五

 散々遊びへとへとになった頃には、日が随分と高くなっていた。

「お昼にしようか」 

 お腹を押さえた萌に頷いてみせてから、近くにあった二階建ての海の家へと足を運ぶ。

 中に入るとお昼時なのもあってか、それなりに人が並んでいた。店内を見回せばいくつか分かれた座敷席の半分ほどが埋まっている。中で食べられるかわからないな、と思いながら、列の最後尾に着いた。

「彰君、なに食べようか」

 無邪気に尋ねてくる萌に、そうだな、と応じつつ、注文口の上にある、メニューの載った大きな看板に視線をやる。カレーライス、ラーメン、焼きそば、冷やし中華、たこ焼き、焼きトウモロコシ、カキ氷、ソフトクリーム、といったありきたりな並びにはさして心が躍らない。

「こういうメニューって見ただけでテンションあがるな」

 まるで狙ったように萌は俺の思ったことと反対の意味合いの言葉を口にした。

「お祭りとかもそうだけど、こういうメニュー見ると、海に来たなぁってあらためて実感するよね」

 俺の気持ちが自分の気持ちと同じだと確信しているような萌の顔に、心の端っこから不快感がひしひしと競りあがってくる。とはいえ、わざわざ喜んでいる彼女の気分を害するのもどうかと思い、そうかもしれない、と曖昧な答えを返した。俺の返答を同意と受け取ったらしい萌は、うんうん、と頷きながらとびきりの笑顔になる。

「私、ラーメンにしようかな。海に来ると無性にラーメン食べたくなるよね」

 同意を求めてきた萌に、そうかもな、とまたもや曖昧な返事で応じながら、こんなクソ暑いのに、この上更に湯気が出てきそうなものを食べるのかと呆れた。

 無駄話をするうちに俺たちが注文する番がやってくる。

「ご注文は」

「ラーメンと」

「冷やし中華を」

 とてつもなく好きというわけではなかったが、体が冷えそうなものを注文することにした。支払いを済ませ、店員の中年女性から番号が書かれた小さな立て札を受けとると、店内の座敷の中から空いてそうな場所を探しはじめる。幸い注文口のすぐ近くの座敷が空いていたのを見つけて、そこに上がって腰を下ろした。

「彰君、冷やし中華好きなんだ」

「まあ」

 普通だけど。心の中でそう思ったものの、わざわざ訂正する気も起きず、柱と柱の間にある窓代わりの空洞から吹いてくる温い浜風を浴び、持ってきたばかりのお冷やを口に含む。

「私はけっこう苦手なんだよね、冷やし中華」

 萌は歯に衣着せずにそう言ってみせた。

「なんか酸っぱいし、ラーメンみたいに特別においしいわけじゃないから」

 付け加えられた個人的な感想に、そうなのか、と応じながら、わざわざ今言うことか、と苦々しく思う。付き合いはじめた頃から承知していたが、萌には以前からこういうところがあった。

「今、暑いしちょうどいいと思ったんだ。あと、冷やし中華も夏って感じがするし」

 実際、俺の家では夏になれば二三回はお目にかかる料理であったし、作ってくれる母ちゃんは割と好んで食べている。だから、俺自身は特別に好きというほどではなくても、夏と言ったら思い浮かぶくらいには馴染みがあった。

「ないない。実際、ウチでも一回試したけど、それきり家族はみんな食べたいなんて言わないし」

 俺の中の夏の感じを彼女はまっすぐに否定する。あっけらかんとした表情からすればいつも通り悪気はなさそうだった。そうとはわかっていても、いい気はしない。

「その、お前の家族が食べたくないものを俺はこれから食べるんだけどな」

 ついつい今のそう漏らしたところで、萌はようやく自分が何を言っているのか思い当たったらしく、手を合わせて頭を下げた。

「ごめんごめん。ついつい調子に乗っちゃって」

「まあ、いいけどさ」

 次からは気を付けてくれよ。そんな風な言葉はくどいと思って飲みこんだ。一応、相応の交通費を払って海に来ているのだ。あまり引きずりすぎて、お互いに機嫌を悪くする必要もない。

 萌は少しの間、気まずそうに瞬きをしていたけど、手前に置いてあったお冷やをぐいっとやったら元気になったらしく、思い切り微笑む。

「午後は何しようか」

「そうだな」

 海に行く、ということだけは決まっていたが、何をするかまでは細かくは詰めていなかった。そこら辺は乗り気だった萌に比べて俺の方が消極的だったのもあり、少しだけ責任を感じてなくもない。

「実はもう私が決めています」

 そんなあるかないかの責任感は、白いワンピースの水着姿の彼女のしたり顔を見た瞬間、消え去る。今度はいったいなにを言い出すのか。ややうんざりしているところで、お待たせしました、という声が横から割りこんでくる。

「ラーメンと冷やし中華です」

 二つの料理が乗ったお盆を持った大学生くらいとおぼしき色黒の男性店員が、俺らの座る座敷の横まで来ていた。

「はいはい、私がラーメンです」

 楽しげに手を上げる萌に、男性店員は、おっ元気がいいですね、と目を細めお盆から片手でラーメンを机の上に置こうとする。その間際、むわっとした熱気が顔を撫でて、思わず柱と柱の間の空洞に目を逸らした。やっぱり、こんな日に熱いものを食うやつの気が知れない。

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