下のお話で……」

「それは大義。用事が無ければ帰れ」

 アジルズ王太子が言葉を遮る。聞く耳持たぬといった様相。

「動くゴーレム兵、居らぬようですが」

 チャルクアムが現状を尋ねるが、その余裕が無かったのだ。

「一番厄介なのが……ええい!」

 王太子が曲刀を反射に構え、鉄岩剣で咄嗟に背撃を防いだチャルクアムが吹っ飛んだ時に、ようやくヒューネルは気付いた。

 尾を振るゴーレムの四足獣、静かな着地からの一撃だった。

 ヒューネルは壊れた盾に戻ったマナにて黒石をつけ、特大剣の付いた尾撃を受けて凌ぐ。如何に物理的な衝撃を無効とするマナ術を介したとはいえ、迫る姿、重量感と速度から威力は凡そ察せられる。肉と骨など幾ら鍛えても微塵に砕けよう。

「入れ!」

 四人は宮中に飛び込んだ。殿を受け持ったヒューネル、混血の娘に治療して貰ったおかげかマナ術の調子が良く、二撃、三撃と続けざまの攻撃を長く持ち堪えて中へ入る。そして扉など紙くずのように切り裂きそうな尾がかすりもしなかった。ゴーレムの獣、宮殿自体に害を成そうとしなかったのだ。

 意図は不明だが閉じ込められた。命だけ遵守するが敵味方の区別が無い、狂った番犬の如きである。

「備蓄も少ないというのに愚か者め」

「我が身を捧げます」

 鉄岩剣で受けたものの、オークの太い骨が砕けた腕を見せた。近衛ならば味方の肉を食らってでもという覚悟がある。

「誰がオークなぞ食うか!」

 チャルクアムの腕を混血の娘が癒しの炎で治療しつつ、アジルズ王太子の先導で宮中を進む。ここも無人。血の染みと、多少は片付けられた破壊された家具、壁、床、階段の手すり、諸々の残骸が散らばり、脇に退けられたゴーレム兵の残骸がある。中庭の傍を通れば高貴にそぐわぬ即席の墓が並んで見える。

「殿下が斬られましたか」

「全く、魔王の人形の真似などするからだ。ジジイめ」

 副王のご子息は大層ご立腹の様子だが、これが普段からなので知る者は気にしない。ヒューネルは萎縮している。

「娘、治癒が使えるか」

「うん」

「奥に怪我人がいる。治せ」

「はい、人にお願いする時はぁ?」

 空気を読まぬ、という言葉がある。立腹した王太子が混血の娘を睨みつけて歯軋りに鳴らす。並の娘なら腰が抜ける迫力であったが、並でなければ動じもせずに笑い顔。

「君、私からお願いするよ。頼む」

「分かった」

 ヒューネルが対応した。

 皇族、貴人の中の貴人、女官、宦官など限られた者しか入れぬ奥の宮まで案内された。その入り口には皇統を守護するかのように始皇帝ガイセルの武具が飾られていた。建国時の素朴さを反映してか、アダマンタイト合金の剣、甲冑、鎖帷子は古く使い込まれた跡が見えて飾り気が一切無い。見栄ではなく実際に用いられたと一目で分かる。

 帯剣する、隻腕となったばかりと断面に血染みの包帯を巻いた白化粧の宦官が出迎えた。

「ご加勢でしょうか」

「無駄飯喰らいだ」

「お三方、お心強い限りです」

 隻腕の宦官は柔和に礼をして歓迎してくれた。彼も知る者なので弁えている。

 奥の宮は中央の広場から放射状に各構成国の名を冠した宮が建てられ、それぞれに一人ずつ后がいてお子達もいる。監禁同様に生活に変化が無かった彼女達が来客者を見ようと顔を出す。各構成国は一様ではない種族が治めており、つまり后達は異種揃い。例外は国無きゴブリン、まつろわぬリザード、使徒の種族たるセイレーン、サハギン、アラクネ、金髪のエルフである。

