第1話後編「死のタイタン」
・唖
変わり映えの無い夜の都で延々と騎士として稽古する。そしてある日突然、堀に突き落とされた。その暗闇の中で同胞を喰らう同胞すら喰らって延々と殺し合い、最後の一人になった。
「今度はどうか」
また突然に闇より暗い影が結晶を己の胸に突き刺し、長らく麻痺していた全感覚を震わせた。その一瞬だけで今までの苦しみを凌駕して長くのたうち回った。死ななかった。
「良く出来た。立て、我が息子よ。名を……」
■■■
死のタイタンの本拠、冥府の上層部を構成する白い神殿都市部へと放浪者は単独で入る。白子のようなダンピールの姿は現在では見られなくなったので好奇の視線は多少あるが、変わった人間か知らぬ種族かと悪目立ちまではいかない。服装のボロは目立って今後の行動に支障を来すと理解したので既に、ここにたどり着く道中に追い剥ぎで旅装を奪い、鞄を背負っている。
本殿前広場の更に手前の大通りで、ダンピールは街路樹の縁石に腰かけて待つ。雑踏の中から幾人か声をかけてきたが反応する価値は無かった。
戦闘前から血臭漂い、帷子の縫い目にすら赤染を見せるガイセリオンの娘クエネラが通りがかる。それを剣、槍、斧を持つ甲冑騎士が囲む。四人、武器を構える。
「お命頂戴」
「来たか己等! 一〇〇が三に減っても懲りんのなぁ!」
群衆が「決闘だ!」と騒いで人垣を手慣れに作る。
「一三七」
「ざっぱなど数えるか阿呆!」
クエネラ、槍の叩き付けを盾で受け流し、続いた剣突きを小手で受け流しながら剣の横薙ぎ反撃、兜をかすり火花。同時に斧の振り下ろし、後ろ蹴りで腰を打って怯ませた。
次に三騎士、一瞬間を開け、呼吸を合わせて三方同時攻撃を企図。
「助太刀致す!」
問答無用のヒューネル、迷わず剣を構えて突撃に斧騎士の背中を刺し、胸甲を裏から膨らませた。
三方同時の機先を制されて判断が遅れ、隙に剣騎士の剣がクエネラの盾に払われ、続く剣撃を崩れた姿勢で小手受け、板金が割れて肉まで穿った。
「坊主遅いわ! どこ……」
ダンピール、立ち上がってクエネラの腰を蹴って「んがぁ!?」と転がせば、獣に唸り始め、重傷から足掻いても立ち上がれない。そしてヒューネルと槍騎士に手の平を向け、それまでと制止する。
「こちらは引かせて頂く。そちらは」
「同意します」
槍騎士の停戦案にヒューネルが同意。「まだだぁ!」と寝て吠える狂戦士もどきはさて置いて双方武器を収めた。
ダンピールは「かたじけない」と苦しげに言う剣騎士から財布をひったくり驚かれ、斧騎士の懐より財布を取って困惑するヒューネルへ渡す。
「賠償金で収めろということならば、持っていかれよ」
「治療に使います」
停戦合意となる。ダンピールは剣騎士を荷担ぎに、槍騎士は斧騎士の遺体、ヒューネルは「金で済むと思うなぁ!」と叫ぶ狂った女を「さあ行きましょう」と引きずって去る。
ダンピールは人気の無い墓所公園まで行く。生き残りの騎士は甲冑を脱ぎ、負傷治療を始める。ダンピールは鞄の中から使えそうな道具を適当に出して並べておく。
「もしやあなた、予言の方では? その白子のような御姿は聞いた通りでございます」
槍騎士の問いにはダンピールは沈黙を貫き、斧騎士の装具を外して身に着け、剣騎士の剣も取って斧も持ち、完全武装とする。
消毒、縫合、止血、包帯が済んだ剣騎士は疲労と出血から横になり、朦朧としている。
『私は魔王の僕です。冥府に魔女様がいると聞き、救助に参じましたが、目的は同じでしょうか』
現在、まつろわぬ者以外には使われていない古い言葉で槍の騎士がそう言う。
まつろわぬ者ながら、一二戒に反して悪目立ちしまいと遺体に商神銀貨二枚を添えて空いている墓所へ埋葬。
三人はそれから宿を取る。冥府競争が始まるまでの間、斧騎士の甲冑に慣れるために運動を重ねる。
槍騎士は、魔王様亡き今、その伴侶たる魔女様が希望などなど、一方的にダンピールへ喋る。剣騎士は熱を出して日がら寝ていた。
そして冥府の死のタイタンがいる場所への競争の日がやってくる。
大穴前広場に走者集結。ダンピールは槍騎士と組で参加登録。ヒューネルと元気そうなクエネラも参加している。呪術治療で怪我は癒えた様子。
死のタイタンの巫女が綱を大鎌にて切断、鳴子の骨が落ちて開始。
ダンピール、槍騎士を置き去りに走り出して全走者の最先頭を行って蜂の巣のような入り口の穴に飛び込む。
ダンピールの目なら然程暗くはない細道を進み、狭い穴は斧で削岩加工して通り抜け、白骨奴隷軍団が待ち構える大部屋に入っても疾走止めず、斧を大振りに邪魔者を粉砕、矢玉を甲冑で受けて奥の通路に飛び込み、斧を捨て甲冑も走りながら脱いで冥府の縦穴に入り橋を渡り、更に加速して螺旋の下り坂に到達したならば道の端から跳んで落下、剣を内壁に突き立てて減速、折れ、足場に着地、転がって衝撃を分散し、横穴から出て来た赤頭巾骸骨に掴みかかり、軽い相手を払い腰で地面に叩きつけ、折れた剣で滅多打ちに骨を粉砕したら赤頭巾と弓と矢筒を奪う。
後は道なりに足場を下って地獄への道を進み、坂、階段、滑降道、縦穴を幾つも下って白い檻の、白骨虜囚を収監する檻が連なる地獄に到達。
目的地へ進めば立ち塞がるのは刺又持ちの獄吏。機先を制して走り、相手も刺又を向け、又のところへ剣の鍔を当てつつ持ち上げ、手放し、掴み掛かって払い腰で床に叩き付け、まだ脱いでいなかった足甲を手に滅多打ちに殴りつけて骨を粉砕。刺又を奪う。
