十

 助手席に座りながら、私は窓の外の夜景を眺めている。今日一日中、歩き回り、喋り倒したからだろうか。とても疲れていた。

 車は海際の道路を滑らかに進んでいっている。隣からはアキラ君がハンドルを動かしたりウィンカーをつけたりする気配が伝わってくる。耳には忙しく動く冷房と、これまで聞いたことのない男性パーソナリティが笑いながら話すラジオの声が聞こえていた。

 ただただ気だるかったにもかかわらず、全然眠れそうにない。窓の外ではガードレール越しに海が流れていく。

 今日はいったいなんだったんだろう。胸にぼんやりと去来した思いは、海にやってきたという今日そのものに対して向けられた。

 たぶん、私は期待していたのだろう。昨日以上の今日というものを。すなわち、美しい顔をぴくりともさせず、今現在ハンドルを握っている彼氏と時間を共有するだけでなく、もっとはっきりとかまって欲しかったのだと。

 元々、付き合って欲しいと望んだのは私の方だったし、受けいれたアキラ君がどうでも良さそうだったのも承知の上だった。その時さそれで充分だった。とはいえ、欲望というものは日に日に膨らんでいくもので、次第に一緒にいるだけでは満足できなくなってしまっていた自分に気が付いた。

 かまってほしいなんてガキだなぁ、という自省はありつつも、気持ちは抑えがたく、あの手この手でアキラ君の関心を引こうとした。けど、何を話しかけても彼はどこか無関心で、いつまでも私を見てはくれないようだったし、会話一つとってもウマが合わない。そのことが徐々に徐々に辛くなっていった。

 辛いのだったら、離れてしまえばいい。アキラ君はあっさりと別れを受けいれてくれるだろうし。そんな妄想が頭を掠めることはあったけど、最終的には自らの頭の中で握り潰した。自分から手を離す気にはなれなかった。

 そんな風にぐちゃぐちゃになった気持ちを抱えながら、海へとやってきた。そして、今日もまたアキラ君はいつも通り変わらなかった。私は私で辛くはあったけど、その変わらなさに美しさを見出してもいた。

「ねぇ」

 窓の外に顔を向けたまま話しかける。アキラ君の表情を直接見る勇気は湧かなかったけど、薄っすらと窓に横顔が写りこんでいた。

「なんだよ」

 温度のない声音に、思わず口の端が弛む。あまりにも想像通り過ぎたから。

「アキラ君は、私といて幸せ」

 あまり考えずに投げかけてから、すぐに後悔する。なんで、今、この時に聞いてしまったのかよくわからなくなった。ただ、アキラ君の口が開かれるまでの間に、心の端っこには小さな期待があった。

「可もなく不可もなくといったところかな」

 その期待は、淡々とした答えによってすぐさま打ち消される。想像していたよりも冷たい答えである一方、やっぱりな、という諦めもあった。渇いた笑いをこぼす。

「そっかぁ。だったら、もっと幸せになれるようにしないとね」

 気持ちを奮い立たせようと言葉を重ねる。けれど、言葉の並びに気持ちが籠もっていないのは口にした私が一番知っていたし、自分の耳に返ってきた響きもどことなく空虚だった。

「別にこのままでいいんじゃないのか」

 一方、特に調子を変えないまま放たれたアキラ君の言の葉は、不思議と優しく耳の奥に沁みこんでくる。

「無理してもいいことなんかないだろうしほどほどでいいだろう」

 それは慰めだったのか、あるいは思ったことを口にしただけだったのか。とにもかくにも、私の中には怒りと安堵が同時に込みあげてきた。あるいは、迷いといった方がいいのか。今のままがいいと今のままでは嫌だ。どちらに寄っていいのか私もわからずにいる。

 アキラ君の横顔を見た。もう既に話は終わったと判断したのか、視線は前方にある。彼氏の意識の中には、やっぱり私はいないように見えた。どこまで行っても他人は他人。そう言われているみたいで、とてつもなく寂しかった。一方で、アキラ君が私とは無関係にただアキラ君そのものであるというのは、どこまでも美しく、素晴らしいことのようにも思えた。私はその美しいものに触れようと手を伸ばす。少なくとも今この瞬間だけは、アキラ君を独り占めできていて、だったら、それを私だけのものとして愛でるのも許されるはず。そう思い、微動だにしないアキラ君の頬を撫でた。横から差してくる月明かりがなぜだか目に強く沁みた。

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