魔王分霊


「アイリス殿」

「アイリスでいいわよ。それに敬った話し方も必要ないわ。わたしはもう協会の貴族じゃないから」

「それじゃ、アイリスで……。決闘をしませんか」

「決闘?」

「魔術の決闘ですよ。僕は魔術の競い合いが好きでしてね。悪しきを屠るのは、力ある者の役目だと思っているからです。ルールは簡単。俺はアイリスを殺したら勝ち、アイリスは俺を止めたら勝ちだ」

「なんでアルバートだけ、殺害がありなのよ。理不尽だし、恐ろしい話だわ。というか、わたしのこと好きなんじゃないの?」

「その感情と、この決闘はまったくの無関係だ。やるのか、やらないのか、決めて欲しい」


 アルバートは精一杯の真摯な声で言った。


 いや、馬鹿か。

 殺させてくれ、なんて誰が聞くんだ。

 今の今まで封印部の″お願い″を断ってきたのに、なんで今度は自分が人に″お願い″してる。


 自らのアホウなお願いに、アルバートは頭をコツコツと叩い羞恥に鳥肌を立たせる。


「いいわよ、その不公平なルールでも。ただ、ひとつ条件が」

「……。聞きますよ」

「やった。それじや、わたしがもし決闘のあとに生きてたら、わたしと、その……結婚してくれる?」

「はははは……この俺はと戦って、生き残れると……? 本当に?」

「こ、こら! 勇気出して慣例無視のプロポーズしてあげたんだから、暗黒微笑してないで、承諾しなさいよ……!」

「もちろん、良いですよ。俺もできるならその終わり方が良い。でも、それは叶いませんよ」


 まさかの殺人許可を得たことで、アルバートに潜む衝動が形となっていく。


 ダメだ、それは大きな間違いだった。

 アイリス、君はわかってない。

 まだ俺に勝てる気いる。

 あの湖の時のように……!


 アルバートは震える手で怪書を開く。

 恐怖ではない。武者振るいだ。

 

「本音を言うと……この時を待っていた」

「知ってるわ。アルバートは準備が好きだものね。それに″負けず嫌い″だもの。わたしを殺せるくらい必死で研鑽を積んだ秘術を、誰かに披露せずにはいられないんでしょ?」

「違う!」


 食い気味に否定するアルバート。


「……違う。俺はそんな幼稚じゃない」

「ああ……やっぱり」

「ふはは、だが、ある意味では君が正しいよ、アイリス。俺のなかにある復讐の炎は、君を殺す事でしか鎮火できないんだから」

「また遠回しね。仕方ないから、もっと素直になるように、ぶん殴ってあげるわ」


 アルバートは「ぶん殴る? ぶん殴るだって?」と聞き返し、腹を抱えて笑い始めた。


「ははははははっ! 無理に決まってるだろ! 『怪物』と恐れられ、『怪物学者』として名を広め、『学会長』として出世し、『厄災』として自然破壊し、『災害』として対策され、『闇の魔術師』と嫌厭され、『禁忌の魔術師』と熱狂され、『教祖』と崇められ、『人でなし』と中指を立てられ、『魔術師の面汚し』と卵を投げられ、『最悪の犯罪者』と通報され、『天才』とうたわれ、『夜明け候補』と期待され、『愚者』だと祖父に喜ばれ、『封印対象』として何度も殺されかけた──」

 

 一息に喋りきり、まだ続ける。


「このアルバート・アダンが、刻印すらもたない君に負けるとでも!? 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

 

 怒り狂うアルバートの赤い瞳に、黒い亀裂が入っていく。それは、アルバートであって″アルバートでない者″の降臨の証だった。


 アイリスは目を見開き「魔王分霊……まさか、それほどまで?」とつぶやいた。


 古い魔術をよく勉強してる彼女は、時代に忘れ去られた、いにしえの霊魂魔術を、アルバートから思い出していた。


 霊魂魔術とほ別名:魔王分霊と呼ばれる魔術であり、不老の肉体と、不死の魂を手に入れるための恐ろしい神秘の術だ。


 だが、この霊魂魔術にはかつて栄えていたもう一つの使い方がある。

 

 それは、目的に合わせて自分の魂を切り分け、用途に応じて自分を切り替えることで、数多の分野の専門家を身に宿すというものだ。


 人工的な多重人格である。

 これにより、あらゆる秘術の専攻者になれると期待された。

 とはいえ、現実はそれほど上手くいくものではなかったので、今日では廃れたのだが──。


「強い執念によって、分裂した魂は分霊となり、その感情を本人に代わって為す、代行者となるといいますが……」

「ああ、腹が立ってきた!」

 