棘鞭持ちの獄吏にも遭遇し、刺又を走って投擲して当てて体勢を崩して接近してまた掴んで払い腰で投げて足甲をまた脱いで滅多打ちにして粉砕。棘鞭を奪う。
背後から番犬がやってくる音がしたら檻の格子の間を棘鞭で縛って封鎖。目的地へ向かい、見慣れぬ封鎖に足を止め、やや待ってから棘鞭を噛み千切る音がした。
そして目的の檻の到着。父を名乗る者から託された杖を中に差し入れ、中の虜囚の一人が迷わず掴んで抜刀、格子を切り裂いて開き、脱獄。見分けをつけるための赤頭巾、得意とするらしい弓と矢筒を渡せば装備した。
そして番犬が追って来る道の方へ向かい、複合精霊術が番犬と巻き添えの虜囚を木端微塵に粉砕。あとは脱獄囚の後を追って成り行き任せである。
ダンピールは”前回”の記憶を保持していた。既知の範囲内ならば最短最速の最適解を心得る。
そうして地獄を、獄吏に番犬を物ともせずに精霊術が粉砕する中進み、遂には川を使わない通常経路へと復帰する。集団で走り抜けても問題ない程度の道幅の、薄暗い道だ。
脱獄囚は道端に三角座り。側でダンピールは立つ。
しばし待てば先頭を行くヒューネルとクエネラがやってきて、敵かと一度足を止めて剣を構えるが、脱獄囚がまるで動き出しもせず、ダンピールが従者のように立ったままであることを見て構えを解いた。
「何だその赤頭巾?」
二人は沈黙で答える。
「妨害役ではなくただの作業用の奴隷か何かでしょう。先へ行きましょう」
「じゃああの白子はなんだ? おい貴様答えろ。白子の上に唖か貴様!?」
「そんな分かりませんよ。ほら後ろ来てますよ!」
「ぬぅ。白子、貴様、不意打ちぐらいで万全の私に勝てると思うなよ!」
ヒューネル、クエネラの組が先へ行って曲がり角から見えなくなったところで脱獄囚は立ち上がった。
『おお、まさか魔女様ですか!?』
槍騎士が合流、昔の言葉で話しかけると、不思議な響き、喉を使わない音で女の声が発せられた。
『何それ』
『魔王ロクサール様の伴侶の魔女様ですよ!』
『伴侶? ロクサールくんは弟子』
『弟子? おお、伝承は歪んで伝わると言いますから、そうですか!』
槍騎士、感動しているようで涙声である。そしてその情動も束の間、背後から複数の足音。遅れた走者達が到着しつつあったが、酷く冷たい風が吹いたと思ったら通路が氷結して氷の壁が出現した。到着した走者達がこれも競争の演出かと掛け声を合わせて一斉に叩いて砕き始める。
『進む』
『はい魔女様! ああ、君が救出してくれたんだね。予言は正しかったよ!』
三人は進む。そうしながら槍騎士はダンピールの手を握って嬉しそうに振る。
『魔女様、先に男女の組が行ったはずです。女の方は世界帝国の皇女が一人。皇帝の復活を目論んでおります。背中を突かれないので?』
『ダメ』
『かしこまりました。遠謀おありで?』
『うん』
喋れることが嬉しいのか槍騎士の口が止まらない。過去の伝承はどうったのかという質問が多く、長らく地獄に捕らわれていた脱獄囚はほとんど『知らない』で答える。
そして遂に死のタイタンがいる広間へ到着。非常に広く、壁や天井は遥か彼方。その中央には死のタイタンの巫女がいて、その奥側には玉座状の大岩に巨人たるタイタンが眠そうに座っていた。”死神の居眠り”と呼ばれる、死者が墓場から蘇って暴れ出すという怪異の原因が呼び名通りと知れてしまう。
脱獄囚はいつの間にか姿も気配も消していた。高度な精霊術である。
「世界唯一皇帝であらせられる、我が父、ガイセリオン一世陛下への蘇りの奇跡を望みます!」
クエネラが願いをはっきりと言い、死のタイタンはわずかに頷き、そして呪術が為されたか顔を落して「ぐが」といびきを鳴らした。
呪術は願いの大きさに比例して呪いの力、想いの力を消費する。常人の中では最も世界中から想いが寄せられて巨大になっているガイセリオン皇帝の蘇生ともなれば負担も大きいのだろう。
「何を企んでいたかは知らんが私の勝ちだぞ、暗殺者め」
クエネラが振り返って、どうだ参ったかと鼻息を吹いて槍騎士を見下す。
後続の走者達が続々と到着し、先着の者達を見て落胆の声を上げ、中にはそのまま倒れたり、叫び出す者もいる。
「皆様、お静かに……」
巫女が、毎度好例の嘆き振りに柔らかく対応しようとした矢先、声を荒らげた。
「魔法を使っている不届き者は誰ですか!?」
複合精霊術の爆風が死のタイタン側から吹き出し、巨大な老人の頭が転がって来た。巫女がそれを見てあらん限りの絶叫を上げた。
死のタイタンの首を取ったのだ。だがしかし、胴と離れた頭の双方が融けると同時に膨らみだし、氾濫した濁流の如きとなる。
父”抹消”が埋め込んだ結晶が、その息子”抹殺者”の全神経を震わせてあの激痛を呼び起こした。唖の如き者が咆えた。
■■■
地獄の檻、あれはおそらくタイタンが作れる中でも最高の物質で出来ていると考えた。そこからあの糞共に通用する手段が何か、シャハズは導き出した。
エーテル刃の仕込み杖は死のタイタンの首をあっさりと両断した。そしてその断面に叩き込んだ陰陽一二行複合精霊術はほとんど通用した様子が無く、余波にて首を転がしただけ。
巨人たる人型のタイタンでも首を刎ねれば致命傷かと期待をしたが、後の身体の異常膨張の様子を察するにこれから本気を出すといった風で、一も二もなく逃げ出した。
