17話 芽生え始めたもの
意識の遠いところで、誰かの声がする。
とても懐かしくて、とても暖かい。
ずっと聞いていたい。ずっと聞いていたかった。ずっと、ずっと。
「・・・ぁ、」
夢を見ていたのかと、うっすら目を開ける。
「・・・え、」
しかしどうやら夢ではない。
どこからか人の話し声がする。
聞き覚えのあるその声の方へ、無意識に視線を投げる。
「え、え?」
その先にあった違和感に、一気に目が覚めた。
見覚えのある高い背中が、何故か自分の部屋に立っていたのだ。
(え?あれ?なんで?新堂さんが?)
驚きすぎて硬直してしまった。
そんな瑞季の視線に気がつかない新堂は、スマホを耳に当て、誰かと話しているようだった。
「・・・え、あ、ホントですか。わー、ありがとうございます。さすが内田さんですね。・・・すみません、調子乗りました。・・・あ、はい。藤原さんにも後で連絡しておきます。え?いいって?面倒だからって言ってました?藤原さんが?・・・なんなんすか、人の謝意を拒むとかマジで。・・・あ、はい。じゃあ明日、代わりに自分が出勤でよろしくお願いします。」
通話が終わったらしく、スマホを眺め、後頭部を掻きながら、新堂は部屋を見回し始めた。
部屋を見回し始めた?
(え、ちょっ、ちょっと待って!部屋が、)
仕事から帰って寝るだけの部屋は殺風景であるだけでなく、カーテンレールには洗いざらしの洗濯物がかかったままだった。
焦って起き上がろうとして、瑞季が動くと安い折り畳みベッドがギシリと鳴った。
あっと思うよりも早く、振り返った新堂と目が合う。
「あ、起きました?今日仕事は?」
「仕事・・・、あ、」
慌てて時計を見ると、時計の針は午前六時を差そうとしている。
「今6時なら、まだギリギリ大丈夫です。7時の電車で行けば7時半のバスに間に合うので」
しかし急いで支度をしなければと半身をもたげると、途端に強い目眩が襲う。
瑞季はベッドに座ったまま、両手で目を覆ってしばらく動けなくなってしまった。
「下咲さん、急がなくて大丈夫ですよ。俺、送りますから。」
「・・・!」
思いがけず近くから声がして、慌てて顔を上げると、新堂が身を屈めて瑞季の顔を覗き込んでいた。
「うわ!・・・ちょっ、え?」
軽くパニックになった瑞季は慌てて身体を引いて壁にくっついた。
「ちょっと、そんなに近づかれたら困ります!俺、今起きたばっかりだし、」
片手で顔を隠してもう片方の手を伸ばし、新堂から距離を取った。
新堂は軽く笑って瑞季の頭にタオルを乗せる。そしてその笑みのまま、穏やかな声音で聞いた。
「まだ『俺』って言ってんですね」
「え?あ、」
瑞季は頭のタオルを取りながら、顔を赤らめ俯く。
「普段は、ちゃんと『私』って言います。・・・そうでないと、もっと好奇な目で見られるから、」
しかし新堂を前に、瑞季は素の自分を偽りきれなかったのだ。そんな甘えた気持ちに気がついて、見る見る瑞季の顔は紅潮していく。
「・・・」
「・・・。下咲さん、ちょっと台所、借りますね」
瑞季の羞恥は伝わったはずなのに、深く追求しようとはせず、新堂は「さてと」と掛け声と共に大股で台所へと向かった。
そして何やらビニール袋から色々取り出している。
瑞季は新堂から渡してもらったタオルを片手に、足早にユニットバスへと入っていった。
・・・
ユニットバスから聞こえてくる水音に耳を傾けないように自分を律しながら、昨日買っていたレトルトのお粥を湯煎する。
「・・・マジかよ、」
その間、込み上げてくる高揚感に表情筋が緩みっぱなしだった。
心同様じっとしていられず、身体を小刻みに揺らす。
瑞季の入院中、介助に専念していた新堂の脳はほぼ仕事モードに近かった。だが、今のこの浮き足立った感覚は、明らかに仕事のそれではない。
これは由々しき事態だ。
黙殺しきれないこの感情から、新堂は、もう目を反らせなくなっていた。
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