審問会──実心象


 フェリア・コスモオーダーは、特別な人間だ。


 平民と貴族という枠組みですら、粗く感じてしまうほどに、唯一の存在ということだ。


 その過去も平凡とは言い難い。


 フェリアが思い出せる最初の記憶は、4歳の頃、酒癖の悪い父が、人を死なせた事だ。

 彼はコスモオーダーという身分ゆえに、審問会において無罪判決を受けた。


 フェリアの父の横暴は、その時に始まったことではなかった。


 彼はこれまでに、少なくとも35人の人間を殺したが、罪に問われたことは一度も無い。


 フェリアは、ろくでなしの父が好きではなかった。


 彼は、自分や妹に暴力を振るい、刻印を正当に継承する予定の、美しい長女ばかりを可愛がっていた。尊敬できるわけがなかった。


 刻印を継承したら、家を出よう。

 そして、姿を眩ませよう。

 誰も自分のことを知らない土地で、冒険者でもして生きていこう。


 子供ながらに賢かったフェリアは、漠然とそんなことを考えながら生きていた。


 しかし、長女が父親の″誘い″を断り、殺されてしまった事で、すべての計画は失われた。


 10歳の頃、母親から魔導継承刻印を継承したフェリアは、初めて人を裁く力を得た。


 その夜、母親に懇願された。「あの男を裁けるのはあなただけよ」と。


 フェリアには、正義感の強い母が、どうして父を野放しにしていたわからなかった。


 結局、母が失踪して姿を絡ませてしまいわからずじまいだった。


 フェリアは消えた母親に代わって、この国の審問会を運営しなければいけなかった。


 最初に裁いたのは父親だった。


「判決を禁固250年とします。閉廷」


 コスモオーダーは秩序を守る義務を持つ。

 この国に住むあらゆる者に対して、裁判所への出頭を命ずる権限を持っている。


 もし被告人が出頭に応じなければ、裁判所の番人、あるいは王家の憲兵隊、また魔術協会の法務部が、被告人の強制連行に動くだろう。

 

 コスモオーダーは秩序だ。


 とりわけ、フェリア・コスモオーダーは歴代でも、正義の執行に全力な秩序の守護者だ。


 彼女が2番目に開いた審問会が、蒸発した母親の、職務怠慢の提訴だったことを思い出せば、彼女の意志に隙がないのは自明の事だ。


 フェリアはその時に初めて知った。

 母が父を裁けなかったわけを。


 愛していたから、だそうだ。


 くだらないと思った。

 恥を知れと罵った。


 愛など、正しさの前には意味がない。


 自分はそんな者に惑わされず常に正しくあろう。


 フェリアの決意は揺るがない。

 両親を大監獄オーメンヴァイムへ投獄した『冷血の裁判官』として、彼女の名前は広く知れ渡る。


 その意志と正義は、魔術協会からいかなる圧力が掛かろうとも屈しはしない。


 ────────────────


 ──記憶司法裁判所、裁きの間


 数日前、魔術協会からある手紙が届いた。


 内容は″ある人物″を早急に絞首刑に処すために、審議の結果を操作すること。

 具体的には、審議において重要な役割をもつ『証拠心象』──記憶魔術により得られる映像記憶──を書き換えろ、との命令書だった。


 フェリアは瞳を開ける。

 裁きの間の中央、魔法陣のなかで椅子に座る青年がいた。


 彼が本日の被告人アルバート・アダン。

 ここ数年よく名前を聞く『怪物学者』だ。


「──被告人、これよりあなたに対する重大殺人被告事件の審問をはじめます。それでは、原告調査官、起訴状の朗読をどうぞ」


 フェリアの指示で、魔法陣右側、魔術協会の調査官が立ちあがる。


「被告人、及び被告人の代表する集会は、協会暦1759年4月30日正午、ジャヴォーダン郊外にて、同氏が建造したジャヴォーダン城内で、12名の魔術師からなる魔術協会の視察団を、爆発に類する攻撃魔術をもちいて、11名の魔術師を殺害をおこなったものによる。罪状、重大殺人」


 起訴状読み終え、原告調査官は静かに着席する。


「審問を始める前に、告げておきますが、被告人、あなたには黙秘権がなく、この審問で黙っていることは、あなたの不利益をもたらします。求められた質問に対しては、すべからく答えるように。有利不利を問わず、この審問を通して、あなたの発言すべてが証拠になります。この事はわかりましたか?」

「はい、わかりました」

「では、その上で訪ねますが、今しがた原告調査官が読みあげた公訴事実に間違いはありますか?」


 アルバートはフレデリックの顔をチラリと見やる。


 余裕だな。

 審問長官に根回しは済んでるのか?

