怪物学会視察 Ⅲ


 魔術協会視察団がジャヴォーダン城へやってきて、しばしの時間が経った。


 中庭の騒然はとうに落ち着いた。


 とはいえ、視察団と怪物学会の一件に居合わせた生徒たちは、二つの組織の話題で持ちきりだった。


 この場にいる生徒たちは、皆が目的と興味を持って、怪物学会へやってきている。

 いくばくかの時間を過ごした生徒たちには、ここが、『闇の魔術師』や『最悪の犯罪者』などと忌み恐れられる魔術師の、胡散臭くて、怪しげな宗教団体でない事を理解している。


 だが、同時に生徒たちは、たまに姿を見せるペストマスクの学会長が、未だ計り知れぬ人物だということも知っている。


 皆が学会長と怪物学会そのものに向ける意見はおおむね一致していた。

 

 いわく──怪物学会は健全な教育機関兼研究機関である……だけど、学会長はわからない──だ。


「ノエル氏、次、使っていいみたいです」


 自身の名を呼ぶ声に、ノエルは我に帰る。


 彼女は自身の尊敬する魔術師の父であり、視察団のリーダーであるフレデリック・ガン・サウザンドラと、命の恩人であり尊敬する貴族でもあるアルバート、この両者の事が頭から離れないでいた。


 詳しい事は知らないとはいえ、アイリスがアルバートと仲良くしたがっている事を知る身として、ノエルにとってもこの視察は穏便に終わってほしいものであった。


「ノエル氏、平気ですか?」


 視線をあげると、左右非対称の白と黒い髪の少年がいた。


 この少年の名前はリバー。

 怪物学会にやってきて、初めて出来たノエルの友人だ。

 足元には彼の使役するレッドファングがお座りしている。

 使役術をかじっただけにしては、見事な調教具合である。


「平気だよ、リバー。ちょっと考えごとしてたんだ」

「それならいいんですが……」


 ノエルはリバーに頷き、視線を中庭に複数設置されている魔法陣の1つに向けた。


 月間決闘大会のために用意されている決闘場である。この魔法陣は、生徒の命がこの魔法陣の中で危険に晒された場合はそれを予防する効果がある。

 が、平時は難解な床模様という機能しかもたない。


 ノエルは魔法陣のなかへ足を踏み入れ、奥へと進む。

 振り返り、自身が入ってきた入り口から対戦者がくるのを待つ。


「むむ、なんだか騒がしい……」


 入口へ視線を向けると、生徒たちがざわめいているのがわかった。

 ノエルが何事かと見ていると、白衣を着た学生たちが、左右に分かれて道を開けていくではないか。


 棒立ちしたまま見ていると、やがて、「どけ、裏切り者どもが!」と吐き捨てる、乱暴な声が聞こえた。


 ズカズカと歩いてくるのは、横暴な態度の青年だ。


 白衣は着ておらず、綺麗な刺繍のなされた紺色の上着を着ている。貴族だと一目でわかった。


 貴族の青年は、白衣の学生たちへ、軽蔑の眼差しを向けて睥睨する。そして「どいつもこいも……三流ばかりだな。底辺がうつりそうだ」とあざける様に笑った。


 当然、まわりの生徒たちはムッとする。


「なんだよあの貴族、うぜな」

「銘家の跡継ぎだ、使役術の。めんどうくせえから関わるなよ」

「あいつも魔術視察団と関係あんのか?」


 ざわめきは広がり、場に負の念が沈殿していく。

 

「貴族なら品格のある振る舞いをするべきだ。違うだろうか?」


 皆の不満を代弁するかのように、かの貴族の青年をいさめるべく果敢に声をあげる者がいた。黒と白の頭髪が目立つ、リバーだ。


「それ以上近づくなよ魔術使い。没落した分際で話しかけてんじゃない。ぶっ飛ばされてぇのか?」

「ッ」


 青年の傲慢な態度に、リバーは不快な顔をする。

 主人の不機嫌はすぐに隣のレッドファングにも伝播する。

 だが、リバーは寸前のところで自らの使役モンスターを制止させた。


 貴族の青年はそれを見て、「ほう、いい度胸してんな」と言い薄く笑うと、おもむろにリバーの顔面を殴りつけた。突然の暴力に、女生徒の誰かが悲鳴をあげる。

 身体強化がほどこされた拳で殴られれば、ひとたまりもない。頬から血を流し、リバーは地面に膝をついて手を伸ばす。

 

 許しをこうためか。

 否、それは違った。

 

「がるるうゥ!」

「やめるんだ……ッ、ロメロ! 反撃するな!」

 

 芝を蹴り、飛びかかる赤い獣。

 

 貴族の青年は立ち尽くすばかり。

 レッドファングのロメロの牙が頸動脈を食いちぎるのは、もはや子供にも予測できた。


 しかし、ロメロは主人の命令を忠実に聞いていた。 

 寸前のところで思い止まったのだ。

 

