二十二 帰途

 クラリッサがコップの中に残っていたカルピスをすべて飲むと、そのコップともう一つの自分で使っていたコップを持って静かに立ち上がった。門大の顔がクラリスタの意思で動き、クラリッサの姿を目で追い始める。台所に行ったクラリッサが再びカルピスをコップ二つ分作った。




「言いたい事は言ったし、そろそろ向こうに戻ろうと思うカミン。時間的には、いなくなったすぐ後に戻る感じだから、意味はないんだけど、できるだけ早く戻りたいカミンよ。二人もやりたい事は今の内に早くやっておくカミン」




 言って、クラリッサがかぽかぽと二つのコップに入ったカルピスを飲み干す。それからすぐにまたカルピスを作ると、また飲むという行為を繰り返し始める。




 クラちゃんはあんなふうに言ってくれてたけど、クラちゃんの気持ちをまた裏切る事になるのは嫌だけど、帰ったらできるだけ早く王都に行こう。見るともなしにクラリッサの姿を見ながら、考えていた門大は、クラリッサの、もうカルピスがなくなったカミン。まだまだ飲み足りないカミンよ。お兄にゃふ。買い置きはしてないのかカミン? という言葉を聞いて思考の中から浮上した。




「全部飲んだのか?」




「飲んだカミン。飲んじゃ駄目だったのかカミン?」




「いや、いいけど、結構あったはずだぞ。お腹とか壊すなよ」




 言いながら、そうだ。肝心な事を忘れてた。王都までの道が分からない。クラリッサなら知ってるはずだけど、って、今聞いたらクラちゃんがまた気を使うな。それにクラリッサだって行くのに反対してるんだから教えてくれないか。なんとかして王都までの行き方を聞き出すか調べるかしないといけないな。と門大は思った。




「お兄にゃふ。なんか気になる事でもあるカミン? 何か考え事をしてるような顔に見えるカミン。何かあるなら言った方がいいカミン。僕が分かる事ならなんでも教えてあげるカミン。僕達はこれから、一緒に命を懸けた戦いに臨む仲間カミンよ。遠慮はいらないカミンよ。さあ、さあ、なんでもいいから言うカミン」




 クラリッサが冷蔵庫を開けながら言う。




「そんな顔してたか? 別に何も考えてないけど」




「嘘カミンね。僕には分かるカミン。僕は勘が鋭いカミンよ。さあ、さあ、早く言うカミン。言って楽になるカミン」




「いや、本当に何も考えてなかったって」




「はい嘘カミン。早く言うカミン。言わないと、そうカミンね。何か大変な事をしちゃうかも知れないカミン。過去に戻って何かを変えてしまうとかカミン。未来は一定ではないけど、何かが変わるカミン。さてさてどうなるか楽しみカミン」




「門大は何も考えてないと言っていますわ。しつこいと嫌われますわよ」




 クラリスタがぴしゃりと言う。




「クラリスタ。今は、僕とお兄にゃふが話をしてるカミン。口を挟まないで欲しいカミン」




 クラリッサが言って舌を出す。




「な、なんですのそれは」




「ちょっと、二人とも。喧嘩はやめよう」




「お兄にゃふが悪いカミン。早く言うカミン。じゃないともっと僕とクラリスタの関係が悪化するカミン」




「分かったよ。ええっと、そうだな」




「早く言うカミン」




「今更だけど、あれだよ。クラリッサの言う事を全部信用していいのかまだ分からないんだよな。だから、一緒に戦うとかって言われても、なんか困るというかなんというか」




 先ほど思っていた事は言えないので、何か適当な事を言ってごまかそうと思ったが、何も言う事を思い付かず、頭の中の片隅にずっと引っ掛かっていた考えを言葉にして出した。




「ぷすすすすす。笑っちゃうカミン。本当に今更カミンよ。クラリスタはどうカミン? 僕の事を信じられないカミン?」




「わたくしは最初からあなたの事を信じる気なんてありませんわ。あなたがどんな人であっても門大の事を寝取るなどと言っている人ですのよ。今も、これからも、あなたの事を信用するなんて事は絶対にありませんわ」




 クラリッサが、酷く驚いた顔をすると、その場に崩れ落ちるようにして座り込む。




「なんていう事カミン。おかしいカミン。クラリスタがフォローしてくれると思ったのにカミン。これじゃ駄目カミン。こんなチームワークでは戦いには勝てないカミン」




 言ってクラリッサがうなだれる。




「クラちゃん。俺も酷い事言ったけど、今のはちょっと、言い過ぎなんじゃ」




 門大はクラリッサの姿を見つめながら言う。




「またすぐにそうやって。門大は甘過ぎますわ。どうせ、あの落ち込んでいるような仕草は全部嘘ですわ。ああやって気を引こうとしているだけですわ」




 クラリスタが言い終えると、クラリッサが声を殺して泣き始める。




「クラリッサ。変な事言って悪かった。クラちゃんも悪気はないんだよ。ごめんな。謝るから、泣くなって」




 クラリッサの泣く姿に酷く心を苛まれた門大は、なんであんな事言ったんだろう。でも、気になってはいたしな。でも、失敗した。あれは泣くよな。あれはない。と思いつつ、必死に慰めようとする。




