思いつくままに

針谷諒太

心を圧されるとき

 心はどこにあるのか。心はどうして動くのか。私はふとそんな疑問を抱いた。私の心は確かに私の所有物であると私は感じている。しかし、それではなぜ、私は私の心を自由に操れないのか。むしろ、心に私が支配されているという風にさえ感じることがある。私は今まで思う道を選び、行動してきた。しかし、いつの間にその道は生まれたのだろう、しかもそれを選んでいるのも当然心である。心底気持ちが悪い。心は織物だ。いくつもの色の糸が複雑に絡み合っている。その糸一本でさえ、綻びれば織物は崩れてしまう。また、糸の色が少し変わっただけでも全体の模様はがらりと変わってしまう。私はこんな織物を織った覚えはない。なのに、どうして私は私の心を己の所有物として可愛がるのか。どうして傷つくことを恐れるのか。どうしてなのか。かと思えば、傷ついた織物を引き裂こうとする己もいる。ああ、ああ。このどうしようもなさこそが、私が私の心を嫌う理由である。しかしそれでは機序明確な心を望むのか。このどうしようもなさこそが、私の心が私の心たる所以であり、私が私の心を愛する理由である。それも断じて許しがたい。これを考えているのも、感じているのも心である。また、「これ」を書いているのも、他ならぬ私の心である。いや、実はキーボードがひとりでに押し込められているのかもしれない。私の心など、全く目にも見えず、耳にも聞こえざるものである。むしろ私などいなくともこの世界は動くのかもしれない。こうして私は私の存在をここから消そうとした。

 心はどこにあるのか。心はどうして動くのか。心は確かに所有物である。しかし、それではなぜ、心は自由に操られないのか。むしろ、心が支配している――。

「無理だやめろ!」

 思わずそう叫ぶ。

ここに私がいない。その事実に私の心が反発したらしい。「思わず」? 思わずしてどうして感情が吐き出されるのか。やはり思わずにはいられない。弱った心は決して反発力を欠いた訳ではなかった。むしろある一方では、私を前へ進めさせる原動力となった。覚悟と決意、執拗さの上では私の心は私の行く道を示したのだ。夢のようなものだ。作った記憶のない創作が、ひとりでに歩き、私に道を与えたのだ。私が今まで行ってきた行いは、全て己の心を愛したためである。物を愛でるのも人に情を注ぐのも、己の心が崩れるのを防ぐためであった。それに大義名分を付けて、進んでいたに過ぎない。なら、この道に従おう。この未知に従おう。進め! 進め! 進め! 前は見えない。心臓はズキズキ痛む。頭が痛い。汗をかく。しかしそれでも己の心を守るためには、進まねばならぬ。思わなければならぬ。なぜか行かねばならぬ道はあるらしい。私の眺めるこの世界は、私唯一のものである。私とどんなに親しくとも、気が合おうとも、完全一致などありえぬものだ。この世界には、私しかいない。だから、私にしか守れないのだ。過去の思い出は、私の解釈でしか私を作り得ない。全て私を形作ってきた要素であり、みすみす捨てるのは私が許さない。

しかしそれでも、他の世界を眺めたい。

「ここから出してくれ!」

 私は乗客のいない列車を降りた。

 アイデンティティの崩れる音がした。「この」世界は静かになった。

 ――ここに静寂がある。

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