 あるいは、よほど腕の良い記憶魔術師に対策を依頼したのか?


 アルバートは、フレデリックがどんな準備をしたのか考えていた。


 とはいえ、この数日間、ニャオを使ってフレデリックのまわりは調べていたので、予想外のことが起こる可能性は低い。


 アルバートは、いくつか考えられる攻撃のうち、どれが来るかを予測しているのだ。


 なぜなら、秩序のなかで戦う以上、主導権はフレデリック側にある。


 アルバートに出来るのは、破滅させに来たところで、臨機応変に反撃を喰らわすこと。


「被告人、聞いていますか?」


 黙っているアルバートへ、フェリアは眉根を寄せて、もう一度聞く。


「原告調査官の読みあげた公訴事実について──」

「まったく違っています。何一つ正しくはありません」


 断固たる否定だった。

 傍聴席がざわめく。


「私の行動はすべてが正当防衛と言わざるを得ないものです。その日、私はジャヴォーダン城へやってきた視察団を迎え入れ──」


 アルバートは当日の様相を、事細かに、記憶の通り、ひとつも間違える事なく伝える。


 その中には、クラス2のモンスターに関する事や、怪物学会の研究成果に関する事など、傍聴席がうるさくなる話題ばかり散りばめられていた。


 膨大な魔術的成果をそのまま垂れ流したことが、アルバートの話に信憑性をもたせた。


「──そして、塔で私はフレデリック卿の誘いを断りました。その結果が、先日のジャヴォーダン城での惨劇です」


 アルバートはなるべく演技くさくならないように、淡々と事実を述べるように言った。


 本来は、もっと演出と脚色をくわえ、審問官へ訴えかけるつもりだった。

 アイリスに「演技の才能がない」との忠告を受けて、考え直し、逆効果になるだろうと思ったゆえの作戦変更だ。


「被告調査官のご意見はいかがですか?」


 アルバートの弁護をする、赤髪の少女調査官──クラークは、スッと起立した。


「被告人と同様であります。被告人が魔術協会の視察団にたいして、先んじて致命的魔術攻撃を行なった事実は無く、無罪であります」


 クラークは詰まらずに、早口にならず、十分な余裕を感じさせる間で言い終える。


 実は彼女はティナと同様、アダン屋敷のメイドである。


 クラークは、かつてアルバートが読み書きのできたティナにばかり仕事を任せていた贔屓へ、仲間のメイドたちと抗議をし、教育の機会を獲得した。


 アルバートは約束を守り、平民出身のアダンのメイドたちに様々な教育を施した。


 その結果、今ではメイドたちは読み書きを習得し、外交、教育、法律、建築、各方面で怪物学会をささえる貴重な人材となっている。


「ならば、この紛争を解決するために記憶魔術を用いた、記憶罪状証明法、通称オーダープロテクションでの審問を行うことを推奨します。オーダープロテクションは、被告人に一度与えられた冤罪を避ける為の特権です。あなたにはコレを受ける意志がありますか?」

「あります。ぜひ、よろしくお願いします」

「わかりました」


 フェリアは立ち上がり、青の刺繍が入った、白ローブの袖をまくる。

 

 腕には緻密な模様で、びっしりと刻印が刻まれている。


 傍聴席のティナは、唖然としていた。


 フェリアほど細部まで凝った刻印を見たことがなかったからだ。

 アルバートの着替えを手伝う時に、たびたび【観察記録】の刻印を見ていたが、フェリアのソレは遥かに高級そうに見える。

 

「被告人は魔術による抵抗の一切をせず、そのままでいてください」

 