「いつもクラリッサを甘やかして、門大は酷いですわ」




 少しの間があってから、門大の目が潤み始め、涙が流れ出し始める。




「うわっ。クラちゃん? ごめん。えっと、でも、ほら、あれだから。あれがあれであれなんだよ」




 門大は、クラリスタまで泣き出してしまったので、何をどう言えばいいのかが分からなくなり、意味をなさない言葉を連呼してしまう。




「あれがあれであれなんだよってなんですの?」




「そうだカミン。そんないい加減な対応はないカミン」




 クラリスタとクラリッサがほとんど同時に言った。




「あれ? 二人とも、泣き止んだ?」




「……」




 クラリッサが再び声を殺して泣き始める。




「わたくし、悲しくて死にそうですわ」




 門大の目から止まっていた涙が溢れ出す。




「なんだよ、もう。俺も泣きたくなって来た。俺も泣く。泣いてやる。うわーん」




「お兄にゃふ。嘘泣きはやめるカミン。まったく興醒めカミンよ。まあ、あれカミンよ。今は信用しなくてもいいカミン。でも、いずれは信用して欲しいカミン。さっき言った僕の言葉の意味をよく考えるカミン。僕に協力すれば、お兄にゃふはこの世界に戻って来られるカミン。クラリスタもお兄にゃふの為カミンよ。いずれお兄にゃふが僕に命を預ける時がきっと来るカミン。僕の事を信用できないと辛くなるのはクラリスタ自身カミン」




 クラリッサが何事もなかったかのように素に戻って言った。門大は、先に酷い事を言ったのは俺だけど、冷たい。嘘泣きとか興醒めとかあの言い方は酷い。と落ち込む。




「そうですわ。わたくし、気が付いてしまいましたわ。こっちにいれば、こうして門大とずっと二人で一緒にいられるのではないのですの?」




 クラリスタが泣いてなどいなかったかのような様子で大きな声を出す。




「クラリスタ。家族の事はどうするカミン? 他の、王都やあの世界に住む者達の事はカミン? 王都以外にもあの世界にはたくさんの者達が住んでるカミン。人だけでなくたくさんの魔獣や幻獣や亜人達もいるカミン。この戦いにはその者達の命が懸かってるカミン。このままだと皆殺されてしまうカミン。それでも構わないカミン?」




「クラちゃん。向こうには戻った方がいい。俺達は体が別々になってもずっと一緒だ」




「門大。このままだと、わたくしは、あなたを化物にして、戦いに駆り出す事になってしまいますわ。もうこれ以上、門大に迷惑をかけたくはありませんわ」




 クラリスタが門大の顔を動かし、門大の手を見つめて言う。




「クラリスタ。本当にこのままでいいカミン? 二人で体が一つのままでいいカミン? お兄にゃふの手を握りたくはないカミン? お兄にゃふと抱き締めあったりしたくはないカミン?」




「わたくしはこのままでいいですわ。このままなら絶対に離れる事はないのですもの」




「クラリスタ。これは不自然な状態カミンよ。二人は別々にならなければいけないカミン」




「嫌ですわ。このままでいいですわ」




 クラリスタが目を細めて、睨むようにクラリッサを見る。




「気持ちは分かるカミンよ。僕も同じ経験をしてるカミン。でも、だからこそ分かる事があるカミン」




「確かに、あなたとわたくしにはたくさんの共通する部分がありますわ。けれど、簡単に気持ちが分かるなんて言われたくありませんわ。門大は、ずっと一人だったわたくしを初めて受け入れてくれた人ですのよ。あの瞬間の気持ちは、この胸の中に今もあるあの瞬間の気持ちは、あなたには分かりませんわ」




 クラリッサがとても優しい表情をする。




「その気持ちも分かるカミン。僕も、ずっと、一人だったカミン。神や龍や悪魔と仲良くなっても、人には嫌われていたカミン。僕は両親にすら捨てられてたカミン。そんな僕の中にあの子が来たんだカミン。あの子と初めて会話して、それから、お互いの事を知っていってカミン。あの日々の思い出は僕の心の中で今でもとても美しく輝いてるカミン」




 クラリッサが言葉を切ると、微かに目を伏せる。




「クラリスタ。お兄にゃふ。この戦いは二人の為でもあるカミン。今は僕が何を言ってるか分からないと思うカミン。けど、いずれきっと、二人は僕に感謝するようになるカミン」




「急にそんな事を言われても、意味が分かりませんわ」




 クラリスタが小さな声で言った。




「本当カミンね。僕は何を言ってるんだろうカミン。本当に、意味不明カミンね。僕も自分で何を言ってるか分からなくなって来たカミン」




 クラリッサがゆっくりと立ち上がる。




「もう、これ以上ここで話しをしてても迷いが増すばかりカミン。埒が明かないカミン。クラリスタには悪いけど、もう戻るカミン」




「嫌ですわ。わたくしは絶対に戻りませんわ」




「クラリスタ。神の力は絶対カミンよ。その力に人は人である以上逆らう事はできないカミン。僕のように、あの子のように、神の力を得て神に近付かなければ逆らえないカミン。だから、ごめんなさいカミン」




 クラリッサが言い、素早く門大達を眠らせる為に魔法を使った。




「次に目覚めたら、向こうの世界カミン」




 酷い眠気に襲われ始めた門大の耳に、そんなクラリッサの言葉が聞こえて来た。

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