七
一端、海から引き上げた俺たちは、浜から少し離れた場所にある観光街にやってきた。正直、へとへとになりかけていたので、もう帰ってもいいんじゃないのか、なんて思っていたりもしたのだが、萌はどこから湧いてくるのかわからない底なしの体力を俺に見せつけながら、半ば引っ張るようにして土産屋へと誘った。
さほど広くないにもかかわらずそれなりに賑わう店内では、地元の名産品とおぼしき酒やエイ鰭などの乾燥させた魚介類、とりあえずこの海の近くの地名が付いた煎餅やクッキー、土産屋にはありがちなキーホルダーやタオルなんかが目に留まる。
「彰君。これなんてどう」
萌は貝殻のキーホルダーを俺に見せ付けてきた。例のごとく無邪気な笑顔に、いつでも笑ってんな、と思う。
「いいんじゃないか」
「もう。もっと、具体的な感想を聞いてるんだってば」
頬を膨らます萌に、これ以上何を言えばいいのか、とわずらわしくなった。
「嫌いではないな」
「だから、もっと具体的にだよ」
再び念押ししようとした萌は、程なくして我に帰ったようにはっと目を見開いた。
「でも、よくよく考えてみると彰君にたくさんの言葉とか求めた私の方が悪かった気がする。ごめんね、無理言っちゃって」
萌の決めつけるような物言いに、悪かったな、と考えつつも、ぼんやりとキーホルダーを見る。全国どこにでもありそうな赤いリボンをつけた白い猫のマスコットや薄茶色のクマのマスコット、先程萌が見せてきた貝をはじめとした海産物や野菜の模型、やたらと金銀ぎらぎらとした剣や銃。キーホルダー郡は取りたてて珍しさを誘うこともなく、あまり興味を惹かれない。
「ねぇねぇ、これとかどう」
萌は今度はクラゲとおぼしきものがついたキーホルダーを見せ付けてくる。正直なところさっき見せられた貝のキーホルダーとさほど印象は変わらず、興味も薄いゆえに、いいんじゃないか、と応じた。隣から不満そうな唸り声が耳に入ってきたが、聞こえてないふりをしてなんとはなしに土産の物色をしようと、キーホルダーのかかっているところから離れる。
「待ってよ」
俺を放っておいてくれない彼女に、もう少し落ち着いて欲しいと感じながら、左右をきょろきょろと見回した。
ふと小さな本棚を見つけ足を止める。刺さっている本は、この辺りの郷土史を除けば、都市伝説をまとめたムック本、トラベルミステリー、ベストセラー作家の書いた恋愛小説、などといった駅の売店に並んでそうなラインナップだった。
「なんか、いい本はあった」
すぐさま飛びこんでくる楽天的に聞こえる声音に、いや特には、と応じつつ、都市伝説本を拾いあげ、パラパラとめくる。斜め読みしているせいかもしれなかったが、どれもこれも読んだことがあり、たいして面白くもない。
「そっか。いい本、あったら教えてね」
真横から顔を出してくる萌に、気が向いたらな、と曖昧に返す。その際、ぼんやりと学内の図書館で本を読んでいる時、萌が話しかけてきたのを思い出す。
その本、面白い。
今とさして変わらない無邪気な問いかけに、俺はなんと返したか。たしか、普通、とか言った気がする。普段の休み時間は大抵寝ている俺にとって、図書館で小説を読んでいること自体が珍しく、そこに女子が話しかけてくるとなると珍しいどこころの話ではなかった。そんな貴重な体験を終えたあと、話が締めくくられたと解釈して、再びページをめくりはじめた。直後に、とすん、という音がしたかと思うと、ほのかな熱が空気越しに伝わってくる。視線をあげれば、頬杖をついた萌が笑顔で俺の方を見ていた。
まだ、何か用か。そんな風に尋ね返したおぼえがある。すると萌は、首を横に振ってから、私がここにいたいから、とはっきり主張した。俺はなんて答えたんだっけ。たしか、勝手にすればいい、とかだった気がする。
それからというものともにいることが増えた。実質は、俺がいるところにたびたび萌がやってくるようになったということだったが。そんな時間が、たぶん嫌いではなかったんだろう。だから。
「ねぇねぇ、これなんかどう」
萌が目の前に差し出してきたのは、水色のクラゲの柄がプリントされたハンカチだった。
「お前、クラゲ好きなのか」
「うん、そうだよ。彰君、知らなかったんだ」
自らの感性を信じて疑わず、目を輝かせる彼女。いつでも元気だな、と少々げんなりしつつも、萌らしいとも思う。
「知らなかったよ。知らないことだらけだ」
「そっか。まあ、これで彰君は私のことを少し詳しくなったってことで。いやぁ、嬉しいなぁ」
目を細める萌はハンカチの両端を持ってピンと伸ばして、より高く掲げた。俺も釣られるようにしてぼんやりと見上げれば、水玉模様から映えた四本ほどの湯気みたい柄の触手がどことなく不気味に感じられる。まったくもって、この彼女とは気が合わない。
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