10話 笑顔のために


 

 ゴミ箱に捨てるよりは、と、谷口医師に高めのコンビニスイーツを押し付けて帰る途中、新堂は病院出口側の見舞い受付付近で足を止めた。

 視界の端に見たことのある男性が掠り、意図せず視線を投げていた。


 スーツ姿のその男性は、スマホを片手に誰かと話をしている。聞くでもなく聞こえてきた声に、新堂は息を飲んだ。


「・・・そう、そうそう、君が自殺未遂じゃないか何て言うから、慌てて来てみたけど、・・・ああ、思ったより元気そうだったよ。・・・そうだな、良かったよ。俺のせいで自殺とか、さすがにヤバいから、」


 一瞬、血の気が引き、刹那一気に血が沸いた。顔が強ばり、新堂の目に怒りが差す。そのまま歩み寄りかけた時、ポケットの中のスマホが震えた。

 仕事か?と頭を過り、急いでポケットをまさぐり、スマホを取り出す。


「・・・ち、」


 しかし煌々と浮かんだその名に、小さく舌打ちした。通話状態にしながら、少しその場を離れた。


「もしもし、」

『おー、新堂、差し入れありがとなー。見たことのない可愛らしい《スウィーツ》じゃねえか。なんだお前、俺に惚れてるのか?』

「・・・そうですそうです」


 面倒くさい奴に押し付けたなと思ったが、適当に相槌を打ちながら、先程のスーツの男を目で追うべく辺りを見回す。


 だが既に男の姿はどこにもなかった。 


 もう一度瑞季の元を訪れようかとも思ったが、数日会ってないのに手ぶらで見舞うことは少し躊躇われた。


 何よりも、楽しそうに見えた瑞季をわざわざ落胆させに行くのも忍びない。 


「・・・そうだよな、」


 新堂は高くそびえる病院の、一角の窓を見上げた。


「次の時でいっか。」


 そしてそのまま帰路についた。



 次の日、隣の区のとある雑居ビルで大規模火災が起こり、新堂たちの消防署にも応援要請が入った。

 内田と共に現場に向かい、ピストン輸送で何度も病院と現場を往復した。


 半ば記憶が曖昧になるほどの多忙さで、半日残業を余儀なくされ、新堂は無意識のうちに自宅に帰ってしまっていた。


「・・・あー、しまった、」


 今日は病院へ行くつもりだったが、疲労が限界水域まで達している。ベッドに倒れ込んだまま起き上がれず、風呂も入らずご飯も食べずにうっかりそのまま眠ってしまった。


 その次の日は前日の残務処理に追われた。おびただしい数の搬送記録をまとめる事務仕事が待っていた。


「内田さんいい加減パソコン使いこなしてくれよなぁ、」


 パソコンに向かいすぎて目が霞む。目頭を押さえながら消防署を出かけて、何者かに肩を捕まれた。

 消防士で同期の国定だった。


「おい新堂、ちょっと顔貸せや。どうせ暇だろ?」

「暇だけどお前に付き合う時間はないかな」

「これから合コンなんだけどさ、長谷川さんが彼女にバレて来れなくなったんだよ。頼むよ、人数合わせで来てくれよ。俺ら消防士の中にお前みたいな救急がいると俺らが引き立つから、」

「お前は素直なのか馬鹿なのか?ああ両方か。そんな理由で会費払うお人好しに見られてんのかと思うとショックだわ」


 だが腕力の差で強引に合コンに参加させられた。


 

「そんなわけで、なかなか会いに来られなくてすみません。」


 奮発して買ったケーキ屋のケーキを手土産に、実に二週間ぶりに病室を訪れた新堂を待っていたのは、瑞季の心底嬉しそうな笑顔だった。


「そんな。来てくれてありがとうございます。お仕事お疲れ様です」

「これ、お詫びといっては何ですが、」

「え、あ、ありがとうございます。そんな、お詫びだなんて、」

「いえいえ。色んな意味のお詫びですから」


 何の事かときょとんとする瑞季を見て、新堂は申し訳なさそうに笑った。すると瑞季も笑う。


(この人をもう、泣かせるわけにはいかない。)


 新堂は、脳裏にちらついたあのスーツの男の存在を、強く意識して黙殺した。


 


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