九 白い獣

 時折、木材の爆ぜる音を鳴らしながら、燃え続ける焚き火を、涙で歪む視界の中から、門大はじっと見つめていた。クラリスタは静かに泣き続けていて、門大は、そんなクラリスタの為に何もできない自分に対して、情けなさや憤り、悔しさや悲しさといった感情を抱き、暗澹たる思いに苛まれていた。




【こんなふうにいつまでも泣いていたくはないのですけれど、ごめんなさい】




 クラリスタが震える声で言った。




「謝る事なんてない。なんでもいい。何かできる事があったら言ってくれ。俺にできる事だったらなんでもする」




 門大は自分の中にある様々な感情を、吐き出すようにして言った。




【門大は優しいのですのね】




「そんな事ない。俺は、君には何もしてやれない」




【では、門大。少し甘えさせて下さいまし。何か、面白いお話をして下さいましな】




 なんでもするとは言ってはいたが、思わぬ唐突な言葉に門大は戸惑い、面白い話? と聞き返した。




【はい。わたくしがこんなふうに泣いている時、いつもお父様が、わたくしが思わず笑ってしまうようなお話をしてくれていたのですの】




 クラリスタのお父さんか。クラリスタのお父さんは、俺が演じてたクラリスタにも凄く優しかったな。なんだか懐かしいな。あの人だったらきっと、クラリスタをこんなふうに泣かせたりはしないんだろうな。クラリスタが笑うような話か。難しいな。そもそも、俺は、クラリスタがどんな事で面白がるのかが分からない。どうすればいい? と門大は思う。




【門大。何か言って下さいましな】




「ごめん。考え込んじゃってて」




【何をですの?】




 門大は先ほど思っていた事を、クラリスタの父親の件を省いて、言葉にしようとしたが、いや。駄目だ。そんな事をしたら、今のクラリスタだと、変に気を使ってへこむかも知れない。と思うと、咄嗟に思い付いた別の言葉を口にした。