 陛下の子供達であるが、種は完全に母親に拠る。一代限りの血統と定められた混血の奇跡の姿ではなく、如何なる種族であろうとも純血を孕ませる奇跡である。始皇帝ガイセルの最初の后はケンタウロス族とナーガ族の長の娘で、当然子は理によって成せないはずだったが、竈神の奇跡により純血を孕んで今の塩の国、湖の国の王統となっている。

 皇族の方々には王太子より、正規の救援ではないとの簡単な説明により落胆がされた。知られる言い様によって負の側面が強調されているものの、差し引いても状況の打開は見込めそうになかった。

 それから混血の娘により治療が始まった。宦官の無い腕が生えるという、傍目から見れば強烈な治療が披露されて落胆は一時かき消された。治療に伴う灼熱の苦痛で大声が出たが、それに臆する者はいなかった。

 ガイセリオン陛下のお后方は只ならぬ方々である。初代を源流にする塩と湖の国は除き、お家騒動を避けるために各国王統とは交わらぬようにと貴賤問わずにお眼鏡に適った女性が選ばれる。今上陛下は武に惚れる性質であった。宮中に押し入ったゴーレム兵との戦いで重傷を負い、四肢を欠損し、目どころか顔も失い間もなく死に絶える寸前に追い込まれた方ばかりで、成人した子供達もその気風を継ぐ。治癒の奇跡を使えるはずの神官達が発狂した今、混血の娘は希望の光になった。

 もう三人の到着が少し早ければ死ななかった方がいる、という言葉は漏れなかった。陛下の眼力はそのような陰湿を排している。

 アジルズ王太子、副王の王統で皇族とは血縁にない。しかし貴人の中の貴人で、性格からも気位が高い。

「あ……助かる」

「んふ?」

 混血の娘、その滅多にないお声がけに笑って尻尾を振った。

 一方ヒューネル、鉄宮后陛下にクエネラ殿下の遺品である、破壊してしまった剣と盾に、遺髪をお返しした。冥府への競争から、勇士らしく討ち死にされるまでの話も語る。

「鉄の同郷のヒューネル様、親御様はどのような方でしょうか? お知り合いかもしれません」

 鉄宮后は齢を重ねて落ち着かれたクエネラ殿下そのまま、といった御尊顔の貴婦人。同郷からかヒューネルには親しみが易かった。

「産みの親は知りません。義父は……旅中はその高名を利用してはならぬと誓いましたので、その」

「いえ、分かります」

 ヒューネルは鉄宮后陛下に優しく顔を撫でられた。

 加勢を得てアジルズ王太子が作戦を立てる。

 まず秘密の地下通路だが、死神が御隠れになられた時の地盤沈下や洪水の煽りで土砂、泥水に潰れていることが判明。力持ち二人が泥に塗れて頑張っても食糧が先に尽きる見込み。これは真っ先に候補から排除される。

 地上から出るしかない。先程はチャルクアムとヒューネルだけでも一時持ち応えられた。これに以前、ゴーレムの獣と少しはやり合うことが出来たアジルズ王太子、腕こそ落とされたが宦官、そして甲冑を纏った鉄宮后も加われば討ち取ることは叶わずとも数的優位から手傷を負わせて弱らせることも可能で、また混血の娘による治療が望めるので即死さえしなければ再挑戦の機会があるというものだ。しかも獣は宮殿に立ち入ろうとせず、聖域と化している。その条件からの波状攻撃で少しずつ弱らせ倒そうというのである。

 その五人の中で一番見すぼらしい装備なのはヒューネルであった。今は武具が失われ、ゴーレムの剣を拾って振っては見るが人間の体格に合わず、使いこなせない。

「身体に丁度合うと見ます」

 鉄宮后が見立てたのは畏れ多くも始皇帝ガイセルの剣、甲冑、鎖帷子である。霊験あらたかな国宝を前にヒューネルは気後れするものの「お似合いになります」と着せられ始めて否応無かった。それは見た目より重いが身体に測ったように合って動きやすく、寝て立って転がってと体操を確かめたが全くと言って良いほどに引っ掛かりがない。彼のために特注されたような着心地である。