 フェリアの刻印が青白く輝きだす。


 法壇の審問書記官二人も、魔術によるサポートを行っているらしく、腕の刻印が光を発しはじめた。


 それに呼応して、この裁判所という建物全体を使って設計された、巨大な魔術式が起動する。


 魔術の徒であるならば、途方もない魔力リソースが、これから発動する記憶魔術のために消費されているのだと肌で感じ取れたはずだ。


「術式展開、被告人を解析……深層接続、虚心象調節完了──実心象、でます」


 審問書記官のうち、眼鏡をかけた女性魔術師は言った。汗をかき、ものの数十秒で、どっと疲れたような顔をしていた。


 すぐのち、裁きの間には、晴れ渡る青空と、雄大な白峰を、そして、近くに湖を一望できる長大な城の風景が映し出された。


「ここはジャヴォーダン城……! あれ、でも綺麗なままですよ……!?」


 ティナは思わず立ち上がる。

 

「ここはアルバートの記憶を術式で出力して映し出した世界よ。事件を詳細に知るために、事件発生より前の時間からさかのぼるの」

「さも当たり前みたいに……そんなことできるんですね……」

「裁判所にしかできない技だけどね」


 アイリスはティナを座らせてあげる。


「太陽の位置から推定午前10時です」

「断片記憶を縫合、過去から未来への連続性を発見しました。実心象、動かせます」


「視察団の訪問まで巻きましょう。先行虚心象処理が済みしだい、実心像に移してください」


 法壇の審問書記官のひとりが、先行して被告人の記憶を読み取り、被告人の名誉を不用意に傷つけないために──トイレや風呂──などの事件に関わらない部分を切り取っていく。


 ──15分後


 通常より、いささか長い先行虚心象処理を終えて、裁きの間の実心象が動き出した。


 アルバートは、スーパーナチュラルを用いた事前の記憶処理を済ませているため、実心象には怪物学会に不利なものは映らない予定だ。


 例えば、それは『狂気の碩学』さかな博士との会話だったり、怪書に書かれている内容に視線を落としている時などの記憶である。


 ほかにも、視察団の襲撃に関係なく、魔術協会や、公には知られたくないことが多すぎる。


 そのため、記憶処理は必須だった。


「まだ1週間も経っていないのにノイズが多いですね。記憶処理が施されているのでは?」


 審問書記官のうち、主にフェリアの魔術展開を補佐をしている男性がつぶやく。


 ノイズとは、記憶の抜け落ちや、実心象として読み取れない不明瞭な部分のことだ。


 綺麗な一連の映像として、実心象を獲得できる事はまずない。それぞれのビジョンの間には、3秒〜10秒ほどの抜け落ちが常にある。


 その間に、事件を左右する重要な瞬間があったりするので、記憶魔術は完璧ではなく、あくまで効果的な審議方法の一つに過ぎない。


「確かに、ノイズ多いですね……」


 フェリアは男性の審問書記官の意見を聞き入れ、所感を述べる。


 直後、先行虚心象処理をしていた審問書記官は、「記憶隠ぺいの痕跡はないです。興味のない事は忘れるタイプなんでしょう」とアルバートを評価した。


 ノイズの多さに苦言をもらした男性審問書記官は「確かにそっち系かあ……」と、アルバートの顔を見て、しぶしぶ納得する。


 フェリアは楽観的にはならず、険しい顔をし続けていた。


 やがて、実心象は問題の高塔での場面を映した。


 高塔に集まる視察団。

 とびとびの記憶映像だが、緊張感が伝わってくる。


 アルバートは黙って、その実心象をじーっと見つめる。


 実心象内のアルバートは、本を召喚し、ページを開き、文字列をなぞった。ここだけやけにクリアな実心象だった──。


 直後、塔の床から真っ赤な爆炎が噴出した。

 実心象はその直後、ブラックアウトしてしまう。


 実心象はここまでだ。

 

「オーダープロテクション、実心象を証拠心象として、原盤にデータを保存します」


 女性審問書記官の声と、原盤──石製の心象記録媒体──に情報を焼き付ける音だけが聞こえる。


 フェリアは唖然としながらも、形式乗っ取って被告人に権利を伝える。


「原盤情報は、いかなる理由があろうと、被告人の罪状にたいする強力な証拠となります。原盤情報の信憑性に疑いが持たれる場合に限り、原告は、審問会に精密分析を要求する権利を保有します」


