所長と助手

「これに着替えておけ」


朝日を拝んだマサカーは立ち上がり、バッグの中から服を取り出し少女へと投げ寄越した。

クリーニング屋で仕立ててもらった余りもののシャツやベストだ。

少女はそれを受け取り、興味津々に衣服を見ていた。


「さっきの……でしょうか」


「ああ、そうだ。少し大きいが、今着ているものよりはマシなはずだ。着方はわかるな?」


「わかる……と、思います」


「ああ、念のため言っておくが、俺がいないところで……待て!」


少女は何気ない顔でその場で着替えようとしたので、マサカーはその腕を止めた。

彼女は首を傾げ、マサカーを見つめる。


「……着ては、ダメ……でしたか……?」


「ああ、ええとな。こういうのは恥じらいを持った方が良い。お前と、そして他の人のためだ」


「恥じらい……とは、何でしょうか」


「……難しい事を言うな、お前は。まあ要するに、だ。人前で安易に全裸になるとかそういうことはやめた方が良い」


「なるほど……わかり、ました」


マサカーは少女と衣服類を抱え、かつて洗面所であったであろう壁が一枚ある場所に彼女を置いた。


「着替え終わったら言ってくれ。俺もそれまで準備している」


「はい」


少女は頷き、マサカーが壁の向こう側に行ったのを確認すると、着替え始めた。

まず、彼女はボロ布めいたシャツを脱いだ。

少女の体には複数のアザが刻まれていた。

中には新しいアザもあり、キーファーのアジトでの酷い待遇を伺わせる。

彼女はシャツの袖に手を入れ、昔学んだ通りにシャツを着た。


「これで……良いのでしょうか……」


少女は地面に落ちていた鏡の破片で、自身の姿を確認した。

やや大きめのシャツだが、しっかりと着れていた。

そのまま彼女はズボンを履き、靴下なるものを履き、シューズを履いた。

シューズは少女の足の大きさにぴったりとフィットしていた。

そしてシャツの上からベストを羽織り、ボタンを留めた。


一通り着替え終わった。

だが、少女には気がかりなものがあった。

ズボンよりも極端に短く、シャツとも思えぬ謎の三角形のような衣服と、胸当てのような二つの拳銃の弾倉を隠せそうな膨らみがある衣服が残っていたのだ。


「これ……は……」


よくわからないので、彼女はマサカーに聞くことにした。


一方、マサカーはクリーニング屋で新たに仕立てられたコートと帽子をチェックしていた。

強化ケブラー繊維が裏地に縫い込まれた対弾仕様のコート。

帽子にも同様の改造が施されており、軍隊のヘルメットめいて頑丈だ。

そして少女用に渡された余り物のベストにも、ここまでとはいかないが改造が施されていた。


「良い仕事するな、あのクリーニング屋も」


もちろん、銃弾を完璧に防げるわけではない。

重金属弾で撃たれれば強化ケブラー繊維は簡単に貫かれるし、ただの鉛玉であっても激痛が体に走り、最悪貫かれる場合もある。

そしてミスター・プラスチックと対峙した時のような、白兵戦を主体とした戦いではほぼ無意味だ。

だがこれは、裏社会の住民の嗜みとも言えよう。


そしてバッグに入った銃を確認する。

まず、体を戦闘用義体に置換した改造野郎カスタマが扱える最大のサイズとされる13mmのオートマチック大型拳銃。

オーダーメイドだ。

マサカーはカスタマではなくアルテマだが、専用調整されているため何とか扱うことができる。

弾薬は高価な重金属徹甲弾から安価かつ強力な専用の鉛玉。

そして超小型のミサイルとも形容すべき特殊なターゲット追尾弾頭を搭載した弾薬まで揃っている。


超人野郎アルテマは銃では死なないという、裏社会での噂がある。

常人では想像しきれぬ、超能力を持った存在。

ドラゴンや吸血鬼が、人の形をして襲ってきていると言っても過言ではないのだ。

だが、そんなものはジョークだ。

このオートマチック拳銃は、アルテマを殺す。

昔の品ながら、相変わらず恐ろしい代物だ。


次に、集弾性能と連射性を高めた正確かつコンパクトなSMGサブマシンガン

携帯性、弾幕形成能力共にオートマチック拳銃よりも抜きん出た優れものだ。

弾薬はオートマチック拳銃よりも手に入りやすく、安価で、安定している。


他にもバラされたボルトアクションライフルや、OSを搭載したスマートショットガンなどがバッグに入っており、さながら彼のバッグは武器庫のようであった。


「すみ……ません。聞きたい、ことが……」


銃を確認しバッグに入れ終わったマサカーに、声がかけられる。

少女だ。


「これは、何なのでしょうか?」


「ン、着替え終わったか……いや、それは……」


少女はフォーマルな出で立ちに身を包んでいた。

髪こそまだ整えられていなかったが、凛とした立ち振る舞いを思わせるその出で立ちは、本当の意味での探偵とも言うべき姿だった。

そこまでは良かった。


マサカーは手で顔を覆った。

