ノブリス・オブリージュ Ⅱ


 フェリアは後ずさる。


 黒服に身を包んだ侵入者たちは、一歩、また一歩と彼女へ近づいていく。「フェリア・コスモオーダーだな」黒服は確認する。

 

「一緒に来てもらう」脅すように侵入者は言う。「断ります」と、毅然としてフェリアは拒否する。


「雇い主はサウザンドラ卿ですね?」

「お前が知る必要はない」

「そうですか。ならば、こちらも不躾な侵入者に遠慮はしません」


 フェリアの手元の本を、男へ投げつける。


 男は想像以上のつまらない抵抗に、鼻で笑いながら、投げつけられた本を、手で払いのけた。

 瞬間、フェリアは男の懐に飛び込んだ。息を呑む侵入者。彼女の手が侵入者に触れる。


 フェリアは短い詠唱をする。「スクランブル──」直後男は狂ったように踊りはじめた。「アヒャ、ヒャヒャヒャ!」笑いながら、頭を掻きむしる。


「記憶の連続性を破壊しました。あなた達もこうなりたくなければ去りなさい」


 フェリアは手を払い、動かなくなった黒服を踏みつける。


 想像以上に苛烈な反撃に、侵入者たちは狼狽していた。


「怯むな。相手は一人だ」


「多勢で来ようとも、最初のひとりは必ず殺します」


 フェリアは凛とした表情で、侵入者たちを魔術工房から追い出すように、少しずつ、少しずつ前へ足を運ぶ。


「いっせいにかかれ!」


 侵入者たちがバッと機敏な動きでせまる。


 短剣が鋭く突き出された。


 フェリアはぎこちない体捌きで、なんとか避ける。

 そして、強化魔術をかけた白い足をひっかけて、侵入者を転ばせた。


「スクランブル!」


 倒れた侵入者の頭を叩き、記憶をかき混ぜ、無力化すると、すぐに次の侵入者がやってきた。


 その侵入者はフェリアにタックルをぶちかます。持ち上げ、魔術工房の壁に叩きつける。


 痛みにうめく、フェリア。

 

「触れるな!」


 フェリアは膝蹴りで、何度も侵入者の腹を打ち上げ、最後に記憶を破壊し、蹴り飛ばした。


 普段、まったく運動しないフェリアは、息も絶え絶えに、額の汗をぬぐう。


「動くな!」


 怒鳴る男の声。


 廊下側にいた声の主は、魔術工房へと入ってくる。


 フェリアは目を見張った。


 なぜなら、その侵入者は、気絶したフナの喉元に短剣を押し当てていたのだから。


「殺されたくなかったら、抵抗するな」

「その子は関係ないです。離しなさい」

「審問会じゃねえんだぜ。命令すんな。てめえが大人しくすれば済む話だ」

 

 フェリアは歯を食いしばり、自身に問いかける。


 この侵入者たちの狙いは大体わかる。

 審問会の妨害だ。

 つまり、正義を横暴に、捻じ曲げようとしている。

 そんな事は許されない。


 フェリアは気絶したフナを見つめる。

 

 私は正義の為に両親を裁いた。

 すべては秩序を守る為だ。


 ならば、フナの命を奪われようと、そのために審問会の結果を捻じ曲げるわけには──。

 

「このガキがどうなってもいいのか?」


 フナの肌に短剣の先が触れ、血が滴る。


「やめ……やめなさい」


 フェリアは弱々しく言った。

 強くは言えなかった。激昂してフナを傷つけられたらと思うと、もう何も出来なかった。


「よし、それでいい」


 侵入者は、さっきよりも、小さく、弱く、見える少女の顔を思いきり殴打した。


 私もまた、弱く愚かな人間だった。

 母と何も変わらない。


 ───────────────



 酷い頭痛がした。

 頬にも鈍痛を感じる。


 薪が爆ぜる音が聞こえる。

 暖炉が近くにある?


 フェリアは、重たいまぶたを持ち上げる。

 

「やあ、目が覚めたようだね、フェリア君」

「……サウザンドラ卿」


 暖炉の近く、背を向けるその男が、フレデリックだと言うことに、フェリアはさしたる驚きを感じなかった。


 フレデリックはぶどう酒を口にふくみ「んぅ、素晴らしい深みだ」と感嘆の息をもらす。


「1750年は雨が降らず、ぶどうがよく熟成された。この年のツェトー・コロンは格別だ。一本で、平民の家が3軒ほ建つだろう」


 フレデリックはフェリアのそばに寄る。


「コスモオーダーは、肥沃な領地にワイナリーをいくつか持っていたね。凡百な味では、もはや楽しめぬかもしれんが、きっとこれは君の口にも合うだろう」


 フレデリックは、フェリアの背後に視線を向ける。執事服を着た男が、台車を転がしてくる。


 台車には、大きな樽が積んであった。

 中身はぶどう酒だろう。


「サウザンドラ卿、目的はなんですか」


 フェリアは樽から視線を切って、フレデリックを睨みつけた。


「強い瞳をしている。うちの娘とよく似てる」

「後悔する事になりますよ」


 フェリアの怒気をはらんだ口調。


 穏やかだったフレデリックは、彼女の口調が癪に触ったのか、フェリアの喉元に掴みかかった。


 片手で首を締め上げ、椅子に縛られたフェリアを持ち上げる。


「誰に口を聞いている、このクソガキが!」

「う、ぐっ……」

「審問会で恥をかかせおって! 法廷では審問官が一番偉いとでも? 何を勘違いしているのだ、協会を動かしているのは主席魔術師だ! 世界の秩序を守り、記憶司法裁判所を設置したのもすべては主席魔術家のおかげだ!」


