悪の華として散った令嬢の物語

枝豆@敦騎

悪の華として散った令嬢の物語

『「その様な礼儀もマナーもなってない平民の貴女が殿下の横に立つなど不相応ですわ。ご自分の立場を自覚なさってはいかが?」


人気の少ない建物の影で声がした。

その場に対峙しているのは二人の少女。

一人は誰もが目を見張る程の美しい顔立ちをした少女だ。艶のある金色の髪に瞳と同じ碧色のリボンを着けている。

彼女の名はルーチェ・シナモン。国の重鎮の一人、シナモン公爵の一人娘でありやがて王となるこの国の第一王子の婚約者であった。

ルーチェに対峙するのはデイジー・ラチェラ。黒髪を肩まで伸ばした幼さの残る顔付きの少女だ。ルーチェに比べれば地味であり何の特徴もない。唯一勝っている点を上げるとすれば成績だ。

デイジーは平民でありながら勉学に勤しみ、特待生として貴族達が九割をしめる高等な学園に入ることを許されていた。入学当初からデイジーはルーチェを含むどの生徒より優秀な成績を納めていた。

ところでデイジーがなぜこのような場所でルーチェに冷たい言葉をぶつけられているのかと言えば理由はひとつ。


ルーチェの婚約者である第一王子リベリオがデイジーを気にかけているからであった。

リベリオがデイジーに優しく微笑みかけて勉強を教えている姿を見た他の令嬢達はルーチェに告げ口した。まるで恋人同士のように見えたと。

令嬢達は純粋にリベリオの婚約者であるルーチェを心配したわけではない。ルーチェに告げ口することによって自分達より成績のいいデイジーをルーチェに叩き潰してもらおうと考えたのだ。


報告された以上、ルーチェは行動を起こさねばならなかった。

ルーチェにとって婚約者リベリオとデイジーが仲睦まじく勉強していた事が問題ではない、それを周りに見られてあらぬ誤解を与えた事が問題なのだ。

未来の王が婚約者以外の女性と噂を流すなどとんでもないスキャンダルだ。

自分を放置して他の女と、なんて可愛らしい嫉妬ではなく未来の王のスキャンダルを婚約者として、何とかしなければと。

考えた結果、ルーチェはデイジーを学園の校舎裏に呼び出した。そして冒頭の言葉をぶつけたのだ。


「私が平民だからそんな事をいうんですか……確かに礼儀もマナーも私は未熟です、でも学んでいけばすぐに身に付きますし身に付けて見せます!」


「貴女と言う人は……っ!」


貴族達が幼い時から学んできたマナーを軽視するような発言にルーチェが反論しようとしたその時。


「何をしている」


凛とした声が響き一人の生徒が姿を現した。

濃紺の髪を短く切り揃えた見目麗しい彼こそが第一王子のリベリオだ。


「殿下のお手を煩わせるような事ではありませんわ」


恭しく頭を下げたルーチェを一瞥し、リベリオはデイジーに視線を向ける。


「何をしているのかと聞いている」

「ただ……ルーチェさんと話し合いをしていただけです」

「……私にはそうは見えなかったが……声を荒げるような内容が有益な話し合いだとは思えない。ルーチェ、私の婚約者を名乗るなら己の言動には気を付けろ」

「申し訳ありません」


リベリオに注意されたルーチェは納得いかない気持ちを押し殺し、頭を下げた。


「デイジー、担任が呼んでいる。行くぞ」

「え、あ、はいっ!」


リベリオはルーチェを残しデイジーを伴って去っていった。

残されたルーチェは二人が見えなくなると深くため息を吐いた。


「……悪役はヒロインには敵わないものね」


寂しげに呟いたその言葉に返事が返ることは無かった。







それからほぼ毎日のようにルーチェはデイジーの至らぬ点を指摘するようになった。

先日のようにマナーや礼儀について注意したり、聞き手が誤解を招くような言動を指摘することもあった。

嫌がらせに見えるほどキツい言葉を浴びせることもあったがデイジーはけして卑屈になることなく、ルーチェの言葉を受け止め貴族の礼儀やマナーを驚く早さで身に付けていった。

