うろつく学会長と開廷


 広い空間。

 高い天井には、おそろしい怪物に挑む、矮小な人間の姿が描かれている。


 空間を支配するのは、天秤を高く掲げる初代コスモオーダーの像だ。

 この巨大なオブジェが、この場を厳格に引き締めているのは間違いないだろう。


 ここは裁きの間と呼ばれている。

 記憶司法裁判所の最も重要な部屋である。


 傍聴席から見える光景は、簡素なものだ。

 年季の入った木床には、難解な魔法陣が敷かれ、被告人はそこに立つ事になる。

 

 魔法陣のまわりには、原告側と被告側、それぞれが着くための、いくつか椅子と机が置かれている。


「ふむ」


 アルバートは裁きの間の見学を終えて、部屋を退出する。


 まだ審問会まで時間がある。

 ただいま、アルバートはめったに入る機会のない裁判所のなかを散歩しているところだ。


 もちろん、単身で……と言いたいところだが、そう容易く一人にはしてもらえなかった。


「トーチカ殿、ブレイズ殿、僕の身を心配していらっしゃるのなら、ひとりにしていただいて結構ですよ」


 アルバートよりも背が高く、肩幅も広く、見るからに屈強な2人の魔術師は顔を見合わせる。


「おほん。申し訳ありませんが、お一人には出来ません。規則ですので」


 屈強な男のうち、青い瞳の男は言う。


「それはどのような規則で?」

 

 アルバートは言う。


「出頭に応じた者の身は、審問会開始まで、確実に、安全に保たれなければならない。我々はこの責務を、確実に、まっとうする必要があります」


 今度は緑水色の瞳をした方の男が答えた。


「でも、この後、サウザンドラのご令嬢と当主がいらっしゃるのでは? 裁判所には人手が無いのに、僕ごときに、2人もかまっていてよろしいのですか?」


「規則ですので」

「確実に、安全に」


 2人は声を重ねる。


「「守ります」」


「それはどうも。審問会まで暗殺されずに済みそうですね」


 アルバートは苦笑いし、しんと静まりかえった廊下を歩き出した。


 響くのは、3人分の足音だけ。


 歩いているだけでも面白いものだった。

 ジャヴォーダン城を作る際、参考にした建築学的工夫が、この裁判所には用いられている。


 つまり、アルバートの趣味と合っていた。


 とはいえ、沈黙がいささか長かった。

 別段、アルバートは沈黙が苦手ではない。

 むしろ、沈黙の持つ力を知っている。


 とはいえ、ここは演説の場はない。

 人生で初めての審問会を前に、すこしは緊張していたのか、話をしたくなっていた。


 アルバートは、窓から裁判所の群衆へ視線を向けながら、トーチカとブレイズに聞く。


「ドラゴンになるのはどんな気分ですか?」


 アルバートが話題に選んだのは、この2人の番人の持つ刻印【竜人式】についてだ。


「噂によると火も吹けるとか」


「……」

「……」


「自由に空を飛ぶのは気持ちが良いものでしょう?」


「……」

「……」


「話してくれないんですか?」


「規則ですので」

「……。アダン殿、我々があなたと話す事は、確実に、あなたの不利益になります。出来れば黙っている事を、確実に、強くオススメします」


 ブレイズはアルバートの質問に、特段警戒するものが無いと見定め答える。


「不利益ですか。理屈を聞いても?」

「確実に、魔術の使用を疑われます」

「あぁ」

「審問会の前に、裁判所内をうろうろするのも本来は好ましい行動とは言えません」

「魔術の下準備をしていると?」

「確実に、その可能性を疑われます」


 アルバートはまるで考えもしなかった策に、思わず感嘆する。


 より厳密に言えば、考えつきはした。


 しかし、あまりにも凡百の策だった。


 裁判所に細工をして、審問会の結果を自分の望んだ形に落とし込むということは、出頭を命じられたすべての魔術師が考えるだろうから。


 だからこそ、アルバートはしない。


「あなた方がいれば、ことさら細工は難しい訳ですね」

「過去に廊下に魔法陣を設置しようとした輩がいましたが、確実に処しました」

「素晴らしい。それで、僕は魔術をこの裁判所に仕掛けたと思いますか?」

「答えられません。見破っていたとしたら、確実に今証拠隠滅のため、術式を解除されてしまいます」

「見破れていなかったら?」

「それだけで問題です」

「なら、現行犯でしばいてどうですか? 証拠隠滅などさせずに、魔術の準備をした段階で、その偉大なる刻印で叩けばいいです」

「それは不可能でしょう」


 ブレイズは瞳を震わせて答えた。

 

