英雄とドラゴンとタイタン殺し
さっと/sat_Buttoimars
第1話前編「死のタイタン」
第一部『魔法使いのジジイのダンジョン攻略』からの続き
・魔王討伐せり
悪魔に魔物、殺戮人形を率いて世界を滅ぼさんとするは異形の魔王ロクサール!
唯一世界帝国はこれを撃滅せんと各地より将兵、半神たる英雄も募って出征せり。
万民苦しめたる悪しき魔法はいと強大。神々が起こす奇跡でもってようやく五分と相殺なる。
激闘は百日続いたとも云われ、万の将兵、千の英雄斃れて帝国軍総崩れの様相を見せた。
そして絶望に皆が沈む中の乾坤一擲! エンシェントドラゴン”新星”の背に跨り特攻するはガイセリオン皇帝陛下であらせられる。
魔王を目前にして”新星”は翼折れるも、皇帝陛下は法神が込めたる全力の神罰魔滅の力を得て討伐せり。
後の世界の神理秩序はしばし法の使徒筆頭、陪神裁定者が代行する。
ゆめゆめ、法の力失ったと思い無法の振る舞いすることなかれ。
■■■
北部辺境出身のヒューネル。義父の薫陶を受けては勇敢な若者に育ち、教えに従っては剣一本を携え自己研鑽の旅に出た。研鑽の果てに何が見えるかは分からぬ。”曇った硝子窓は磨いてみなければ向こうが見えぬ”と言われたが、そのような透明な硝子とやらを故郷で見たことは無かった。優美な硝子細工より頑強な鉄の武具が売れる地だ。
ヒューネルに白痴のような男が旅の供になって数日経ち、未だに言葉を交わせていない。見た目で種を断定するに人間のようで人間ではないことは確かだ。牙だけが獣のようであり、目が赤く肌が異様に白い。見知る異種族、同胞のドワーフ、野盗のゴブリン、遊歴に時折見かけるオークとは全く違う。
人間ではないというところは確信しておいて、その生い立ちを推測するに捨て子か何かが成長した姿なのかもしれないと判断した。服装は旅に擦り切れたボロで、危険な旅路の友とする得物は薪雑棒一本。何やら簡素ながら立派な拵えの杖も一本持っているが、地を突いて歩いている様子は無い。道端で拾った小綺麗な代物に愛着でも沸いたのだろうか。
旅の供の白痴が真であるか否かは判断が難しい。義父の話に聞く、知神に呪われし者は知性も理性も失い、涎に糞小便を垂らして喚きながら獣以下に”のたうつ”との姿ではない。
しかし旅の供、返事はしないが耳は聞こえている。野営時に「薪を拾ってきてくれませんか」と言えば無視するのだが、ヒューネルが拾って戻ってくれば小さな種火を作って待っている。
食事時に「自分の食べる分はありますか」と聞けば勿論無視される。旅の供も空腹だろうと焼いた干し肉に玉葱を分けてやろうとすればこれもまた無視され、闇に消える。何か機嫌でも損ねたかと不安に思っていれば夜中に、血糊がついた薪雑棒片手に、頭を砕いた猪をもう片手に引き摺って戻って来ることがあった。
猪と言えば猛者でも下腿を牙で抉られ死ぬこともある中々の強敵で魔物並の厄介者。それを短時間に捕捉して薪雑棒一本、出来の悪いとすら言えない棍棒で撲殺するのだから使い手である。何か知恵の類が出遅れているとしても達人であり、そのような人物は尊敬するべきとヒューネルは義父に教わっている。
「是非、私に解体を任せて貰えないでしょうか」
旅の供はまたもや無視したが、短剣を抜いて猪に手をかけても拒絶の意志は見せなかった。その日は鱈腹に食べられた。
ヒューネルは山暮らしの時、歳の頃同じくして兄弟のように育った、旅立ち前に亡くなった狼を思い出している。麓の町で見かけた犬のようにあれこれと命令を聞かなかったが助け合いはしていた。旅の供と同様に口数――吠えたり鼻を鳴らす――は無く、牙の形が似ている。
人神皇帝ガイセル一世伝によれば、剣一本にて放浪の旅に出たガイセル帝は賢者、不死宰相エリクディスを師として導かれ、その偉大さを引き出されたという。騎士のみならず武辺者なれば一度は身一つで放浪して己を試すのが世の習わし。そして導きの者を見つけ、先達たる師と仰ぎ、真の実力を引き出して貰うのが良しとされる。
旅の供、およそ賢者とは遠い存在に見える。しかし沈黙の禁則を守っている隠者にもまた見える。身のこなしは隙が無く洗練され、正しく獣、狼の高貴さを持つ。身形のボロだが悪臭漂うわけではなく、見た目に頓着しないほどに悟っているようにも見える。
かつてヒューネルの義父は導き手であり、導かれたさる人物に師と仰がれるまでは時間を要したと語っていた。また”弟子にも師を選ぶ権利がある。悪癖を学べば悪人となるから拙速に相手を決めぬよう”と語っていた。至言であろう。
旅の供との、ヒューネルが一方的に言葉少なく話す関係が続きながら道を進む。
道中、宿場町にて故郷、鉄の国を侮辱する者へは名乗りを上げて決闘を挑み、頭頂部より股下まで両断し、近場の無縁墓地へ運び、一二戒の一つに則り埋葬金として商神銀貨二枚奉じた。
また道中、馬も従者も連れぬ、勇士の証明と傷だらけだがしかし板金見事な甲冑の、しかも女の騎士が旅の供と、両者偶然に狙って仕留めた鹿を巡って争いとなる。互いに逃げ足早い鹿を飛び道具ではなく撒雑棒と剣で狩ったのだから脚の強さは互いに獣だ。