努力を惜しまないデイジーに周囲の生徒の生徒達は心動かされ、少しずつ彼女の元に集まり始めた。


対照的にルーチェの周囲は人が減っていった。


いくら王子の婚約者であろうと次期王妃であろうと、誰よりも努力をするデイジーに対して強く当たる姿を目の当たりにして少しずつ人が離れていったのだ。

ルーチェはデイジーがどんなに努力しようと些細な事まで指摘し、決して認めようとせずに時にはひどい言葉で罵倒することもあった。ルーチェの友人達がやりすぎだと思うほどに。

それでもデイジーはルーチェに立ち向かうことをやめなかった。罵倒されても折れてしまわないように心を強く持ち続けた。

その結果、リベリオまでもがデイジーに心を寄せるようになっていった。







それから時は流れリベリオは学園を卒業する日を迎えた。卒業後は王から公務を引き継ぎ成人すると共にルーチェと婚姻し、王座を得る予定だ。

卒業を祝うパーティーにはリベリオより学年が下のルーチェやデイジーも招待されていた。

深紅の艶やかなドレスをまとったルーチェに対し、デイジーは淡いピンク色のドレスだ。

リベリオはルーチェをエスコートしながらもデイジーを気にかけていた。その事を誰よりも感じているのはルーチェだろう。

それでも彼女は背を伸ばしてリベリオの隣に立つ。

最後の時まで。



やがて国王が入場し卒業生に祝いの言葉をかけようとしたその時。

会場のドアが大きな音を立てて壊れた。


「魔物が侵入しました!お逃げください!」


王族の護衛騎士の言葉と共に壊れたドアの向こうには、どこから侵入したのか人をひと呑みにしてしまえる程大きい蜥蜴のような魔物がぎょろりとした目で獲物を物色するように会場を見回している。

突然現れた魔物に逃げ惑う人々が波のように動き、巻き込まれたデイジーが魔物の前に弾き出された。


「デイジー!」


魔物がデイジーをターゲットにしひと飲みにしようと大きな口をパカッと開けるのと、リベリオが声をあげるのは同時だった。


「ひっ……」


デイジーは恐怖のあまり悲鳴をあげることすら出来ないようだ。

魔物がデイジーを飲み込もうとしたその時、赤いものが飛び出していき魔物に刃を突き刺した。

赤い血を流しながら痛みに悶える魔物に対峙するのは、細長い剣を構え魔物の返り血で深紅のドレスを黒く染めたルーチェだ。


「……ルーチェ、さん……?」


掠れた声で名を呼ぶデイジーにルーチェは艶やかに笑って見せる。

それも一瞬の事、まだ絶命していない魔物は標的をルーチェに絞り金属を擦ったような砲口をあげながら再び襲いかってきた。


「たぁっ!」


キン、と澄んだ音がしてルーチェが剣を震う。この姿だけを見れば誰も彼女をか弱い貴族令嬢などとは思わないだろう。


「デイジー!無事か!」


ルーチェが魔物と戦っているのを横目にリベリオがデイジーへと駆け寄り、立ち上がらせた。


「リベリオ様……!私は大丈夫です、でもルーチェさんが……!」

「分かってる。戦える者は剣を持て!魔物を討伐しろ!」


リベリオはデイジーを安全な場所まで下がらせながら騎士達に指示を飛ばす。

ルーチェに続くように彼らは魔物に一気に飛びかかった。

しかし魔物も簡単にはやられまいと長い尻尾を振り回して応戦する。半数以上の騎士が弾き飛ばされ壁に叩きつけられた。中にはあらぬ方向に腕や足が曲がり骨が折れている者もいるようだ。


