黒い炎は君の血でしか消せない


「ふ、ふふ……ふはは、ははは、ははは……」


 アルバートはおかしくて仕方がないかのように笑い声をあげていた。


 我慢して、堪えて、堪えて、堪えて。

 ついには堪え入れなくなったようで、笑い声を大きく屋敷の庭園に響かせて、膝から崩れ落た。


 かたわらのフナは、心配そうに抱きつく。アルバートは、フナのふわふわした水色の髪の毛をポンポン叩いて、さらに笑う。


「アルバート、これは協会への誠意だけど、あなたへの誠意でもあるのよ」

「ははははははは、あはははっ、あーはははははっ! ウヒヒヒヒ、アヒヒヒ、あははは!」


 アルバートは引きつったように笑い転げる。


 警戒する血の騎士たちは、狂人が正体を現したと思い、腫れ物を見る目をしている。


 アイリスはそんな彼らへ、なにもしないよに目で合図する。

 

 これは自分とアルバートの問題だ。


「はははははは! なんて恐ろしい組織なんだ、イヒヒヒヒヒヒ、馬鹿なフレデリックだ! 自分の全てを協会に担保させるなんて、最後には切り捨てられやがった! イヒヒ!」

「アルバート、すべてを説明するわ」


 説明、その言葉に、アルバートは、ピタッとバカ笑いを止めて静かになった。


 今まで暗闇の海を必死で航海してきた。

 迷いなく、ただ巨悪を処する為に。


 だが、今、自分が目指してきた目的地が、実は間違っていたとわかった。


 6年間泳ぎ続けて、辿り着いたのは目的地とはまるで違う大陸だった。


 もうどうしていいか、わからない。

 

「今は、その説明とやらが欲しい」

「いいわ。今のわたしには、わかってるから。全部、わかってるから。あなたが何に失望し、何にあれほど怒っていたのか」


 アイリスは数日前のジャヴォーダンでの諍いの真相を知っている。


 原盤を見ずとも、アイリス派筆頭の血の騎士である第一鬼席から聞き及んでいるからだ。

 

 血の騎士は指揮権を持つ、『血の一族』サウザンドラ家の魔術師には決して逆らえない。


 それに加え、アイリスはまともに意識を保っていられる状態でなかった為に、フレデリックが6年前に行った蛮行を、知る事はできないでいた。


 だが、6年間行われていた情報統制は、すこしずつ次期当主であるアイリスに血の相続がなされたことで、ほころびを見せる事になった。


 ゆえに鬼席たちは、サウザンドラの未来を考え、血への信仰心を優先した結果、フレデリックを消すことに決めたのであった。


 フレデリックという魔術師は血の繁栄にとって、将来的に害にしかならないためだ。


「アルバートのお父様を殺して、家を燃やしたのは、確かにサウザンドラなの。でも、それはわたしの意志でもなければ、『血の一族』に連なる者たちの意志でもないわ」


 アルバートは黙って話を聞く。

 その瞳は光を宿しておらず、濁っている。


 アイリスは自分の言葉が、本当にアルバートに届いているのか不安になった。ここで誤解を解かなければ、もうチャンスはない。


 なのに、自分で言っていて、この弁明は、空虚な響きにしか聞こえない。


 アイリスは打ちひしがれていた。


 最愛の彼の怒りを知った。

 最愛の彼の恨みを知った。

 罪人を明らかにし、その魂を焼き尽くした。


 だから、どうした?