シャハズは槍騎士に『逃げる』と言いながらこの広間を駆け抜け、帰りの坂道を行く。
無口のあれは放置。あれはダンピールかヴァンピールで、仕込み杖を持って来たことからヴァシライエか、その主か同一存在か何らかの、まつろわぬ勢力に与する者の使いだ。急に咆えて震え出して夜神と呼ばれた者にでも呪われたかのようだったが、勝手にいいようにやると見た。
『何も出来なくても何か出来るようになるまで生き残る』
相手を指導する振る舞いはデーモン達との交流で過去に会得済みだ
『はいっ!』
槍騎士は武器も捨てて俊足のシャハズに追従しようとして鈍足に遅れる。遅い足を合わせるよりはと、精霊術にて纏う甲冑の留め具等を全て切り落とし、腐食で崩して脱がせて身軽にさせた。装具を解いた姿は古傷が多いが森エルフ、同族だった。祖先としては末裔がタイタン共に唾を吐いてくれている事実に喜ばしさがある。
槍騎士改め末裔の森エルフはシャハズにとって同胞である以上に有用だ。今の言葉と昔の言葉が異なるというのだから勉強の取っ掛かりになる。
競争に先着したガイセルに瓜二つの人間の男と、そのまたガイセルに多少似てなくもない人間の女は放置。敵でも味方でもなく無知な存在である。”前回”でも時の精霊術で確認出来たように”今回”も死のタイタンに居眠りをさせる切っ掛けを作ってくれた、自覚無き裏切者だから殺傷は手控える。
タイタンとその眷族、係累の宿敵以外では誰が敵で味方か長い投獄生活による世間知らずでシャハズには判断が難しかった。まずこの末裔から、魔王と魔女の何とかという変な連中から情報を引き出すべきだろう。この場を乗り切った後に。
シャハズは死のタイタンの切れ端に呪われて地獄に堕とされた後、生きているか死んでいるかも分からなくなった頃になってから、”予言の隠者”が時の精霊術の会得と使い方を告げて目が覚めた。あの魂を触るかのような手は精神を殺すかのような眠りから目覚めさせるのに十分な冷たさがあった。
時の精霊を感知する感覚を養う修行と考えれば獄中は無駄ではなかった。その成果を披露してやらねばならない奴等がいる。
冥府が震える。地震ではなく、あの広間にて無口が死のタイタンと戦っている。どのような戦いか見物するには地下という空間は不向きだ。
帰り道、あちこちで崩れ出す坂に階段、壁に天井に地面は精霊術で再構築、補強していく。シャハズを敵と察知しそうな白骨奴隷達は精霊術にて戦闘態勢を取る前から全て粉砕。鮮やかで予備動作無きこれらの行いは精霊術の仕業よりも、死神が脱出を手伝ってくれる奇跡に見えた。
道が無ければ近道を作り出してシャハズと末裔に、何とかついてきているガイセル似と他の者達がいる。
遂に冥府の縦穴を抜け、細い道は加工して広くして出入口の複数の穴も粉砕解放してそのまま通って脱出に成功。大穴の崩壊から免れることは出来た。
次はどうするか? タイタンとの戦いの助勢を直接することは不可能に思える。ならば間接的だ。
地上は混乱して群衆が慌てふためき、建物から出たり入ったり、物が壊れないように抑えたり。白骨奴隷は変わらず労働に勤しむ。
「おい!」
シャハズはガイセル似女のうるさい口を直ぐに音の精霊術で封じ、足の裏と地面を氷結で固めて止め、末裔を連れて街中に紛れるように歩き、状況を整理するために質問を繰り返した。
それによると今の世界では、一二神から夜神が抜け、小人神ガイセルが加わる。それからかつてタイタン達が下々に戒めたような条項が、改めて一二戒と呼ばれて広まっている。
小人神は他の十一神のような力を振るうことはないが、それは唯一世界帝国という組織が代行する。筆頭の使徒、陪神に当たるのが今上皇帝という立場で、先程蘇った――何かアホな名前――ガイセリオン。世界帝国には不死宰相エリクディス、鬼女法王ヤハルの双璧がおり、古代より帝国を守る。
魔王ロクサールはつい一五年前に逝去。道連れに法のタイタンを眠りにつかせ、エンシェントドラゴン”新星”を引退させ、ガイセリオンを相討ちにした。法のタイタンが眠ったという情報を隠さないのは、そこまでしても力が失せないとまつろわぬ者達に無力感を強いるためだろうか。
純粋要素の極限生物と複合要素の尋常生物に二分される魔法生物はまとめて魔物と呼ばれるようになっている。ゴーレムは殺戮人形と呼ばれる。
かつて魔法に分類された錬金術と呪術たる奇跡は分類から外された。そして新たに魔法を退ける祓魔のマナ術という術が、開眼したエリクディスにより方々へ伝わる。
精霊は悪魔と呼ばれるようになり、精霊術は単に魔法と呼び変えられた。精霊に語り掛けられる言葉は悪魔の言葉と言われ、魔王ロクサールからは古い言葉だと教えられる。現在と過去の言葉は全く異なるものになっており、間違っても精霊に語り掛けられなくなっている。そして現在の魔法使いは悪魔憑きと呼ばれており、魔法が使える使えないにかかわらず、一二神を奉じないまつろわぬ者達は魔王の僕達にして魔女信仰者などと呼ばれる。
まつろわぬ者達の筆頭たるエンシェントドラゴンだが、”抹消”が抜け、代わりに”新星”が加わる。尚、人々からはエンシェントドラゴンがまつろわぬ者であるということが認識されていない。