「唖か貴様は!?」
旅の供は沈黙を貫くので口論となれば一方的になる。
またもや刃傷沙汰になっては銀貨も残り少なく、相手も手練れに見え、尚且つ手負いの獣の如き尋常ならざる殺気立ち様にヒューネルやや臆し「共同で仕留めたのならば成果も分かてぬのでしょうか? それに一人で食べるには多過ぎる」と仲裁に入った。
女の騎士は「失礼した。頭に血が上っていたのだ。謝罪する」と思ったより素直に、しかし謝罪をしているか分からぬ程荒らげた声だった。兜の下の顔も同様だっただろう。荒ぶりと潔さの食い違いから、ここまでの道中に本来の性分が一時歪む程の無念があったと見え、刺激しないよう鹿を捌いて分け――相手側の量を幾分多くして――野営は別にした。
それら二件以外は大過無く旅は進んだ。
しかし旅の供の沈黙が気にる。悪魔憑きの魔王の僕達にして魔女信仰者達は、悪魔の声を聴き話すために人語を断つ修行から始めるとも云う。そして魔王は言葉を発することなく会話したという伝説もあるのだ。
信頼が疑念に勝ったままヒューネルは旅の目的地に到着した。旅の供も同道したまま。
そこは白岩尖塔の街並みであり、白骨林立の様相。市街地周辺には延々と白の墓石群が広がっている。街の住民だけではなく、良き輪廻転生先があらんと願って外の者も埋葬しに訪れるのだ。
道を行き交う人々に混じるのは死を許されぬ者達。寡黙に単純労働に従事するのは枯れた靭帯巻き付く、死神に呪われし白骨奴隷。この街では馬や牛、奴隷の代わりに種族多様な白骨奴隷が働いている。疲れも知らず文句も言わず餌も要らぬし糞も垂れぬとあれば大層に便利な役畜なのだろう。見た目も慣れれば違和感も無いのか、白骨奴隷を気軽に触る者どころか子供の遊び相手になっている姿すら見られる。
ここは死神信仰の本殿にして、御柱が座す冥府に直結する大穴が開いた地である。
本殿では定期的に冥府競争を催している。選手を並べ、巫女の号令で一斉に大穴を下っては冥府の奥底、御柱様の御所を目指して駆け抜ける。そして一番着の者には死者復活、蘇りの奇跡を叶えてくれるのだ。
ここには東西の勇士から意志だけは強い弱者まで揃っている。死ぬ運命に無かったと思っている者を蘇したいと願っている。また中には金で雇われて代走する者もいるが、この死を厭わぬ競争に勇士を納得させて参加させられるだけの金を用意するのも努力の範疇と見做され、死神はこれを差別しない。
この競争では名誉が得られる。金を目当てとしないとする高潔な者も十分に参加する理由があった。さる亡き美しい姫がおり、競争に勝った縁無き勇士が後に婚姻したという浪漫話も伝わっている程で世間、世界の注目の的である。それだけ生還の難しい難行でもある。
尚、競争には二人一組若しくは単独での参加が認められる。かつては制限が無かったらしく、その昔は開始と同時に軍勢入り乱れての殺し合いの末にようやく競争が始まったとも伝えられる。
ヒューネルはここで金や名声を得るために来た。金も良き武具を得るためには必要なのでこれを卑下しない。名声は勿論のこと望むところであり、どこか良い仕官先に導かれる可能性も期待している。そしてやはり若い男なので例の浪漫話に鼻孔が膨らまないこともない。
死神本殿前広場では競争参加者を受け付けている。そして腕に自信は無いが金なり、その自身なりを対価に代走者を見つけようと必死になっている。与えられる奇跡の大業に比して対価は生半可な値ではない。
その広場にてヒューネル、見初められなかった。体格は良くても若くて装備も平凡。東西から強者が集まり、我が殿こそどこそこであの魔物を成敗した騎士誰誰である! と装備も良好、風格も十分、従者を引き連れた見ただけで歴戦と分かる者にこそ期待が集まる。声が掛かる。
期待はしていないけど気持ちにケリをつけたいと思って、しかし己の身を危険に晒す度胸は無く、とりあえず安く見込みの無い代走者を雇いたいという者もいなくはない。そして冥府の御所への先着争いをすれば命がけであるが、とりあえず大穴を下って一着が決まるまで適当に過ごせば死にはしない。この街ではそういう、夢や希望とは別の噂もあちこちで話されている。
皆、必死である。諍いは理由を様々に茶飯事。殴り合いから白刃を掲げる者まで多様。そして決闘となり、その勝者にまた期待が集まる。その腕前、命懸けに相手を打ち倒せると披露したならば声が掛かるのだ。
ヒューネルは決闘からの声掛けを待つのも有りかと血を見て学んだが、しかし難癖をつけて知らぬ相手を殺すような蛮行に至る教育は受けていない。相談しようにも旅の供は沈黙を貫いている。
若く理想があった。そして何か切っ掛けが無ければ足が出ない若さだった。現実を目的の焦点に合わせるために無茶をするような老け込みを未だ知らない。
生まれて初めて大きな街を見れただけでも良しとしようかと諦めそうになった頃に運命が来た。
観衆が沸いて人垣を作る中央、道中に揉めた傷有る甲冑の女の騎士、何と三人の騎士を相手に戦っている。三方同時、剣を剣で受け、槍を盾で弾いて、何と背後からの斧の一撃を兜の頭突きで反らして肩甲に当てて且つまた反らして受け流した。