「始皇帝陛下と体格が瓜二つ、なのでしょうか。偶然もあるものです。気後れはなさらぬように。もし無断使用のお咎めあれば私が腹を切って責任を取りますので」

 鉄宮后、最後にクエネラ殿下の紋章入りの盾を渡してそう言った。そうまで言わせて遠慮は出来まい。

 その日は一日休みとした。宮殿とは思えぬ質素な食事。戦う五人には満足の幾分だけ、子供達には少量、他の后は絶食である。我が身を切って肉にして欲しいと嘆願、自刃に至る間際に止められる方もいた。陛下のお見立て、見事であったろう。覚悟が並ではない。

 そして明くる日、五人で宮殿の外に出た。

 出た直後は静かなものの、間もなくして屋根から巨体を思わせぬ軽やかで静かな足取りにてゴーレムの獣が降り立つ。

 盾に黒石を纏わせたヒューネルが一番に前へ出て、声が掛かった。

(坊よ、まだそんな格好をしておるのか? 君主らしくせいと教えたであろう)

 ゴーレムの獣、喉からではない声を出したのだ。

「宰相閣下は既に心を失われておられる。まだ人の言葉を話してもそれはうわ言のようなものだ。惑わされるな」

 アジルズ王太子より昨晩、そうは聞かされていたものの、その敵意が無いような声に構えた盾が下がりそうになる。

 不死宰相エリクディス。第二の魔王が現れた時のためにゴーレム兵団を作り上げ、自らをも四足獣の超兵器にと作り替えた。ミスリルの骨、オリハルコンの装甲、エーテルの皮膜、アダマンタイトの尾先剣と他のゴーレム兵とは比べようもない錬金術の限りを尽くした造りに護国の獣となったが、その精神の狂いで仇なす存在となるまでは見通せなかった。誰が知神の御隠れからその縁ある者全てに伝播する狂気を予測したであろうか。

 エリクディスの獣、手を伸ばした。あまり早くはない、見せつけるように上げて殴る? いや、お叱りの拳骨。

「避けろ!」

 ヒューネルは然程に早くないその拳を退いて避けた。獣にとり小突くようなものだが、その巨体が繰り出せば石畳を容易く割った。

(どうしてこうなったのだ。万事うまくいっていたはずなのに)

 獣が頭を振る。

「始皇帝陛下と見間違っているのか反応が違うな」

 剣を持つ宦官は右半身側へ、槍を持つ鉄宮后は左半身側へ。

 チャルクアムが背後に回り、尾先の剣の根を掴んだ。反応が無い。

(こんな心算ではなかったんだ!)

「何を嘆いておいでか!?」

 このような言葉を放つ獣に心が取られるのはヒューネルの若さか。

「うわ言だと言ったろうに」

 獣がギィイイ……と、叫びか唸りか、金が擦れる耳障り。ガリバリ、と歯ぎしり。うわ言を言うだけの理性も消えた。

「帝国随一の賢者と謳われた方が哀れな」

 王太子が放った矢が、いつもと違って脚を止めている獣の片目を射抜いた。極限に薄いとはいえ不壊を謳われるエーテル皮膜をも破るはエーテル製の鏃。一つだけでも国宝級。

 チャルクアムが尾にしがみ付き、体重移動を使って尾先剣を抑える。

 宦官の素早い剣突きが潰れていない右目に弾かれ、注意を引いて顔がそちらへ向き、開いた首の左側、装甲の隙間へ王太子が再度矢を放って突き刺す。そして魔を遮り物質を溶解せしめるマナ術藍泥塗りの、既に融けつつある穂先を鉄宮后が首の矢傷に叩き付けてねじ込み流し込んだ。

「今回は十分だ!」

 ヒューネルは黒石の盾を構えて接近し、獣の目に突き立ったエーテル鏃の矢を掴んで抜いて王太子の側へ投げ、宦官と鉄宮后の後退を、前肢を振るう打撃を受けながら支援。

 獣の叩き潰す腕を黒石で防ぎつつヒューネルは宮殿の通用門へ下がる。チャルクアムが離脱して扉ではなく窓へ飛び込んで退避し、尾先剣が盾を越えるように頭上から打ち下ろされ、王太子がその背中を引っ張り間一髪回避。そして二人、寝転がったまま這い蹲って惨めな敗残者のように宮殿へ逃げ込み、鉄宮后と宦官に引っ張られて中へ。

