フレデリック・ガン・サウザンドラの末路


 アルバートは目の前で起こる予期せぬ展開を、復讐の衝動をおさえ、静かに推し量る。


 「理知的でよかった」アイリスが言ったとおりに、勢い任せに殺しはしなかった。

 理由はわからない。決して彼女に操られている訳ではないのだけは確かだ。


「いよいよ、大詰めか。ここまで大変に長かったな」


 声が聞こえて、没頭する思考から浮上する。

 横を見ると、ダ・マンのとなりに男が立っていた。


 炎のように赤い魔術ローブを纏っていて、髪の毛は落ち着いた茶色をしている。鼻の下には品の良い口ひげを蓄えており、外見から30歳前後の年齢だと思われる。まだ若い。

 

 見たことのない顔だった。


 ただ、身に宿る魔力の練度の高さから、アルバートは、自身よりも世代を重ねた魔術の徒であることはわかっていた。


「あなたは誰ですか? それに、朝っぱらから、どうしてこんなところに。私有地ですよ」

 

 男は空を見上げる。


「ドラゴンが飛んでいて街中大騒ぎだ。それに、門が開いていたのでね」


 男の言い分は、その通りだが、納得するほど理屈が通っている訳でもなかった。


「ミスター・アダン、君は利口な男だ。ただ、同時に無謀でもある。そこが美点ではあるが、私は見ていて不安だ」

「僕のことを知っていると。光栄ですが、今はどうしてもタイミングが悪いです。見てわかるでしょう」


 血塗れで倒れている魔術師と、それを追い詰める騎士がいるのだ。素人が見ても、常ならぬ状況なのは明らかである。


「いいや、悪くないタイミングだ」男は淡々と言う。「ミスター・アダン、なぜ、彼女がこんなことをしているのか知りたいかね」


 青い瞳が、アルバートを射抜いた。


「彼女は責任をとっているのだよ」


 この男、協会の関係者だ。

 フレデリックの仲間か?


「そうですかね。サウザンドラのすべての罪を、彼に押し付けて処理してるようにしか見えない。家の方が無傷で生き残るために」


 男は「なるほど。面白い推察だ」と薄く笑う。


「では、結果を見てみるとしよう」


 男はゆっくりと、庭のほうへ歩いていく。


 庭にはタカが外れた老人の声が響いている。


「ひっひっひ、馬鹿な裏切り者どもだ……お前たちはたしかに主席魔術家だが、協会から主席魔術師に選ばれたのは、このフレデリック・ガン・サウザンドラであるということを忘れているぞ……!」


 アイリスを指さして、叫ぶ。


「私には協会がついているッ! アイリス、お前が私を殺せば、お前は家を奪うためにクーデターを仕掛けた親殺しにして、主席殺しだ……! この世界の秩序がお前を生かしてはおかないぞ! はははっ! お前のせいでサウザンドラはおしまいだ! うははははぁあー!」


 フレデリックは前触れもなく走りだした。

 狂気にかられたようだった。

 この場を逃げて、魔術協会に助けをもとめるつもりらしい。


 屋敷の正門へむかって一直線に走り……しかし、その途中で、はたっと立ち止まった。


 そして、フレデリックは「オォォォォォ!」とガッツポーズをして雄叫びをあげた。

 歓喜に満ちた咆哮は、赤いローブの男を見つけたからだ。


「あああああ! 天は私を見捨てなかった! ありがとう、助かったぞ、バンデット殿!」


 フレデリックは20年来の友人に再会したかのように、両手を広げて、男──バンデットと呼ばれた魔術師へ、ハグをしようとする。


 アルバートはその名前を聞いて、眉をひそめた。


 その名に聞き覚えがあったからだ。


「バンデット……バンデット・クセルストン、あの男がそうなのか」


 フナを強く抱きしめて、ダ・マンたちを前へ出させて防御を固めた。

 あの魔術師に、フナを殺させるわけにはいかなかった。


 バンデットはフレデリックへ、にこやかに微笑み──そして、ハグしてくる彼をすいっと避けてしまう。


「協会より来た『烈火の魔術師』バンデット・クセルストンだ。いささか厄介ごとが起きたようなので、この場を調停しに参上した」

「そうなんだ、バンデット! 昨夜から最悪が続いておるのだ! エドガー・アダンの孫は一晩中、私を殺そうとしているし、愚かな娘は家督のためにクーデターを起こした! これほどの厄介ごとは早々にないぞ!」


