不穏な来訪者


 アルバートに案内されて、グリンダリッジ城へと足を踏み入れた。

 ジャヴォーダン城より年季を感じる木製の扉や、歴史が刻まれた壁や天井に、身の引き締まる思いを感じる。


 騎士たちが見張りをする厳重な警備の一室へと入る。


 ティナは部屋のなかで、ベッドに横たわる見覚えのある美しい顔を見るなり、アルバートに「寝てるところまずいんじゃ」と遠慮がちに言った。


「さっき目が覚めたばかりだ。症例を見るに、次に目を覚ますのは少なくともひと月くらいはかかるだろう」

「へ? 症例って……ていうか一ヵ月ですか?! もしやアイリス様は過眠症になってしまわれたんですか?!」


 アルバートはベッドで眠るアイリスの傍らの椅子に腰を下ろす。


 そして、2年前になにがあったのかを話し始めた。


 ティナは茫然と立ち尽くしながら聞いていた。

 口は開けっ放しだった。乾燥した。

 ただ、数年にわたる真実を告げられたにしては、やけに物わかりの良い態度でティナはうなづいていた。


 サウザンドラとの確執に関する、長い長い秘密をすべて打ち明ける頃には、夜も更けていた。


 暖炉の薪が爆ぜる音だけが響くなか、すべてを話し終えたアルバートは「愚かな主人だろう?」と自嘲気に笑う。


「実は裁判所でアイリス様と話をしまして……。やっぱり、アイリス様は片時もアルバート様に悪意など向けていなかったんですね……」

「…………そうだ。全部俺のせいなんだ」

「むう……。アルバート様はいいんですか? このままで……? ティナは、もっとちゃんと話とかしないとダメだと思います」


 ティナは胸に手を当てて憂いのまなざしをアルバートへ向けた。


「彼女は眠りについた。長い眠りだ。仕方ないだろう」

「アルバート様らしくないですよ! アルバート様はなにごともしつこすぎるほどの執念で追及して、絶対にあきらめないじゃないですか!」

「アイリスを目覚めさせる方法はない。これが学会の主任研究者たちと俺がだした結論だ」


 あの日以来、サウザンドラの者たちに死ぬほど非難されながらも、アルバート率いる学会の研究者たちは、眠るアイリスをどうにか目覚めさせる方法はない物かと、あらゆる手を尽くした。


「前例はこの城の血の者たちが知ってた。どうやら俺と湖でやりあったからだったそうだ」

「やっぱり、そういう病気なんですか?」

「病気には違いないが、より厳密に言えば異なる。アイリスは……ルールに従ってるんだ」

「ルール、ですか?」

「ああ。ズルは通らない。借りたモノは、返さないといけない」


 アルバートは、指をつまんで広げてアナザーウィンドウを開く。


「初めてコレの存在が”後から付け加えられた世界法則”だと人が気が付いた時から、その存在は仮定として魔術学のなかで提唱され続けてきた。いわゆる、世界にルールを書き加えられる悪魔がいるっていう話だ」

「そんな怖い人がいるんですか……!?」

「人じゃない。概念だ。世界法則の悪魔は、いわば、果実が木から落ちる現象を仮称してるだけだからな」

「でも、アルバート様ならなんとかしそうですけど」

「俺は神じゃない。できるのは金儲けと復讐に邁進することだけだ」


 ティナは思う。

 なんだかネガティブになって自虐してはいるが、アルバートは神にも等しい天才ではなかろうか。

 どん底から這い上がって、家無しから城持ちになったり。

 魔術協会に追放されながら、実力で再び協会に戻ったり。

 さらには、あのドラゴンクラン大魔術学院にこの18という若さで講師として招かれたり。


 経歴の自由さは、魔術王国を見渡しても比類ないだろう。


「アルバート様ならできますよ!」

「そう言ってくれるとまだ自信が持てる。だがな、俺はもう、前ほど恐れ知らずに歩けなくなったんだ」


 アルバートの心中を様々な思いが過ぎていく。


 血の河の亡者たちから学んだこと。

 自分の体にかけた取り返しのつかない代償。

 

 ありとあらゆる犠牲となった者たちを無視して、呪いと怨嗟、屍と肉の上を歩いてきた。


 それもこれも魔王を飼ってたからだ。

 