夜神の抜けから推測した質問により、ダンピールとヴァンピールの存在が現在に伝わっていないことも分かった。オアンネスやハイエルフ、ジンとゴーレム、デーモンも伝わっていない。旧帝国も同様。
タイタンと旧神がどのような意図で何を隠したかは難しい。精霊に関わる術全般を特に恐れて言葉まで改変したことは分かった。
頑張ったロクサールくんの孫弟子達である、魔女たるシャハズの信仰者達が味方で、ドラゴンが日和見で、旧神は怪しい協力者で、タイタンはやはりどう考えても敵で、その手下の世界帝国とやらも敵であると分かる。
シャハズは森エルフの共同体から脱した身であるがその精神を受け継いでいる。獄中で著しく古くなりはしたがするべきことに変わりはない。
話を聞くだけなら世界は全体的に昔より今の方が良くなっている。神々を詐称するだけあってその呪術は害も大きいが益も大きい。師エリクディスのように大義や慈善を知り、調和を重んじるのならば静かに、かつてデーモン達が渡った別大陸でも目指せばいいだろう。
だが、殺そうとするなら殺す。敵ならば殺す。殺す予兆があっても殺す。殺さなくても同然の行いを仕掛けて来るならば殺す。恨みがあれば殺す。むかつくなら殺す。全く慈悲を掛ける必要は一つとしてその信条にありはしない。
偽りの神々は世界の均衡を保って信賞必罰にて管理し、繁栄をもたらしているが古い恨みの前では知ったことではない。諸共滅んで原初の理へと還るのだ。糞のタイタン共、抹殺すべし。
■■■
タイタンは呪術を使う。扱うためには呪いの力が必要。それは想いの力で、恐怖と信仰が良く奴等の糧となる。
死のタイタンが死神らしい振る舞いと行いを繰り返すことによりその力は蓄積される。その筆頭は魂を集めて輪廻転生させること、と云われる。それでも足りなければ、様々な人の手に渡り想いを乗せて世界を巡る力の依り代である商神硬貨で補われるだろう。
死のタイタンと無口の戦いは地下で続いており、間接的に助勢するとなればこれらを兵站と見立てて断たねばなるまい。シャハズは作戦を決めてから本殿へ向かった。
地震は続く。どの程度素早く行動に移ればいいか正直分からない。無口がどこまで耐えるのか、放っておいても勝つのか、何もかも分からない。その行く末を怠惰に傍観して、失敗したら時の精霊術にて時間を巻き戻せばと安易にも考えられない。戻す機会の訪れはシャハズの意志ではどうにも出来ないのだ。
本殿では儀式の場が整えられている。死神らしく白と黒の色で飾られ、場の中央には大量の商神硬貨と、金銭価値より思い出や曰くが有りそうな装飾、骨董品が集められ、何時の間にか地上へ脱した巫女が先頭に立って神官達が『御柱様へ捧げます』と、珍しく信者にしては救いを求めない献身な口振りで祝詞を上げる。シャハズに現代の言葉はまだ理解出来ないが、大体、見て分かる。
捧げ者は続々と運び込まれている。街の信者が喜捨に商神硬貨と、やや首を傾げる者もいるが思い出の品を運び込んでは「大地の揺れをお治め下さい」「お怒りを静めて下さい」などと願いを一言二言告げていく。それから魂の量を補うためか死刑囚の大量一斉処刑も敢行されている。
街中では見なかった完全武装の白骨奴隷に、地獄にいるはずで地上では姿を見せない獄吏に番犬までもが広場の周囲を固め、警戒を強めている。
あの儀式が死のタイタンを支える兵站だ。無口を支える儀式などさっぱりと分からないのであれを叩くしかない。
今までの経験と記憶、奇跡に精通するエリクディスの敬虔な思考から手段をシャハズなりに導き出す。もう死神が、以前の死神ではなくなったような印象を与えるべきであろう。
シャハズは街中にある無数の尖塔の一つの頂上に立ち、弓を構えて矢を引き絞り、巫女の背中を狙い、気で加速しつつ風の流れを制御して漏らさず気配を消し、光と闇で隠し、音で飛翔音を消し、背に矢を立てて倒した。頭よりもあの衣装が血に染まった姿が演出的に見えるだろう。
『あっちに強い風。ぶわっとお金を巻き上げてじゃらじゃら』
次に暴風を精霊術で作り出し、商神硬貨や思い出の品が吹き飛ばされ、巻き上げられて雨のように町中に降り注いだ。
神官に信者は突然の神に弓引くが如き事態に畏れ慄き、頭に硬貨が礫に降って野外の者はそれどころではなくなった。
「この金は私のものだ!」
屋根の下に隠れて金に目もくれていない末裔がそう機転を利かせた。この街は広く大きく、敬虔ではない者もいれば、冥府競争への関係者など他の神ならばともかく、死神に対してはそこまで畏敬の念は無いとする者達がいて、捧げられるはずのそれら硬貨を拾い始める。
全白骨奴隷が硬貨回収に動き出し、盗もうとしている者に刃が向けられ、腕に覚えのある者は反撃する。覚えの無い者は殺され、逃げ回る。
死神への恐怖と信仰がある点で濃くなり、薄くなり、別のものが混じって不純になる。単純に捧げ物による助勢、兵站が切れたことで無口が多少は優位を保つだろう。
やれることはまだある。
冥府に続く大穴には水が大量に流れ込んでいた。
屋根伝いに軽やかにシャハズは移動し、白骨姿から見咎められることも無く本殿都市へ流れ込む川へと到着した。
『流れはあっち』
その川の向きを変え、崩した堤防を越えて本殿側に流し込んだ。流水路を順次術で整えて洪水と化し、儀式どころではなくする。神官も住民も外からの客も、死神への想いよりも己と家族や愛する者の命、それから財産や食べ物の保全一心となって逃げ出す。そこにはタイタンは無く、身の回りだけがあった。
