二十三 目覚め

 聞き覚えのある声が聞こえて来た。その声はとても大切な人の声だったような気がする。門大は、急激に覚醒して行き始めた意識の中でその声の主の顔を思い出そうとする。




「こんな事をして、わたくしは絶対に許しませんわ」




 再び聞こえて来た声を聞いた瞬間、クラちゃんの声だ。と思い、門大は目を開けた。目の前には何もなく、はるか遠くに暗灰色の雲に覆われた空が見える。その空を見ながら、門大は、自分の体が、自分の物ではないような、おかしな感覚を覚えた。




「クラちゃん? どこにいる? どうした? 何があった?」




 横になっていた体を起こしつつ声を上げる。言っている途中で自分の声が変わっている事に気が付いた。自分の声でもクラリスタの声でもない、聞いた事のない声だった。




「門大。目が覚めましたのね。門大。ごめんなさい。わたくしの所為で変わってしまって」




 クラリスタの言葉を聞いて、ああ、そうか。と納得する。さっきのあのおかしな感覚は、自分が、人ではなくなったからか。自分は、今、神龍人と呼ばれる者になってるんだ。と門大は思った。




「クラちゃん。大丈夫だ。これは俺が望んだ事だから。クラちゃんは何も悪くない」




 言いながら、顔を巡らせてクラリスタの姿を探すと、クラリスタが駆け寄って来る姿が見えた。




「門大。本当にごめんなさい」




 クラリスタが、門大の眼前まで来て足を止め、そう言って目から涙をぼろぼろとこぼす。




「クラちゃん。泣かないでくれ」




 門大は立ち上がり、クラリスタに向かって右手を伸ばす。視界に自分の右手が入ると、その黄金色の、ガントレット、それは、紛れもなくガントレットに見えるが、門大の感覚では、ガントレットなどではなく、自分の右手その物だった、で、クラリスタを触っていいのかどうか迷ってしまい、門大は右手を動かすのをやめた。




「わたくしの所為ですわ」




 涙を拭いたクラリスタが、手の甲や、手首や指の関節部分で細かく分かれている、先の尖ったいくつもの、形状も大きさも様々な金属の板が、精緻を極めた細工のように重なり合う事で形作っている、ガントレット、門大の右手を、両手で包むようにして優しくそっと握る。




「クラちゃん」




 門大は自分が異形となった事を意識し、動きを止めた右手、ガントレットを、なんの躊躇もなく、さらに泣くも事もせずに、優しく包むように握ってくれたクラリスタの顔をじっと見つめた。




「何度見ても美しい姿カミン。その黄金色の板金鎧は、どんな技術をもってしても人には作り出せない造形をしてるカミンよ。でもでも、その鎧は神龍人の体その物だから脱ぐ事ができないカミンな。お風呂もトイレもその格好のままでするカミン。これが結構大変カミン」




 クラリッサが歩いて来て、クラリスタの横に立つ。




「そういう嘘はやめるイヌン。神龍人は何も食べないイヌン。だから、トイレもしないイヌン。炎龍は物を食べたけれど、神である雷神は何も食べないイヌン。雷神の方の特性がそこの部分には優勢に働いているから大丈夫イヌン」




 声のした方に顔を向けると、クラリッサの足元にハガネがまとわりつくようにして、四本の足で立っていた。




「ハガネ。なんか久し振りだな。えっと、なんだっけ。そうだ。今の俺って飛べるんだよな? ハガネが前に言ってたろ?」




「きぃー。無視されたカミン」




「まあまあイヌン。クラリッサ。ハガネが相手をしてあげるイヌン。だからちょっと待っているイヌン。石元門大。確かにハガネは言ったイヌン。神龍人は飛べるイヌン。あの者、今は、キャスリーカだったイヌンか。が、昔、飛べと思うだけで飛べると言っていたイヌン」




 門大は自分の背中から生えている翼を見ようと顔を横に向けた。真っ白な羽毛が生えている大きな鳥の翼のような物と、禍々しい形状の骨格と皮膜とで形作られている、燃えている炎のような色をしている翼竜の翼のような物が門大の視界の端に入って来る。