 魔王を失ったアルバートは人間として正気になったが、その分、『怪物』としての気勢に欠けていた。


「まあいい。話はこれくらにしよう」


 アルバートは立ち上がり、「お前を呼んだのは仕事のためだ」と言う。


「ま、待ってくださいよ。実は協会の暗殺者と戦ってたとか、お城をめちゃめちゃにした張本人だったとか、いろいろいっぺんに言われ過ぎて頭の整理が……」

「お前は優秀だ。すぐに納得する」

「いや、私にだけ本当に雑ですね!!」


 10秒ほどして「まあ、わかりましたけど……」と納得した顔のティナ。


 アルバートは薄く微笑み、仕事を伝えはじめた。


 ティナの仕事は長き眠りにつくアイリスの世話を助ける事だった。


 基本的に付き人であるサアナ・ハンドレットを筆頭にサウザンドラのメイドたちが世話をしている。


 アルバートとしては、彼ら『血の一族』すべてを完全に許したわけではないので、アイリスのことはジャヴォーダン城で、アダンのメイドと、学会の最新の設備のもと面倒を見たかった。


 しかし、アイリスは『血の一族』の大切な当主だ。

 そして、ここまで彼女を追いこんだのは他でもないアルバートだったため、さしもの『怪物』も強気に出られなかった。


「だから、お前の出番だ」

「どこらへんにティナの出番が……」

「最後のサウザンドラであるアイリスを囲う者たちは、みんな俺の事が嫌いなんだ」

「まあ、そうですよね」

「彼女が目覚めたとき傍にいたあげたい。でも、ずっとここにいるわけにはいかない。俺とアイリスの中を快く思わない連中は、俺にアイリスの起床を知らせないかもしれないだろう」


 アルバートは「俺のモンスターもここは立ち入り禁止だからこそ、お前だ」と言って、ティナを指さす。


「ここにいてくれると助かる。アイリスはお前と仲が良かったからな」


 そう期待した顔で言われてしまうと、ティナはついついその期待に応えたくなってしまうのだった。

 

 ──数日後


 ティナはすっかり仕事に馴染んでいた。

 同僚たちサウザンドラのメイドたちだが、別にいじわるされることない。

 むしろ洗練された仕事人のように、あらゆるトラブルを解決するティナは、彼女たちから一目置かれ尊敬されるようになっていた。


 「ティナさん、虫が窓に……っ!」と甘っちょろいことを言う、どこの貴族の娘かわからない可愛らしい新米メイドがいれば、素手で手のひらサイズの虫を窓外に放り投げて、黙って仕事に戻る。


 ティナはグリンダリッジで、さっそく噂になり、サウザンドラ家の若いメイドたちは「ティナさんカッコいい……」と、くぐってきた修羅場の数が違う歴戦のメイド戦士の背中を追いかけるようになり、貫禄あるベテランのメイドたちは「若いのに大したもんだねぇ」と楽しげに顔にしわを寄せていた。


 そんなある日のこと。


 当番の日の夜、ティナはアイリスの体を拭いて、服を着替えをさせ、しなやかなご尊体をベッドに横たえさせていた。


 一仕事を終えると、ふと窓が開いているのに気が付いた。


 開けた覚えはなかったので、違和感を覚えながら窓をひらひら揺れるカーテンを押さえながら窓を閉めた。


「まったくこんな夜に開けっ放しにしておくなんて」


 きっとまた新米ちゃんの仕業だな、とティナはあとでさりげなく犯人を捜そうと記憶のメモ帳に項目を追加した。


「さてと、あとはアイリス様にお布団をかけてっと──」


 そう言い、部屋の真ん中の豪奢なベッドを見やる。


 男がいた。

 アイリスのベッドに軽く腰掛け、優雅に足を組んでいる。


「はう……ッ!!?」


 ティナはのどを引きつらせ、思わず後ずさった。


 一目見てゾワッと全身の毛が逆立つほどの不気味さだった。

 体は目を疑うほどに細く、手足も枝のように細長い。

 肌は死人のように白く、鼻が高く、口には紅を差している。


 愉快に言えばピエロのよう。

 だが、暗黒と形容するほどに暗い喪服を真っ黒いハットがそうは思わせない。


 より、的確に表現するならそれは──


「んんんぅ~ん、吾輩はしっかりと警告をしましたよ、血のお嬢さん」


 男の不気味な笑顔は三日月のようで、裂けた口からは、白い歯がぎらぎらと怪しく光っていた。


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