白骨に紛れてもその行動で敵と露見する。素早い番犬が群れになって襲い掛かり、複合精霊術で簡単に粉々になる。
土と光と火で多様に焼いて溶岩粘らせ、水と熱と冷で熱し蒸し冷まし凍らせて脆くし、金と木と腐れで散弾と発芽種と強酸を放て穿って傷を広げて溶かし、それらを闇で隠して気で吹き掛けつつ音の衝撃で全て無かったように粉砕する。これら一二行の働きを一例とし、それが何例も組み合わさって襲う。タイタンのような何か規格外でも無い限りは手立て無く消し飛ぶ。これはシャハズにとって”大”精霊術などではない。天才の他者が真似出来ない簡略化により、いっぱい暴れろ、程度の意志が乗った無言の問いかけで精霊は意を得る。
粉砕した群れの背後より、二頭の黒い番犬が曳く、これまた黒い戦車が走る。狙撃したはずの巫女がこれもまた黒い鎧を身にまとって乗っており、大鎌を構える。鎌の佇まいは如何にも神器であり、ただの切断能力以上の何かが見込まれ、試しに刃筋に立ってみる余裕は無いだろう。
黒い番犬戦車には術が効いていない、矢も効かなかった。あれはガイセル似の男が”前回”見せた術と同様のものとシャハズは見た。
あえて戦車のような大物が戦いやすい場所を選ぶ必要は無かった。シャハズは建物内に逃げ込み、そう来るだろうと予測して次の建物へ移動する頃には、番犬戦車に破壊されている。
しばらく逃げる。洪水で水嵩が増してきているが、飛沫を立てる番犬戦車は失速の気配を見せない。
ここならばどうだと本殿に逃げ込んでも、石造りのその畏敬対象に突撃する。壁をぶち抜き、柱を圧し折り、崩れ落ちる天井の直撃を受けても、神官に信者を引き潰して残骸を引きずっても止まることをしない。複合精霊術を何度か浴びせたが効果無く、矢も放ったが効果無く、足場を術で粉砕して煮えたぎる溶岩の沼地にしたが掻き分け踏み越えて来た。
白骨奴隷の加勢が、どこかで指揮統率が為されたか明確になって矢玉が無数に飛んで来るので射手ごと全てを複合精霊術で粉砕する。
矢玉に混じり巫女が投げ矢を投じる。姿勢から素人前としていたがあれも神器か、角を曲がり、複合精霊術を浴びせて一度弾いても直ぐに軌道を治して飛んで来た。それも直線上ではなく、曲がりくねって軌道を読ませないように。
白骨の今の身体でも骨を砕かれれば厄介であり、それだけで済む神器ではあるまい。その辺の野良半神英雄が持つ玩具ではなく、死のタイタン本拠の顔役が持つ最強武器であるなら魂を直接害して白骨の呪い人すら即死させると予想出来る。
時の精霊術で流れを遅くして判断を早める。早める時間を長くすると一時的に感覚がおかしくなるからほぼ一瞬に限る。
不規則ながら、しかし投げ矢という形状の限界から限られた到達先にて金の精霊術で瞬間梱包して大重量で撃墜する。金属に包まれ出口のない投げ矢は暴れ回り、包みを揺らす。その中身を腐の精霊術で分解を試みれば大人しくなった。
番犬戦車の黒い鎧のような物は不安定に減じたり増えたりを繰り返すことを再度観察から確認し、逃走を続行。
地震が酷くなってくる。洪水の影響ではなく、その揺れだけで建物が崩れて地盤が沈下を始め、地割れすら起きる。死のタイタンと無口は地中を攪拌しながら戦っている。
あの黒い物が何か分かれば対処出来るだろう。ガイセル似の男が扱えたということから効果的であるものの一般的でもある。それを古いシャハズが知らないということは新しいということ。エリクディスが新しく発明したという祓魔のマナ術と予想がついた。魔法と言われる精霊術、悪魔の術を祓い、対抗するためのマナの術という意志を感じた。精霊に語り掛けねばならぬ対抗術の代替として機能させなければならないと。だから複合精霊術ですら通用しなかったのかと合点に至り、対策が判明する。
マナの術ならばマナをどうにかすればいい。マナとは精霊に術をお願いするときに与えるものでもある。
シャハズは一つ工夫してから、
『全部食べて』
番犬戦車と巫女の黒の鎧が消失した。周囲のマナが完全枯渇し、術が発動しなくなったのだ。
そして弓を構えて矢を番えて絞り、放つ――巫女が危険を察して戦車の縁の陰に隠れる――ふりをしてまた番え、油断に頭が少し見えたところで癖をつけて放ち、縁の陰の裏へ軌道を曲げた矢が頭頂部に命中。巫女を射殺した。
そして主が無くても突撃してくる番犬戦車。シャハズは紙一重に衝突する直前に一歩前へ落ち、対応の暇を消し、一つ工夫の穴に隠れてやり過ごす。そして這い出し、旋回して再突撃を図ろうとしているところでマナの戻りを確認して複合精霊術で吹っ飛ばして粉砕した。
術も技も頭も使ってこその強者。拝み屋に毛の生えた程度のガキに負けるはずがなかった。
これにて本殿で行われていた儀式は破られた。でもまだ足りないだろう。
地震は限度を知らず大きくなり、遂に極限に達して地面が噴火するように割れて、出た。
黒い触手の束を無数に束ねて内臓のように抱える、大穴の太さと同等の骨蛇、死のタイタンの本性。余りに大きく、正に見上げる程。あれが何の術も使わない存在だとしてもシャハズですら勝利、殺傷は質量的な問題で困難に見える。