「凄い!」
尊敬すべき技量である。全く知らぬ者ではなく助太刀に入るべきかと思った矢先”唖か貴様は!?”との女の騎士の、旅の供への罵声が浮かんで二の足を踏んだ。
そしてヒューネルの気が一歩遅れた時に女の騎士は兜に剣撃を受けて膝を突いた。優れた板金の甲冑故即死ではないが、既に勝敗決したかに見える。
女の騎士へ止めの一撃と斧が振り下ろされ、それでも盾で防ぎ、蹴り倒されて槍先が兜の隙間から目へ突き入れられようとした時にやっと一歩が出た。
「それまで! 勝負付いた」
ヒューネル、剣撃で槍を跳ねて反らした。しかしその突き入れにやや戸惑いがあったお陰で間に合ったとも言えた。
「その首、取らねばならぬ。部外者は引かれよ」
「この御仁の命、今預かった。取り上げたくば力づくに致せ」
「それでは問答無用」
剣一本がせいぜいの武具であるヒューネル、完全武装の騎士三人相手に敵うはずもない。女の騎士は意識朦朧としており、そして旅の供、薪雑棒を圧し折る怪力にて斧の騎士の兜を凹ませて倒した。
派手に動いたヒューネル、稚拙ではあったが陽動になってしまった。これは彼が意図するところではないが、旅の供が沈黙に合わせた。
乱入者に継ぐ乱入者に気を散らされた残る二人、ヒューネルは剣の騎士の小手を撃って圧し折る。そして槍の騎士に剣先を向け、もう片方の手の平も向ける。今対面して理解したが、この騎士達の技量は相当なもの。ただの剣一本で太刀打ち出来そうになかった。
「二人の手当をしなさい」
「……かたじけない」
同情に訴えると槍の騎士、敗北を認めて構えを解く。
観衆が沸く。倒れた斧の騎士を、観衆の手伝いも借りて二人の騎士は引き摺って去った。
■■■
決闘への助太刀にてただの若者から、一躍耳目を集める存在になったヒューネルと旅の供に代走の声が掛かった。依頼主となるのはあの女の騎士である。経緯はともあれ運命の導きであれば得られる金と名誉に拘る必要は若者にはない。
彼女を宿へ連れ、豊神、竈神の神官を呼ぶ金――義憤を覚える暴利――は無いので町医者を呼んで介抱。最後の頭への一撃で脳震盪を起こしていた以前に全身が甲冑に守られていたとはいえ、矢と共に抜けたという片目は無く、手の指は折れた後にまた握り込んでは曲げて歪、踏ん張りで足の指も脱臼、腕に脇に脚も骨が折れて至るところ腫れ上がり、肌は打撲だらけで変色、歯は打撃と食いしばりで砕け、内臓は血の小便が流れ出る程傷ついていた。凡人なら心折れる前に死んでいる。
「狂戦士の手当など出来ません」
医者が匙を投げかける。外科医療行為は凡そ激痛を伴うものばかりで患者の暴れようは殴るは蹴るはが常で拘束ありき。ましてや獣より獣の狂戦士など己の腕が千切れても戒めを解こうとする程度なら可愛いもの、敵味方の区別も怪しいからの物狂い。治療行為に及ぶなど話にならない。患者を選ぶなという言は現場を知らぬ者が時折ほざく。
「誰が狂戦士だ! 貴様盲か!?」
ここまで傷を受けても戦えるのは戦神を奉じる狂戦士達だけだ。そうではないなら蘇りの奇跡を望む者ならばこそ得られる狂気だろうか。
女の騎士、証明済みの忍耐力にて暴れも叫びもせず、むしろ自ら接骨する始末にて、一通りの治療を受けた後にヒューネルが名乗っても名乗り返さない。偽名を告げるようなわずかな卑劣さすら持たない様子で、そして元は二〇名連れで旅に出たが襲撃を繰り返し受けて残る一人となったとの経緯のみを話す。そして蘇したい者の名は口を閉じて決して言わぬと顔をしかめる。言わねば先着しても名を告げられぬのだが、代わりに手紙に蝋で封をして作った物を渡して来た。
「さるお方の御名が記されている。必ず、御柱様へ告げる時に開封するのだ。その前に開いたならば……」
「事情を探ることはしません」
「すまん」
人にはそれぞれ事情がある。悪戯に詮索するような下賤な真似をするヒューネルではない。
そして競争で少しでも勝利の可能性を上げるために女の騎士の立派な武具一式を借り受ける。宿にいる最中は、あの三人の刺客もいるので無防備ではないかとの危惧もあるが、枕の下に短剣一本「意志は既に託した。後は一人でも多く道連れにしてやる」とのこと。それ程までに蘇したい相手に執念がある様子。
ヒューネルは借り受けた武具は使わなかった。愛用の装備は剣一本に革当て程度の軽装であるが、甲冑は大柄な彼に合わなかったのだ。無理に合わせても動きが悪ければ競争どころではない。
旅の供であるが、手慣れた様子で甲冑、帷子、綿甲を一人で着用してしまった。従者の手伝いが無ければ手古摺るか、作りによっては不可能なものだ。そして折れた薪雑棒の代わりに剣を持ち、盾は背負って背中の守りにした。
さて、慣れている様子ではあるが旅の供が上手く動けるか心配である。そこで宿の裏庭にて、互いに軽く動きを確認しようと剣を抜いて構えあった。
ヒューネルは剣を片手に持ち、必要に応じて両手に切り替える。比較的自由に動くことを目指しているので構えという構えはしない。
旅の供は片手で剣の柄、もう片手で剣身自体を握っている。そしてやや前傾姿勢で、兜の隙間から見える鋭い目線は、これは狼か?