 黒い亀裂瞳のアルバートは、足元を踏みつける。


 魔術協会とサウザンドラという、強大すぎる敵を倒すために切り分けられた魂だ。


 最大の敵であり、辛酸を舐めさせられ、敗北を教えられた敵に対峙した時、決して迷わないように、決して負けない為に作り出された。


 意図的ではなかった。


 あまりにも憎しみが強すぎたせいだ。

 そして、スーパーナチュラルという特異な存在の影響下に、長らく置かれすぎせいだ。


 その結果、黒い人格──魔王は勝手に生まれたのだ。


「流石はアルバート。魂の複製をするなんて……でも、霊魂の分割には非常に手痛い運命の返礼があります。今すぐにその魔王を消し去らないと」

「無理さ。お前には無理さ、イヒヒヒ。少なくともお前が生きてる限りはな、あは。俺のなかでお前を殺すための人格は生き続ける」


 アイリスは考える。

 どうすれば、この頑固者をなんとか出来るかと。


「はあ……いつの時代にも魔王が生まれる理由がなんとなくわかったわ」

「遺言はそれでいいか、レディ・アイリスぅ、イヒヒ」

「まったく、このままにはしておけないわ。特にあなたのような、恐らく″くだらない理由″で魔王化した者などね!」

「くだらない? くだらないだと?」

「世界への復讐とか、人類支配なら雰囲気あるわよ。もしわたしを、サウザンドラを破滅させたい衝動がまだ生き残ってるなら、それも良いわ。それだけの事だもの。でも、アルバートのそれは…… 魔術史に残ったら恥よ、だから早々に消してやるわよ、拳で」

「──やってみろよ。このアルバート・アダンを二度も負かせると思うなよ」


 アルバートは床を蹴って、一瞬でアイリスへ近寄り、怪書を大きく振りかぶった。

 

 背表紙で殴る気だ。

 アイリスは血の騎士から移植されたハンドレッドの【練血式】で肉体を強化して、しゃがんで、背表紙での殴打を避けた。


 直後、塔の足場が崩れはじめた。


「うわあ?!」


 アイリスは驚いて姿勢を崩してしまう。


 足元へ視線を落とすと、無表情の大きな青い顔が見えた。「人造人間……っ」と、緊張を顔に宿した。名前や能力は知らないが、恐ろしく強力なキメラだとは聞いていたからだ。


「それの名はダ・マン。美しいキメラだろう」


 ダ・マンが崩れた足場から手を伸ばして、アイリスを掴み、そのまま塔から飛び降りる。

 第一形態は足こそ遅いが、手や肉体の、反応速度自体が遅いわけではない。


 2人が落ちていく姿をアルバートは、寂しさを感じながら見下ろす。


 ダ・マンとアイリスが落下したのは、中央区画にある人工湖の側だった。

 湖畔は、鉱石を流し込んでつくった硬い人工の床で出来ている。


 高さ300mから身体を打ちつければ、いかに血で強化してようと大ダメージだろう。

 現に、塔から見えるかぎり、アイリスの動きはまったく無かった。

 

 姿勢を持ち直したダ・マンは、豆粒のように小さく見えるアイリスは襲いかかる。

 大振りの拳の数々を、アイリスはふらふらなしながら交わしている。


 そうして、わずかな抵抗をしていたアイリスだったが、ついに一撃クリーンヒットを許してしまった。数メートル簡単に吹っ飛ばされ、湖の近くに崩れ落ちた。


 ダ・マンは馬乗りになって追撃する。


 巨漢が拳を振り上げるたびに、重たい鉄球を岩に叩きつけるような大きな崩壊音が響いた。


 執拗にくり返される殴打、殴打、殴打──。


「原型すら残らんか……」


 アルバートは、遠くの出来事をあえて自分の目で、他人事のように観戦しながらつぶやく。


 遥か眼下で、ダ・マンは砕け散った湖畔の人工床のなかから、アイリスらしき死体を引きずりだすと、湖に放り投げた。


 湖からリヴァイアサンが出てきて、パクっと死体を食べてしまう。


 デジャヴを覚えると光景に、不安はよぎったが「流石に死んだか」と、アルバートは視線をきった。


 数分間の処刑……すべての光景を見届けて、ゆっくりと塔の手すりに腰をおろす。


 胸のつっかえは取れなかった。

 黒い人格は消えていない。

 

「殺したぞ。アイリスを殺したんだぞ……なんでこの締め付ける怒りは消えない……?」


 代償を払えば解放されると思ったのに。


「これじゃ……話が違う……ふざけるな、ふざけるんなぁあああ! 馬鹿野郎ぉぉ! 馬鹿野郎がぁあああああ!」


 朝焼けの空に、張り裂ける涙声がこだました。

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