チェイス開始
血にとって、最悪の死神が降臨した。
「きき、き、き、貴様どこから湧いて出た!」
「湧くものか、人間だぞ」
「誰か、誰か早く来い! 侵入者だ!」
アルバートはぶどう酒を少し口に含み、舌で転がし、味わい、グラスを机に静かに置く。
視線をうつせば、麗しき審問長官がいる。
とはいえ、囚われたフェリアは、拷問にあったようで、すでにボロボロであった。
予定より状況の把握が遅れていたせいだった。
血の眷属、結界魔術、探知能力に優れた冒険者、市民に紛れこんだ伏兵、等々──索敵用のニャオたちが、自由に動けなかったせいだ。
アルバートはフェリアの縄を解く。
「……アダン、殿………? な、ぜ……ここに……」
「勇敢なニャオが教えてくれたんですよ」
フェリアは黒いニャオが追い出された窓を見やる。
「あれは貴方の……」
「喋らない方が良いですね、顎の骨が砕けてますよ」
フェリアの顔の傷を観察する。
紳士として女性の顔を傷つけ、痛ぶるのは看過できないことだ。裏切り者でもなければ、絶対こんな事はしてはいけない。
「動かないでください」
外套の内ポケットから、小瓶を取り出して、フェリアの頭にかけた。学会製の霊薬だ。
「こんなところで終わってたまるか……!」
アルバートがフェリアを治癒している隙に、フレデリックはダッと駆け出し逃走する。
「どこへ逃げますか、フレデリック卿」
アルバートは懐から聖火杖を取り出して、素早く投擲する。銀色の杖は、逃走しようとするフレデリックの顔横に勢いよく突き刺さった。
「ええい、クソクソクソ! なんでこんなタイミングで現れる!? 性懲りも無く私の邪魔ばかりしおって!」
フレデリックは覚悟を決めて、戦いを選んだ。水属性式魔術を使い、樽からぶどう酒を抜き取る。
極上のぶどう酒が、宙をふわふわと舞う。
やがて、その液体たちは、怒られた子の背がピンと伸びるが如く、小さな剣にシャキッと形を急変させた。
「《流体螺旋剣》!」
紫色の剣が回転しはじめる。
触れれば流動性のある刃が、皮膚の表面を撫でるように削りとるだろう。
「コスモオーダー卿、こちらへ」
「あ、ちょっと」
アルバートは、フェリアの身体を縛る縄を聖火杖の尖った先端で斬り、彼女のちいさな肩を抱き寄せた。
目にも留まらぬ速さで放たれる紫色の死。
アルバートは計9本からなる、死の射線を見切り、射線上から逃げる。避けきれない投剣は、片手に持つ聖火杖で弾いてみせた。
「ば、ゔぁかな!?」
魔術師らしからぬ身のこなし。
魔術も使わずしのぎきったアルバートへ、狼狽するフレデリックは、肝を冷やした。
「さて、正当防衛の時間だ」
アルバートは今しがた自分を襲ってきたぶどう酒たちに、水属性式魔術をかけて、球体にして発射する。
隙だらけのフレデリックは、身体を大きく吹き飛ばされてしまった。
壁に設置されたキャビネットを破壊して、服をぐっしょり重たく濡らしたフレデリックは、全身を打ちつけ、床のうえに這いつくばる。
「フレデリック様! お下がりください!」
「ぐ、ぅ、遅いわっ! はやく助けに来い!」
部屋に入ってくるのは、血の騎士たち。
彼らと入れ替わるように、フレデリックは部屋から逃走した。
「あの生娘を狙え! あいつさえ殺せばなんの問題もない!」
フレデリックの言葉を聞き「あれは侮辱罪では?」とアルバートは、ぐったりして怠そうなフェリアに問いかける。
「誰が生娘ですか……侮辱…です、侮辱、重大侮辱罪、です……よ」
フェリアはアルバートの胸に頭を埋めながら、ボソボソと言う。
「ひとつ聞きたいのですが」
「……なんですか」
「この状況で僕がフレデリック卿の騎士を殺害することは、法律的にセーフなのでしょうか」
「正当防衛です……ですが、なるべく殺さぬように……彼らには法で罪を償わせます」
「血の騎士は死にませんよ? 冬眠するだけです」
「だとしても……です」
アルバートは「審問長官殿がそうおっしゃるのでしたら」と、向かってくる血の騎士の造血剣を聖火杖で受け止める。
「軽いな」
「っ、うぉお?!」
アルバートは腕力だけで鍔迫り合いを制して、血の騎士を弾き飛ばす。
杖のリーチより外に行ってしまった騎士へ、素早く杖を投擲して、その喉仏を貫通させた。
「あ、アダン殿!?」
「大丈夫です。彼らはあの程度では死にません」
喉仏に刺さった聖火杖が爆発を起こす。
血の騎士の身体は木っ端微塵に吹き飛んだ。
「殺しましたね?!」
「大丈夫です。冬眠です」
アルバートはフェリアを胸に庇いながら、血の騎士たちを捌いていく。
鬼席を軽くあしらえるアルバートならば、血の騎士ごとき敵ではない──″シラフ″のアルバートに、鬼席を殺せる実力があればそうだろう。