 ロメロはしゅんとして、リバーを見やる。

 リバーは「いいんだ……大丈夫」とうなずく。


 皆が「血を見ずに済んだ」と、ほっと安堵の息をもらす……が、次の瞬間。


 横から飛び出す巨影。

 疾風の勢いは一直線にロメロを吹き飛ばしてしまう。


 凄まじい勢いで体当たりされ、ロメロが芝の上に転がった。

 その体に力なく、ぐったりとしていた。


 何が起こったのかわからない生徒たちは、視線を先ほどまでロメロがいた位置まで戻す。リバーと青年の間に立っていたのは、銀色の毛並みをした大きな獣であった。


 レッドファングより一回りも、二回りも大きい大型モンスターだ。


「見ろ、これぞ最強の獣系モンスター、シルバーファングだ! 怪物学会のモンスターなんて目じゃないぞ! どうだ、俺様のモンスターはすごいだろう!」


 意気揚々とお披露目会をする貴族の青年。

 当然、周りの生徒たちから拍手などおくられるはずもない。


 つまらなそうにする青年は「礼節もわからんクソどもが」と悪態をつく。

 咳払いして気を取り直す。


「やれやれ、にしても怪物学会の生徒ってのはこの程度の実力なのか? はっ、革新派が聞いて呆れる。アダンの門徒だ言うから、少しは期待したのに。はははっ、やはり俺に対抗できる使役魔術師はアルバート・アダンしかいないようだっ!」


 青年は残念そうに、されど喜色満面の笑みで、そう言った。

 ひざまずくリバーを見やる。自信に満ち溢れ、なにより加虐的な瞳であった。

 

 彼の口元がいやらしく歪められる。


 そして、


「薄汚い野良犬を食い散らかしてやれ」


 彼は残酷に、躊躇なくそう言った。


 リバーは目の前の気に食わない野郎が、なにをするのかすぐに察する。

 痛む頬をおさえながらも、歯を食いしばり、有効期限の切れた魔術刻印を起動しようとした。


 だが、発動は間に合わない。

 

 この場にいるどの魔術師・詠唱者よりかも優れた魔術刻印と魔術を持つ、目の前の貴族の使役モンスターを止めるすべはない。


 ロメロの死は確定していた。

 遥かに強大な獣シルバーファングが飛びかかる。


 しかし、不思議なことが起こった。


 シルバーファングが足を止めたのだ。

 その理由は、殺害対象ではない獲物が経路上に割り込んできたから。


 その人物は──


「おいおい、待て待て待て待て、勘弁してくれよ」


 貴族の青年は後方に控える、同じく貴族階級と思われる取り巻きたちへ両手を大げさに広げて言った。


 取り巻きたちが「ジャクソン様に無礼だぞ!」「貴族の邪魔建てをするなど、なんておこがましい!」と大きな声で喚きはじめた。


 ジャクソンと呼ばれた先ほどの貴族は、鼻を膨らまし、城壁を見上げる。「おーい、学会長! 隠れてないでお前の生徒を守ってやったらどうなんだ! 愚か者の芯がでるぞー!」と、彼は挑発しながらへ、シルバーファングの行く手を阻む、その平民へと歩み寄る。


 ひとしきり城へ挑発したのち、ようやく彼女を見た。


 ムッとして腕を組み、仁王立ちするノエル。

 ぷるぷると震え、瞳を潤ませるノエル。


 形だけは堂々としていた。


「そ、そんなに強いのに、何をしているんですかあなたは!」


 ノエルは怒りに震える声で訴える。

 ジャクソンはきょとんとして、それから大きな声で笑い始めた。


「そ、その力は、魔術は暴力のための道具じゃない……は、はずですよ!

「おいおい、この貧相な女は、この俺様に、ジャクソン・ウォルマーレ様に説教をするつもりか? ん? どういう了見でこの俺の邪魔をしてる? 馬鹿なのか?」

「あ、あなたより尊敬できる貴族に教えていただきました。偉大なる力には、偉大なる責任が付き纏うものだと……つ、つまり、そういう了見です!」


 ノエルは瞳に涙をためて言った。

 足が震えだしそうだったが、ちょっとは格好つけるために懸命に我慢した。


「意味不明で笑えて来るな! ははは、それは貴族様のお仕事さ! 俺様みたいな優れた人間はザコの面倒も見なきゃならん、って意味のあれだ。お前は違うだろう」

「で、でも、詠唱者です! 魔術の徒です! だから……だから、くだらない暴力には屈しません……ッ」


 全力でそこまで言い切り、最後に「……ってアルバート様と約束してしまってるんです……」と弱弱しく、誰にも聞こえないような声でノエルは言った。

 言う事を聞かないノエルの態度に、ジャクソンはあからさまに機嫌が悪くなった。

 

「チッ、どこの貴族だ、こんな面倒くさい平民をつくりやがって……もういい、さっさと殺せ、シルバーファング」


 ノエルは死を鼻先に感じながら、今自分にできることをする。

 

 大丈夫だ。

 この貴族も、モンスターも恐ろしいけど、あの時ほどじゃない。


 ノエルは自身にそう言い聞かせ、腰のちいさな檻に手を伸ばした。







 ──その直後だった。中庭から望む遥か高塔が轟音とともに砕け散ったのは。

 

 

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