ジャヴォーダン城の死闘 Ⅰ

 

 虚しさだけが残っていた。


 自分で築いた城の真ん中で、崩れかけた塔に腰掛け、ついに成し遂げたのが、愛する人を殺すことだった。


 俺は6年間も何をしたかったんだろう。

 

「こんな惨めな思いをするために生きてきた訳じゃない! ……もう消え失せろ.憎しみは十分だ、いらないんだ、お前は」


 胸をかきむしり、自分の内側から、いまだに冷めない熱を持った戦意を吐き出そうとする。


 アイリスを殺したのに、目的を達成したはずなのに、なぜ消えない。

 ぐちゃぐちゃになった、彼女の死体を、さらに冒涜しなければ気が済まないのか。


「あぁあああああ!」


 アルバートは喉を裂くような悲鳴をあげていた。


 空に響く学会長の声は、城内にいるモンスターたちの心に届き、皆が共鳴して鳴き声をあげる。


 主人は悲しんでいる。

 せめて寂しくないよう、我々も泣こう。


 数多モンスターたちの気持ちを受け取り、アルバートは涙を枯らして、背中から塔の床に転がって倒れた。

 

 はいずって崩れた床から身を乗り出す。


 塔の下、人口の湖を、アルバートは何かを期待しながら、水面を見つめる。


 リヴァイアサンが再潜水した後の、波紋が消えていく。誰も人工湖からは上がってこない。


 どこまで馬鹿なんだ。

 アイリスを殺した後悔の方がましなど。


 この世界に意味がなくなった。


「お前のせいだ、お前のせいだ」

 

 聖火杖を取り出す。


 高位の聖職者によって洗礼を受けた武器だ。


 これは本来、聖王国の対バケモノ組織『聖歌隊』に所属する、『宣教師』と呼ばれる聖戦士たちが使う道具であり、吸血鬼や人狼、悪魔など、いにしえの列強種族に対抗する力がある。


「俺のこともマトモに浄化してくれよ」


 持ち手を逆に持って、尖った先端を喉に向ける。賢者の石は使わない。スペアも使わない。


 ここで一番愚かな男を終わらせる。


 勢いよく聖火杖を、喉に突き刺そうとする。


 すると──


「こんなに気持ちが良い天気なのに、自殺するなんてもったいないわよ」


 凛とした声が聞こえた。


 ビクッと肩を震わせる。

 聖火杖を握る手をとめて、恐る恐る、アルバートは背後を振りかえった。

 

 アイリスがいた。

 崩れた塔の手すりにちょこんと腰掛けていて、足を組んでいた。


「どうかしら、アルバート、わたしと戦いたい気分じゃなくなった?」

「……どうして生きてる。なんのトリックだ? まさか、賢者の石を使ったのか?」

「賢者の石? そんな架空の遺物持ってるわけがないわ。『血の一族』は不死性に定評がある魔術師なんだから、これくらいお茶の子サイサイよ♪」


 得意げに胸を張るアイリス。


 なんらかの秘術を使ったのは間違いない。

 

 そう考えた時、アルバートの胸に炎が燃えあがった。


 今のいままで後悔してたのに、もう全力全霊で殺したくなっている。なんだこれは。ほんとうに頭がおかしくなってしまったのだろうか。


「なんだこのデジャヴは……」

「ふふ、わたしもなんか既視感あると思ってたところよ」

「あの時のようにはならない」


 アルバートの手の甲、腕、肩、胸にまで渡る大きな模様に青白い光が灯る。


「やっぱり、戦う気満々なのね。やっぱり、戦うプロセスが……″秘術の競い合い″が必要なのかしら」

「5秒前まで自殺する気だったが、気が変わった。ぶっ飛ばして吠え面かかせてやろう」

「病気よ、完全なる病気だわ。こんな恐ろしい病人の介護なんて、この世界の誰もしたがらないわよ。わたし以外はね」

 