「チェストー!」
斬り込んでくる騎士。
「させるか、雑兵めが」アルバートは杖で造血剣をはじく。「はわわっ! 当たります当たります!」フェリアは怠さが吹き飛んだように声を上げる。
「おっと、危ない」
アルバートは存外に苦戦していた。
理由は明白、片腕にフェリアを庇っているからだ。
さらに、もう一つ。
本来のアルバートの実力が、熟達した血の騎士より、″すこし強い″程度なのも理由である。
アルバートは【観察記録】の能力を使うことによって、遥かに格上の個人とも渡り合うことを可能としている。
鬼席たちのような、名前の知れた猛者たちは、ニャオで常日頃から″観察″しているので、実際に会ったとしても、調整で対応できる。
しかし、血の騎士たちのような、個人単位で初見の敵は【観察記録】を完了するまで時間がかかるのである。
ゆえに、アルバートは鬼席を越える身体能力と、執事長アーサーから受け継いだ杖術・体術で、正々堂々の勝負しなくてはならなかった。
「なんてパワー、ぐぶぇえ!!」
聖火杖の一振りで、造血剣が折れ、血の騎士が吹き飛んでいく。
──ただ、学会長の優勢は揺るがなかった
手早く7人の騎士たちを無力化し、アルバートは一息をつく。
「フレデリック卿を追いかけます。コスモオーダー卿はアダン家のドラゴンが守ります」
外を見ると、ドラゴンが鼻息で窓を曇らせて待機していた。
「アダン殿、フレデリック卿を殺してはいけません。彼には法で罪を償わせます」
「命の保証はしかねます。あいては主席魔術師ですから」
「頑張りなさい。あなたは強いのでしょう」
「無茶をおっしゃりますね。努力はします」
アルバートは薄い笑顔をうかべ、フェリアをドラゴンの鼻頭に乗せてあげる。
「アダン殿、ひとつお願いが」
「なんですか」
「私の妹フナがいるはずです。助けてはいただけませんか?」
「探してみます」
「それと……」
「まだ、なにか?」
「審問会の件は……すみませんでした」
フェリアはペコリと頭を下げる。
「結果的に生きていたとは言え、私はあなたを一度殺そうとしました。恐れていたんです。怪物学会の学会長を」
「もっと潔白な組織としてのプロパガンダをしなければ。広告費を増やしますか」
「ふふ、あなたの冗談はあまり面白くないですね」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
クスリと笑みを取り戻すフェリアは、すぐに表情を真面目なものへ引き締める。
「もう数時間で夜が明けます。しかし、魔術協会は主席魔術師を守る為に、妨害を仕掛けてくるはずです」
「コスモオーダー卿の殺害はフレデリック卿の一存ですよ。協会は司法のコスモオーダーか、主席魔術家のサウザンドラか、決めかねているところでしょうね」
「どちらに転ぶかは、わかりませんが、負ける審問会にサウザンドラ卿が出頭しない可能性は高いです。なので、アダン殿にお願いがあります。いえ、これは審問長官としての正式な代行命令です」
フェリアは後で記憶魔術で証拠として、使う事を意識して声色をハッキリと続けた。
「特別措置として、審問長官フェリア・コスモオーダーはアルバート・アダンに、フレデリック・ガン・サウザンドラの強制連行権限を与えます。状態は問いません。″身体″だけでも必ず出頭させなさい」
「? それは……もしや──つまりそういう事ですか」
「よろしいですか、アルバート・アダン」
「……了解しました。審問長官殿」
アルバートは嬉しかった。
狂気的な正義を彼女のなかに見たからだ。
どんな状態であろうと、罪人の意識を確保し、そこへ刑を科す──死ですらコスモオーダーの求刑からは逃れられないとは、都市伝説的なレベルでは、まこと有名な話であった。
「コスモオーダー卿、あなたは美しいですね」
「い、いきなり何を言うのです……」
ドラゴンの鼻頭に、ちょこんと座るフェリアを、お姫様抱っこで持ち上げる。
「な、何を?!」
「怪物学会に興味を持ってもらおうと思いました」
床に広がっているのは、溢れたぶどう酒の水たまりだ。
アルバートはフェリアを片手に持ち直して、懐から取り出した小瓶から、透明な水を、ぶどう酒の水たまりへと垂らした。
「新しい秩序に必要な人間です」
「あ、あの、さっきから何を──」
「大丈夫です、あいつは信用できます」
言葉を言い切る前に、フェリアは浮遊感を感じることになった。「はぃ?」現に落下していた。アルバートがわざと落としたらしい。
背中から床に落ちれば、それなりに痛いだろう。
しかし、何故だ。
もしやこれは仕返しか?
