前へ進もうと思う


 見覚えのある天井が最初に目に入る。


 まどろみからゆっくりと覚醒する少女は、首を左右に動かして、しょぼしょぼする目であたりを見渡す。


 聞こえてくるのは、パチパチっと薪が爆ぜる音だ。視界端には、ちらちらと橙色の揺れる灯りが見えている。


「おはようございます」


 そう言うのは、ベッド脇に座っていた黒髪の青年だ。青年は、今しがた読んでいた本をパタンっと閉じて、視線を少女へ向ける。


 少女は思う。


 紅い瞳は相変わらず意志が強そうだ。

 自信に満ちる顔つきも変わらない。


 ただ、すこし痩せたように見えた。

 それに記憶の中の彼の母よりも、いくばくか大人びた印象を受ける。


 少女にとって、この感覚が初めてではなかった。


「……また眠っていたのね」


 ぬるい涙が少女の頬をつたう。

 青年は白いハンカチを取り出して、拭うように柔らかい生地を当てた。


「大丈夫です。僕は我慢強いので」


 穏やかな声だった。

 薄く微笑む顔つきも、今まで見た事がないほどに優しい。というか、優しすぎる気がした。


 少女はハッとする。


「もしかして、ここは天国?」

「まだ死んではないと思いますよ」

「でも、こんな……。ふふ、そんな優しい顔もできたのね」

「あまねくすべての生物は次の進化を待望するものです。僕も進化したんですよ」

「なによ、それ」


 少女はクスクスとおかしそうに笑った。


 しかし、フッと少女の顔から笑顔が消える。


「足音が聞こえるわ。悪魔が来る」


 少女は怯えた表情で青年を見る。

 潤む瞳が伝えたいのは一体何か。

 青年にはわかっていた。


 少女の頬に優しく手を添える。

 

「いつでも側にいます」


 少女は涙を流しながら、青年の手へ頬を押し当てる。愛おしくてたまらないかのように。


 青年は温かい涙に濡れる手を固く握りながら、ゆっくりと夢のなかへ戻っていく少女を見送った。


 ────────────────────


 季節は冬。

 厚い外套なくして、外を歩けないほどに肌寒くなってきた。


 ジャヴォーダン近郊で起きた怪物学会の大規模な魔術実験事故は、人々の記憶の奥へと忘れられようとしていた。


 あの恐ろしい事件も、もう2年も前の話だ。


「ティナ様、こちらロイヤルハーブティでございます。どうかお納めくださいませ」


 そう言われて、オレンジ色の明るい髪をしたメイド服を着こなす少女は、恭しく一礼をしてプレゼントを受け取る。本日14個目だ。


「ご親切にありがとうございます!」


 太陽のように明るい笑顔でメイド少女──ティナが微笑めば、有力商家の御曹司は、頬を赤らめて鼻下をだらしなく伸ばした。


 このやり取りも、今日だけで何回やったかわからない。


 ティナはそう思いながら「実はティナ様にお話がありまして──」と、商談に偽装した私的なアプローチしてくる商家の坊ちゃんをうまくいなして、客室からお引き取りを願う。


 時刻は夕方。

 本日の業務は終了だ。


「これで今日の窓口はおしまいですね。はあ〜疲れたぁー!」


 ぐてーっとソファに寝転がるティナ。

 立派なレディだが、溶けるように全身脱力していく様は、くたびれたおっさんだ。

 

「そのような姿、アダン家のメイドとしても、学会の事務員としても相応しくありませんね」

「っ、アーサー様っ!?」


 いつの間にか、客人用のソファに腰掛け、呑気にティーをすすっている老齢の紳士へ、ティナは飛び起きるなり背筋を正して起立する。


「しゅ、しゅみませぇん!」

「別段、わたくしめは怒ってはいませんよ」

「アーサー様がそう言う時は怒ってる時ですよ! う、ぅう、神様、アルバート様、ティナはここまでなのですか!」

「この程度で解雇していたら、あなたは8年前に屋敷を叩き出されていますよ」


 楽しげに笑う老紳士──アーサーは、ティーを置いて「さて」と言い、懐から封筒をだす。


「ついに融資窓口の係が決まりました。今日をもって、あなたの任務は完了です。ご苦労様でした」


 ティナは、ぱぁーっと明るい顔をした。


 融資窓口は、怪物学会の潤沢な資金を、新しい価値の発掘へ当てるための重要な事業だ。

 

 アダン家当主の提案で1ヶ月ほど前から始まったこの活動は、新しい魔術研究をはじめたい魔術師や、成り上がりたい詠唱者、没落した家を救いたい魔術使い、また新しい事業を始めたい商人などから多くの支持を得ている。


 これまで融資窓口は、学会から仕事ができる人材を担当にして、試験的に開かれて来た。


 良くも悪くも万能な人材として、高く評価されているティナは、こういっと新しい取り組みをする際、″とりあえず担当″にされる事が多い。


 融資窓口も例外ではなかった。


「アーサー様からもアルバート様に言ってくださいよ! 事業は見切り発車で始めないでくださいって! そして、その見切り発車の負荷を全部ティナに丸投げするのはいかがなものですかって!」

「坊っちゃんは研究者ですから、思いついた事は試さずにはいられないのです」

「毎月、全く違う職場に、責任者としてたらいまわしにさせられる立場にもなってください! これなら、まだ『古老』さんの魔術工房で、資料整理していた方がマシでしたよ!」