彼女は両手に下着であるパンツとブラジャーをひらひらと持っていた。


「この膨らみに、弾倉を隠す……のでしょうか」


「それはな、パンツとブラジャー。下着ってやつだ」


「なる、ほど……」


少女は自身の服装を見る。


「この上に、着るのでしょうか……?」


「いや、いや……そうじゃない」


マサカーは自身のシャツを引っ張り、その中を指差した。


「この、下に、着るやつ」


「なるほど……下に、着るのですね」


「そう、そうだ」


「わかり……ました」


少女は頷くと、衣服を脱ぎ始めた。


「オイオイオイ!」


ひと悶着ありながら、彼らは何とか装備を整えた。

だが、フォーマルな恰好ではあるが……少女はまだ風呂にも入ったことがないのだろう。

せっかくの美しい金髪も整えられておらず、少し乱れてしまっている。

そしてシャツも、彼女の身の丈にあったものとは言い難い。

よく見ればブラウスではなく男性用のシャツだ。

彼女には余りものではなくキチンとした服装を与えるべきだろう。

武器も彼女に合ったものを調達……いや、彼女は戦いを望むのであろうか。

彼女は”じゆう”が欲しいと言っていた。

こんな事をしてロクにアシを洗うようなことをせず、俺もただ彼女をあのギルフォード・ファミリーのように利用しようとしているのではないか。


「……すみません……」


「……いや、謝らなくて良い。ただ、考え事をしていただけだ」


マサカーは少女をじっと見つめていたことに気付き、帽子のつばで目線を隠した。

少女というイレギュラーはあったものの、マサカーにはまだするべきことがある。

そのために、この裏社会へと再び堕ちたのだ。

だが目の前の少女をも、地獄の道へ付き合わせる必要はない。

彼女も望まない筈だ。


「……今更だが、お前には忠告しておく」


「ちゅう、こく……ですか?」


「ああ、そうだ」


マサカーは遠くを一瞥し、そして少女を見た。


「俺は、人殺しだ。あのキーファー・ギルフォードや他の連中とそう変わらん。ついてきても良いが、地獄を見ることになるぞ。本当に自由になりたいのなら言え。お前が自由に生活できるように手配する」


「そう、変わらない……のでしょうか」


少女はマサカーを見つめ、胸に手を当てた。


「そうは、思えないのです。あなたは……とても、優しくしてくださって……」


「……そうか」


「それに……私も、同じ……です。たくさん……人を、殺しました」


「お前は違う。それを強制させられてそうしたんだ。お前は悪くない。だが、俺は自分からそうした」


「そうは……思えません。なんでか、わからないですけど……すみません」


「良いんだ。大丈夫だ」


マサカーは息を吸い、吐く。

彼と少女はしばらく見つめ合っていた。

やがて、マサカーが口を開いた。


「俺のようなヤツに、ついてくるんだな?」


「はい」


「なら、名前が必要だな」


「なまえ……ですか」


「そうだ。名前だ。この世界で生きていくには、名前が必要だ」


マサカーは脳から何とか名前を絞り出そうとした。

こういう時ほど、何も思いつかないものだ。

ふと、少女の瞳を見つめる。


「サファイア……か」


「……なまえ、ですか?」


「いや……」


「サファイア……」


少女は目をキラキラと輝かせた。

サファイアのように青い瞳が、マサカーにはとても美しく思えた。


「私、サファイアです!」


「……それで、良いのか?」


「はい。すごく、良い名前です……」


「わかった。よろしくな、サファイア」


「はい」


マサカーは笑みを浮かべた。

少女は満足そうに頷いた。


「……あなたのことは、何と……お呼びすれば良いのでしょうか?」


そして少女から発せられたのは、意外な言葉であった。

マサカーは驚き、顎に手をあて思考した。


「ゲンジ、ですか……?」


「……その名は、俺には相応しくない」


「そう……ですか」


少女はマサカーをじっと見つめ、考えているようだった。

マサカーはマサカーで良い、と言おうとしたが、それよりも速く少女が口を開いた。


「所長、とお呼びしても、良いでしょうか?」


「所長?」


「そう、です。私が……探偵の助手なら、あなたは所長です」


マサカーは所長という響きに、懐かしさを覚えた。

かつて夢見たことが、こう巡ってくるとは。

少女が不安そうな表情を浮かべていたので、マサカーはパッと笑みを浮かべ頷いた。


「どうでしょうか……?」


「良い響きだ。とても。俺の事は、所長と呼んでくれ」


「わかりました。所長」


「ああ、サファイア」


二人は握手を交わした。

マサカーも、サファイアも、慣れないような手つきであった。

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