 アイリスはいたずらな笑みを浮かべて「いいわよ、死ぬ程付き合ってあげる」と言い、指をくいくいっと動かしてアルバートを挑発する。


「どんなトリックかはわからないが、すぐに明らかになる」


 アルバートは2体目のダ・マンを召喚した。

 黒い液体から姿を表すなり、ダ・マンはタックルをしてアイリスへ突っ込む。


 確実に命中した。

 アイリスの華奢な体と、瓦礫が、塔から弾き出されて、中央区画へと落ちていく。


 アルバートは、その様を塔上から見下ろす。

 間違いない。ひるんで何もできていない。


 あのままでは【練血式】の再生能力があったとしても死ぬだけだ。

 サウザンドラ直系の【練血式】でなく、従家ハンドレッドの刻印なら、なおのことパワー不足だろう。


 アイリスが賢者の石を使い、自分に都合の悪い現実を改竄している可能性はある。


 しかし、現代において賢者の石を生産できるのはジャヴォーダン城地下の研究施設だけであると考えると、その可能性は低かった。


「賢者の石の伝説は知ってるけど、あれって死をどうにかできる代物なの?」


 ビクッとして振り返る。

 またアイリスが塔の上に戻ってきていた。


 やっぱり、なんかやってるぞ、この女!

 