「始めい」
絶対安静のはずの女の騎士が、二階の窓から号令を出した。
旅の供、一直線に突っ込み体当たり。ヒューネル、自由に動けることから横っ飛び、しかし剣を落した旅の供が広げた腕に捕まって地面に倒され、あっと言う間も無く馬乗り、「あっ」と言った時には板金固めの鋲付き鉄拳が目前に振り下ろされ、寸止めである。
「それまで。唖の方は並ではないな。坊主は相手が悪い。装備の差も大きい。それから怪我をしないようにと動きが臆病だ。盾を持ってもう一度やってみろ」
女の騎士の指導が始まる。
旅の供が背負う盾を受け取り、剣盾という戦いやすい型式に切り替えたヒューネルはそれから何度も、構えや戦い方を変幻自在にする旅の供に負け続ける。
「盾で殴らんか馬鹿もん! 猫でも撫でとるのか!?」
だの、
「盾の先で殴れ、何のためにそこが嘴のようになってると思ってる! 遠慮出来る相手か坊主!」
とか、
「足が余っとるなら蹴らんか! あー、何だその蹴りは!? 撫でるな芯を貫いて圧し折るように行け! お嬢の舞踏がマシだぞ!」
や、
「盾のブチかましはそんなペチっとやるんじゃない! もっと体重乗せて前のめりに貫くように突っ込み続けろ、それじゃ軽いぞ金玉ついてるのか!」
と怒声が飛ぶ。他の泊り客の良い見世物で「おい坊主頑張れよ!」「ぼく、もう少しよ!」という声援も飛ぶようになる。
訓練がようやく終わって飯時になっても女の騎士は口を閉じない。
「男がそんな程度しか食わんのか坊主。子供の頃の服はちゃんと股が割れていたか?」
宿も飯代も雇用主の奢りで、腹一杯食べてやろうと思ったヒューネルにそのように言う。言われるままに食べると喉から出て来る。
女の騎士の方は医者から傷の治りが遅くなると禁酒を言い渡されていたはずだが、歯が減って上手く肉が噛めないからと酒ばかり飲んでいるので性質が悪い。本当に朝方まで切り傷が無いだけで皮の下に挽肉になりそうな傷を負っていた者なのだろうか? 指が曲がらず手の平で杯を挟んでまで飲むものだろうか。
「坊主はどこで剣を習った? 田舎の暴れん坊が棒切れから持ち替えたようには見えんな」
「義父に教わりました。あとは山の麓の村に、生まれは鉄の国、戦士が田舎でも多くおりましたのでその方々と」
「鉄か! あれは私の母の故郷だぞ。何度か行ったが単純で貧乏臭くて良いところだ。挨拶代わりに肘打ちを食らわしても誰も驚かん」
「分かっていらっしゃる」
「それと一手隠してるな。それのせいで動きが悪いぞ。何だ?」
「安易に見せるなと言われております」
「それはそうだな。懐の一本はそういうもんだ」
奥の手は見せず、周囲にもたとえ友にも知らせず、不意打ちに使えばこそである。ヒューネルは正直者なりに、正直に隠している。
「唖の方はあれだ、お前、その剣術どこかで見たな。構え毎に役割を持たせているのは正統な流派だ。出は何処だ?」
勿論、旅の供は無視している。奢りの食事には手をつけている。
「彼は口を開きません」
「うーむ、武芸も極地に至れば無想に達すると言う。例えばオーク剣術の極意は無想、何も考えずただ只管最速で上段斬りを続けるだけなんだが、あれがまた強いんだなぁ。受けなんぞしたら終わりだ」
「旅のオークの武芸者の剣を見せて貰ったことがありますが、あれは凄いですね」
「あぁん? その辺うろついてるので凄いって言ったらなぁ……」
女の騎士は何か言いかけて口を閉じた。伏せている己の名や出自に関係する様子。
「貴女なら死しても戦乙女に列せられますよ」
「何だ急に? お前、もしかしてそれ、口説いてるのか?」
女の騎士、爆笑。席から床に落ちて傷に響いて「うがぁ!」と叫ぶ。
ヒューネルに皮肉を言う性分など無く、落ち込んでいるような気がしたので慰めに言った心算なのだ。
競争の開始日まで女の騎士の奢りで練って食って寝るの生活が続く。
■■■
白骨の玉砂利を敷いた大穴前広場にて一人若しくは二人組の走者が並ぶ。その後方には観衆、代走依頼者に走者の仲間達が並んで声援を掛ける。そして田舎者が考えそうな賭博の胴元はおらず、その役目は本殿の神官が公式に行っている。ヒューネルと旅の供を応援するのはあの宿の主と泊り客に、どう考えても怪我など治っていない女の騎士である。
「私が自由に出来る動産不動産を全て賭けておいた。生憎この血肉は自由に出来なんでな、だが不誠実に思うな。道中死んでも何れは蘇生を祈願に何度でも立ち向かおう。では勝てよヒューネル、狼人よ」
そう言って嘘無く笑い、二人の背中を強か叩いた。合理の破綻が感じられるがそんなことは武門の道理ではない。
歴戦の武勇薫る猛者に混じり、意志の強さだけで並ぶ凡人がひしめき合う。その中にあの三騎士の中で槍の騎士だけが参加しており、観衆には剣の騎士が折れた腕を吊って混じっており、斧の騎士は見当たらない。
競争の法は、先着した者が勝者となり蘇りの奇跡を授かる相手を選べること。競争中の私闘を禁止することである。この私闘の禁止がなかなかの難物で、先行く者の肩を掴むなり足を引っ張る意図的な行為も禁止である。違反すれば白骨奴隷の呪いを受けるだろう。ただその分、そんなことをしている暇も道中に無い。
ヒューネルは宿を出発する前は緊張していた。何も言わぬ旅の供は変わらずの様子で、もし急に気紛れを起こしてどこかに去ったらどうしようなどとそわそわし、いざ競争開始の群れに二人で加われば不安は飛んだ。