そして小さく、素早く動いて骨蛇を削り続けているのが無口。その姿は結晶に覆われ、素早さが過ぎる動きを正確に把握することはシャハズでも、時の精霊術で一瞬時間を遅らせても視認困難。だが確証を得た。あれは水晶の城で見た旧神、”秩序の尖兵”である。御本尊そのものかどうかは分からないが分身、化身の類。それならば渡り合えているのも納得である。
骨蛇はとぐろ撒きに、触手を無数に広げて回転して周囲を全て刻んで破壊、街が粉々に砕けて地面が抉れて粉塵が砂漠の砂嵐のように散る。
地形を破壊するあの戦い、全く参加出来る気がしなかった。直接助力はどう考えても不可能。首を取った時を思い出せばあれに精霊術は通用しない。エーテル刃は立つかもしれないがかすり傷が精々で無意味だ。
白骨奴隷達はシャハズから狙いをかえ、”秩序の尖兵”目掛けて走り出した。素早過ぎて追い付けず全く無意味だろうが、それだけ死のタイタンもなりふり構っていられないのだろう。
死のタイタンだが、動きは派手だが良く見れば無様である。全力で暴れて自己防衛するだけで、羽虫に集られ、嫌々と手を振り回す姿にも似る。成す術無く暴れ転がっている。
白骨の身では笑えないシャハズだがしかし『ふっ』と鼻笑いの真似をしてみた。
”秩序の尖兵”と化した無口はひたすらに死のタイタンの骨を削って触手を千切る。そして果てなく骨と触手は元通りに再生する。盛大に破壊する姿もひたすら単調。技も無く、互いに力尽きるまで削り合っている。
小さなシャハズでも出来ることがまだある。
音の精霊術で打った本殿の構造を把握し、地下通路を瓦礫の下から見つけて黒膜が張った白骨あばらのような狭い通路を進む。階段を折り返して下り、守護の神器で完全武装した白骨奴隷達を複合精霊術で粉砕しながら降りた。そして冥府の川の岸壁に辿り着いた。
本殿でも、昔冒険したところでも造りはほぼ同じで既視感があり、違う場所なのに懐かしい。
陪神渡し守が、漕ぐためではなく打ち据えるために櫂を手に待っていた。
死のタイタン同様、おそらく精霊術は通用しない。エリクディスが編み出したというマナ術、精霊に対抗する術はおそらくはタイタンから伝えられたものだ。
「まこと数奇」
『うん』
渡し守の横薙ぎ一線、時の精霊術で動きの起こりから遅らせても瞬く間も無く、身を屈めて踏み込んだシャハズの頭蓋は赤頭巾ごと粉々に吹き飛び、首無し胴体が迎撃の蹴り足を抜刀逆流れに落し、腕と櫂の柄をそのまま断ち、返しに袈裟から胴を両断、再返しに顎下から逆袈裟に頭部両断。
頭を砕かれる前に頚椎を精霊術で切断しなければ勢いに飛ばされてシャハズは敗北していた。生身ではないから出来た芸当だ。渡し守も、白骨奴隷のことは良く知っているだろうがよもや下僕たる彼等と戦うことなど今までなかったのかもしれない。対応に失敗し、討ち死にした。
『組み直し』
砕かれた頭蓋骨を術で再収集、くっつけ直して頭につけた。眼球があるわけではないが、気分的に骨格が生前通りに揃っていないと疑似的な視界の具合が大分悪かった。骨でも魂と術はそれに引かれたようだ。
シャハズは白骨の手を冥府の川に入れる。前はションベンジジイに水を引っ掛けるためだった。
『流れはこっち』
地下から本殿に歩いて戻るシャハズの背後を、大水がついて進む。歩みの遅い激流は溜まり続けてその末端から肥大化し、逆流して渦を巻き、渡し守の死体にその船、岸壁を高水圧で砕き続けて冥府の水道を終点から砕き始めた。
地下通路を破壊しながら地上に出た頃には、死のタイタンが潰した代わりの穴が開いた。
『ばっと流す』
地上の川とは比べ物にならない大洪水が、死のタイタンが砕いた本殿都市を更に攪拌し始める。人々は流され潰され、いち早く逃亡を図った者達は命からがら逃げ去る。
捧げられるはずだった商神硬貨もゴミと共に撒かれるだけになり、世界中から魂を運ぶ道だった冥府の川は崩壊し、死のタイタンの下へ届かなくなる。
シャハズは眺めが良く、洪水にはまだ巻かれていないが水没しつつある建物の屋根に跳んで移動。
魂を最も力の糧とする死のタイタンは”秩序の尖兵”に対して削り負けを始め、徐々に形を崩していった。
この激流の中でも無痛、無呼吸に動いていた白骨奴隷が斃れ出した。操り人形の糸が切れる。
シャハズもこの身も終わりを感じた。靭帯が巻き付いているとはいえ筋肉も何もない白骨なのだ。関節が弱って脱力を覚えて来る。死のタイタンの呪術も終わればその産物も終わるのだ。あの日以来、白骨の身体は呪術に依った。他の個体より長持ちしているのは因縁が呪いの足しになっているからだろう。
残る他のタイタンを殺せないのは残念だが、一番の怨敵である死の糞の死に様を眺めて終われるのなら上等の部類であろう。もう一つ注文を付けるなら砂漠エルフの糞共が不幸に苦しむ姿も特典に欲しかった。
『魔女様!』
末裔の森エルフである。シャハズの同族らしく、崩壊しつつあるこの地でも身軽に逃げて回っていたようだ。
『避難しなかったの?』
「水の魔法、いえ、精霊術が少々使えまして。それに逃げるも何も、逃げ道が」
『うん。それ、首の』
『これは、その、昔持っていたものと似ていて……』
ミスリル製の森のエルフ細工と分かる首飾り。伝統は生きていた。
『予言だけでは子細が分からないのですが、今その時のようです。この身、魔女様に捧げます』