「上の白い羽の翼が神の翼で、下の皮の奴が龍の翼か?」




「そうだイヌン。見た目通りイヌン」




「クラちゃん」




 門大は言って、クラリスタをお姫様抱っこの要領で抱え上げた。




「きゅ、急に、なんですの?」




 クラリスタが、一瞬戸惑ってから、恥ずかしそうに頬を赤く染める。




「飛べるって聞いた時から一度やってみたかったんだ」




 門大は、飛べ。と思う。ゆっくりと体が宙に浮き、足の裏にあった地面の感触がなくなった。




「おお。凄い。これは、なんていうか、新感覚?」




「門大? 何をする気ですの?」




「クラちゃん。俺の体にしっかりとつかまって」




 門大の言葉を聞いたクラリスタが不思議そうな顔をしつつ、門大の板金鎧で覆われた首に両手を回す。




「これでいいのですの?」




「うん。じゃあ、行こう」




 六つの目がある顔を空に向けると、門大はそのまま真上に向かって上昇を始める。




「門大。危ないですわ。降りて下さいまし」




「クラちゃん。俺と空中デートをしてくれないか? 二人で空を散歩しよう」




「空中デート、ですの?」




 クラリスタが一瞬きょとんとした顔をしてから、嬉しそうに笑みを浮かべ、それから少しだけ間を空けて、表情を隠すようにゆっくりと顔を俯ける。




「どうした?」




「曇っていますわ。折角のデートなら晴れている時がいいですわ。それに、やっぱり、今はそういう気分にはなれそうにはありませんわ。門大のその姿を見ていると、わたくし、自分が許せなくなりますわ」




「もうちょっと上に行こう」




「門大。わたくしの話を聞いていましたの?」




 クラリスタが顔を上げて言う。




 門大は、ごめん。もうちょっとだけ。と言いながら高度を上げる。暗灰色の雲の中に飛び込み、あっという間にその雲を突き抜けると、真っ青な空と光り輝く太陽だけがある空間の中に二人は辿り着いた。




「クラちゃん。俺は今のこの状況を凄く楽しんでる。こんなふうにクラちゃんと空が飛べるんだ。前の俺だったらこんな事はできなかった。お願いだから、自分を責めないでくれ。俺は君の所為でこうなったなんて微塵も思ってない」




「門大。そう言ってくれるのはとても嬉しいですわ。けれど、わたくしは門大が飛べなくてもいいのですわ。門大が元の自分のありのままの姿で」




 クラリスタがそこまで言って口を閉じる。




「クラちゃん?」




「わたくし、勝手ですわね。門大と一緒にいたいから、別々の体にはなりたくはないと前には言っていましたのに。今は、門大に、元の自分のありのままの姿でいて欲しい、なんて言おうとしていましたのよ」




「それは、状況が変わったからだ。クラリッサが俺達を向こうの世界に連れて行って、また、俺が俺に戻れるって教えてくれてから、こうやって別々の体になったからだ。だから、そう思うのは全然勝手なんかじゃない」




 クラリスタが弱々しく微笑む。




「門大は優しいですわね」




「クラちゃんの方が優しくて、それでいて、強い」




 クラリスタの目が涙で潤み始める。




「やっぱり、こうなってよかった。こんなふうにクラちゃんを軽々と抱っこできるし、目が六個になった所為もあるのかな。今まで以上にクラちゃんが凄く魅力的に凄くかわいく見える」




「すすすすす、みみみみみ、すすすすす、ごごごごごご」




 クラリスタが顔を真っ赤にし、言葉にならない声を上げ、門大の首に回している両手を放そうとしたが、雲の上にいるという今の状況の事を思い出したのか、その手を止めると、ちょっとだけ間を空けてから、門大から隠そうとするかのように顔を横に向ける。




「おーいカミン。二人ともカミーン」




 クラリッサの叫ぶ声が、暗灰色の雲海の中から聞こえて来た。

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