殺人未遂の復讐としては地味だが、このタイミングでやるか?
フェリアが一瞬の浮遊時間に、様々思っていると、すぐにお尻からぶどう酒に突っ込んだ。
予想される衝撃は床の硬さだ。
しかし、訪れたのは身体が沈む感覚であったようだ。
アルバートはぶどう酒のなかへ消えたフェリアを見届けて、ドラゴンに空を索敵するように指示を出す。
「屋敷から出たところを爆撃しろ。サウザンドラの眷属はすべからく殺せ。あの性根の腐ったじじいを逃すなよ」
さらに、怪書をとりだし、速攻召喚でダ・マンを5体起動させる。床から黒い液体が湧き出して来て、青い巨漢たちが姿を現した。
準備は完了だ。
怪物学者の追跡がはじまろうとしていた。
───────────────────
──王都、アダン別荘、キッチン
──ティナの視点
朝ごはんはカレーにしよう。
せっかく、普段は会えないアルバートと一緒に、ひとつ屋根の下で食事ができる。
ならば、4時間ほど早起きして、朝食のしたごしらえをする努力もいとわない。
ティナはニコニコして、包丁をトントントンっ、とリズミカルに動かして肉を切る。
「にしても、ティナは王都に来れるなんて思いもしませんでしたよ」
彼女が話しかけているのは、ペットのニャオだ。アルバートはティナの事を、かなりのニャオ好きと思っているらしい。
だって、ティナのまわりには、いつもたくさんニャオ達の目があるのだから。
「これも日頃の行いがアルバート様に伝わっているんですかね」
パラケルススの秘書となり、審問会のための遠征メンバーに入れた幸運に感謝していた。
もちろん、本当はアルバートの助手でいたかった。いや、明確には助手をクビになったわけではない。また有効なはずだが、魔術工房にはほとんど入れてもらえなくなった。
心のどこかでは「あの鈍臭い女は用済みだ」と陰で悪口を言われているのでは、と不安を感じている。
「でも、胃袋をつかめばまだ勝機はありますね? ふっふふ、ティナの凄さをまたわからせてやらないとです!」
アルバートの為に3ヶ国語を話せるようにしたし、外交関係の勉強もした。学会が発行する怪物学の学位だってもっている。というか、学会の飼っているモンスターのほとんどの生態を把握して、世話しているのは自分なのだ。
ティナはみなぎる自信と、ちょっぴりの不安を胸に、今度は野菜の下準備にとりかかる。
「むむ?」
ふと、野菜を洗うための水瓶の水面がぷくぷく泡立っている事に気づく。
と、その時
「わあああ!?」
「やぁああああ?!」
水面から出てきた息を呑むほどの美少女に、ティナは奇声をあげてひっくり返った。
「こ、これは、どういう……」困惑するフェリアは、借りて来たニャオのごとく、きょろきょろ辺りを見渡す。
「はぁ、はぁ、はぁ、アルバート様め、また座標指定が面倒だからってティナのところに!」
ティナは悪態をつきながら、一瞬で状況を把握して、持参してる銀の鞄から、タオルを取り出し、びしょ濡れのフェリアに渡してあげる。
「あ、もしかして、審問会で一番上に座ってた方ですか……?」
フェリアの顔を見て、彼女が誰かを思い出した。
「わ、私はティナです! アルバート様のメイドでして……あ、とりあえず、そこ出てもらってもいいですか……?」
ティナは、寒さに震える審問長官を、優しく介抱してあげる事にした。
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