 アイリスは自問する。


 サウザンドラが殺害した事実は変わらない。


 責任を取り、大きな制裁を受け入れたとしても、アルバートが失ったものは戻ってこない。


 この6年間憎しみに囚われたアルバートを解放してあげることもできなかった。


 空虚だった。


 こうして昔とは違う、大人になったアルバートの前に立っていると、彼が自分とはまったく違う″厚み″のある時間を過ごし、そのなかで強い信念を成長させたことがわかる。


 どんな要因であろうと、人は強烈な動機と、願望で厚みを増す。


 現実と悪夢を行き来して、彼の側に戻れる日を数えては、摩耗していただけの自分とは違う。


 徹底的に厚い。

 アルバートが背負った憎しみは厚すぎる。


「……ああ、わかった。わかった、アイリス殿」

「その声音はわかってない時のアルバートの声だわ」

「本当に俺のことをよくわかってる」


 アルバートは何か納得したように「いいだろう、いいだろう」とつぶやきながら、かたわらのフナの顔を見る。


「ぁぁ、フナ様、迎えが来ましたよ。姉君のもとへお戻りください」

「お兄ちゃんは?」

「僕は自分の役目を果たさないといけません」


 フナは正門に、灰色の髪をした少女が立っているのを見つけた。

 さっき言っていたお迎えの女の人だ、と思った。


 アルバートは、フナの背中を押す。

 しかし、フナはすぐに戻ってきてしまう。アルバートの腰にしがみつく。


「愛する人を裁くとね、心が薄くなるんだよ」

「……」

「お姉ちゃんが言ってたの。悪いことをしたママを裁いた時に、心が薄くなったんだって」


 アルバートは「フナ様を姉君のところへ」と言い、正門で待つユウに託すようにうなずく。


 ユウは、半ば強引にフナをアルバートから引き離して、抱っこしてしまう。

 

 2人はアルバートから離れていく。


 フナはユウに聞く。


「お兄ちゃんは、あの女の人を裁くつもりなの?」

「マスターは、ここにたどり着くまでに。彼のすべてを賭けてきた。擦り減らして、擦り減らして、ボロボロになってここに来た。止まれるわけがない」

「判決は、ゆっくり審議しないとなのに……。誤審はね、一番いけないことなんだよ」

「判決は決まってる。もうずっと前から」

「どうして?」

「白か、黒か、迷ったまま、成し遂げられることじゃないから」


 フナはこのお姉ちゃんの言う事は難しいと思った──。


 ──しばらく後


 ユウがフナを連れて敷地からいなくなったあと、アルバートはスーパーナチュラルを召喚して、アイリスの記憶を読み取ることになった。


 アイリス含めた血の騎士たちは、得体のしれない超常の降臨に心底驚いていた。

 

 だが、アイリスはアルバートを信じて、自身の魂にスーパーナチュラルを受け入れることにした。


 学会が誇る最も神秘的なモンスターの最大の能力は、″魂を編集するの力″だ。


 さかな博士が発見した、″海を操る力″は、このモンスターが長らく深海に住んでいたために、自然と身につけた副次的な能力に過ぎない。


 魔術世界において、魂は記憶の連続性によって構築されると証明されている。


 そのため、魂を編集できるスーパーナチュラルは、魔術という手段を用いることなく、記憶の閲覧と加工ができてしまう。

 