大穴入り口前には綱が張られ、骨の鳴子が並んで付けられている。そして死神の巫女が魂を刈り取ると言われる神器の大鎌を演舞に回した後に、綱が切断、落ちて鳴子が響いて走者一斉に走り出す。
まずは蜂の巣のような、海を知る者ならふじつぼと呼べるような無数の穴が面に並ぶ入り口が迫る。その穴の一つに組が入ると閉じて通行不能になる。これは走者を分けるものだ。猛き者共が只管私闘を恐れつつ団子になって押し合いをしている姿を延々と眺めていてはつまらないからだと思われる。
穴に入った後は暗闇のようでしかし、ほのかに遠くも見える不思議の光量を保つ細道がうねって続く。時には身を捩って狭い穴を潜らねばならないので旅の供が甲冑を脱いでまた着る手間を取らねばならなかったが、この手間を省いてはならない。
細道を抜けた時、ある程度の走者集団に振り分けられており共闘を強いられる。剣に槍に斧、棍棒に盾、弓矢に弩に投石紐を持った白骨奴隷の軍団が一面に襲撃してくるのだ。
「密集隊形! 盾持ち、甲冑者は前へ、軽装は後ろへ! まずは死を逃れるぞ!」
部隊指揮経験があると見える、あの槍の騎士が穂先に布を巻いて旗印とし、集団統率に努めている。
そんな言うこと聞いてられるかと突っ走る者に、戦の高鳴りで耳が遠くなった者が恐れも痛みも知らぬ白骨奴隷の骨を数本圧し折ってから袋叩きにされて死ぬ。
ヒューネルは遠慮をせずに旅の供に盾を渡して「頼む」と前衛を任せ、軽装として後衛に混じる。
盾と甲冑が矢と石を弾きながら、即席の横隊を組んで白骨奴隷の突撃を受け止めて盾の隙間から反撃を試みる。
「肩に乗られよ」
「うむ」
ヒューネル、過去の遺恨は捨てて槍の騎士を肩に座らせて立ち、飛来する矢玉を剣で弾きつつ、高い位置から戦況を把握させる。そして細やかな指示から隊形に修正が加えられ、横一線から鉤型へ、そして三角形、三角形の突端部に最精鋭を配置するまで行って陣を安定させる。
「前衛、確実に数を減らせ! 骨の群れが減り、頃合いになったら後衛の軽装が射手へ突撃して陣形を崩せ!」
戦い続ける前衛、息を切らせて防御しつつ白骨奴隷を打ち砕く。
温存される後衛、鉄の壁の背後で期を待つ。まともな武器など持たず勇気だけで参加した凡人には予備の武器を持った者が貸し出すなり、白骨奴隷の武器が手渡される。
そして突撃する白骨奴隷の数が減り、まばらになり、前衛がほぼ疲れ切った。
「後衛、突撃!」
『応!』
ヒューネル、槍の騎士を降ろし、旅の供が投げて寄越した盾を受け取って走る。旅の供は疲れ知らずか併走。
盾を前に矢弾を防ぎ、白骨奴隷を盾の嘴で殴り砕き、刺突斬撃射撃は剣で防いで吶喊。そして後衛の白骨奴隷共に肉薄して盾で骨の芯を貫くようにぶちかまして圧し折って倒す。只管射手狙いに突っ走り、その背中は旅の供が守る。射手は距離を取る心得があり、追いかけっこの様相ともなり、同時に他の者達と壁際に追い込まねば、後ろ跳びに逃げられ続けて的に甘んじることもあった。
ヒューネルと旅の供程息の合った組も少々、そうではない者も時に斃れながら白骨奴隷の軍団の骨を叩き折って勝利する。
ここで凱歌を上げるのだが「各々、目的を忘れるな」と槍の騎士が走り出した。皆も、あっ、と走り出す。名声が目的ならば道中の振る舞いも評価対象であろうか。
次は細くも無ければ広いとも言えない一本道を走る。途中で壁が無くなり、冥府の底知れぬ暗闇が覗いて見える橋になってくる。何処かから流れ込んだ川の水が滝になり、滝壺に落ちる前に霧と化す。他の橋から集団戦に打ち勝った者達が現れ始め、全く無人のままの橋も見える。
「勝ったぞー!」
お調子者と見える走者がそう叫んで、あの戦いに感じ入った者があれば武具を叩いたり雄たけびを上げて返答する。
橋が合流して道が一本になり、今度はどこまで続くか先の見えぬ螺旋の下り坂を走る。
ここで甲冑装備の者が疲労から足を鈍らせ、もつれから転倒。転倒に巻き込まれて坂を転がり、端から転げ落ちて悲鳴を伸ばしながら、しばらくして消える。
坂道には段々と地面を穿った太く長い矢が見えて来る。危機感を煽るに十分。
「弓兵!」
誰かが叫んで、並の風切音ではない豪の矢が甲冑装備の走者を射抜いて吹っ飛ばして転がした。
赤頭巾を被り、長弓を持った白骨奴隷が一体だけ。しかしこの螺旋の下り坂の外、冥府大穴内壁の足場から長距離狙撃を始めたのだ。白骨奴隷に矢は効果が薄いと射撃武器を持たぬ者ばかりだ。
「あの矢は受けれんぞ!」
赤頭巾、全身をしならせる強射手の構えにて豪の矢を放つ。矢の速度は確かに恐ろしい。ただ距離がかなりあるので良く観察すれば避けられぬこともないが、余所見をしている内に他走者とぶつかり、坂から転がって落ち、転げ続けてなんとか体勢を持ち直したところを狙撃されて矢に縫い付けられるなど被害が止まらない。
冥府の選別、一人の蘇生のために百の命を奪う。
ヒューネルに豪の矢が迫る。思わず盾受け、しくじったかと思いきや矢と盾を挟むように旅の供が剣で殴り、力の方向を反らして貫通を防いだ。名人芸であろう。
走者集団は坂を下り続ける。時折矢に貫かれた先行者が見えるが、あれは初めの白骨奴隷との戦いを振り切って集団を抜けた者だろう。あの赤頭巾に集中的に狙われて斃れたとしか見えない。