その同族の遠い末裔である森エルフの、彼女の古傷が多く、辛い生活から険しさがついて離れない顔を今、初めて良く見た。シャハズに似ているかもしれない。兄の子の孫の孫の末裔と言われたら納得する程度には似ている。体格はほぼ同じ。
『名前は?』
『野人エルフに名などありません』
『森エルフじゃないの?』
『それは古い呼び名でしょうか』
『金、森、草原、砂漠のエルフ、あとハイエルフがいる』
『金は戦神の使徒、草原と砂漠はあえて言えば帝国エルフと呼ばれます。森は野人。ハイは存じません。フェアリーではないなら世界樹の魔物と見られているかもしれませんが』
『そう』
今と昔では世界が違っている。森エルフが野人に貶められ、砂漠の糞が文明人を気取っている様子が空想された。これは捨て置けない。死んでいる場合でないだろう、
『魔女様の名を最期にうかがっても』
『カガル族の、イェノスラン族の”鷹の目”ハルザディルを祖に、”草伏”シュレメテルの……エイダンの息子で”柱通し”シャハズの息子……”青い左手”エルハルザディル王の娘婿のノージャ……アノラス族の”黒い舌”メセルフィティの義弟にして……”串刺し”マジールの娘、シャハズ』
『シャハズ様……野人にもそのような立派な過去があったのですね。お名前からも分かります』
死のタイタンが動きを止めた。骨の緩みが酷くなってくる。やっと動く白骨の手でシャハズは名無しの顔を触り、音の精霊術にて組成構造把握。
時の精霊術で思考だけを加速。
己の呪われる前の身体の内外、ヴァンピールの城で見た合成生物、アプサム師に習った錬金術の内禁忌の人造生物、ロクサールが見せた魔法生物、今把握したこの子、これら記憶を頼って全て辻褄合わせ、この最善の素材で新しい体を合成する術の段取りを組み立てた。
『名前を授ける。”献身”マジール。二つ名は行動に対し、名は私の身体になることから母の名を』
「あ……」
”献身”マジール、顔から険が消え、
『タイタンと一緒に砂漠の糞共も必ず殺す』
そして歯を剥いて笑った。間違いなく森エルフの末裔である。古い恨みはその血に脈々と流れていた。
施術開始。
白骨が崩れた。
■■■
北部辺境、鉄の国などという田舎からやって来たヒューネルには現状を理解することは出来なかった。
世界の中心、帝都にて英才教育を施されて来たクエネラにも現状を理解することは出来なかった。
死神の冥府とその上層部を構成する本殿と都市が巨大な怪物によって砕かれ、洪水に沈んで泥の湖になってしまったのだ。それもほんのわずかな間に。
逃げ果せた人々は高台へと逃げるしかない。
そして戦える者は新たな困難に立ち向かうしかなかった。
まるで死神がお怒りになられたかと思うしかない呪いが襲い掛かっていた。白骨奴隷達が行動を停止して崩れ去った代わりに、今度は死んだはずの人々が起き上がり、獣のように襲い掛かって噛み付き、肉を喰らい始めたのだ。
ヒューネルとクエネラ、そして有志の戦士達は横隊を組み、正気の人々を通して背後へ逃がし、錯乱したような死人の顔色の者を討つ。
その狂気の半死人達は並々ならぬ相手であった。全く痛みを知らず、首と四肢を切断しない限りは猪突に突撃し、組み付いて噛み付いてくる。知性は失われ、板金甲冑でも構わず噛み付き歯を折って顎を外しても涎をまき散らして顔を押し付けて来る。狂戦士ですらこの者達の前では正気と言わざるを得ない。
たとえ並の女であろうとも半死人の体当たりを、一人でまともに盾で受け止めてはならない。土壇場に発揮する、己の筋骨も破壊するような怪力なので押し負けることもある。それが一人の当たりならば個人技で対応出来ようが、無秩序ながら集団でやってくるのだ。盾を持つ者達が固まって肩を並べ、その後ろにも支える者達が加わってようやく受け止められる。
討伐方法は頭を割り、首を断つしか今は無かった。心臓を刺しても腸を抉っても止まらない。腕を落しても遮二無二突っ込んで来て、脚を落しても這い蹲って来る。半死人でも半分は生きているのか、脳を削れば襲撃を止めて滅茶苦茶に暴れるだけになる。首を断てば顎と目の動き以外が止まる。
多大な被害を出しながらも徐々に戦法が確立されていった。盾で集団突撃を抑え、槍襖である程度牽制する中を剣や斧に棍棒を持つ者が逆襲に出て頭を割る。首の切断は出鱈目に身体を動かす半死人相手には難しく、喉を抉るだけになっても相手に取っては無傷同然なので経験則として控えられた。
肉ある者なのに矢玉はほぼ意味を為さなかった。胸に矢が刺さっても痛みを知らぬのだから布を叩くが如きの手応え。頭だと傷が浅い場合が多く、眼球ならば眼窩を貫いて脳に達し易いがそう簡単に当たる部位ではない。名投石手が弾丸にて頭をかち割り脳削りに至らしめることもあるが、そこまでの名手はそういない。
途中で戦いに加わった顔に傷のあるエルフが半死人の目玉に百発百中で、高速で突き立て、その全てが脳削りに至り、しかもあの暴れ出しを利用して他の半死人を足止めするという離れ業を持続するようになってから戦闘が安定し始めた。弓の腕自慢でさえも己の矢を使えとそのエルフに譲り始める。
ヒューネルもクエネラも前線で半死人達の頭を割り続けた。そして突然に、背後からクエネラに抱き着いてその喉を鎧通しにて突き刺し抉る者がいた。あの剣騎士である。
「皇女クエネラ討ち取った!」
背後からの凶行など、この場で予測出来るものがいたであろうか?