 バンデットは「ああ、知っている、全部、承知しているとも」と穏やかに言う。


 ”主席魔術師”である『烈火の魔術師』がこの場に来たことは、アルバートにとって予想だにしない誤算であった。

 世界一普及した魔術の開祖が、直接、盟友を守りに来たということに他ならないからだ。


 フレデリックはつらつらと続ける。


「親に貶める不孝者と、主席を殺そうとする協会の敵には、粛清が必要だ!」


 必死の訴えにバンデットは凪のように、黙して傾聴するだけだった。

 ほどなくしてフレデリックは、自分の怒りを伝えて終えて満足して、口を閉じた。


 あたりが静かになるのを待っていたかのように、バンデットは唇を少し湿らせて、ごく小さな声で喋り始める。


「協会において、すべての主席魔術師は特別な地位にある。もしこの名誉ある主席の座を汚す者がいたとしたら、粛清が必要だ。二度とバカな真似を出来なくなるような、恐ろしい粛清が」

「その通り、バンデット! 権威を侵す無法者には罰が必要だとも! だから、君の日輪の術式でこいつらを──」


 バンデットは杖を腰のベルトから抜いた。


 古びた赤茶けた枝だった。700年以上から彼の魔術家に受け継がれる伝説の杖”セトの杖”だ


 戦闘態勢に入ったバンデットを見て、アルバートは怪書で先手必勝の撲殺をしようと、踏み込もうとする。近接戦ならずっと有利だ。


 あと一秒で本の背表紙を武器に、『烈火の魔術師』へ攻撃をしようとしたとき──いきなり、フレデリックの腹部が爆発した。


 小さな光が煌めいたかと思うと、急に大きくなって内臓を消しとばしたのである。通常の人間なら死を免れない威力だった。


 焦げた肉の匂いがあたりにたちこめる。


 バンデットはセトの杖の先端に火の魔力の残滓を残して、そこから、煙の尻を宙に引きながら、フレデリックへとそっと近づいていく。


 いきなり助けに来たと思っていた盟友に攻撃され、フレデリックは目を白黒させながら「ぎゃぁああ?!」と芝をのたうちまわっていた。


「あ、がッ! ぅご……ォォ!!! ばっ、ばっ、ばん、でっと……!!!!????」

「痛そうだ、フレデリック。だが、次のはもっと痛いぞ」


 バンデットはそう言うと、フレデリックの喉仏が内側から爆発した。


 フレデリックは声すらもあげられず、急いで【練血式】による治癒を行いはじめる。


 フレデリックが完全に無抵抗な状態になると、バンデットは懐から取り出した羊皮紙をひろげて、それをつらつらと読み上げていく。


「記憶魔術による審問妨害、裁判所での番人の殺害およびフェリア・コスモオーダー、フナ・コスモオーダーの誘拐、加えて、拷問などなど、まだまだたくさんあるようだな」


 最後まで読み終えると、バンデットは呆れたような顔をして「結論を述べよう」と硬い声で言った。


 正式な書類であるだろう羊皮紙は、下部分から発火して、そのまま真っ赤な炎で燃え尽きてしまう。


 言外に彼は”ここに書類は必要ない”と告げており、秩序を無視する姿勢を暗示していた。


「フレデリック、協会は君を主席魔術家から除名した」

「……っ!? はぁ、はぅ、ば、ばかな、そんな、ことが……っ!」

「嘘だとでも? このバンデット・クセルストンがお前のような矮小な存在に虚言をすると?」

「っ、い、いえ、まさか、めめ、滅相もございません……!」


 フレデリックは深々と頭をさげる。

 ぼろぼろの老人が、若者に毛の一本まで絶対服従する姿は、この世界の縮図そのものだ。


 魔術協会が絶対的な力を握っている国家において、魔術研究の最先端である主席は絶対だ。