 アルバートは、スーパーナチュラルの驚異的な能力を、魂の編集ではなく、優れた記憶魔術を使えるモンスターとして、アイリスたちへ紹介した。


「サウザンドラの誠意のために、俺はこいつを使う、良いですな、アイリス殿」

「構わないわ。ちょっと怖いけど」

「安心していい。俺は紳士である事に誇りを持っている。このモンスターで害を加えないことを約束する」

「大丈夫よ。アルバートが紳士なことは知ってるから」


 スーパーナチュラルから神秘の光を借りて、手に纏い、アルバートは彼女の魂に触れた。


 ──20分後


 アルバートは長らく閉じていた瞳を開けて、アイリスにかざしていた手を離した。


 終わったらしい。


 今回用いたスーパーナチュラル式記憶魔術は、コスモオーダーの持つプロテクションオーダーとは、全く違う手法をもちいた閲覧法だ。


 空間に実心象を投影して複数人で共有するものではなく、瞼を閉じて、瞳の裏で見る、実にこじんまりとしたものなのだ。


 そのため、アルバートが本当にアイリスの頭の中から、6年も昔の記憶を見つけることができたのかは誰にもわからなかった。


「どうでしたか、アルバート?」

「…………」


 問いかけに、アルバートは答えない。

 放心したまま、黙って一歩二歩と後ずさっている。


「アルバート? 大丈夫?」

「……大丈夫、です」

「記憶は確認できたの?」

「……」

「わたしがお父様と手を組んでアダンを陥れていない事はわかった?」

「…………記憶は劣化します。俺には、俺には、なにも見れませんでした」


 アルバートはアイリスから目をそらして、覇気のない声で言った。


 アイリスはじっとアルバートの顔を見る。


 アルバートはぎゅっと目をつむり、しばらく瞑目した。


 次に彼が目を開けたとき、そこには学会長としてのアルバートの気迫に満ちた目があった。


「アイリス殿、俺のために死んでくれますか」

「……止まれないのね」

「なにをいってるのか」

「自分を掌握できてないわ」

「違う。俺は自分を完全にコントロールできている。ふざけたこと言って、怒らせるのはやめてください」

「そんな否定しなくても。普段の余裕が感じられないわよ」

「うるさい」

「そうだ! アルバート、わたしと一緒に朝食を食べましょう? 今までの事は時間を掛けて、すこしずつ無かったことにしていけばいいわ」


 アイリスは近くの血の騎士に、「朝食の準備を」と耳打ちをする。

 騎士は頭のフルフェイスの兜をとって、「すぐに準備します」と言った。


 その騎士は、短い銀髪の少女──サアナ・ハンドレットだった。


 久しぶりに見た顔に、アルバートの頭には、血塗れた日からの、長い時間が蘇った。


 復讐に身を焼きつくし、さまざまな悪に手を染めた。

 自らの誇りを騙して、何でもした。

 ジェノン商会の商人マクド・ジェノンにはじまり、多くの悪い奴らに私刑をくだした。

 正義のためじゃない。ましてや、弱気を助けるノブリス・オブリージュのためでもない。


 全部、私情だ。


 悪人の尊厳は踏みにじってもよし、と自分の行いを正当化し、めちゃくちゃを通し、人体実験や、人体の複製は悪人でしか行えなない制約を設けて、自分の心を守って実験を続けた。


 誇り高きコスモオーダーに、秩序の中での裁きを求めておきながら、その実、自分が誰よりも自分勝手で、血と臓物の海を越えてきた。


 なんのためか?

 全部、復讐のためだ。


 そして──″アイリスに勝つため″だ


 もっと俗物的言うなら、金のためでもある。

 あの鬼神のような強さを越えるために、莫大な開発費のかけてキメラを強くした。

 

 結果、使役学は100年以上進んだだろう。

 素晴らしいキメラたちも生まれた。

 細胞レベルの使役を可能にする最強の使役術──【観察記録】だって著しく発展した。

 真に才能ある魔術師が、一生を捧げて到達できると言われる″第5段階″まで進化したのだから。

 

 夢を追い続けられる人間は強いと言う。

 毎日、努力し、熱心な信仰者のごとく、夢のために、己の全てを捧げられるからだ。


 アルバートにとっての信仰は、アイリスを殺すことだった。


 そのために、全てを捧げた。

 本当に全てを捧げたのだ。

 時間も、労力も、望まない事も、汚い事も、人道に反する事も、すべてを賭した。


 なのに、なんだ。

 直前なって、心変わりしろと?


 あんな記憶を見せられるなんて……。

 心の底から俺を思い、同様に、すべてをかけて俺を救おうと奔走していた少女がいた。

 

 アイリスはすべてを許してくれている。


 良い雰囲気で湖デートしてる最中に、いきなり暗殺しようとしたことも。

 そのあと一緒に研究したキメラたちを、殺人の道具として差し向け自滅させたことも。

 そして、若く可能性にあふれた膨大な時間を損失させてしまったことも。


 どれだけ、ボロボロで、どれだけ必死に俺を助けようとしてくれたことか。


 なのに、なのに……俺がしたことは?


 無理だ。無理だ。そんなの無理だ。


 もしここで自分の6年間の行いを後悔するくらいなら、アイリスを殺して、そのことを後悔したほうが、絶対に楽になれる。


 もう後になど、引けるわけがない。


 世界の歪みと戦うなんて正義に浸って、酔っ払いの勢いでここまで来てしまった。


 だが、もう目が覚めた。

 今更、自分だけ幸せになろうなど、虫が良すぎる。


 俺には幸せになる資格がない。

 この黒い炎は君の血でしか消せないんだ。


「……アイリス殿、朝食は結構です」


 ダ・マンを怪書のなかへ収容する。


 直後、巨大な魔力のうねりが発生した。


 庭の騎士たちは空を見上げる。


 雨だった。

 澄み渡る青空だったのに、黒雲が天空を支配し、豪雨が気持ち良い朝を終わらせていた。

 

 またたく間に、庭に薄い水の膜が張る。


「狂気に身を任せて、巨悪を討ち滅ぼすために、皆を連れて業火の橋を渡ってきた。でも、巨悪はいなかった。ヒヒ……どうして今更、自分だけ引き返せるんだ?」

「アルバート……」

「俺は、俺の戦いを終わらせる」


 庭に薄く張った水面が発光しはじめる。


 直後──転移魔術が発動した。

 あとには、サウザンドラ屋敷の庭にいた人間は、一人も残らず、姿を消してしまっていた。

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