 フェリアはすべての言葉を述べ終えて、どっと疲れたような顔をした。


 オーダープロテクションを行うと、2キロほど体重が減るのはいつも事だった。


 裁きの間は、フェリアの常套句ののち、静まりかえってしまった。


 傍聴席のティナは、その気まずさに視線をあげられない。


 隣に座るアイリスの顔も、パラケルススの顔も、もちろんアルバートの顔も、誰の顔も見れなかった。


 衝撃の実心象が流れてから、永遠にも感じる沈黙が過ぎた。


「闇の魔術師め……」

「なんて恐ろしい……」


 すこしずつ負の感情が漏れ出てくると、傍聴席は加速度的に、騒がしくなっていった。


 フェリアは木槌で静粛に場を押さえるのを忘れて、アルバートの顔を見つめていた。


 アルバートは平然な顔をして「さて、どうしたものか」と考え事をしているようだった。


 フェリアは思う。


 なんて図太い被告人だ。

 あれだけ余裕な顔して自身の無実を訴えたのに、何の記憶処理もせず、あっさりと犯行がバレるなんて。


 フェリアは逆に疑い出す。

 

 いや、あの噂の『怪物』がこんな終わり方をするだろうか──と。


「被告人、今の証拠心象について弁明はありますか」

「これは私の心象ではないようです。というよりありえない事が起きています」


 フェリアはジト目でアルバートを見る。


「そんな目で見ないでください。精密分析を要求します」

「被告人は精密分析を要求できません」


 原盤の精密分析。

 これを行えば、ノイズの多くを復元でき、同時に記憶の隠ぺいを99%暴く事が可能だ。


 しかし、それは原告がするものであり、訴えられた被告がやるメリットは無い。


 何故ならば、記憶の隠ぺいとは、普通は自分に不利な記憶を、有利なものへと書き換える事だからである。


 今回は真逆だ。


 アルバートの記憶は、アルバートにとって不利に働いている為、ここに精密分析をかける動機がないのである。


「いやはや、これでアルバート殿の罪状の証明は済んだようですな」


 静かにしていたフレデリックは、笑いを堪えながら立ち上がる。


「審問会の記憶魔術は絶対です。ここに映し出された実心象が事実であることは、疑いようがありません。ああ、なんと、痛ましいことか、わが友たちよ……この実心象を見ていると、あの時の恐怖が蘇ってくるようだ」


 ぺらぺら饒舌に語るフレデリックに、アルバートによる奇襲がいかに残酷だったか、饒舌に語った。


 フェリアは信じられないあっけなさに、アルバートをもう一度見る。


「審問長官、私が原告を訴えて、フレデリック卿の記憶を調べてはどうでしょうか? もちろん、精密分析もサービスしてください」


 アルバートは焦った顔で、慌てて言葉を並べ立てる。


 大根役者すぎるため、まわりからは「なぜあんなふざける余裕がある?」と奇怪なものを見る目を向けられていた。


「お願いします、審問長官。フレデリック卿と私が訴訟を起こしたタイミングは同じなのに、フレデリック卿のほうが原告として裁判を受けているのは理不尽だと思いませんか?」

「今はそのような議論をする時間ではありません」

「あー神よ、なんたる事か! あれは私の記憶ではないのに! あー! フレデリック卿、よく考えましたね、相手側の記憶を書き換える手段を見つけるとは! ぜひ、その汚く、姑息な手を私にも教えてくれませんか!」

「被告人、静かにしなさい。それ以上は審議の妨害ならびに法廷侮辱ととらえ、ここまでの審議結果のみを材料に、判決を下しますよ」


 フェリアの言葉に、アルバートは肩をすくめて静かになった。


「……被告調査官、被告人の弁明を証明できますか?」


 クラークは冷汗をかいて、″勝ちを確信″して遊びだしたアルバートへと視線を飛ばす。


 アルバートは口パクで「任せた」と言う。


 普通なら、自暴自棄になって法廷での戦いを諦めたと取れなくもない投げやりっぷりだ。


 だが、クラークはそうは思わなかった。


 アルバートは自分から勝負を捨てない主人だ。

 それは、苦しい時期からずっと仕えてきたからこそわかる事だった。


「はい、できます。……どうにも、この記憶を捏造した者はアルバート・アダンの使用する魔術【観察記録】への理解が浅いようです」


 クラークは自身たっぷりに、フレデリックを見つめて言った。

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