18話 逃げないことは強さではない
朝の浮わついた気分は一変していた。
車内には重苦しい空気が漂う。
「本当に、すみませんでした。」
瑞季が小さな声で何度も詫びた。
「いや、気にしないでください。他のでまたチャレンジすればいいだけですよ。」
「せっかく、新堂さんが用意してくれたご飯だったのに、」
朝食は、新堂が用意したレトルトのお粥とフルーツゼリーだった。
「・・・っ」
しかし、食べ物を受け付けなくなっていた瑞季は、本当はお粥の匂いさえも吐き気を覚えた。
だが、君島の時同様言い出せずに、瑞季は無理やりお粥を口にして、そしてそのまま吐いてしまった。
両手で必死に押さえたが、新堂は顔色一つ変えず、受け皿を用意すると、
「我慢せず、全部吐いてください。」
そっと瑞季の背中に手を添えた。
瑞季は堪えきれずに声をあげて泣いた。
新堂は、自身の服が吐瀉物で汚れることも厭わずに、瑞季をそっと抱き寄せた。
抱きしめた腕の中で、今日は休んではどうかと静かに諭しても、瑞季は首を横に振るばかりだった。
説得を諦めて、新堂はリュックに突っ込んでいた仕事用の若干汗臭いTシャツに着替え直し、瑞季を工場まで送るべく、近くのコインパーキングに停めていた自身の車を取りに行った。
・・・
重苦しい空気を乗せ、車を小一時間ほど走らせた。
到着した瑞季の勤める工場は、比較的小規模な町工場だった。それでもほどほどに車が停めてある社員用の駐車場の隅に、ハザードランプを点けて停車させた。
「送ってくださり、ありがとうございました。」
「帰りも、ここで待っててくださいね。」
「はい。ありがとうございます。」
お礼を言って頭を下げ、瑞季は車を降りる。
新堂も車から降り、瑞季が工場へと向かう小道の角を曲がるまで見送った。
その間、瑞季は何度も振り返り、頭を下げた。その度に新堂は手を振ったが、同時に胸の痛みも感じていた。
瑞季が向かう先は、瑞季にとって生き地獄でしかないのだろう。だから結果今、瑞季は食事ができなくなっている。
できることなら自分も瑞季と工場へ向かい、現状把握に努めたかった。だがそんなことはできるはずもなく、新堂は嘆息して車に乗り込んだ。
「・・・ん?」
車を駐車場から出すときに、不意に何者かの視線を感じて振り返った。
新堂の視線の先で、見たことのない髪の長い女が新堂の車をじっと見据えている。
そして目が合った瞬間、女はうっすら微笑み、何かを呟いた。
読唇術が出来るわけではないが、その真っ赤な唇が何と言ったのか、新堂は何故か理解した。
『気持ち悪い』
あの女性の唇は、新堂に向けて確かにそう言ったのだ。
「マジか、」
新堂は、急いで目を反らした。
突如去来したのは嫌悪感に近い胸騒ぎ。
(・・・まさか、)
刹那新堂の脳裏に、「カタセ」の名が浮かぶ。
新堂が以前病院の前で見たあのスーツの男、「カタセ」が通話していた相手は、あの女だったのではないか。
その疑念が脳内に一気に広がって、眉根が寄った。
「・・・胸くそ悪ぃ」
新堂は忌々しそうに舌を打ち、あえてゆっくりとハンドルを切った。
・・・
一旦自宅へ帰り、途中コンビニで買った弁当を食べながら洗濯を済ませた。
一息つこうとリビングのソファーに横になってスマホを構えた瞬間、急激な睡魔に襲われ意識を失った。
「やべぇ!」
ハッと起きたときには、すでに辺りはとっぷり暮れていた。慌てて時計を見遣ると午後6時を回っている。
「嘘だろ!」
慌てて立ち上がり、洗面台で歯を磨いて顔を洗うと、髪も整えずすぐさま家を飛び出した。
瑞季が仕事を終えるのが午後6時。
どう頑張っても一時間近くは待たせることになる。
新堂は急いでスマホを取り出した。
「くそ!連絡先聞いてねぇ!」
役に立たないスマホを助手席に放り投げ、少し強めにアクセルを踏んだ。
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