下り坂はまだ終わらない。滝の霧が濡らした地面は滑りやすくなっており、転ぶ者が増え、走るのをやめて武器で地面を突いて歩き始めるものおり、そして足場を下って追って来る赤頭巾が狙撃で撃ち抜く。
ここまで虐めなくても良いのではとヒューネルは思い始めるが、やはり死んだ者を蘇すという道理に反する行為の代償とはこのようなものかとも思ってしまう。
この時ヒューネル、集中力が切れていた。赤頭巾が背に担いだ矢筒もあと一本と指摘する目の良い者もいたが耳に届かず、迫る豪の矢にも遅れて気付いてまたもや盾受け。またも旅の供が剣にて、盾の裏を叩いて貫きの方向を反らして肉を穿つを防いだが、集中切れの脚は坂道の中央から端に寄っており、勢いから落下が始める。
「えっ」
声は間抜け。女の騎士がいれば途轍もない罵声を浴びせただろう。
そして旅の供、そこまで義理があるとも思えぬのに坂道の端に手脚を掛けて壁面蹴りに跳び、間抜けに落ちるヒューネルに追い付いて抱えて落下し、内壁へ剣を突き刺して折って勢いを殺してから足場へ着地して転がって最後の衝撃も殺した。
坂を下る者達に余裕はないが、体力が勝る者が「すげーぞ傷甲冑! お前らは生きて帰れよ!」と声掛けしながら先を行った。
「すまない」
情けなさから自信を失うヒューネルはせめてと旅の供に己の剣を差し出すが無視に受け取らない。足場を伝って降り始め、半泣きでその背中を追う。
足場から冥府の奥へ行く道、既に他の走者達とは別経路。明らかに坂道とは別方向へと移動している。下り坂や階段だけではなく、滑り台に滑降する道も、縦穴を崖下りに進まざるを得ない道もあった。
情けなさから来る、半ば麻痺した盲従的な足取りでヒューネルは疲れを知らずに進み続ける旅の供を追い、遂に深層と言われれば深層と言えそうな場所に到達した。
並ではない、灰色に見えなくもない不思議の火が灯ったランプが定間隔に吊り下がり、光量が増えて割と遠くまで見渡せる。壁側は長く通路が曲がる端まで白の檻で、遥か彼方に見える曲がったその先も同じようだ。檻の中には白骨奴隷と姿は同じだがまるで活気のない、死体と見做せる者が無数に転がっている。時折動く者もいるが、壁に頭を力無く繰り返し打ち付け軽い音を響かせるだけ。自殺の真似すら出来ぬ様子。
死神は冥府にて魂の輪廻を行い、地獄にて魂の束縛を行う。
冥府は死せる魂が転生するまで待機し、地獄は魂が転生せぬようにと収監する。
怖気が走る。何か神罪を犯した記憶もないが、己も檻の中の者共のような末路も有り得ると思えばここにいるべきではないと感じる。
旅の供は変わらず臆した様子も無く、そして変わったことにあの拵えの良い杖を手に持って檻を見ながら歩き始めた。
「まさか君、地獄の虜囚を尋ねに来たのか?」
足りぬ知識で判然とせぬが、死神がわざわざ永遠に囲って苦しめている相手に面会などと罪に当たるような気しかしない。
「たぶん聞いてくれないだろう。君に恩義や義務に、一方的かもしれないが友情も感じているがしかし、脱獄には加担出来ない」
共に死ぬぐらいなら躊躇無いが、しかし死より恐ろしい神罰まで共に受けるのは腰が当然に引ける。であるから正直に思うところを告げ、全くいつも通りに無視される。
白骨虜囚の一体が突然動き、檻の格子を掴んで暴れ出す。
旅の供が足を止め、頭の先から爪先まで眺めてからまた歩き始めた。
ヒューネルは、己はこのために利用されているのではないかと疑念を抱く。このような神に抗う行動など、するとしたら魔王と魔女の信奉者のみ。
悪魔憑きの魔王の僕達にして魔女信仰者達は、悪魔の声を聴き話すために人語を断つ修行から始めるとも云う。そして魔王は言葉を発することなく会話したという伝説もあるのだ。
違う道を行くべきなのか。命の恩人でもある旅の供と別れてまですることなのか。
「何か……」
答えてくれ、と言おうとすれば旅の供の視線は通りの彼方。その彼方から一人、歩いてくる。
床を杖か何かで突きながらやってくる。そして見えたのは、白骨奴隷などとは違い、立派な装束を着て棘だらけの刺又を持った白骨獄吏である。
獄吏、走る。早い、犬か馬かその全力疾走、近い、あっと言う間、突き出す刺又を旅の供が両手で掴んで受け止めて足の裏で床を擦って板金が火花を散らす。
迷いは闘争に不純。剣を両手持ちに変え、獄吏が一瞬止まっているところへ吠えてオーク剣術に大上段連撃。太い骨は固く一撃で折れぬが幾度も叩いて砕いて刺又を保持出来なくし、旅の供は掴み掛かって足を払って馬乗りに、そして鉄拳にて人相手のように頭ではなく、肩の骨を殴って破壊し無力化し、顎を砕いて噛み付かせず、頚椎を殴って頭を分離、引っ繰り返して背骨を踏み折り、股関節も踏み砕いてはバラバラになっても蠢動する残る骨を檻へ、分散するよう投じ始めた。ヒューネルも倣う。
ヒューネルは気付いて己の手を確認する。そして肉があると喜ぶ。どうやら呪われてはいないようだ。もしかしたらこの地獄も競争経路の一部なのかもしれない。否、そう思わねば今は何も出来ない。
一人ではあの獄吏に敵わぬとヒューネルは自己評価をし、もはや信じるしかない旅の供の、白骨虜囚を確認する進みに従う。
人の声が通りの角の向こうからする。声の出せる虜囚でもいるのかと思ったが、床の振動、大きな足音が危機を報せる。
やや覚えがある、あの共に坂を下った者達の一部が武器も手にせず走っている。そしてその背後に現れたのは、内臓のように灰色の火を抱えた白骨番犬。肩高までおよそ人の背丈の倍、途轍もなく大きい。