「確実に、我々では力不足です。アダン殿は一介の魔術師として力を持ちすぎていますので」


「暴力に興味はないつもりです」

「アダン殿は冗談が苦手なようですね」

「いえ、冗談のつもりは……気がつけばこうなっていました」


 ブレイズは窓の外を見やる。

 

「ドラゴンの使役。かつて成した者はいません」

「苦労しましたよ」

「苦労、ですか。『エドガー・アダンの再来』とは聞いていましたが、これ程とは」

「懐かしい呼び名ですね。そんな呼び方をする人は、もういません。だいたいは、最悪の犯罪者、闇の魔術師、禁忌の魔術師、とかとか」


 アルバートは、この数年で呼ばれた事のある呼び名を列挙していく。


 一番傷ついたのは『人でなし』だったか。


 トーチカとブレイズは、黙ってアルバートの自己語りを聞いていた。


 語り終えると、アルバートは遠くを見る目で窓の外を見た。


「来たか」


 窓の外、門から100mほど離れた大通りに、馬車が6台ほど連なって止まる。


 人混みが自然と割れていき、門まで道ができる。


 馬車から降りてくるのは、儀礼用の正装に身を包んだアイリスと、フレデリック、そのほか審判警護の騎士たちだった。


 ふと、アイリスと視線があった。

 視線に気がついたようだ。


 かなり離れているのに流石はワイルド系だと、アルバートは冷笑を浮かべる。

 

「アダン殿、サウザンドラ家が出頭に応じました。まもなく審問会がはじまりますので、待機室へ戻りましょう」

「あと一箇所。コスモオーダー霊廟を見ておきたいです。まだすこし時間はありますよね?」


 アルバートは好奇心から言う。


「二度と来ない場所なんです。いいでしょう」

「確実に、遅刻する予感がしますが……いいでしょう、少しだけです」


 ブレイズの言葉にアルバートは「どうも」と返す。

 終始沈黙を守ったトーチカは、「アホめ」と、裁判所に来た被告人にたびたび情が沸いてしまうブレイズの肩を、ひじで小突いた。



 ──────────────────



 ───裁きの間


 傍聴席はそうそうたるメンツで埋まっていた。


 魔術協会でも影響力のある魔術師、アーケストレス王家の人間もちらほら見受けられた。


 特に多いのは、サウザンドラと厚意にしてきた家たちだ。傍聴席の8割を占拠している。


 だが、傍聴席のすべてが、フレデリックサポーターで埋められているわけではない。


 怪物学会から来た者もいる。


 さかな博士ではない。

 彼では務まらない外行きにおいて、アルバートに次ぐ存在である『怪物学会・部長』だ。


 学会のNo.3である。


 白い肌に、骸骨のようにこけた肌、伸び切った白髪から、賢者の風格が漂っていた。


 そこへ、怪物学会の人間としての象徴、真っ白な白衣を着るものだから、協会の紺色ローブを着る集団の中だとことさらに目立った。


 まわりの魔術師たちは、伝説の錬金術師の身にまとう服装を見て、彼が怪物学会側についた事を知り、動揺を隠せずにいた。

 

「まさか、あの古老が学会側とはな」

「いつ秘境から出てきたんだ?」

「グリモオーメンダス……まだ生きていたのか」


 『古老』パラケルスス・グリモオーメンダスは、魔術界において伝説の存在だ。


 彼の詳しい出生を知る者はおらず、その年齢は300歳とも、400歳とも噂される。


 さらに本人が人間好きではないため、普段は俗世を離れており、魔術師の多くは、彼の姿を揺り籠から墓場まで一度も目にすることない。


 生きる伝説──『古老』はそんな魔術師だ。


「パラケルスス様、私って必要だったんでしょうか?」


 伝説の横にて、居心地悪そうに座するティナは、困惑した表情で言った。


「少女よ、自信を持て。其方はあの少年の伴侶なのだろう」

「伴侶っ?! そ、そう見えますかね?」

「見えぬ」

「ですよねぇ。あははー……パラケルスス様も冗談をおっしゃるんですね……」


 ティナは苦笑いをして、恥ずかしさにあたりを見渡す。アルバートには聞かれたくはない。

 