 宮殿の通用門を尾先剣で獣は破壊し、そして慌てたように首から上の調子が悪そうなまま逃げ去った。

 不死宰相エリクディスが発狂する直前、”焚火”の軍勢が迫る危機に対応するために彼はゴーレム兵に帝都の守備から転じるための命令作業を行っている最中であったそうだ。そのため中途半端に今のような帝都中央部の見境無しの封鎖がされたと考えられる。その肝心の宰相閣下が何故か宮殿に入り込まないようにしている理由は不明である。ゴーレム兵は踏み込んできたのだ。最後の理性が宮殿より奥の者達を傷つけてはならぬと理解しているからだろうか。

 日を跨いで二度目の挑戦。エーテル鏃の矢は一本の回収に成功し残り二本。

 破壊された通用門より宮殿の外へ五人は出た。首の自由が利かないのか、曲げたままで獣が現れて、真っ直ぐ飛び込んで閉じていた正門を破って背後へ回り込んだ。かすかな理性も削れてきたと見えた。

 先頭に立って外に出てしまったヒューネルが、背撃により最後尾に転じるが間に合わぬを合わせる。黒石を纏わせた盾を後方へ投げ、最後列の王太子が受け取って尾先剣の一撃を防ぐ。

 続いて宦官が獣の爪を避けて潜り込んで、腹下へ潜り、剣で小突きながら尾の側へ回り込んで気を散らし続ける。

 腹下に気が回って背を丸めた獣の不注意の隙を逃さず、鉄宮后が矢傷で潰れた目に藍泥塗りの槍を突き立てて流し込んだ。

 チャルクアムは跳び、獣の頭を蹴って首の矢を踏んで貫通させ、背を踏み、再び振るわれようとした尾を掴んで抑える。

 王太子は盾を捨てて弓を構え、残る目にエーテル鏃の矢を突き刺し、もう一射はチャルクアムが振られながら抑えている尾の付け根。

 そしてヒューネル、始皇帝の剣の腹で目に突き立った矢を叩いて貫かせた。大口を開けた獣は反撃にその肩に噛み付く。アダマンタイト合金の甲冑が受け止めている間に鉄宮后がそこへ藍泥塗りの剣を突き入れ、融かして獣の頭部を内より破壊し始める。

 動きが鈍る獣の尾がまた振るわれようとしたが、チャルクアムが鉄岩剣を抜いて尾の根を滅多打ちに始め、矢が作った傷口を広げて動きを殺した。エーテル皮膜はそれ以外から撃たれて不壊でも、傷のついた中身は別なのだ。衝撃に割れる。

 頭と尾が壊れても獣は四肢が動いていた。目標の認識が出来なくなったか手当たり次第に暴れ始めて宮殿を破壊し始め、遂には爪を立てて壁面を駆け登って天井を突き破って出て行ってしまった。

 肩を噛まれたヒューネルだが、神性を帯びて神器と化した甲冑には傷もなく、藍泥の侵食も受けていなかった。始皇帝陛下の加護ぞある。

 三度目の挑戦は奥の宮となった。二度目の戦いの夕方、中庭に獣が転がり込んで来たのだ。何も見えていないかのようで、崩れた頭と尾を下げて唸り声も上げているようでほとんど音にもなっていない。

 祓魔のマナ術、それは不死宰相エリクディスが開眼、会得して世に広めた。その術が無ければ魔王に帝国は打ち勝つことは不可能であった。それによって今、当人が討たれようとしている。

 王太子、並の矢で獣の脇腹を突いて気を反らす。獣は盲目に突かれた方向へ四肢を叩き付けながら跳ね進んで庭を穿り返すその動きは単調。矢を当てて進む方角を誘導しては絶好の位置に誘き寄せ、腕が振り下ろされたと同時にチャルクアムが鉄岩剣にて崩れた首を打って壊し、後肢に蹴られて肩を潰して飛ぶ。その傷は混血の娘が治しに掛かる。