「逃げろ!」
言われるまでもなくヒューネルも旅の供も踵を返して全力疾走で逃げる。
悲鳴、背中に熱気、そして肉打つではない骨砕く音。先ほどの獄吏戦で聞いて覚えが近い。番犬が火を吹いて走者を灰にして踏んで砕いた。
逃げる、そして行く手を阻むのは棘鞭を持った獄吏。あれは骨の虜囚相手に鞭を振るうのではない。侵入してくる生身相手が専門だ。
ヒューネルは決めた。
「君が使え!」
剣を旅の供に投げ渡し、振り返って盾を構えて前進。
「私が殿だ!」
狂った割りには言語明瞭、走って逃げることに頭が一杯の生き残りが獄吏へ、旅の供に続いて襲い掛かる。武器は無くても徒手空拳がある。
盾を持ち、ヒューネルは待ち構えて義父より学んだ術を使う。
奥の手、マナ術の一つ黒石。己の身に直接でも良いが、怖気に腰が引けそうなのでせめて一枚脅威から隔てて冷静になるため盾に結晶化するよう張り付ける。その幅は全身を覆う程目一杯全力で広げ、番犬の頭突きを受け、さしたる音も立てず、踏ん張り不要に防ぎ切った。
番犬の切り替えは早く、大口を広げて灰の火炎噴射、同じく黒石は防ぎ切った。
不死宰相エリクディスが祓い魔に編み出したマナ術の一つ黒石は、物理的な干渉も魔法的な干渉も何もかも遮断して重みすら伝えない。
灰の火が腹から消えた番犬、勢いも失って頭突き噛み付きをしようと暴れ、牢に黒石に打ち続ける。そうしている内に鞭の獄吏は皆に取り押さえられて滅多打ちに踏まれて砕けた。
「退路は作った、先に逃げるぞ!」
旅の供を残し、無力を悟っている者達が走って消える。旅の供は、ここでも檻を見て白骨虜囚を比べている。
黒石が減り続ける。そして黒石の端と端に顎の形が合い、番犬が噛み付いて首を奮って引き剥がしを試みるが手応え無し。しかしもう後が無い。
死は確実である。だが逃げた彼等の殿を務めたことは、途中で骸にならなければ逸話になって語られるだろう。名も無き誰かとして死ぬのが当たり前ならこれは上出来の部類。
「君も逃げろ!」
黒石も減り、どう足掻いても死ぬと分かったヒューネルは後ろを向く余裕があった。そして、旅の供が檻の中へ杖を差し入れたのが見えた。経緯は不明だが、何か目的を達したのだろうと安堵感が過り、盾を持つ手に引っ張る感覚、直ぐに手放す。
黒石は消え、盾を噛み潰した番犬が腹に灰の火を宿し始めている。退いても逃げられず、敢えて腹の下に潜り込んでも焼かれる。詰みである。
カランカランと鳴る。死んだと思えば化物に背を向ける程度造作も無い。旅の供の眼前の檻、あれだけ番犬が頭を打ち付けても傷一つ入らなかった格子が切れて落ちて、一体の虜囚が杖を持って脱獄。
旅の供も目的を半ば果たしたようだ。それに微笑みを浮かべて別れの挨拶とし、せめて一太刀くれてやろうと両手に剣をヒューネルは構えて振り返り、理解が出来なかった。
白骨番犬、全ての骨の継ぎ目に氷と石と金属の塊が詰め込まれた姿で身動き取れずに微細に痙攣するだけで、巨体から檻に寄りかかって倒れることも出来ていなかった。
脱獄した虜囚、突かずに杖を持って番犬に寄り、何やらあらゆるものが混じったようなとしか言いようがない爆風を無動作に食らわせて粉々に砕いて吹き飛ばしてしまった。
通路は無傷、檻も無傷、巻き添えに中の虜囚は悪運に粉々。
間違いなく学んだマナ術に似ていない。道具もまともに無ければ錬金術ではなく、神罰受けて地獄に虜囚されていたものが神々に祈って奇跡を起こせるわけがなかった。悪魔の言葉こそ吐かぬがこの白骨虜囚、魔法使いである。
あの番犬より強い白骨魔法使いが、ちょいちょい、顔を寄せて来いと人差し指で招いて来た。度肝を抜かれたヒューネルは言いなりに身を屈めて、頭を撫でられた。全く意味不明である。
魔法使いは杖で床を突いた。そして深い井戸に石でも投げ込んだような反響が地獄を満たし、皆が逃げた方角ではなく番犬を吹き飛ばした方角へ歩き始めて旅の供も従い、どうしようもないヒューネルも続いた。
■■■
それからの道は今までの苦労が何だったのかと思う程にヒューネルには楽だった。
魔法使いの先導に従う。獄吏や番犬がいれば何をしているのか理解不能な魔法にて一撃で粉砕する。例え待ち伏せのようにどこかに隠れていても見つけ出して事も無げにやはり粉砕。
そして遂には地獄を脱し、冥府のどこかを流れる川に到着した。そして魔法使いは踵を返して去ってしまった。
また何か、川から骨の魚か蛇でも出て来るのではないかと気を揉んだ後、川上から船を櫂一本で漕いで来る者があった。船は不思議に岸壁へ係留することもなく留まる。
その船の漕ぎ手の身の丈、大柄なヒューネルの半倍程。しわがれて並の生者に見えぬが白骨ではなく、害意は無いように見える。
「この先には何があるのでしょうか」
「蘇りの走者だな。御柱様がこの先にいらっしゃる。乗るならば乗れ」
渡りに船とはこのことである。
船旅は快適で揺れもほとんどない。
「助かりました。私はヒューネルと申します。あなたは?」
「渡し守と呼ばれる」
渡し守、冥府の川の渡し守と言えば死神の使徒の中で筆頭、陪神であられる。ヒューネル、正対し跪いて頭を下げる。
「これは御無礼仕りました! 何分田舎の粗忽物故礼儀も知らず、ご容赦を」
「よい」