 やがて、審問会の進行を行う、記憶司法裁判所の審問官長フェリア・コスモオーダーと審問書記官たちが、裁きの間に入廷した。


 裁きの間が引き締まる。空気が硬くなり、喉が締め付けられる。

 唇を湿らせる音すら、大きく聞こえるようだった。


 魔法陣の正面にある法壇に、審問官たちが着くと、今度は魔法陣の左側に、魔術協会の原告調査官がやってきた。


 右側には、怪物学会の被告調査官が着く。


 赤色の髪をした、まだ若い少女だった。

 調査官は、勉学に秀でていないとなれない職業ゆえに、傍聴席はざわめいた。


 ティナはちょっと誇らしげな顔をしていた。


 続いて、裁きの間へ、今回の重要人物フレデリック・ガン・サウザンドラが厳かな表情をつくって入って来た。


 彼は、魔術協会の原告調査官と同じ席についた。


 と、ティナが初めての審問会にドキドキしていると、足音が彼女の背後で立ち止まった。


「ティナ……?」


 背後から声をかけられた。

 固唾を飲んで審問会の準備を見守っていたティナは、ビクッとして振り返る。


 そこに居たのは、輝く金色の髪を結いあげ、アルバートと同じ紅色の──されどより濃い、深紅の瞳を持つ、息を呑むほどの美少女だ。


 ティナにとっては、話したい事が山ほどある『朱の令嬢』アイリスであった。


 久しぶりに会ったせいか、ティナは思わず眼を見開いて固まってしまう。


「えーと……隣に座っても?」

「ど、どぅ、どうじょ…」


 上手く喋れず、小物感あふれる受け答えで、アイリスのために少しお尻の位置をずらす。


 2人の間には、なんとも気まずい空気が流れた。


「……ティナ、わたしあなたにいろいろ聞きたいことがあって」

「ティナの方がたくさんありますよっ! 舐めないでください!」


 何故か張り合ってくるティナに、アイリスは自然と笑みをこぼした。


「アルバートの事なんだけど──」


 アイリスとティナは、傍聴席で静かに話をしはじめた


 同時刻、フェリア・コスモオーダーは、アイリスが席に着席したのを確認して、裁きの間の端っこにいる、番人へ目で合図した。


 トーチカとブレイズに脇を固められて、厳戒態勢で連行されるアルバートが、裁きの間へ入室した。


 傍聴席がどよめく。


 さっきまで静寂に包まれていた法廷は、アルバートへの野次で、騒がしくなっていく。


「今回の騒動などどうでもいい! 禁忌魔術に傾倒した事だけで、そいつをオーメンヴァイムに投獄するには十分だ!」

「我慢ならん! 伝統を重んじない厚顔無恥な弱小貴族なぞ、はやく殺してしまえ!」

「アダンはいつだってそうだった。エドガー・アダンの時代から何も変わっておらん! 反省もせず、常に守るべき慣習を踏みにじる!」

「歴史と権威への叛逆罪だ! 魔術師が積み上げたモノを蔑ろにして何が残ると言うのだ!」


 傍聴席から炎が飛んできそうな勢いだ。


 アルバートはそれを見て「傍聴席に犬が座ってるようだが」と、一言余計なことを言う。


 傍聴席から炎の魂が飛んでくる。

 トーチカはそれを素手で握りつぶした。


「傍聴席、静粛に!」


 厳粛な声と木槌の打ち付けられる音が響く。


 その意味を知る傍聴席の魔術師たちは、いっせいに静かになった。


 アルバートは小首を傾げて、言外に「来ないのですかな?」と傍聴席を挑発する。


「被告人、傍聴席を刺激しないように」

「すみません。昨晩から肩が凝っていて。悪意はありませんでした」

「嘘は好きではないです」


 アルバートの肩凝りアピールに、フェリアはムッとして、その軽薄さをたしなめる。


 アルバートはそれ以降、無駄口は叩かず、魔法陣の真ん中へと立った。


「まず、被告人の身元を確認します。あなたは父は誰ですか?」

「ワルポーロ・アダンです」

「母は?」

「ミランダ・アダンです」

「在籍する魔術学校と学部と学科、すべて答えてください」

「ドラゴンクラン大魔術学院怪物学部使役科です」

「魔導継承刻印名と、刻印の提示を」


 アルバートは袖をまくり、刻印をフェリアへ見せる。


「【観察記録】です。現在は5段階目に入り【観察記録Ⅴ】がアナザーウィンドウの示す正しい名称です」


 ″5段階目″というアルバートの言葉に、傍聴席の魔術師たちが騒がしくなる。


「あの若さで5段階目だと?」

「嘘に決まっている、無意味な見栄を張るところが実に若造らしい」

「法廷侮辱だ! 今すぐ吊るしてしまえ!」


「静粛にッ!!!!」


 木槌が打ち鳴らされ、フェリアは怒鳴る。

 

 すぐに静寂が戻ってきた。


「おほん。審問会は被告人をアルバート・アダンと確認しました」


 フェリアはその白い瞳で、アルバートの紅瞳を真っ直ぐに見つめる。


「では、これより審問会を始めます」

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