ゾンビママ

柳成人(やなぎなるひと)

ゾンビママ

 7時20分。それが毎朝僕が家を出る時間だ。

 家から少し先にある赤い消火栓の前が集合場所で、7時30分になったら学校へ向けて出発する。登校班はいつも同じ顔触れだから、顔を合わせた途端に昨日見たテレビや学校での出来事の話題でうるさいぐらいに会話が弾む。


 でもあの日以来、誰も僕に話し掛けてくれようとはしない。僕は一人でじっと出発の時を待ち、みんなの一番後ろを俯きながらついて歩く。

 ひとりぼっちのはずの僕が時々視線を感じて振り返ると、少し距離を置いてついて来る女の人がいる。

 僕に見つからないようにしているつもりなのか、物陰に隠れながら、こそこそと僕達を追って来る。


 あれは僕のママだ。


 紺色のツーピースの胸元に控えめなデザインのネックレスを揺らし、ヒールを鳴らしながらやってくる姿は、あの日授業参観に来たママの姿そのものだ。

 でも顔の半分は潰れて、どろりとほっぺたの上に垂れ下がった目玉が歩く度にゆらゆらと揺れる。ちぎれた右腕は見当たらず、正反対にねじ曲がった右足は歩く度にかくんかくんと折れ、その度に転びそうになる。だからママのヒールの足音は、コツッ……コツッ……と妙に間の抜けたテンポだ。

 明らかに不審者丸出しというか、昔テレビで見たゾンビ映画そのものなのだけれど、そんなママに道行く人は全く目をくれようともしない。


 僕にはその理由がわかっている。

 ママはおばけだから、他の人達の目には見えないんだ。


     ※   ※   ※


 僕とママが事故に遭ったのはひと月ほど前。その日は授業参観日で、ママと二人でいつもの道を歩いて帰る途中、僕達に向かって一台の車が突っ込んできた。

 運転していたのが高齢ドライバーだったとか、乗っていた車がリコール対象車だったとか、後からニュースやワイドショーが何度も繰り返し報じたそんな情報はどうでも良くて、何よりも重要なのは事故によってママが死んでしまった事だ。


 ママは車とブロック塀との間に右半身を挟まれて、ほぼ即死だったらしい。顔が潰れ、右腕がちぎれ……つまりママがあんなゾンビみたいな姿になってしまったのは、事故のせいだ。

 でもママはあんな姿になってもまだ自分が死んだ事を理解していないのか、それとも僕がまた同じような事故に遭わないか心配なのか知らないけれど、傷ついた身体で毎日僕の後をついて来る。

 行きも帰りもずっと、通学路を歩く僕の後ろには振り返ればゾンビママがいる。


 ママはゾンビみたいな姿になってしまったけれど、もしかしたら僕が置かれた気まずい状況を理解した上で、心配してくれているのかもしれない。


 学校に着くと、僕の机の上にはいつものように花瓶が置かれていた。悪戯にしては手が込んでいて、花瓶の花は誰が生け替えてくれるのか、いつも新しく綺麗な花だ。それでいて僕が教室に入っても特に反応を楽しむでもなく、誰も見向きもしないし、相手もしてくれない。


「ねぇ、これ、誰がやったの?」


 僕が聞いても、誰一人として応じてくれる人はいない。いつも一緒に遊んでくれた健司君や、幼稚園の頃は僕のお嫁さんになると言ってくれた日菜子ちゃんですら、徹底的に僕を無視する。


 あの事故の日以来、僕はイジメに遭っているんだ。


 心当たりはないでもない。授業参観の後、他のほとんどの子はいつものように集団下校を選んだ。でも僕は、友達とではなくママと一緒に帰る事を選択した。だってママと帰る機会なんて、滅多にないんだから。僕は当たり前のようにそうしたつもりだったのだけど、あの時の友人達の驚いたような表情は今でも忘れられない。小学校4年生にもなって友達よりもママを選ぶ僕は、きっと子供じみて見えたのだろう。


 挙句の果てにその帰り道、僕とママは交通事故に遭ってしまった。


 事故に遭ったのは僕のせいだ。僕がマザコンだからと言わんばかりに、あの日からみんなの目は一変してしまった。僕を空気のように扱うようになった。担任の知子先生ですら一緒になって、僕を無視し続ける。出欠で名前を呼ばれる事もなければ、授業中に指される事もない。日替わりの日直当番ですら、僕は飛ばされてしまう。