 もっとも古い主席魔術家のひとつであるクセルストンの前では、同じ主席魔術家の当主であっても、時に泥水をすすらなければならない。


 バンデットはしゃがみこみ、セトの杖の先端で、フレデリックの顎をもちあげた。


 杖の先には、記憶司法裁判所でアルバートを焼き殺した太陽の、ミニチュア版が生成されており、フレデリックの白い立派な髭はやけ、顎が焼けて炭となってしまっていた。


 フレデリックは痛みに全身を震えさせながら、顔を真っ赤にして耐える。


「私は言ったはずだ。なんのためにサウザンドラ家に主席の座をやったのか」

「はぐ、ぅぅぅぅ! ぅぐ、ぅぅ……っ!」

「お前じゃないんだ。お前など、何の価値もない。その席は、お前の娘のために用意したものだ」


 バンデットは深くため息をつく。


 アルバートをちらりと見やり「それにお前より学会のほうがよほど価値がある」と、小さな声で本心をこぼした。


 彼はミニチュア太陽を消滅させる。

 彼はローブの乱れを直してたちあがった。


 フレデリックは苦痛からようやく解放され、のどを押さえて必死に呼吸をする。


 バンデットはゆったりした足取りで、緊張した面持ちのアイリスへ近づいた。


 アルバートは一連の流れを見て思った。


 やりやがった。

 こいつらフレデリックを切り捨てる気だ。


「待ってください、クセルストン卿。私は審問長官殿からフレデリック・ガン・サウザンドラの強制連行権を与えられています。その男の身柄は、まだ裁判所にある。数時間後に審問会は開廷され、そこには必ず原告を出席させる必要があります」

「正しい手順をとるのであれば、私もそうしたところである」


 バンデットはアルバートへ向き直る。


「しかし、法を越えた主席委員会の決定だ。君たちアダンとサウザンドラの紛争状態は、あまりにも社会にあたえる影響が大きい。よって、今回に限っては、超特別処置が有効だ」

「超特別処置……?」

「記憶司法裁判所の決定は、現実点を持って無効とし、審問会もまた破棄される。その男が罪を働いた証拠は、すでに協会側で掴んでいる。そのため、彼、およびサウザンドラ家への制裁は裁判所ではなく、協会が引き継ぐことになる。これが超特別処置の内容だ」

「司法権が移動するなんて、そんなおかしなことが──」

「──ある。超法規的措置と言い換えればわかりやすいか? これは主席委員会の決定だ」


 頭が痛くなる思いだった。

 アルバートは狡猾なアイリスの手腕に歯噛みする。


 あの女はサウザンドラを生かすために、無茶をやりすぎた父親を切り捨て、協会はそれを容認、司法裁判所から血の一族は守られる。


 完璧なシナリオだ。

 なんて、冷酷な女なんだ。

 

 アルバートは流石は邪知暴虐の魔女だと、数年越しにその悪知恵の威力を痛感した。


「だが、だからと言って、その女……アイリス殿にサウザンドラ卿を殺させるわけにはいかない。それでサウザンドラ家が生き残るなど」


 ここでやるか?

 この狂った秩序を、今ここで破壊するか?

 バンデットを殺せば、確実に戦争だ。

 学会は協会との、世界の管理者をかけた戦いに突入してしまう。


 学会に本当にその準備ができているか?


 アルバートは自分に問いかける。


 これは己だけの問題じゃない。


 学会に所属する全ての者が戦いの標的にされる。いつもアホな顔して、平凡で美味い料理をつくるティナや、アダンの為に身を粉にして献身してくれたたくさんの仲間たちが、四六時中、身の危険を感じながら生きる事になる。


 自分にその責任が取れるのか?