「これが魔女様の呪いだ! 偽りの一二神を奉じる愚か者共に死を!」
その狂気的な叫びに、背後に逃げる無力な者達だけではなく、半死人に立ち向かう戦士達にも動揺が走る。この中にも敵が、魔王の僕が潜んでいると。
「死神は死んだ! 輪廻転生などないぞ! 死ねば魂の消滅だ!」
戦士達の中に紛れるように、手も出せない押し合い圧し合いに紛れて逃げる魔王の僕が士気を砕こうと言葉で煽り、遂に捕まって滅多打ちにされて殺される。
疑心暗鬼が眼前にいる半死人との戦いの中で即製された。「お前が魔王の僕だろ!」と、口を動かす余裕がある背後の避難者達から発せられた。守るべき者がそうではないという疑念も戦士に広まり、結束が揺らぎ、そして背後からも悲鳴。魔王の僕ではないが、それ以上に厄介な半死人が現れて噛み付きを始めたのだ。
何故背後から、とは疑念を抱く必要はなかった。現に今も、目の前で死んだはずの先程まで仲間や守るべきはずだった者が立ち上がり、狂気に突撃を始めた。
魔王の僕の戯言が真に迫ってくる。このような事態、死神がお怒りになられた呪いにしては度が過ぎている。むしろ死んでしまい、その加護が失われた結果起きた災厄だと感じる。
半死人達の姿、輪廻転生の理が崩れた後に死人の姿のようであった。
戦士達の壊走が始まる。鍛えられた者達の俊足で、そうではない人々を追い越して逃げれば十分に生き残れる余地があったのだ。
その中、逆に前へ出るのは喉を抉られても戦意が衰える気配を微塵も見せぬクエネラと、それを放っておけぬヒューネルである。二人は囮のように半死人に囲まれ、背中合わせに剣を振るう。最後の足掻きであるが、逃げ遅れの人々には最後の希望に見えた。
まだ逃げぬ者がいた。あの名射手エルフである。名射手は矢が尽きてもまるで危機下には無いように首を捻り、合点がいったように手を叩いた後に防壁を作り上げた。誰もが見たことのないような規模の黒石の円形防壁で、二人も壊走する戦士達も避難民も丸ごと包む。防壁内に残留した半死人は多くは無く、この絶好の機会に士気を取り戻した者達に頭を割られて倒れ伏した。
狂戦士のごとき奮闘を見せたクエネラも遂に出血多量で倒れた。抱き留めるヒューネルの顔には頸動脈から噴いた血が掛かる。並みの者なら既に致命となっているのに動くとは勇士であろう。
「治療の奇跡を祈れる方は!?」
ヒューネルの声に、誰かいないかと首を振る動きはあっても。頷き、手を上げる者はいない。
クエネラは喉も潰されていつもの大声を出せないが、やり切ったと後悔も無く笑って、手刀を己の首に当てて、半死人にするな、首を落せと遺言にした。
「貴女なら死しても戦乙女に列せられますよ」
痛みを知らぬようなクエネラは、声の代わりに血を吐いて大笑いをして事切れる。そしてヒューネルは、近くの大きい石を断頭台の見立てて彼女の首を一刀で落とした。新たな半死人を生まぬため、残った者達も動き出す前に首を落して回り、間に合わず動き出した者も多勢で囲んで叩いてから首を落した。
クエネラの首を包んだ外套を抱えてヒューネルは気が抜けたように座る。黒石の防壁は異常な程に長持ちで、減衰補強を繰り返して消えない。
名射手にして名祓魔術士という世界屈指かと思われる英雄へ戦士達に人々が称賛を送り、当人は気にする様子が無い。その人を遠ざける様子と、術の邪魔をしてはならぬということからエルフの英雄に対して皆が距離を取る。一方のエルフの英雄はヒューネルに近づき、頭を撫でた。落ち込んでいる若者を励ます余裕であろうか。
「ご心配なく。何かあれば直ぐに動けます」
「うん」
しばらく待ち、夜も過ぎて朝になる頃には防壁周辺で騒いでいた半死人も何処かへ消えて行った。
防壁を築いた場所も徐々に広がる湖に沈み始めたので避難を始める。湖はどこまでも広がるようで、そこを中心に地下水路をなぞるように地盤沈下が始まっている。
まるでここから世界が沈むような光景であった。
■■■
・白骨の呪い人
死のタイタンの呪術で動いていた。今や彼等は解放され、動かぬ屍である。
・半死病
罹患者は死んでも死なず、理性を失い食欲だけに突き動かされる。脳に損傷を与えると攻撃を阻止出来る。
・冥府の川
魂を大陸中から集める水路だった。呪術制御が解かれた今、全地下水流は元の姿を強引に取り戻し始める。従来の水源は枯れ、洪水を起こし、地盤を崩す。
・魂
魂とは想いの塊であり、死のタイタンの力の根源であった。世間に吹聴される輪廻転生は恐怖を和らげ、死を促進させる嘘である。
・死者蘇生
魂だけの存在を元の姿へと受肉させる呪術。対象の存在が大きければ力の消耗も大きい。法のタイタンはその途中であった。
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