9話 君の記憶
三日前。
朝目覚めると、ベッドサイドの小さなクローゼットの上に置いていたスマホがチカチカと緑色に光っていた。
心臓外科病棟の四人部屋の一角。
主治医の宮前に病室ではスマホの電源を落とすように言われていただけに、瑞季は慌ててスマホを握りしめ、そっと病室を抜け出した。
早朝の薄明かりしかない休憩室の、大きな窓の側に座り、スマホの電源に触れる。すると、すぐさま煌々とした青白い光が放たれた。
やはり、電源が入っている。
「LINE・・・?」
ホーム画面に映し出されたLINEの通知。誰かにLINEを送った意識がない瑞季は、恐る恐る通知を開いた。
「・・・そんな、」
途端に絶句した。
受信した相手の名前は、「片瀬悠真」
『連絡ありがとう。近いうちに見舞いに行きます』
見舞い?入院していることなど、自分は送ってはない。そう言い切れる。
だが、
『こんばんは。お久しぶりです。少し病気して入院してて、連絡できなくて、ごめんなさい。』
確かにこのスマホから、片瀬へと送信履歴が残っていた。
時間は、昨日の23時49分。
病棟の消灯時間は21時。
送信した時間は、自分が寝ていた時間だと改めて知った。
「・・・え、もしかして、瑞季さん、が?」
自分には知り得ない通信記録。
だとすると、送信したのは「瑞季」以外考えられない。
途端に瑞季の胸に去来したのは、とても深い安堵感だった。
「・・・よかった!まだいるんだ、瑞季さんっ」
瑞季はスマホを握りしめ、固く目を閉じた。目の奥が痛くて涙が溢れる。
嬉しくて、瑞季は小さな嗚咽を漏らした。
・・・
片瀬が瑞季を訪ねてきたのは、LINEを送信した二日後のことだった。
ベッドに腰掛け、窓の外、病院の入り口の人の往来を見ていた瑞季は、不意にカーテンを開けられて、慌てて振り返った。
瑞季の見覚えのない、だが「瑞季」の脳が覚えている男。スーツ姿のその男は、とても穏やかな笑みを称えていた。
「久しぶり。なかなか連絡できなくてごめんな。仕事が忙しくてさ。」
「・・・いえ。」
一言答えるだけで精一杯だった。
心臓が、飛び出すのではないかと思うほどの拍動を刻み、体を巡る血が沸いている。一気に顔が火照って異常に熱い。
「元気だった?、て聞くのも変か。病気って聞いたけど、どこが悪いんだ?」
「・・・あ、えっと、・・・心臓、です」
「そう。なんだか、今日の瑞季は大人しいね。具合がまだ悪いんじゃないのか?」
「あ、はい。すみません。」
片瀬は一瞬訝しそうに眉根を寄せたが、再び笑みを浮かべると、なんの躊躇いもなく瑞季の頭に手を伸ばした。
「・・・!」
驚き、瑞季は身を引いた。
身体と脳は、片瀬のその手を喜んでいるのに、意識が、一抹の不安に怯えていた。
「・・・まだ、具合が悪そうだから、また来るよ。今度は比菜子も連れてこようか?」
「ヒナコ」の名に、刹那脳が不穏なシグナルを出し、血の気が引いた。
(ヒナコ?・・・あ、山岸比菜子、)
刺々しい想いが身体を一気に駆け抜ける。瑞季はこの感情の名前を知らなかったが、不快な気持ちだけははっきりとわかった。
(俺も、瑞季さんも、「比菜子」さんに、会いたくないんだ。)
だが、そんな瑞季の心の機微に触れる気のない片瀬は、優しそうな微笑みを残し、また来るよと、病室を後にした。
(俺はもう、・・・会いたくない。)
見送ることもなく瑞季は立ち上がり、窓に近づき外を見た。
「・・・」
病院入り口の、人の往来は相変わらず忙しない。
だが、今日も新堂は来てくれなかった。
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