「クラリスタの呼び方についてだ。クラちゃん以外にも、クラ子。クラリン。クラッチ。クラこう。他にも」




 門大の言葉の途中でクラリスタが小さな声で笑い出した。




【面白いですわ。今のを聞いていたら、泣いていればいいのか、笑えばいいのか分からなくなりましたわ】




「泣き止んでもらいたいけど、無理はしなくていい。君の気持ちが楽になる方でいい」




 不意に左右ちぐはぐな顔が剥がれ落ち、地面の上に落下して、泥沼に足を踏み入れた時のような音をたてた。クラリスタの笑い声が止まる。




「これって脱皮みたいな感じだよな。肉が剥がれてない所の中を見たら、クラリスタの体ってどんななんだろうな」




 門大は、クラリスタがまた落ち込まないように、何か言わなければと思うと、そう言った。だが、言ってからすぐに、あ。これは余計な事を言った。と思う。




【脱皮だなんて酷いですわ。今、わたくしがどうなっているかを見たいのなら、見てもいいですわよ。あの魚の所か、水辺に行けば、映っている自分の姿を見られるはずですわ】




「ごめん。いいんだ。変な事言って悪かった」




【謝らなくてもいいですわ。門大にならもう何も見られても、何を知られても構いませんもの】




「そんな無防備な事を言うもんじゃない。俺が悪い大人だったらどうするんだ」




 門大のその声に、反応でもしたかのように、両足の肉がごっそりと剥がれ落ちる。




「これは、綺麗にとれたな。なあ、これ食べられないのかな?」




【もう。信じられないような事を言いますわね。今までも何度かこうなった事はありますけれども、そんな事考えた事もありませんわ】




「俺だって、できれば食べたくはない。けど、他にはあの魚しかないからな。って。魚。さばこうとかって言ってたのすっかり忘れた。さすがにまだ腐ったりはしてないよな?」




 門大は魚の方を見ようと、クラリスタの顔を動かした。その動きに反応するように、今度は胸やお腹、背中などの肉が剥がれる。




【もう、本当に嫌になりますわ】




「クラリスタ。気にするな。こうなったら早く全部剥がれた方が、あれ? 魚、なくなってないか?」




 門大は、我が目を、いや、クラリスタの目を疑った。




【そんな事あるはずが……。あら? 確か、あの辺りにあったはずですわよね?】




 クラリスタが不思議そうな声を出す。




「逃げたのかな?」




【死んでいたはずですわ。それに万が一にも生きていたとしても、あの大きさですのよ? 動けば何かしらの音がすると思いますわ】




「そうだよな。自分で動いてないとしたら、誰かが引きずって持って行ったとかか? それなら、そんなに音がしないかも知れない。焚き火の音もその音を消すと思うし」




 門大は言ってから、自分の言葉の恐ろしい意味に気が付いた。




【剣を召喚し直しますわ。そうすれば先ほど手放してしまった剣を拾いに行かなくても大丈夫ですわ】




「そんな事できるのか。でも、できれば、剣の出番なんてないといいけどな」




 クラリスタが両手を動かし、魔法剣召喚と呟いて、二振りの剣を召喚する。




【とりあえずは、これで】




 クラリスタの言葉がそこで止まる。クラリスタの体が不意に素早く立ち上がり、剥がれずに残っていた部分の、神と龍の体が、その動きによって剥がれ落ちた。




「急にどうした?」




【焚き火の裏側に何かいますわ】




 クラリスタが、右手の剣を体の前に出して体を覆い隠し、左手の剣の切っ先を焚き火の方に向けた。




「何かって、何がいるんだ?」




 門大は言って、クラリスタの喉を動かし唾を飲み込む。




【まだ分かりませんけれど、やはり魚は何者かによって持ち去られたのかも知れませんわね】




 緊張の糸が張り詰めて行く。クラリスタのこめかみを一筋の汗が伝う。




 焚き火の脇から小さな何かが飛び出した。




「なんか出た」




 門大は声を上げる。




【大丈夫ですわ。何が来てもわたくしが門大を守りますわ】




「きゅうぅぅーん」




 何かが鳴き声を出しながら、たたっと走り出して、クラリスタの方に近付いて来る。




「うおおお」




【なんて事ですの。どうしてこんな所に】




 近付いて来た者の姿がはっきりと見えると、門大とクラリスタは同時に声を上げた。




「わんこだ。しかも、チワワか? いや。違う。よく見ると、かわいいちんまりした角が頭から生えてる」




【これは、一角チワワですわ。乱獲によって絶滅したとされている小型の魔獣ですわ】




 一角チワワ? なんか適当な感じだな。このゲームの世界ってなんか時々適当なとこあるよな。でも、こいつ、凄くかわいいから、そんな事はどうでもいいや。と門大は思った。




「なあ、こいつ、実は凶暴な性格をしてるとかじゃないよな?」




 いや待て。凄くかわいいけど、まさか、あの魚がいなくなったのと関係してるんじゃないよな? と思った門大はそう言った。




【凶暴なんてとんでもないですわ。大人しくて優しくてかわいくて。それはもう、愛玩魔獣としては理想のような魔獣ですのよ。けれども、一角チワワの角は薬として珍重されていましたの。それで、乱獲されていたのですわ】




 クラリスタが言って二振りの剣をベッドの端に置くと、しゃがんで、一角チワワがそばに来るのを待つ。




「おお。一角チワワ。近くで見ると更にかわいいな。真っ白というのか、白銀色っていうのか、毛も、なんか高貴な感じでいい。角もこれまたいいな。この組み合わせは、まるで、小型でかわいいユニコーンだな」




 クラリスタの胸に飛び込んで来た一角チワワを見ながら門大は言った。




【毛がふわふわで気持ちいいですわ。もう。本当にかわいい子ですわ。ねえ、門大。この子、飼いましょう? 飼っていいですわよね?】




 クラリスタが一角チワワの顔に頬擦りをしつつ言う。




「飼うって言ってもな。俺達の食べる物も服すらもないんだぞ。かわいいけど、飼うとなるとちょっとな」




 門大は俺だって飼いたいけど、ちゃんと世話ができないとこの子がかわいそうだ。と思う。




【わたくしがちゃんと世話をしますわ。ねえ? 門大。いいですわよね?】




 クラリスタがきゅっと優しく一角チワワを抱く手に力を込める。一角チワワが嬉しそうに、くうぅぅーんと鳴いた。




「うーん。そうだなあ。飼ってもいいけど、ちゃんと世話をするんだぞ」




 今のクラリスタは、どこにでもいる普通の子供みたいだな。と思いながら、門大は言った。




【本当ですの? 本当にいいのですの?】




「いいよ。俺も世話を手伝う。二人で大切に飼ってやろう」




 門大が言うと、クラリスタの顔が綻んだ。




【今日からずっと一緒ですわよ。ええっと名前は】




 クラリスタの言葉の途中で、不意にクラリスタの右手から力が抜ける。一角チワワが、地面の上に落下し、尻餅を突く。




「あ、いたたたっ。何するんだイヌン」




「な?!」




【え?!】




 一角チワワが発した言葉を聞いて、門大とクラリスタは、同時に声を上げた。

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