かつての同僚

「計画変更だ。少し寄り道するぞ」


そう言ったマサカーに連れられ、サファイアは今ギルフィア地区西部の駅付近の街へとやってきていた。

流石に西部の玄関とも言うべき場所は治安が比較的良く、酒に酔いふらふらと路地裏に入ったり、店構えではただの飲食店やファッション店を騙っている裏社会人の巣窟に入らなければ身の安全は保障されている。

だがそれは、迂闊な事をすれば足をすくわれるという事でもあった。

違法の刺激的な性的サービスを使用したいという観光客が路地裏に入り、マフィアの男二人組からあるもの全て巻き上げられ全裸で路地裏から出てきたのがその証拠だ。


「所長。何を、するのですか?」


サファイアがマサカーに問う。

今、彼らは小さいホテルの前に立っていた。

飲食店や温泉の機能も兼ね備える、日帰り可能な便利なホテルだ。


「お前は風呂に入った方が良い。それに、お腹も空いただろう。昨日の夜は食べなかったからな」


「それは……」


サファイアは否定しようとしたが、彼女のお腹が鳴った。


「だからメシにする。そして風呂だ」


「は、はい!」


マサカーはガラス張りの入口を抜け、サファイアが速足でそれを追う。

広がっていたのは、一流のホテルとまではいかないが、とても小奇麗にまとめられているエントランスだ。

過剰な装飾が施されていないのも、逆に好印象とさせる。

サファイアはしばらくそれを見つめていた。


「ほら、行くぞ」


「はい!」


 受付へと歩くマサカーを、サファイアは追う。


「いらっしゃいませ。ようこそおいでなさいました」


「ああ。食堂と風呂だけを利用したいんだが、できるか?」


「ええ、できますよ。代金は食堂、風呂の受付にてお支払い頂ければ大丈夫です」


「助かる」


サファイアはマサカーと受付嬢を交互に見つめ、受付嬢が笑顔を浮かべていたため、彼女も笑顔を浮かべ、彼らは食堂へと歩いていった。

食堂は探せばどこかにあるようなレストランといった雰囲気を漂わせていた。

どうやら宿泊者用のビュッフェサービスもあるらしいが、彼らは宿泊者ではないため利用はできない。

店員に促され、二人はテーブル席に座った。

客は少ない。

おそらく宿泊者のほとんどがビュッフェサービスを利用しているからだろう。


「ご注文は後程でよろしいですか?」


「ああ、後で呼ぶよ」


「かしこまりました」


店員が水の入ったコップを二つ置き去っていく。

マサカーはテーブルの端に立て掛けられたメニュー表を手に取ると、テーブルの上に広げサファイアに見せるように向きを変えた。


「好きなものを頼め。カネはある……どうした?」


サファイアはマサカーから見て斜め後ろのテーブル席にいる女性が食べていたものを見つめていた。

マサカーは彼女の見ている方を見、女性の食べているものを……そして、女性の顔を見た。


「な……」


「ンーウメー……ン?」


マサカーと女性は、驚いたようにしばらく見つめあっていた。

サファイアは首を傾げる。


「所長……?」


「カスター!?何でここにいるんだ!?」


「こっちが聞きたいな、来音ライネ!」


「カスター……?来音……?」


サファイアは聞き慣れぬ名前に首を更に傾げた。


                   ・・・


「そうか、キーファーはアンタがやったのか。カスター」


そう言いながらサファイアの隣でエビフライをかじったのは、五木来音いつきらいねという女アサシン。

青っぽい髪を少し乱雑に切ったショートヘアに、胸部に立派な膨らみのあるブラウス、ズボンといった恰好だ。

肌色がかった白の肌は餅のように弾力を持ち、作り物めいている。

その瞳は青と金色が混じった義眼であった。

改造野郎カスタマなのだ。


「理由は何となく察せる。彼女ら家族の事は残念だった」


「ああ……」


マサカーはこのレストランで一番安い定食を、サファイアは来音と同じエビフライや白米、野菜などが揃えられたスタンダードなセットメニューを食べていた。

サファイアが素手で食べようとするので、マサカーと来音はフォークやナイフ、箸の使い方を教えた。


「この方は、どなたでしょうか……?来音さん……?」


「そうそう、私は五木来音。フリーランスのアサシンってやつだ。そこのカスターとは一緒に仕事したりしたんだ。あとはそう、一晩寝た仲でね」


「来音」


「いや、二晩……三晩くらい寝たか?」


「来音」


「ちょ、怖いよカスター」


地獄の底から這い出てきたような声に、来音は震えて見せた。

サファイアは首を傾げ、エビフライをかじった。


「つまり、この方は所長の仲間……ということでしょうか?」


「あったり~!」


「わわっ!?」


