端集(タウポダト)にて裁(シユ)を打つ

「次はタウポ、終点です。」

列車の放送で目が覚めた。ふと遠くに行きたい気持ちになってここにやってきた。別段大した用事があるわけではないが、マナナ北端タウポの風はやはりどこか地元とは違う。駅を出て静かな裏路地を歩いていると、カランカランという竹の棒が転がる音とガヤガヤとした喧騒に出くわした。賭博の音だ。どうもこの音は鬱屈とした心を晴らしてくれるらしく、特に竹の転がる音は澄み切っていてなんとも心地よいものである。切り株のような素朴な机の上にはいくつかの札と紙幣が雑然と置かれている。そんなさまをゆったり眺めているとアルコールの香りが漂ってきた。すると、一人の男がこちらに気がついて、話しかけてきた。

「一杯どうだ?」

またこれだ。賭博を眺めていると突然絡まれる。どこでもよくあることだ。

「いえ私、酒は――。音を聞いていただけなので。」

やんわり断ってみる。音を聞いていた、というのは事実ではあるが些か不自然な発言である、と我ながら思いながら。

「音?」

「音です。」

少し間が空いて、男が答えた。

「音、音かあ、確かに、確かにな。」

男は知ったふうな口を叩いた。

「確かに俺らは音を聞くためにシユを打ってるのかもな。面白いことを言うね。でも、その『音』は、耳を塞いでいても聞こえる、そういう類のやつじゃないのか?」

ああ確かに。さっき私が「音」と言ったのは、見えないものの比喩としてなのか。言われてみれば私は、見えないものに対する思い入れは人一倍強かった。消えたかどうかも分からない見えないものがなぜだかたまらず愛おしかった。

「なんか悩んでるだろ。」

「えっ。」

図星だ。

「いや、音のことなんですよ。」

「なんだ、耳でも悪いのか。」

「いや、そうではなくてですね。」

「じゃあ何だよ。」

「それが分からないから悩んでいるんですよ。」

「ふーん、そうか。じゃあ――。」

そう言って男は五本の竹の棒、いわゆるシユを手にとった。そして叩きつける。

「何本⁈」

「えっ、五本じゃないんですか?」

「残念、ゼロ本だ。」

「えっ、でも確かに音がしたじゃないですか。」

男は握っていた手を開いてこちらに見せてくる。五本のシユはその手の上にしっかりと載っていた。

「叩きつけて跳ねてきたシユをもう一回掴んだんだ。あ、さっきまた『音』って言ったな。俺が思うに、音ってそういうものなんだよ。」

「どういうものですか。」

「音って、消えるんだよ。」

「でも景色も変わるじゃないですか。」

「さっきシユが跳ねる瞬間は見えなかっただろ?」

「あ、そうか。そうですね。確かに。なるほど。なるほど。」

「な、そういうものだろ?」

「そうですね。」

私たちは大きな声で笑いあった。音というものは確かに目に見えない。それでも確かにそこに爪痕を残す。しかしそれでも、音はあっという間に消えてしまう。どうしてそれをあったと思えるのか。実のところ、私が音について悩んでいた理由は、その爪痕を残す機序であったのだろう。自らが存在したという爪痕、痕跡はいかにすれば残せるのか。こういった不安と焦燥に駆られ、私は音を気に留めたのであろう。そういえば、ここに来てから色々な音が、耳に入ってくる気がする。

「また明日、ここに来ていいですか。」

「ああ。あ、これ渡しとくよ。じゃあな。」

 そう言って男はシユを渡した。

 その夜、通りを歩いた。大通りさえ薄暗く、裸電球が街をほのかに照らしていた。ぶらぶらと街を歩き、適当な安宿を選び、寝た。夢を見た。真っ白な部屋に一人。少しずつ壁が近づいてくる。天井が落ちてくる。少しずつ、潰されていく。完全に潰されたとき、目が覚めた。

 宿を出て、通りに出た。行こう、昨日の裏路地へ。

 昨日の街頭賭博の影はそこにはなかった。そこにあるのは素朴な机のみ。懐にはシユだけが虚しく記号として残る。あの男の名を聞いておけばよかった。

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