 プンスカと怒るティナの不満は、アーサーには届かない。彼としては、主人に多大な信頼を寄せられることは名誉でしかないからだ。


「まあ、何はともあれ、次の職場が決まりました。今度のはきっとあなたも気に入りますよ」


 ティナはアーサーから封筒を受けとり、あまり期待してない眼差しで文面を見やる。


「って、グリンダリッジ!?」


 グリンダリッジ。

 古くから『血の一族』が住まう土地。


 ティナにとっては、訳のあって主人が長らく滞在している土地であるという認識だ。


「まさかまさか、ここに来てアルバート様の助手に戻れるのですか?!」


 アーサーはにこやかに首を縦に振る。


 ティナは足元をもつれさせながら、慌てて客室を飛び出した。


 ──30分後


 怪物学会が誇る交通を使ってグリンダリッジ城へとやってきたティナは、血の騎士たちに、城前で止められていた。


「だから、わたしは今日からここに転勤になったティナなんです! ちゃんと証明書もあるでしょう!」

「こっちも確認を取らないとなんだ。勝手に不審者を入れるわけにはいかない」

「誰が不審者ですと?! 学会的に言えばティナは大概の職員よりもずっと大先輩ですよ! えっへん、もっと敬いの心を持ってですね──」

「正門にて、アダン家のメイドを名乗る不審者を勾留、っと」

「こらこら! 今日の仕事終わらせたいからって、ティナは適当な報告書を許しませんよっ!」


 騒がしく暴れるティナが取り押さえられる横で、騎士は拙い手つきで、ティナの持ち寄った書類が正式なものかを確認する。


 作業に不慣れなのは、素人目にも明らかだ。


 それもそのはず。サウザンドラ家、ハンドレッド家が、公に怪物学会の管理下に置かれるようになったのは、つい数週間前のことだからだ。


 本部があるジャヴォーダンや、そのほかの支部とは違って連携はまだ上手く取れていない。


「そいつは大丈夫だ。通していい」


 聞き覚えのある声に、ティナの耳がひょこっと反応をしました。


 声のする方向へ、視線を向ける。


「っ、アルバート様!!」


 門の奥、城の方から黒髪の青年が歩いて来ていた。


 アルバートと呼ばれた彼こそが、アダン家の当主でおり、今や大陸全体で存在感を強めつつある怪物学会の学会長だ。


 騎士たちは強張った表情になり「はは!」と言うと、ティナをすぐに解放した。


 ティナはわくわくした表情で駆け寄り、アルバートを見上げる。


 彼が週に1回ほどジャヴォーダンに帰ってくる際には、決まってティナが夕食の給仕をするので顔だけなら頻繁に見ている。


 しかし、夕食はほぼ必ずと言って良いほど、要人との食事会に使われてしまうため、メイドの身で、私的な態度でアルバートに接することは出来るはずがなかった。


「ふんふんふん♪」

「ご機嫌だな。調子が良さそうで助かる。招集を断られたらどうしようかと思ってたんだ」

「ティナが断るわけないじゃないですか!」


 ティナはアルバートとの間にそれなりに絆を感じている。アダンが苦しかった時を共に乗り越えた友人としての絆だ。


 そのため、ティナはアルバートの過度な心配は、彼なりのシニカルな冗談なのだと思った。


 だが、それは冗談ではないと気がつく。


 アルバートは本気で、ティナに今回の招集を断られることを心配していたらしかった。


「アルバート様の命令に叛いたことなんてないじゃないですか……。私、私が思ってるより信頼されてなかったんですか?」


 自信なさげなアルバートの顔。

 思えば2年ほど前から、彼はこんな顔をすることが増えていた。

 それもこれも、ジャヴォーダン城が灼熱に包まれた事故の日からだ。

 

 ティナは常々思っていた。

 あの日、何かあったに違いない、と。

 

 審問会が突然、解散させられたり。

 城が3ヶ月間閉鎖されたり。

 サウザンドラ家が協会を追放されたり。


 何も無いわけがなかった。


 学会が秘密だらけなのは知っている。

 ティナ自身には、さしたる権限はなく、その秘密に近寄る事ができないのも自覚している。


 主人が知るべきはないと言ったのならば、それは知るべきではない事なのだと自分を納得させて来た。

 

 そうやって、蚊帳の外にされても忠誠を尽くして、我慢して来たのに、その仕打ちが、不信では不満もつのるというものだ。


「ティナ、俺は……そろそろ、大人になろうと思ってるんだ」

「え?」


 アルバートは今年で18歳。

 十分に大人では、とティナは首をかしげる。


「前に進もうと思ってるって言った方が正しいか」

「はあ……」

「長いことお前に冷たくして来た手前、どうやって接すれば良いのかわからなくて、それで、また意味のない時間が過ぎた」

「逆にティナに温かい時期なんてありましたっけ?」

「魔術工房で助手をしていた時は、それなりに支え合っていたと思うが?」

「あっ! そんな昔の話してるんですか?!」

「……。俺にとってはまだ昨日の事のようだ」


 アルバートは気恥ずかしげに言いながら「まあいい」と仕切り直す。


「すべてをやり直したい。そう思いながらこの2年忙しいふりをしていた訳だが……ようやく勇気を貰えたんだ」


 アルバートは手のひらを見つめながら言う。


「あの……アルバート様? ティナには全然話が見えないんですけど……」

「お前にはわざと何も伝えてこなかったからな」

「やっぱりハブかれてた! ぬぬぬ、そんなストレートに言わなくても良いですよーだ! わかってますよーだ!」


 ツンとして腕を組み、ティナは拗ねてしまう。


 アルバートはティナの頭を軽くポンポンっと叩くと「まあ、道すがら話そう。アイリスも待ってる事だしな」と言い城へ歩き出した。


 ティナは不満げにしながらも、彼から離れないように駆け足で後を追いかけた。

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