十 ハガネ

 クラリスタが、じっと、一角チワワのかわいらしい円らな目を見つめる。キラキラと潤んで光る一角チワワの目もまた、クラリスタの目を見つめているようだった。どれほどの時間見つめ合っていたのか、恐らく、とても短い時間だったはずなのだが、その瞬間は、まるで、時が止まっているかのようだった。




「おいおいおい。こいつ、今、喋ったよな?」




 門大はあまりの事に驚きながら、なんとか自分の正気を保とうとするかのように、自分に言い聞かせるように、大きな声を上げた。




【確かに言葉を話しましたわ。わたくしも聞きましたもの。こんな事、初めてですわ。幻獣の中には言葉を話す者もいると聞いた事がありましたけれども、魔獣が言葉を話すなんて聞いた事がありませんわ】




「もう少し様子を見るつもりだったイヌン。けど、こうなってしまったらもう仕方がないイヌン。ハガネはこう見えても、悪魔だイヌン。魔獣の上の幻獣の更に上の存在なんだイヌン。だから喋る事なんて簡単なんだイヌン」




 一角チワワがそう言った。




「また喋った」




 門大は未だに気が動転していてそんな言葉しか思い付かない。




【あなたは悪魔なのですの?】




 クラリスタが一角チワワに向かって言うが、その声は、頭の中で発せられている物なので、一角チワワには聞こえない。




「クラリスタ。口。口から声を出さないと」




【そうでしたわ。けれど、わたくしが急に話をしたら、この子が変に思ってしまうかも知れませんわ】




 門大は、どう答えればいいのか咄嗟には分からずに、言葉に詰まる。




「どうしたイヌン? ハガネが悪魔だと知って怖がっているのかイヌン?」




「お前、本当に悪魔なのか?」




 門大は、クラリスタの言った言葉の一つと、同じような言葉を口にしてみた。




「まごう事なき悪魔だイヌン。炎龍とともにこの世界を荒らしまわった三大悪魔が一つ、ハガネだイヌン」




 ハガネが後足だけて立ち上がると、胸を張るような格好をしながら言った。




【か、かわいいポーズですわ】




 クラリスタが言う。




「ハガネ? それがお前の名前なのか?」




「そうだイヌン。これからはハガネと呼ぶがいいイヌン」




 ハガネがお座りをして言った。




【もう。お座りもかわいいですわ】




「確かにかわいいけど、自称悪魔なんだ。クラリスタ、前に言ってたよな? この流刑地では、悪魔に酷い事をされるとかなんとかって。だから、油断しない方がいい。とりあえず、どうしていいか分からないから、今は、このまま俺が一人で話を続けるけど、何か気になった事があったら言ってくれ」




 門大は動転していた気が落ち付いて来ていたので、頭が回るようになり、ハガネに聞こえないようにと小声でそう言った。




「さっきから誰と喋っているイヌン? あれかイヌン? 転生者が中にいるのかイヌン?」




「へ?」




【え?】




 門大とクラリスタは、同時に声を上げた。




「どうして知ってるんだ?」




【どうして知っているのですの?】




 門大とクラリスタはまたほとんど同時に言う。




「ハガネは、転生者の事も、クラリッサ・ド・エスパーダアルヴィトの事も知っているイヌン」




【クラリッサ? 今、クラリッサと言いましたの?】




「今、クラリッサと言ったのか?」




 門大は、クラリスタの言った言葉を声にして出した。




「言ったイヌン。君は、何者イヌン? クラリッサに良く似ているイヌン。君がクラリッサ本人だったら凄く嬉しいけど、違うんだろうイヌン?」




 ハガネがはっきりと、それと分かるような悲しそうな表情を、顔に浮かべて言った。




【クラリッサは、最初に、雷神と炎龍と融合したと言われている、何代も前の祖先の名前ですわ】




 クラリスタの言葉を聞いた門大は、じっと、クラリスタの目で、ハガネの顔を見つめた。




「この子はクラリスタだ。俺はこの子の中に転生して来た石元門大。この子が、クラリッサというのは、最初に雷神と炎龍と融合したと言われている人の名前だと言ってる」




「クラリッサは、死んだのかイヌン? クラリッサがいなくなってから、気が遠くなるほどの年月が経過していて、人間がそれほど長く生きる事ができないという事は知っているイヌン。けど、クラリッサは普通の人間とは違うイヌン。雷神や炎龍と融合をし、ハガネ達悪魔を従えた者イヌン」




【死んだと聞かされていますわ。あまりにも強大な力を持った為に、死ぬまで幽閉されていたなどという話も、聞いた事がありますわ。ただ、詳しい事分かりませんわ。詳しい話は伝わってはいませんの】