船旅は何かおかしなことがしないかとヒューネルは緊張のし通しだった。勿論、旅の供は全くいつも通りなのだが、魔法使いの脱獄を手伝ったという罪があるのでそれが露見した時、どのような罰が下るかと思えば張りつめた気が緩むことなどない。悪戯をして、後で後悔して義父にバレないかと肝を冷やした時を思い出して、お叱り程度で済まぬと具合が悪くなる。
具合の悪さと疲労から次の船着き場からその御前に至るまでヒューネルは朦朧とし、旅の供の後をついていくのが精一杯になる。
そして遂に御所に到達する。無限に闇が広がっているような広間で、死神の光無き威光感じる闇の中央、その手前に受け答えをするために巫女が立っていた。
「我々は、その、一着なのでしょうか」
「お二人が一着です。さあ、蘇りを希望する者の名を」
ヒューネルは手紙の封をここで開ける。その隠された名だが、どうも涎と血が滲んだ上に字が曲がって読み辛い。手が使えず口に筆でも咥えたのだろうがこれには悩まされる。文盲ではないのだがこれだという自信が無いのだ。もし誤った名を告げたらここまでの苦労が何だったのかと。
「どうされました」
「失礼ですが、その、正確に読めなくて」
「失礼して」
巫女が手紙を受け取り、顔を小刻みに動かして読み始めた。あれは筆跡を眉間でなぞって何を書いたか割り出しているのだ。
皆が過酷な競争にて五体無事で終着するとは限らない。今際の微力で伝えようとする死者の名をくみ取ることに彼女は慣れている。
「唯一世界皇帝であらせられるガイセリオン陛下、と書かれておりますよ」
「なんと!」
魔王ロクサールとの戦いで負傷されて以来、奥の宮におられるという噂はあった。しかしまさか戦死されていたとは! とヒューネル、どう驚いて良いか分からぬ。
このこと世に広まれば、唯一世界帝国の動揺、凡人に想像がつかぬ有り様となったことだろう。あの女の騎士も、名を告げれば目的が露見するような名であったに違いない。しかし偽名すらも使わぬとは、普段はこのような陰働きをする者ではないということだろう。あの強情振りからむしろいじらしさすら覚えてしまった。
何か予兆だとか、動きだとか、あったわけではないが巫女は御前へ振り返って一礼をした。
「望まれた者の蘇り、叶いました。遺体の有る場所か、身体が失われたか埋葬済みならば最も縁ある場所か、適切なところに赴けば会えるでしょう」
「本当に……」
「ここで何かあるわけではないので、確認は帰ってからして頂くしかありません」
「疑ったわけでは、失礼」
「いいえ。そう仰るのも無理はありません」
巫女が微笑む。道中の過酷を考えれば砂漠で泉でも見つけたかのような心地である。
「ぐが」
と鼻でも鳴らした音。まさか目の前の清美な彼女ではあるまい。若者の幻想ではそうである。
「お休みになられたようですね」
凡人如きが比較するものではないが、死神は一二柱の中で最も多忙と言われる。蘇りの奇跡を望む者のわがままに付き合うような余計な仕事をすればお疲れになられることもあるのだろう。
帰り道は楽であった。疲れ切ったヒューネルを旅の供が負ぶって坂を上って行ったのだ。何から何まで世話になってしまい、どう恩を返すかなど考えていたら揺さぶりの心地良さもあって道中寝てしまった。
そして大穴から出て、久しぶりに思える陽光を浴びて目覚める。流石にこの姿は恥ずかしいと背から降りれば突撃に、感涙に咽び泣く女の騎士の肘打ちを受けてヒューネル、昏倒する。一着となった者の名は先に地上で公表されていたのだ。死者の名はわざわざ告げられず、気落ちする者はこの場にいない。
次に目が覚めてからは泊まり宿での、主からの奢りの飲み食いから、仕官しないかという誘いに、強い男が大好きという女の誘いから、やや彼方こそ我が殿、と従者を申し出るものから何からもみくちゃにされて分けが分からぬ状態。そしてそこにいて欲しかった旅の供は喧騒を避けるというより、用は済んだと姿を消してしまっていた。別れの挨拶も無かった。
朝も昼も夜も騒がしく、深夜もまだまだ宵の口、早朝になってようやく収まったところで女の騎士が「付き合え」と人通りの無い方へ、そして街中の何処か、人気の無い墓所、ここでは公園に相当するところにて落ち着く。周囲には墓掃除をする白骨奴隷しかいない。
「改めて身分を明かそう。私はガイセル帝家の末席、今上陛下であらせられるガイセリオン一世陛下と側室、鉄のアイザラの娘クエネラである。今まで名を伏して申し訳なかった。すまぬ」
「いえ、事情が事情でしたので」
「そう言って貰えると助かる。陛下にヒューネル殿を引き合わせたいのだが、同道されよ」
浪漫話のようである。姫が姫で騎士で、世のほとんどの男より勇ましいというところが尋常では無いのだろうが。
「ぬ?」
クエネラが訝し気な顔をする。ヒューネルの背後に何かある様子で、もしかしたら旅の供が戻って来たかと喜色を宿してみれば杖を持つ脱獄の魔法使い。
白骨の手が背伸びして頭に触れ、眩暈がした気がした。
■■■
・マナ術
不死宰相エリクディスが編み出した悪魔の魔法などに対抗出来る祓魔の術。マナそのものを操り、その形態毎に性質と色がある。
黒石:物魔遮断
紫粉:魔遮断
藍泥:物溶解・魔遮断
青水:物魔干渉
緑霧:物魔減衰
黄風:物偏向
橙火:物加熱・魔相殺
赤光:魔相殺
白波:魔偏向
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