リベリオが己も魔物に立ち向かおうと剣を抜いた時、魔物の体が大きく膨らみ始めた。

これは蜥蜴の魔物だけが使える技。己の体を大きく膨らませ破裂し、毒の含まれる血や肉の破片を飛び散らせ周囲にいる全ての敵を溶かす。自爆と言う名の最大攻撃だった。


「皆、物陰に避難しろ!!」


国王の言葉に騎士達ですら魔物から離れる中、ルーチェだけは魔物の側を離れなかった。


「ルーチェ!?何をしてる!?死ぬぞ!」

「――殿下。私のような悪役は派手に散ってこそ、だと思いませんか?」

「何を言って……!?おい、止めろ!!」


誰にも理解できない言葉を残し、リベリオの制止も聞かずルーチェは破裂寸前の魔物へ剣の切っ先を向けた。


「悪の華こそ散り際は美しくあらねば!」


ルーチェはにっと口端を持ち上げ笑うと素早い剣捌きであっというまに魔物を切り刻んだ。切り落とされた魔物の肉や返り血が自分の肌を焼くことも構わず。会場にいる人々を守るため、血肉の飛沫を最低限に抑えながら。

その手腕は優雅でルーチェが尻尾の先まで綺麗に魔物を切り落とした瞬間、あまりに鮮やかな手際に歓声が起きたほどだ。


「……今すぐ医師を!それから魔物の処理できる物達を呼べ!」


国王の声に動ける騎士達が絶命した魔物に集まる。


「ルーチェ!」

「ルーチェさん!」


リベリオとデイジーもルーチェを心配して駆け寄った。

しかしルーチェの姿は何処にもない。

先程まで彼女が立っていたはずの場所に残されたのは、魔物の返り血で真っ黒に染まり毒でボロボロに溶けたドレスの切れ端と魔物の血肉を切り裂いても溶ける事のなかった細い剣だけ。

それらを目にしたリベリオとデイジーの頭に嫌な考えが過る。あれだけ毒のある魔物の血肉を浴びて、生きている方がおかしいのだ。ドレスの切れ端だけが残っていると言うことはこれを身に付けていたルーチェはとっくに血肉の毒で生きながらに溶かされてしまったのではないだろうか。

魔物退治に使った剣が溶けなかったのは騎士が使う様な魔物討伐用の物だからだろう。


「あぁ……そんな……っうそ、嘘よ!ルーチェ様が、そんな……!」


デイジーが信じたくないというように顔を覆い隠しボロボロと泣き出した。リベリオはデイジーを支えてはいるものの今にも崩れ落ちてしまいそうな程動揺していた。不意にルーチェの最後の言葉が甦る。


――私のような悪役は派手に散ってこそ、だと思いませんか?――

――悪の華こそ散り際は美しくあらねば!――


「……まさか、ルーチェは最初から……」


自分やデイジー、会場の人々を守るために死ぬつもりで魔物に斬りかかっていったのか。

いつもデイジーに冷たい言葉をぶつけ罵倒までするような彼女がその相手を守るような行動を取ったということがリベリオには信じられなかった。



しかし魔物襲撃事件から数日後。

それが真実だという証明するものが見つかった。ルーチェの日記だ。

ルーチェが毎日日記をつけていたのは彼女の侍女達が知っていた。

魔物襲撃の際に剣とドレスの切れ端を残して消えたルーチェ。

なぜ彼女があの時、剣を持っていたのかなぜ貴族令嬢でありながら騎士よりも剣術が上手かったのか。悲しみの中にありながらも疑問に思った彼女の両親が侍女から日記の事を聞いて探し当てたのだ。


そこには全てが書いてあった。


ルーチェは幼い頃に予知夢を見ていたのだ。

彼女の見た予知夢ではリベリオ達の卒業を祝うパーティーに魔物が現れ会場の人々や国王を襲い、リベリオに大怪我を負わせるという内容のもの。

妙に現実味を帯びた夢を夢だと思えず、ルーチェはその時からこっそりと剣の訓練を始めた。もし夢の出来事が現実に起きても自分がリベリオを守れるようにと。

剣の訓練をして数年後、また同じ夢を見た。しかし内容は少し違っていてリベリオの隣にはデイジーがいた。

ルーチェはデイジーに嫉妬していて、襲ってきた魔物にデイジーを食わせてしまう。その直後、怒りに囚われたリベリオによってルーチェは魔物と一緒に切り捨てられてしまう。

日記にはその夢は毎晩のように続いたと記載されていた。その夢に抗おうと試みるも夢の内容は変わらなかった、と。


夢の話が日記に書かれた数年後、ルーチェの前にデイジーが現れた。その時、彼女は自分は物語の悪役でデイジーこそがリベリオの隣に立ち、国を豊かにすることができる女性だと悟ったらしい。

