反射
聞くところによると、どこかの国のどこかの村落では、意中の人に鏡を贈る風習があるという。この風習はその集落の古老の語る伝説によると、一人の内気で一途な少女がこの風習の起源だという。ここまではこの前のゼミの、配布資料1の3、上から三行目に引用されていた内容であった。私はなぜかたまらなくこの記述に心を奪われた。人間の性なのであろうか、鏡には魔物が宿るらしい。ここ日本でも古来より、八咫鏡、三角縁神獣鏡といった鏡は人々を酔わせるには十分な力を持っていた。しかしながらこれは民族固有のものであるか、はたまた人類一般のものであろうか、そのことについて考える機会はなかった。それについて考える機会を与えたのは、他ならぬ本件であった。もし、鏡の魔力が人類一般のものであったのなら、なんと嬉しいことであろうか! とはいえ、四行足らずの引用にここまで酔えることも、これまた不思議な出来事ではあるのだが。
さて、鏡の魔性とはなんであろうか。鏡にとって、「反射」という要素は、きっと我々人間にとっての「言葉」に等しい。言うなれば同一性の極地である。しかしながら、現代の鏡は、ガラス面に銀メッキなりアルミメッキなりを施した無個性なものと成り果ててしまった。思えば古代の鏡は、金属を執念深く磨くことによって作らねばならなかった。この執念こそが鏡に宿る魔物の正体なのではなかろうか? そしてこの執念が、少女を愛に駆り立てたのではなかろうか。はたまた、別の理由、例えば鏡そのものに文化的な、人の心を惑わせると言ったような怨念でも込められていたのであろうか。あるいは、鏡の映す映像、映る対象にこそ意味が込められているのであろうか。もしくは、もっと他の意味があるのだろうか。
こんな妄想をした。
むかしむかし、ある村に、少女がおりました。彼女は内気でしたが、その一方でとても一途でした。少女には想い人がいましたが、内気な彼女にはどうしても思いを伝える事ができませんでした。ある日、少女はおばあさんに相談をしました。
「おばあさん、私、好きな人がいるの」
「そうかい」
おばあさんは落ち着いて答えました。
「私、好きって言いたいの。だけど、そんな勇気なんてなくって」
「なんで言いたいのさ」
「だって、苦しいんだもん」
「そうかい、なら良いものをあげよう」
そういっておばあさんは少女に小さなブロンズの円盤を渡しました。円盤にはびっしりと緑青が吹いており、到底綺麗なものだとは思えません。
「なあにこれ? 汚いの」
「銅の円盤だよ」
「これが何だって言うの」
「毎日これを丁寧に砂で磨くと、力がもらえるのさ」
「ほんと?」
「ああほんとさ」
おばあさんの話を聞いて、少女は半信半疑ながら、来る日も来る日もそのブロンズの円盤に砂を載せて、磨き続けました。想い人を想いながら。不思議とこういった作業をしているうちは、苦しみを忘れられました。ああ、力ってこういうことか。と少女は思いました。ただ一方で、あれだけ身を焦がしていた想いが消えていくような気がして、どこか虚しい気がしました。そのとき、少女は円盤の縁が輝いていることに気づきました。少女にとってそれは見たことがないほど美しいものでした。もっとこの輝きを見たいと思い、彼女はもっと一心に磨き続けました。すると数日後にはその円盤はぴかぴか光る鏡になっていました。少女はその輝きに見とれていました。ああ、力ってこういうことか。とまた少女は思いました。そしてすぐに、少女はそこに映っているものが気になり出しました。
「お母さん⁉」
少女は亡くなったお母さんの姿をそこに見ました。いいえ、実はそれは知らぬ間に成長していた彼女自身だったのでした。ああ、力ってこういうことか。とまたまた少女は思いました。
この感動を誰かに伝えたい。そう思った少女が脳裏に浮かべた「誰か」は愛しきあの人でした。鏡の力を手に入れた私ならきっと言えるはず、そんな確信が彼女にはありました。勇気を振り絞って村の寄合の後、その人を引き止めました。
「あの、話があるんだけど」
「うん」
「これ、私の一番大切なものなの」
そういって彼女は頑張って磨いた鏡を渡します。ああ、臆病さはこんなときにも人を素直にしてくれないものなのですね。
「綺麗だね、これ」
「そうじゃなくて。私が大切なのは、そこに映る……」
二人は顔を赤く染めました。
――こんなことでもあったのだろうか。
とはいってもこれは妄想の域を出ないものである。楽しいものであるが、やはり真実を求めたい。どこの国のどこの地域、どこの村なのかは分からない。しかしそれでも、この神秘を追いたかった。調査には時間が掛かり、私は半ば諦めた。しかし、妄想上の少女が鏡を磨いた執念と同様に、毎日少しずつ「鏡」を見つけ出そうとした。ある日、参考資料の出典をたどり、どこの村の風習かまでは判明した。しかしあまりにも遠い場所で、旅費も通訳を雇う金もなく、それきり忘れてしまった。しかし、周りはそうではなかったようで、しばらくして友人が連絡を寄越してきて、ハッと思い出した。興味を持った友人も別に調査をしていたらしい。伝え聞くところによると、どうやらこの風習は、愛しき人への財産譲渡を記号化したものだという。銅鏡、つまり貴金属という価値のあるものを愛しき人へ贈る、それだけであった。そしてそれ以外にはとりわけ意味付けのなされていないものであると判明した。何とも無機質なものであった。
私の感動や妄想は徒労であったのだろうか。私の妄想のロマンチックは、私の創作に過ぎないのであろうか。いや、もしかしたらどこかで同様の風習があり、私の妄想のような意味づけがなされているのかもしれない。あの参考資料の引用は、どうしてわざわざ「一人の内気で一途な少女」が起源とロマンチックに語ったのだろうか。そこに何かあるかもしれない。仮に無くとも、この妄想は一つの作品として、どこかに、誰かの心に浸透するのかもしれない。実際、私の妄想は妄想に過ぎなかった。しかしながら他者に現象を及ぼした。思考の濁流に飲まれるのも時には悪くない。とはいっても、あれこれ考えても仕方ない。
まあいい、鏡を買ってこよう。
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