 あの事故でランドセルと一緒に教科書やノートもなくしてしまった僕は、先生にすら見捨てられて、自分の席でぼーっとただ座ったまま一日を過ごしている。

 ママはきっと、こんな僕を心配するあまり、追い回しているのかもしれない。


     ※   ※   ※


「ただいま」


 ママがいなくなった家は、同じ家とは思えないぐらい静かになってしまった。

 暗い家の中で、僕は一人、パパの帰りを待つ。


 帰り道もくっ付いてきたゾンビママはどうしてか、家の中に入ってくる事はない。ママはずっと、家の外で僕を探してうろうろしている。コツッ……コツッ……というヒールを履いた足を引きずる特徴的な足音は、僕が家にいる間も鳴り止む事はない。

 ぐるぐると家の周りを回る足音がママのものだとわかっていても、僕の胸の中はなんだかざわざわしてくる。あれはママだけど、ゾンビでおばけだ。僕はおばけに付きまとわれているんだ。


 一度、この際ママと直接話してみようと思って呼びかけてみたけれど、ママは聞こえないフリをしてそそくさと逃げ出してしまった。ママは僕を見守っているようで、そのくせ僕を避ける。僕にはママが何がしたいのか、さっぱりよくわからない。


 やがて暗くなった頃、パパが帰ってきた。


「ただいま」


 パパは帰るなり台所に立ち、料理を始める。ママが生きていた頃はパパが料理する姿なんて見た事がなかったけれど、今では毎日欠かさず包丁を握っていた。こうなるまでは知らなかったけど、パパは意外と器用なんだ。

 そうしてパパは、自分の分と僕の分、さらにママの分まで、きっかり三人分のお茶碗と味噌汁を食卓に用意する。ママが死んだ事はパパもわかっているはずなのに、毎日一度だって欠かす事はなかった。


「ママ、優斗、いただきます」


 パパは手を合わせると、自分で作ったご飯を食べ始めた。湯気の立つ食事はママが作る物に似てはいたけれど、どこか違ったものばかりだった。でもどれも美味しそうな出来栄えだった。


「今日は久しぶりに五十嵐さんに会ったよ。前に見た時よりだいぶ丸くなっててね、パパが痩せた分吸い取ったんじゃないかって笑ったんだ。あの人、ラーメンばっかり食べてるからさ。昼は毎日ラーメンライスばかりで」


 パパは食べながら、会社であった出来事を話してくれる。僕はなんだか食欲が湧かなくて、「五十嵐さんって、前にも話に出て来たよね」なんて適当に相槌を打ちながらパパが食べるのを観察し続けた。


 パパは自分が食べ終えると「ごちそうさま」と小さく言い、ママの分と僕の分もまとめて片付けてしまう。 

 ジャージャーという水音と、食器同士がぶつかり合うカチャカチャという乾いた音を聞いていると、ママが生き返ったみたいでなんだか鼻の奥がツンとした。家の外で様子を伺っているはずのゾンビママも、同じ気持ちなんだろうか。


 お風呂に入り、寝る前になるとパパは決まって仏壇の前に正座する。僕達の家には元々仏壇なんてなかったから、ママが死んだのをきっかけにパパがどこかから買ってきたものだ。

 おばあちゃんちにあるような大きくて立派なものとは違って、女の子の家にあるシルバニアファミリーのおうちみたいにこじんまりとした仏壇だった。


「ママ、優斗を頼むよ」


 線香に火を点けて、毎晩同じように手を合わせる。あんな姿になったママに、一体何を頼んでいるつもりなんだろう。パパがそんな事を言うから、ママはいつまでも僕の周りを追い回しているのかもしれない。

 ママがゾンビになって家の周りをぐるぐる回っているなんて知らないパパは、死んだママが一人で寂しがってやいないかと、ずっと気にしてるみたいだ。仏壇のママの写真の隣にまで、僕の写真を並べている。ママとお揃いの、白黒の写真。


 ママが死んでからもゾンビになって追い回すぐらい僕の事が大好きだったのは間違いないけれど、なんだか僕まで死んじゃったみたいで変な感じがするし、そのせいでママがいつまでも僕に付きまとっているようにも思えたから、何度かパパに言ってみたけれど、パパは僕の言葉なんて聞こえてないみたいに無視するだけだった。

 前はどんな時だって僕の話には真剣に耳を傾けてくれたのに。ママが死んでからというもの、やっぱりパパもおかしくなってしまったように思う。

 パパがこんな事を続けている間は、きっとママも成仏できずに僕の後をついて回り続けるだろう。


 ぶつぶつと独り言のように死んだママと僕に話しかけ、ひとしきり涙を流した後は、パパは僕を置いたままさっさと一人で部屋に引き上げ、電気を消して眠ってしまう。置き去りにされた僕は、暗い部屋の中でどうしていいかわからず、一人でごろりと横になった。

 どうしたものか、ママが死んでからというものお腹が空かないし、眠くもならない。

 こうして朝が来るのを待って、僕は再び、学校へと出掛けて行く。

 寝静まった家の外ではコツッ……コツッ……とゾンビママの足音がいつまでも響いていた。

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