デイジーと話してそれが確信に変わったと日記には書いてあった。

それならばとルーチェは悪役らしく振る舞う事にした。

人々の前でデイジーに辛く辺り、自分が悪となることで彼女の周りに味方を増やした。いつかリベリオの隣に立つ女性として至らないところも自分が悪として指摘することで改善させていった。


そしていよいよ迎えたリベリオの卒業パーティーの日。

既に覚悟を決めたとルーチェは日記に書いていた。

もう既にリベリオの心はデイジーに寄り添っている。デイジー本人も王妃としてやっていけるほど成長してくれた。


あとは自分が魔物を退治しこの物語から退場するだけだ。ドレスの下に魔物の毒に耐えられる細い剣を忍ばせ会場に向かう、と。


日記の最後には両親へ育ててくれた感謝の言葉が綴られていた。

そしてリベリオとデイジーに向けた国を豊かに発展させていってほしいという願いも書かれていた。

ルーチェの両親から渡された日記を最後まで読み終えたリベリオは、ルーチェが抱えたものに気が付けなかった自分が許せなかった。少しでも彼女の抱えたものに気が付けていたなら、ルーチェは命を失わなくて済んだかも知れないと思うと悔やんでも悔やみきれない。

そしてそれはデイジーも同じだった。デイジーはルーチェが自分に辛く当たるのは自分の為だということをどこかで薄々感じていたのだ。ルーチェの日記を読んで真実を知った今は少しでも彼女に胸を張れる自分でいれるように強く生きる事を決めた。



こうして一人の少女の犠牲を糧にリベリオは王として、デイジーは王妃として国を豊かに発展させていったのだった。』





――――――――――――



「……美化し過ぎじゃない?」


ぱたんと読み終えたばかりの手書きの本を閉じて彼女は苦笑いを浮かべた。

 


「物語なんて多少大袈裟に書くものだろ?」


肩を竦めて見せれば美しい金髪を揺らして彼女は笑う。つい最近短くした髪は小さい碧いリボンで飾られている。


「国のため……と日記に色々かいたのは事実だけど一番は私のためよ。こうでもしなきゃ、あなたと夫婦に慣れなかったんですもの」

「その結果、まさか聖女として祭り上げられるなんてな」


からかうように言えば彼女は困ったように眉を下げた。その仕草がとても愛しい。


「物語だけじゃなく現実も大袈裟だったのよ、迂闊に国に帰れなくなってしまったわ……」

「俺としてはその方が安心できる、連れ戻されることもないからな」


そっと頬を撫でれば彼女はふわりと頬を緩めて撫でる手にすり寄ってくれる。


「……本にされた物語のはこれで終わりだけど、殿下もまさかこの物語の裏で自分の婚約者が騎士の一人と駆け落ちするために予知夢を利用した、なんて思わないでしょうね」

「それに関しては俺も驚いてる。まさか片想いしていた殿下の婚約者に『私が死んだら一緒に駆け落ちして』なんて言われた時は心臓が口から飛び出るかと思った……だけどそのお陰で今、君とこうして夫婦になれたんだから感謝してる」

「感謝は私に?予知夢に?」

「両方かな」


彼女の読んでいた本に記されたのはもう俺達とは関係のない物語だ。

なぜ彼女が予知夢を見たのかわからない。確かなのは彼女は色々な手段を駆使して自分で未来を掴み取ったということ。

そしてこれからは二人で未来を紡いでいくと言うことだ。


二人で暮らすこの家に賑やかさが増える未来を描きながら俺達は互いに微笑み合うのだった。


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