九

 辺りはすっかり暗くなっている。俺はスマホのライトで足元を照らしながら、先行する萌の後を追っていた。

 人も大分まばらになった砂浜の上を迷いのない足取りでぐいぐいと進んでいく白いワンピースを着た少女の後ろ姿を見て、つい先程萌が口にした言葉を思い出す。

 最後に行きたいところがあるんだよね。

 正直なところに一日中、海に入ったり歩いたり遊んだりしていたので、さっさと帰って、シャワーを浴びて寝てしまいたかったが、強くねだられたので、どうにも断わり辛く、結果として今にいたっている。

 どこに行きたいんだ。てっとり早く済ましたくて尋ねたが、萌は、それは行ってみてのお楽しみ、とだけ答えて、一向に口を割ろうとしなかった。

「見て見て、あれってもしかして幽霊船じゃない」

 背中を見せたまま海を指差す萌。そちらに視線を向ければ、海上に動く灯りが見えた。

「ただの船だろ」

「もう。彰君は浪漫がないな」

 振り向く萌は薄暗がりのせいか表情が見え難い。その顔を照らすように海岸上に光が現れる。見れば花火を振り回す大学生の集団がはしゃいでいた。この海水浴場って花火やっていいんだっけ。素朴な疑問が頭に浮かんだものの、気付かないふりをし、色とりどりの光をちらちら見る。

「いいよね、花火。私たちも持ってくれば良かったかな」

 相変わらず先行する彼女の顔は窺いにくかったものの、おそらく羨ましげに花火をしている連中を見ているのではないのか、と察せられた。

「遠くから見てるくらいでちょうどいいんじゃないか」

「いやいや、自分の手に持って振り回したり駆け回ったりする方が面白いに決まってるじゃん」

 確信に満ち溢れた声。その疑いのなさに小さな苛立ちをおぼえるものの、胸の中で噛み殺す。

「俺は座って線香花火をやるくらいがちょうどいいな」

 あれくらい地味なのがうるさくなくていい。そんな言葉を心の中で付け加えた。

「たしかに線香花火はいいね。すごく、夏っぽいし」

 萌は俺の意見を肯定しつつも、その口調はどことなく歯切れが悪く案の定、けど、と言い足す。

「それだけじゃ、寂しいよ。やっぱり、鼠花火を投げて、普通の花火を振り回して、滝みたいな花火とか小さな打ち上げ花火とかをやって。そうやって散々に楽しんでから、〆みたいな感じで、最後に線香花火を取りだして、どっちが長く火を落とさないでいられるのか競争するの」

 やや食い気味になされた提案は、ありがちではあったものの、定番に近い順番に思えた。面白みはないものの、徹底的に遊び尽くすという感じで、いかにも萌が好みそうである。とはいえ、それは俺の好みではない。

「俺はもう少し大人しめの方がいいよ」

 うるさ過ぎるのは好きじゃない。そう心の中で付け加えた言葉は、余計な波風が立ちそうだったので封じこめる。

「もう、つまらないなぁ」

 一方の萌の方は少しも遠慮せずに言葉に本音らしきものを乗せてきた。少々腹はたったものの、やはり強く言い返す気もなく、そうかもな、と曖昧に応じる。

「彰君は、もっと面白く生きて欲しいな」

 いつの間にか後ろ歩きをはじめている萌は、不満そうに肩を竦めた。俺とお前にとっての面白いは違うんだろう。それ以前に、俺自身が面白みを求めて生きているわけでもない。ただただ、なんとなく生きてきて、今ここにこうしている。そんな実感が強い。

 物心がついてから落ちぶれすぎない程度に勉強して、友だちを作ったり作らなかったりして、ぼんやりと生きているうちに初彼女ができて、ずるずるとここまで来ている。その間に強い思いを抱いたことはあっただろうか。

「どうしたの、彰君。なんか難しい顔してるけど」

「いや、なんでも」

 実際、なんでもないと思った。


 たどり着いたのは夜の灯台だった。周りに人影はない。

 俺と萌は灯台脇にある木の手摺りまでやってきて、どちらともなく寄りかかった。そうしながら見下ろせば、黒々とした波が崖下の巨岩に向けて何度も何度も打ち寄せて来ている。そんなところをじっと眺めていると、なんだか吸い込まれてしまいそうで、少しだけ怖くなった。

「どうかな」

 萌は主語がぼんやりとした言葉を口にしたので、なにが、と尋ね返す。

「夜の灯台と海。綺麗じゃない」

 どことなく誇らしげな彼女の声音は、それでいていつものうるささみたいなものがない。

「ああ、そうだな」

 頷く。実際、その通りだと思ったからだ。

「そうでしょ」

 嬉しそうに言う萌は、やはり常より静かな気がした。毒気を抜かれるとともに、普段からこれくらいでいててくれればいいのに、とも思う。隣から息を吐きだす気配がした。顔を上げれば、萌は手摺りに肘を置き、やや前のめり気味に頬杖をついていた。

「今日、楽しかったね」

 ぼんやりとした声は、話しかけられているようにも、独り言のようにも聞こえた。

「まあな」

 まあまあかな。そんな気持ちでもあったけど、俺としては曖昧に頷いてみせる。萌は、だよねだよね、と薄く笑った。横顔にはさすがに疲れが見える。

「また、来ようね」

 今度ははっきりと同意を求めてきていると伝わってきた。一瞬、どう答えるか迷ったものの結局、気が向いたらな、という回答でお茶を濁す。途端に、萌はおかしげな声をあげた。

「彰君らしいや」

 俺らしいってなんだよ。そんな馬鹿みたいな難癖が心の中に浮かんだりしたものの、言われてみればこんな答え方ばかりしている気がしたので、そうかもしれない、と思い直す。

 萌のとても満足げな横顔を見ながら、また来ようね、という言葉を、俺は頭の中で響かせた。正直なところ、夏場に海に行くというのはそれほど気がすすまない、というのは変わりない。ただ、終わり良ければ全て良し、という言葉がある通り、この夜景を見られるのであれば、まあおおむね、来て良かった、というのは言い過ぎにしろ、悪くない、程度の気持ちはある。逆に言えば、細かいところで気が合わない萌と過ごす日としてはこれ以上はないのかもしれなかった。

「あれ、見て」

 萌が海の方を指差す。示された方に視線をやれば、闇の中にぼんやりと灯る光。

「あれさっきの船じゃないかな」

 砂浜で見たやつか。すぐに思い当たったものの、遠目であったため、同じ船であるかどうかは自信がないし、そもそもよくおぼえてない。

「うん、きっとそうだよ」

 そんな俺とは違い、萌には強い確信があるらしく自然と声が張りあがっていく。なぜ、そこまで興奮できるのか、よくわからなかったものの、いつものことであるので、もはや慣れてもいた。案の定、いつもより静かめではあるものの、いやぁいいもの見れたなぁ、とか、どこまで行くのかなぁ、と一人で盛り上がっている。

 彼女にやや呆れつつも、その間抜け面を眺めようと隣を見た。直後、視界に入った萌の体が頬杖にしていた両肘を視点にして前のめりに滑り落ちていく。萌はなにが起こっているのかわからないらしく呆けた顔をしたまま、崖下への重力にしたがって落ちていこうとしていた。

 とっさに手を伸ばし、

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