八
夕方ともなれば自然と浜の人口密度も減り、自然と家路につく人たちの後ろ姿が多く眺められた。
私は父親の背中で眠る男の子だったり、バーベキューコンロやサーフボードなどを手にして楽しげに騒ぐ大学生らしい集団や、手を繋いでいる初々しい彼氏彼女なんかが引き上げて行くのを見送ったあと、隣にいるアキラ君を見る。
私の彼氏はただただまっすぐ、ぼんやりとした視線を海の方に投げていた。その眼差しの先には、濃いオレンジ色に染まった水面が静かに揺れている。遠くには、太陽と海と同じように染まった雲、そしてその下を行く大型船の姿があった。更に手前に視線を移してみれば、まだまだばしゃばしゃしている子供たちと保護者達だったり、サメかシャチを象った浮き輪の上に乗ってはしゃいでいる人たちもいたけど、昼頃にあった活気は既に薄れている。
カモメだかウミネコだかあるいは名前の知らない鳥なのか。遠くの空に飛ぶそれらを眺めながら、カラスが鳴いたら帰りましょう、なんていう歌が頭の中で聞こえてきた気がした。
「遊んだねぇ」
なんとなく感慨にふけりながらそう口にする。
「そうだな」
まともな答え自体、あまり期待していなかったはずなのに、返ってきたら返ってきたで、少しだけ心が躍った。
「やっぱり海っていいね。なんか色々と忘れてずっと遊んでいられる気がして。私は大好き」
思ったことを口にする。いや、そういうことにしておきたかったのかもしれない。
「俺はそんなに好きじゃないな」
隣から聞こえる気のない声音は、私の気持ちとは真逆のものだった。同意されるとは考えていなかったけど、少し寂しくなる。
「どういうところが好きじゃないのかな」
それでも歩み寄ろうと思った。ほんの少しでも多く、アキラ君のことを知りたくて隣を見る。整った顔の中にあるくぼみなんかが、夕日の下で影を作りだしていて、いつか美術館でデートした時に見た白黒だけで描かれた顔のデッサンみたいだった。アキラ君はぴくりとも表情を動かさないまま、しばらく黙りこむ。いつの間にか、アキラ君とアキラ君の顔をした彫像が入れ替わったのかもしれない、なんていうありもしない妄想に頭を浸す。
「なんとなくだな」
待った末に帰ってきた答えは、曖昧な答えだった。こころなしか声にも熱がなく、時間をかけた割にはあまり悩まずに口にされたように聞こえる。
「なんとなくって言っても、なにかあるでしょ」
そうやって質問を重ねると、アキラ君は詰まらなさそうな顔をしたまま鈍く口を開いた。
「なんとなくはなんとなくだ。それ以外のなんでもない」
これ以上、答える気はないらしい。あんまりだという気持ちに駆られ、もう少し追求しようとも考えたけど、アキラ君の無表情を見ていると、これ以上中身のある答えは返ってこないように思えた。
「そっか」
自分を無理やり納得させるようにして微笑む。その、なんとなく、に今日一日がより色褪せたものにされてしまったような、そんな感覚に陥った。アキラ君はまたしばらく口を噤んでいたけど、再び鈍く口を開く。
「うん、やっぱり俺、そんなに海って好きじゃないな」
その言葉を耳にしてとても気分が悪くなった。アキラ君との間で何かを共有できると期待していたというわけでもないのに、思わず膝の力が抜けそうになる。当の私の彼氏はといえば、言うべきことはすべて口にしたとでもいうような顔のまま、つまらなさそうに海を見つめていた。もしかしたら、顔を海の方に向けているだけで、実のところ別のものを眺めているのかもしれない。そんな想像をしたあと、どうでもいい、と思い直す。どっちにしても、私と別のものを見えているのには変わりがないのだから。
私はじぃっとアキラ君の横顔を見つめ続ける。そのどこまで言っても思い通りにならない美しい顔。恍惚と不安。どこかの本で読んだ言葉が浮かぶ。当時も今も意味はわからないままだったけど、なんとなくそんな気分だった。
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