 頭が全く動かなくなりその場で出鱈目に暴れる獣に対してヒューネルは黒石で盾を覆い、神器と化した始皇帝の剣へ鉄宮后に藍泥を塗って貰い、開いた口に片腕を突っ込んで喉元過ぎて胸の奥まで刺突した。生物であれば絶命し得る一撃である。

 獣の動きが極端に鈍り始めた。それからは后、お子方も協力し、裂いた布で作った即席の物も含めた投げ縄にて捕らえては引っ張り動きを抑え、魔を祓うマナ術がその体内を融かし、破壊するのを待った。

 勝利の喚声を上げるには疲れて、飢えて、虚しい。


■■■


 ガイセリオン皇帝陛下並びに主力軍帰着。暴走するゴーレム兵は今まで市民を悩ませていたのが嘘のように一掃されてしまった。それもそのはず、魔王ロクサールをも討滅せし最強の武具である金剛石の剣と甲冑を纏う陛下の前にそれらは出来損ないの人形に過ぎず、一太刀で砕き、一太刀浴びせられても微塵も揺るがない。

 一時凌ぎとはいえリザードの軍勢を撃破して敗走せしめ、帝都解放となれば市民は凱旋に次ぐ戦勝に祭りの騒ぎとなる。

 帝国建国の礎たる不死宰相エリクディスの最期は敢えて伏せられた。国葬をしようにも状況は難しくて悩ましい。白骨のみになったと言われる遺骸も藍泥のマナ術にて溶け去って無いのだ。情報の錯綜を利用し、宰相は狂ったが最期の理性で自己犠牲に皇族を守ったという嘘で物語が締めくくられることになる。後は正義と言い切れないが、魔王の僕、魔女の信仰者の仕業と噂を流せば戦略的宣伝は完了となる。戦は綺麗事ではない。

 ヒューネルは改めてガイセリオン皇帝陛下に謁見し、クエネラ殿下の物語を伝えることになった。

 その陛下の御姿だが、毛は濃く一部が鱗に覆われ、角に牙があり、足は蹄、尻尾は蛇のように胴からの延長に伸びており称号無くば怪物である。后としている全種族の特徴を合わせた異形であるのだが、顔を見れば何とも言えぬ愛嬌があり、声も太く低いが同様で、泣いた赤子も泣き止み笑い出す程であった。

「褒美をやる。その武具、そのまま使うが良い。始皇帝陛下に聞けばきっと快諾されるだろう。御存命であれば何故無用に飾っているのかと不思議がられるだろうな」

 国宝の下賜、前例に無く、ただの若者と思っているヒューネルは反射に「あのような逸品、受け取れません!」と断るが「まあ待て」と皇帝が手の平を見せて抑えろとやる。

「ヒューネルよ、お主を育てたのは”新星”だな」

「それは……」

 嘘の付けぬ者は図星を突かれると顔ではいと言う。その世界救済の英雄の名に恃むことのないようにという誓いは外より破られた。

「あやつには今際にお前を頼むと言ったのだ。大きくなったものだ。しかもあの甲冑が丁度とは、運命かもしれん」

「は」

「物語のお返しをしよう」

 それは事の起こりから始まって長かった。魔王ロクサールとの長い戦いの中、戦場で出会った女とつい良い仲になり結婚しないで作ってしまったのがヒューネルだという。その女は鉄の国出身で、しかも既に結婚されていた鉄宮后の妹であるというのだからお立場なければ排泄物と称されよう。

 女は妊娠を隠し、戦いの中で致命傷を負い、最期の力で己の腹を裂いて取り出した。そんなヒューネルを嫡子と認めるようなことがあれば帝国構成国一つにつき一人の后という法に反する故、不義の子であることさえも隠された。しかし殺さなければならないような不幸の子ではない。そこで皇帝の親友”新星”が引き取ったのは亡き不死宰相エリクディスの計である。最も口の固い者は誰か? 人里に住まず人の理より外れているエンシェントドラゴンの一角であった。皇帝が相討ちとなった今際に断れぬ頼みを重ねてすることになったのは偶然ではある。