 門大は、クラリスタの言葉をそのままハガネに伝える。




「あんな状態になっていたクラリッサを幽閉するとは、やっぱり人間とは屑だイヌン」




【それは、どういう事ですの?】




「それはどういう事だ?」




 門大の言葉を聞いたハガネが目を伏せる。




「雷神と炎龍が今ここにいる時点で、クラリッサが死んでいるという事は、本当は、分かっていたイヌン。クラリッサがもういないという事を、信じたくなかっただけだイヌン。済まないイヌン。今は、昔の話をする気分にはなれないイヌン。この話は、もう終わりイヌン」




 ハガネがそこまで言って言葉を切り、目から溢れ出した涙を両前足を使って器用に拭いた。




「けど、これだけは言わないと駄目イヌン。さっき、ハガネを落とした時のあれイヌン。ハガネを持っていた手の片方の手の力が、急に抜けていたように見えたイヌン。クラリスタと言ったイヌンね。君の体に、おかしな事、何か異常な事が起きているのではないかイヌン?」




 涙を拭き終えたハガネが言う。だが、クラリスタは何も言葉を返さず、黙ったままだった。




「クラリスタ? どうした?」




【この子がなんの事を言っているのかが分からないので、考えていただけですわ】




「クラリスタの体に何かおかしな所がないか聞いてるんだと思うぞ。何も問題がないならいいけど、今の話を聞いた後だと、俺も気になる。どうなのか教えてくれ。それと、ハガネは俺達の事情を知ってるんだし、信用はまだできないけど、もう、普通に口を使って話しをしてもいいんじゃないか? その方がクラリスタも体の事とか、話がしやすくなるんじゃないか?」




 またクラリスタが何も言葉を返して来なくなる。




「クラリスタ? どうした? 何かあるのか?」




【門大。クラちゃんですわ。またクラリスタに戻っていますわ】




 え? なんでこのタイミングで言う? と門大は思う。




「今は、そんな話をしてる時じゃないんじゃないか? それに、ほら、ハガネもいるしな。恥ずかしいというかなんというか」




【俺にできる事ならなんでもすると言っていたはずですわ】




 クラリスタが拗ねたように言い、クラリスタの口が不満を表すようにちょこんと尖った。




「分かった。分かったよ。じゃあ、クラちゃん。話しを先に進めよう」




「では、これからはずっとクラちゃんでお願いしますわ」




 クラリスタが口を使って言葉を出した。




「今話したのがクラリスタという子かイヌン?」




「そうですわ。それで、さっきのはどういう意味ですの? わたくしの体がおかしいとか」




 クラリスタが言ってから、何も問題などはないと示すかのように、力が抜けた方の手、右手を動かしてみせた。




「雷神と炎龍の力を、その体を変身させる形で使い続けていると、その体に負担がかかって、体が壊れて行くのだイヌン。クラリッサは、その所為で、自分一人ではほとんど何もできない体になっていってしまったイヌン」




 ハガネが言葉の途中から、悔しそうな悲しそうな表情をし、顔を俯かせた。




「そんな話、初めて聞いた」




 門大は呟くようにして言った。




「わたくしも、初めて聞きましたわ」




 クラリスタが言う。




「きっと、君の周りの人間達はこの事を黙っていたイヌン。この話が伝わっていないはずがないイヌン。けど、今はそんな事はどうでもいいイヌン。体に不調が出ていても、その事にまだ君が気が付いていない可能性もあるイヌン。ひょっとしたら、まだ、おかしな所がほとんどないという事かも知れないイヌン。とにかく、できるだけ早く、その体から雷神と炎龍を分離するイヌン。転生者が中にいるのならできるイヌン」




「どういう事だ?」




「どういう事ですの?」




 門大が言ったすぐ後で、クラリスタが言う。




「雷神と炎龍は、今は、魂だけの存在となっていて、その魂がクラリスタの魂と結び付いているイヌン。別の魂を差し出して、その魂と、雷神と炎龍の魂を結び付ければ、クラリスタの魂と、雷神と炎龍の魂の結び付きを断つ事ができて、クラリスタの体も、変身などはしないただの人間の体になるイヌン。ただし、クラリスタの魂と代わりに差し出す魂が、同じ物でないとそれはできないんだイヌン」




「何を言ってるんだ? それって、できないって事だよな? 俺とクラリスタの魂は同じじゃないだろ?」




「できるイヌン。クラリスタの中にある転生者の魂だけは、クラリスタの魂と同じ物なんだイヌン。信じて欲しいイヌン。ハガネは、ちゃんとこの目で見て、この耳で聞いて、知っているイヌン。クラリッサは、雷神と炎龍と別々の存在になる事ができたイヌン。ただ、遅過ぎたけれどイヌン」




 門大の言葉を聞いたハガネが、俯けたままでいた顔を上げて言った。

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