 フェリアは苦悶の表情を浮かべもがく。

 そして、地面に投げ捨てた。


「げほっ、げほっ!」

「たく、最近はどいつもこいつも私の偉大さがわかっておらん」


 フレデリックはローブを脱ぎ、シャツの袖をめくる。


「フェリア君、何を寝ている。まだ就寝の時間じゃない」


 改まった口調で、フェリアの水色の髪を鷲掴みにし、椅子を起こした。

 ブチブチと、綺麗な髪が引きちぎれた。


「さて、君には今二つの選択肢がある」

「げほっ、はぁ、はぁ……」

「家に帰って格別なぶどう酒を楽しむか、あるい後悔を胸に、苦痛にまみれた長い夜を過ごすかだ」


 フェリアはフレデリックを睨みつけ「外道の作った酒を飲む趣味はありません」と言い放つ。


「ほう、言うじゃないか」


 フェリアの横っ面が勢いよく殴られる。

 想像を絶する痛みに、彼女は意識が飛びかかった。


「アルバート・アダンに死刑判決を科せ。ただ、それだけで良い」


 フレデリックはまた倒れた椅子を起こす。


「断り、ます……」


 痛みに涙を流しながら、フェリアは断固として言った。


「私だってコスモオーダーの血を途絶えさせたくはない。わからないのか、フェリア君。君は自分勝手な正義に固執するせいで、先祖代々の刻印を失おうとしているんだ。それが賢い選択と言えるだろうか。考え直せ。正義を歪めろと言ってるわけじゃない。『怪物』アルバート・アダンはどうせ隠れて極悪非道な犯罪をしているに決まっている。遅かれ早かれ、奴には法の裁きがくだる」


 意識のもうろうとするフェリアを説き伏せるべく、フレデリックはつらつらと言葉を並べる。


「君のお母さんだって、祖母だって、大局観をもっていたはずだ。目の前にある小さな不正ではなく、より大きな正義を守る。それが正しいコレを使い方だとは思わんかね?」


 フレデリックは、フェリアの細い腕を撫でて、刻印をなぞり、耳元でささやく。


「アルバート・アダンに死刑を課すと言え。そうすれば、もう痛い思いはしなくて済む」

「……………………断ります」


 小さな声。

 されど強大な意志。


 フレデリックは顔をあげて「そうかそうか、どうやら君は相当に物分かりが悪いらしい」と拳を血の硬化能力で覆った。


「なに、君が死んでも代わりはいるさ。審問書記官のパッツェ君は、私の言葉を理解してくれたし、君のお母さんもオーメンヴァイムでまだ存命だ。特別措置として出所させればいい」

 

 フェリアは「殺される」と確信を得た。


 今まで、自分は判断を間違えた事はなかった。


 正義にのっとり、法にのっとり。

 感情に流されず、正しくあり続けた。


 ……いや、ひとつだけ間違えた。


 本日の被告人、アルバート・アダンの術殺。


 あれだけは早まった。

 でも、あれは被告人も悪いだろう。


 フェリアは自身の為に言い訳をする。


「まあ、でも、一回だけのミスです……生涯、正義を貫けたのなら、悔いはありません」

 

 偉大なる力には偉大なる責任がとまなう。


 コスモオーダー家に生まれ、他人の人生を、その判断ひとつで天国にも、地獄にも送れる力を与えられた。


 常に公平で正しくあろうとした。


 ゆえ、たとえ殺されようと、私は偉大なる責任を果たします。


 フェリアは目をギュッとつむった。


「にゃーお」


 死の間際に、癒しが訪れた。


 どこからか聞こえるのは、ニャオの声だ。


 気の抜けた鳴き声は、窓から聞こえた。


 視線を向けると、部屋の窓辺に黒いニャオがいた。香箱座りで、リラックスしているように見える。


 フレデリックは水を差された事にイラッとし、ニャオを追い出して、窓の鍵を閉めた。


「不気味な畜生めが」


 黒いニャオは不幸の前兆だ。

 明日の審問会の事もあり、縁起が悪かった。

 

 窓がしっかり閉まったのを確認して、振り返る。凌辱の続きだ。この娘をどうしてやろう。


「さて、フェリア君、今夜は存分に楽しもうじゃないか──っ、ぁ、そんな、馬鹿な……っ?!」


 フレデリックは目を大きく見開き、驚愕に息を呑んで、後ずさった。


 いつの間にか、暖炉の近く、栓の開いた酒瓶をかたむけ杯に注いでいる男がいたからだ。


 薄く瞳を開けるフェリアはつぶやく。朦朧とした意識の、か細い声で「被、告人……」と。


「審問長官殿、災難な夜ですね」


 被告人──アルバートはそう言い、優しく微笑むと、冷たい瞳でフレデリックへ向き直った。

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