「幻影魔術か? まさか血の魔術を捨てて、理論法則に裏切っただけでなく、外形幻影にまで浮気していたとはな、嘆かわしいことだ!」

「違うわよ」


 アイリスは、狼狽えるアルバートの様子を楽しみながら「答えを知りたいのー?」と、ウキウキした様子で聞いた。


 その様は、先程、アルバートがアイリスへ、自分の魔術研究の進捗を自慢するのによく似ていた。


 彼らは根っからの魔術師だ。

 長らく音信不通だった間の、魔術的な進化をシェアしたくて仕方ない生物なのである。


「ふん、罪の告白なら聞こう」

「だから違うってば、もう。わたしが生涯専攻してきたのは血の魔術だけよ」

「嘘を言え、嘘を。世界法則の悪魔の研究をして協会に媚を売ったくせに」

「あれも血の延長線にある魔術よ。お父様や、まわりはその本質的な意味を理解してなかったから、気がついてなかったけど」


 アイリスは「まあいいわ。とりあえず自分で確かめた方がはやいわね」と言って、てくてくと、無警戒にアルバートに近づく。


 眉根をひそめるアルバート。

 殺し合いの最中だと言うのに、呑気な彼女に、なめられている気がした。


 アイリスはニヤニヤ楽しそうにして、警戒を解かないアルバートの手を握る。


 アイリスは人差し指を立てて、唇にあてて、「しーっ」と言いながら、アルバートの手のひらを、自らの左胸に当てた。


「っ」


 アルバートは、久しぶりに焦り、冷や汗をかいた。


 心臓が……動いていなかった。

 それどころか触られてようやく気がついたが、恐ろしく肌が冷たかった。


 命の温もりがない。

 まるで死体のようだ。


「まさか、幽霊……」

「不正解」

「本体ではなく、偽物か? 血の眷属とか」

「それも違うわ」

「まさか、新しい血の魔術の成果?」

「む!」

「そうか……本物の吸血鬼になった訳だな」

「うーん、おしい!」

「もういい。教えてくれ。アイリスは一体何になったって言うんだ」

「諦めるの? 本当に諦めちゃう?」


 アイリスはアルバートに背中を向けて、腰裏で手を組み、ゆっくりと離れていく。


 適度な距離で、振り返ると、ニカッと微笑んだ。


「ふふ、答えはねー……悪魔よ!」


 それを聞いた瞬間、アルバートは聖火杖でアイリスに殴りかかっていた。


「だったら、これなら効くだろうッ!」


 切り替えの早過ぎる、速攻だった。


「だと思ったっ!」


 顔で「わかってた!」と言う表情をするアイリスは、指を鳴らして、乾いた音を響かせた。


 瞬間、アルバートの視界はもみくちゃにされて、自分がどこにいるのかわからなくなってしまい、何かに打ちつける衝撃が彼の全身を襲った。


 アルバートは首をふって気を持ち直し、自分がどこにいるのか確認する。


 あたりの景色から、自分が第二城壁の下部にいるのだと理解した。

 城壁の一部が陥没して、放射状に亀裂が広がっており、自分はここに叩きつけられたのだと理解した。


 中央区の塔から、かなりの距離吹っ飛ばされている。


「今の一撃で気絶してくれれば楽だったんだけど──」


「そこか」声が聞こえてきた方向へ、0.1秒と猶予を与えず、聖火杖を投擲する。


 土埃に風穴を空けて、聖火杖の先端が、アイリスの顔へせまる。が、彼女は首をふって、容易くかわしてしまう。


「これは避けるのか。ダ・マンは平気で、このちっぽけな杖は恐いと来たか」

「だって、それ危ない感じがするんだもの」

「危なくない。触ってみればわかる」


 アルバートはチラッと空を見上げて、素早くアイリスへと聖火杖を2本投げる。


 身を翻して避けるアイリス。

 聖火杖は第二城壁に刺さるだけに終わる。


 だが、その隙に、アルバートは陥没した壁の穴から、跳躍した。

 どこからともなく現れたスカイホーンドラゴンに飛び乗る。アイリスは「あっ」と声をあげるが、もう遅い。

 アルバートは第二城壁へと、ドラゴンの火炎ブレスに、自身の魔力を編み込んだ獄炎を容赦なくあびせた。


 これで城壁もろとも焼き尽くす。


 アイリスは壁を当たり前のように走って、獄炎から足で逃げていく。


「応援追加だ」


 そのうち、スカイホーンドラゴンがもう1体、また1体と増えていき──合計で8体のドラゴンがアイリスを燃やはじめた。


 しかし、アイリスは壁を縦横無尽に、重力を無視したように駆け回って、火炎を全て避けてしまう。


 その間、長さ1mほどの細長い黒い杭のような物を召喚しては、頻繁にドラゴンへと投げてくる。黒杭の多くはドラゴンの翼に刺さるが、大きなダメージにはなってはいなかった。


「無駄な牽制……それに、なぜ頑なに炎には当たりたがらない? ダ・マンの攻撃は受けたくせに……炎が悪魔に効くなんてあまり期待はしていなかったが」

「ピンポーン、炎は効かないわ」

「っ、じゃあなんで──」

 

 アイリスは愛らしくウィンクすると、指を弾いて、パチンッと大きな音を鳴らした。


 瞬間、黒い雷が落ちてきた。

 予兆なく、気持ち良い早朝の青空から落ちてきた。


 痛烈な黒雷は、スカイホーンドラゴン8体の翼に、連続して命中すると根本から焼き切った。


 飛行能力を失い、ドラゴンたちが第二城壁内に落下していく。


 目を丸くして、落ちていくドラゴンの背中で硬直するアルバート。


 焦げた血の臭いがした。


「ドラゴンが揃うのを待ってたのか」

「魔界から新鮮な黒雷をお届けよ!」

「また魔術の浮気か……」

「これもサウザンドラの秘術だってば!」


 鼻をつく、濃厚な血煙に、アルバートの脳裏をかつての死闘がよぎった。


「いはは……」


 アルバートは不気味な笑顔をうかべていた。


「楽しそうで良かったわ。でも、笑ってる余裕あるの? ドラゴン8体も倒しちゃったわけだけど」

「得意げになるなよ。こんなの地方自治体におさめる税金程度の損失にすぎない」


 アルバートはドラゴンたちを体の内側から燃やして、魔力を怪書を通して回収する。さらに懐から″紫色の果実″を取り出してかじる。


 アルバートの肉体に宿る魔力が、膨れあがり、あたりにオーラとなって溢れ出てくる。


 地面に着地すると、アルバートは空を見上げる。第二城壁には、物理法則を無視して壁に垂直に立っているアイリスが見下ろしていた。

 

「本音を言うと、すこし安心した」

「?」

「だが、まだだ。俺の6年間を無駄にしてくれるなよ」


 刻印【観察記録】が輝き出す。

 すると、暗雲がたちこめ、空を覆いつくした。

 すぐに土砂降りの雨が降り出した。


 アイリスは「あのモンスターね」とつぶやき、スーパーナチュラルを警戒する。


 だが、事態はよりシンプルであった。


「学会が保有するドラゴン、計3種類、その総数は──」


 滝のような、痛いほどの大雨によって、世界のすべてが水に飲まれていく。


「あっ……」


 第二城壁に垂直に立ち、地上のアルバートを見下ろしていたアイリスは、口をポカンと開け、目を見開いて、驚愕した。


 濡れた地面、壁、宙空から、凶暴な牙を生え揃えたドラゴンたちが這い出てきているのだ。

 

「──10,204体、学会空軍竜師団が、君への最初のプレゼントだ。受け取ってくれ」


 空を、大地を、城を埋めつくす竜の群れが、引き攣った笑みをうかべる孤独な悪魔のまえに現れた。


 

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