 話を聞いたヒューネル、忍耐を己に念じる。クエネラ殿下が姉と呼んで良い方で、鉄宮后が伯母で、実父が皇帝で、義父に育てられた経緯が、法が、何だ、と。

「我が父は”新星”、陛下ではございません」

 このように答えて反抗するのが限界である。

「そんなこと言うなよ」

 ガイセリオン一世皇帝陛下がおいじけになられた。后達に可愛いと言われる一端である。

「共に暮らそう!」

「まだ何も成しておりません!」

 ヒューネルは立って、目頭を押さえる皇帝に背を向けた。不敬であるがしかし、皇子の一人となれば誰がどう咎めようか。

 皇族となるを拒否し、褒美も受け取らずにヒューネルは宮殿を去ろうとする。そこへ馬上の貴人が背後より近づいて並び、共に歩く。

「ヒューネル! 当てがないなら副都へ来い。こちらは陛下がおられて盤石だが、他所では別だ。エンシェントドラゴン共が動き出したと聞く」

 馬上の貴人、アジルズ王太子である。帝都留学を終えて故郷の副王領へ帰るところなのだ。

「私でよろしければ」

「よろしいとも」

「その前に別れを告げて来なければなりません」

「南門で待つ」

 アジルズ王太子を見送り、ヒューネルはまず近衛隊詰め所へ向かった。そこには最後の一人となったチャルクアムが広い練兵場にて一人、腰みの一つの姿で鉄岩剣を振るっては岩石を削っていた。火花と石片が散る。これでゴーレム兵も砕く剣術が身に付くわけだ。

 それから何度振るったか、筋肉の動きが美しい。それを参考にして振ろうかと思い、今は武具も何も持っていないことに気付く。予備の、鉄岩となる前の大鉄剣を脇に見かけるもあの大きさはとても振れそうになかった。

 汗の滴るチャルクアムが素振りを止める。ヒューネルは言葉が見つからなかったが、突き出された拳に拳を強く当てた。男二人にはそれで充分。

 次は名射手、唖騎士である。宮殿を出て、次々と解体されていく天幕群の中から以前まで寝泊まりしていたところへ行きつく。そこには混血の娘もいて、名射手に頭を撫でられては見たこともない程に激しく尾を振って喜んでいた。近づけば喉も鳴らすような有り様で、女相手であるが嫉妬を覚える。この感じでは王太子の旅に誘っても断られそうに見えた。

 混血の娘は一体何を拾ったのか、手に持った糸を引く何かを伸ばして遊んでいる。そうかと思えばそれは固まって、固形になり、そこへ息を吹き込んで明るくしては柔らかくして丸めた。奇跡の炎で何か融かして遊んでいるようだ。癒す以外にも出来たようである。

 名射手が手招きをする。ヒューネルは少し不機嫌、それと不思議に思いながらも、しかし別れの挨拶にしかめっ面だけなのは無いだろうと、明るい言葉を口にしようと思って傍に行けば肩を叩かれた。混血の娘から「ばいばーい」と手を振られる。別れ、柔らかい拒絶、神経に氷が走ったようでもある。

 眩暈がしてきた。なんだ?


■■■


・世界唯一帝国

 死後小人神に列せられた始皇帝ガイセルが興した帝国。世界征服を一代で成し遂げた尋常ならざる偉業の陰には英雄達の働きと神々の祝福が間違いなくあった。

 帝国は広大で一元管理は難しく、大きく三つ、細かく一二に区分けして統治される。これに加えて一一の本殿領、五つのドラゴン領、少しの禁域で世界が成り立つ。その一二領にて残る一六領を征服することなど愚にもつかない。


西帝国

 帝都領

 鉄の国

 湾の国

 山越の国

東帝国

 旧都領

 塩の国

 湖の国

 海越の国

副王国

 副都領

 馬の国

 河の国

 森越の国

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