来音はサファイアと肩を組んだ。

そして彼女はサファイアの額を指差した。


「で、このかわいい子はどこで保護したの?」


「ギルフォード・ファミリーに使われていた。初めは同行を拒否したが、行くアテもなさそうだったからな」


「なるほどね……サファイアちゃんだったっけ?」


「は、はい」


サファイアはやや引き気味に言った。


「ああ、そうだ。で、来音は何しにここに来た」


「ロレンツィオの依頼さ。アンタがキーファーをやっちゃったから、ロレンツィオやらがギルフィア地区を狙ってるみたいでね」


「ということは、南部の幹部ケイン・ギルフォードを殺しに行く気か」


「そうそう。カスターもそんな感じかな?」


「そうだ」


「ということは、来音さんと一緒に行く……のでしょうか?」


サファイアは二人を交互に見て、言った。

マサカーと来音はサファイアを一瞥し、そして二人で見つめ合った。


「所長……?来音さん……?」


「またお前と殺しをすることになるとはな、来音」


「ホント、ホント」


二人は笑っていた。

サファイアは、マサカーが心の底から笑っているということに気が付いた。

マサカーと来音は楽しそうに彼女が知らぬ話を続けていたのだ。

昨日の夜とは違い、彼の目には光があった。


「さて、話してちゃせっかくのご飯が冷めちゃう冷めちゃう。食べよっか」


「ああ、そうだな」


「はい」


そう言いながらも、マサカーと来音は話を続け、サファイアもその話に加わった。


                   ・・・


「ふぅー……あったけー……」


「そう、ですね……ほふ……」


食事を終えた三人は、代金を払った後レストランを後にした。

来音はそのまま南部のケインを殺しに行くつもりであったのだが、カスターが「サファイアを風呂に入れさせる」と言っていたため、付き合うことにした。

そして付き合うのは風呂だけではない。

南部のケインを殺しに行くのはこの三人で、ということになったのだ。

ロレンツィオの意向に背くかもしれないが、ケインを殺せればギルフィア地区はロレンツィオのもの。

一人で殺すか、三人で殺すか。

その事に、大した差はないだろう。

来音はそう思っていた。


風呂場は貸し切りと言った状態であった。

女湯はがらんとしており、とても静かで、時折合成ししおどしの音声が鳴る。

造られた自然ではあるが、とても心地よいものだ。


来音はサファイアのアザだらけの体を慎重に洗ってやった。

その金のように美しい髪も丁寧に洗ってやり、ついでにマッサージめいて頭皮を揉んだ。

サファイアはそういった事をされたことがないのか、戸惑いながらも気持ちよさそうにしていた。


一方、来音は自身の体を軽く洗うだけで特に何もしなかった。

来音は改造野郎カスタマであるため、過剰なスキンケアを必要としないのだ。


「……所長は、何を経験したのですか」


大浴場に浸かっていると、ふとサファイアが口を開いた。

来音は困ったように頭をかき、サファイアを見た。

サファイアの瞳はその名のように美しく、マサカーの事を純粋に気にしていた。


「あいつは、別に抹殺探偵になりたかったわけじゃないんだ」


「そうなの、ですか……?」


「ああ、きっとね」


来音は天井を見上げた。

サファイアも釣られ、天井を見た。

天井には何もない。


「カスターの恋人……いや、元恋人というべきかな。彼女の築いた家庭はギルフォードに焼き尽くされた。だからきっと、ここに帰ってきたんだ」


「こい……びと……?」


「うん。その人はカスターが昔やっていたことに気付き、彼のもとを離れた。まあ妥当というか、そうなのかもしれないけど……私はその時、その女を殴ってやりたくなったよ」


来音は天を仰いだ。


「でも、彼を表社会に繋ぎとめる鎖は彼女しかいなかった。だから彼は影で彼女の家庭を裏社会の影から守ろうとした。でもその時の彼は、表社会の人間。力はなかった」


「力は……なかった……」


「で、結局彼は彼女の家庭を守ることができなかった。ギルフォード・ファミリーがやることは残酷だからね。それで、彼を唯一表社会に繋ぎとめていた鎖は……切れたんだろう。だから、帰ってきたんじゃないかな」


「そうなの……ですか……」


「……また今度、彼の話をしよう。それと、彼を所長と呼ぶのはとても良い事だと思うよ」


二人はしばらく天井を見上げ、暖かい湯船に浸かっていた。

天井には何もない。

しかし何もないからこそ、そこをキャンバスとし自由に脳裏の光景を描ける。

サファイアは天井に、夜見た所長の瞳を描いていた。

炎を宿した瞳を。

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