 アルバートは押し黙った。

 勢いで決められる話ではなかったからだ。


 そのうち、黙りこくったアルバートの気持ちを察するようにバンデットは口を開く。


「ミスター・アダン、私は君になにがあったかすべて聞いた。親を殺され、家を焼かれた気持ちは、察するに余りある。他にも多くの犠牲者が出たのだろう」

「っ、それがわかってるなら、俺にやらせ……ッ、やらせてください。その男はもう主席魔術師ではないんでしょう?」


 衝動的にでた言葉であった。

 どうせフレデリックが死ぬなら、せめて自分でとどめを刺したかった。


 バンデットはアルバートの問いには答えず、アイリスへ向き直る。


「ミス・サウザンドラ、お願いできますか?」

「そのために来ていただいたのです。迷いはありません」

「わかりました。……協会としても貴家を″協会から追放″することは望まざることです」

「いいえ。すべては父を止められなかった、次期当主であるわたしの責任です」


 アイリスは瞑目し、頭をさげる。

 バンデットは小さく何度もうなずき、「その誇り高き魂に安らぎが訪れることを願います」と、アイリスの手の甲に口づけをした。


 バンデットはセトの杖の先端を持って、持ち手部分をアイリスへ差し出した。


 アイリスはセトの杖を受け取る。


 まさかの展開に、アルバートは身を強張らせた。


 サウザンドラ家自体を協会から追放……?

 フレデリックひとりを消して、サウザンドラ家が生き残る作戦じゃなかったのか?

 刻印の破壊といい、協会追放と言い……これでは魔術家にとって、再起不能レベルのダメージだ。こんなんなら、まだフレデリックを死ぬ気でかばったほうが良かったはずなのに。


 めまぐるしく思考するアルバートを横目に、アイリスは這いつくばるフレデリックへ、セトの杖を向けていた。


 バンデットは事態を理解できていない様子のアルバートに「彼女が協会へ誠意を示さなければ……証明しなければ」と言う。


 誠意……。

 その言葉は、スッと、アルバートの胸に入ってきた。


 アイリスは証明しようとしている。

 次期当主率いる新生サウザンドラ家がフレデリック個人の暴挙とは無関係だと言う事を。

 すべての罰を受け入れ、淡々と身の潔白を証明しようとしている。


 それが誠意……だが、どこまで?

 先日の一件? いや、あるいはそれ以前、もっと昔の──。


「あ、あいりす……っ」


 かすれた声だった。

 弱り果てたフレデリックは、焼けた喉で炭くさい声をだして懇願する。


「たのむ、私は、ちちおや、だぞ……たすけてくれ、あんな男にだまされるな……」

「……偉大なる力には、偉大なる責任がともなう」

「っ」

「さようなら、お父様──」


 最後の瞬間、フレデリックは目を見開き、諦めたような顔をした。


 ノブリス・オブリージュ。魔術世界においてこの言葉は、力ある貴族が弱者を守るという事以外に、自分の力の後始末をつけるという意味も含まれている。


 フレデリックは目を閉じる。


 そうか。これが最後のけじめというやつなのか。

 

 終わりは一瞬だった。

 炎の刃がフレデリックの頭に穴を開けた。


 セトの杖によって放たれた火炎は、魔術世界最強の火属性である。

 清浄なる火は、悪しき魂をたやすく焼き尽くして、ものの数秒で肉体を灰にしてしまった。


 アイリスはとぼとぼと歩き、セトの杖を持ち主へかえした。


 結末を見届けたバンデットは、杖を受け取る。


「証明はなされた。サウザンドラ家へくだされた一族郎党大監獄への投獄は免除される。100年ののち、罪を洗い落とし、君たちが魔術協会へ戻ってこれる日のことを楽しみにしている」


 残酷すぎる宣告に対して、アイリスはまっすぐに受け止めて「ありがとうございます」と、深く頭を下げた。


 バンデットはうなずき、ローブを翻した。


 最後に放心状態のアルバートへ、ちらりと視線を向ける。「あとは好きにしたまえ、ミスター・アダン」それだけ言い残すと、彼は正門へ向かって歩いていってしまった。

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