港湾都市 Ⅴ
沖の怪物に対処する為に、商人たちの信念で築かれた貿易ギルドが、貴族の手を借りたがらないのは当然のことであった。
とは言え、貿易ギルドが事実を伏せ、わずかでも貴族をあざむく意思を見せたのはいただけない事実である。
船長オージは港にて着々と出航の準備が進むNEW CONTINENT号の甲板のうえで、貿易ギルドと自分の雇い主の貴族の少年のやりとりを思い出していた。
立つ瀬のない貿易ギルドの大人達相手に、毅然として硬い言葉を重ねていき、ついには『貴族の責務』として、怪物を討伐するため船の出港許可を出させた。
討伐が完了すれば、貿易ギルドは営業を開始することができる。
しかし、それは同時に貴族に大きな貸しをつくることを意味する。
ギルドの中には喜んで有力な貴族の傘下に入りたがる者達もいる。
しかし、貴族家の力が弱い都市であるラ・アトランティスにおいては、そうはならない。
大商人とは、時に実力でもって、実質的な特権階級に近しい身分へとのぼりつめた者たちだ。
港湾都市最大の組織規模を誇る貿易ギルドのリーダー達としては、組織に貴族の介入を許すことは、築きあげた城を、土足で踏み荒らされる事と、まるで同義なのである。
アルバートとしては特段気をつかう気がなかったので、まったく歓迎されていない空気を肩で裂いて、堂々と貿易ギルド内を闊歩するのだけなのだが。
「ティナ、お前たちは残れ」
アダンが討伐の指揮を取ると啖呵をきって出てきた貿易ギルドの建物手前、アルバートは不満そうなティナをいさめる。
「嫌ですよ! 私も船に乗りたいです!」
「遊びじゃないんだ。海の上で大型モンスターを討伐した経験なんてない。お前たちを守り切れる確信を俺は持ててないんだ」
「むう、じゃあ、なんでユウちゃんはついて行っていいんですか!」
「あいつは自分の身を守れる。お前たちは違う。それだけだ」
アルバートはビシャリと言い放ち、むすっとするティナと、追従するメイドの少女たちに宿にとどまるよう言い聞かせた。
彼女たちにはジャヴォーダンの闘技場コル・セオのカールネッツを中心にしたアダンによる、アダンのための、アダンの商業組合『闘技場ギルド』の設立を進める仕事がある。
アルバートはこの仕事を任せられそうな人材を選んで、時間を有効活用するようにつたえ、危険なことに関わりたがる彼女たちの注意をずらすことにした。
すぐのち、アルバートが貿易ギルドを通じて雇った船乗りたちとともに、彼はスクアード級魔導帆船NEW CONTINENT号に乗って、ラ・アトランティスの沖へと乗り出した。
潮風の匂いに新鮮な気分になる。
どこまでも続く水平線は、海の向こう側にある可能性を夢見させる。
「いいものだな、海は」
「そうでしょう、旦那。海を知れば知るほど、こいつぁ最高に人を引きつけるんでい」
「夢中になれるモノに時間をかけろ。平民ならなおのことそれが最善の人生を送る最短距離だ」
「まあ、誰もがそう簡単に生きれるわけじゃないですぜ。やりたくないことしなくちゃ生きられない」
「そういうもの……か。うん、そういうものだな。最短距離とは同時に困難な道のりだ」
アルバートはアダンで働く平民出身者たちのことを思う。
口では簡単に理想を語れるアルバートだが、人の道のりには、えてして障害物ばかりが転がっていることを学んできた。
彼は思う、その困難を取り除くことは、選ばれた力を持たない者たちにとってはより難しいモノなのだろう、と。
ぼーっと沖を見つめながら柄にもなく夢想にふける。
こんな時間があってもいい、と思うアルバートであった。
「……曇ってきたな」
アルバートは遠くの空を見つめて言う。
黒い雲が何の前触れもなく天を覆い隠さんとしようとしていた。
オージは「嵐がきまっせ。こりゃ……あの日と同じ風だ」といい、大きな声で船乗りたちに帆を張るよう叫んだ。
「ユウ」
「ここに」
「オージ船長を守ってやれ」
「了解、マスター」
灰髪を揺らしてうなずき、ユウはオージを見守れるようマストに一足飛びで登った。
「さて、どんなのが来るのか」
銀の鞄を手にアルバートは嵐へと突っ込んでいく船の船首へと移動する。
風はどんどん強くなり、誰かの三角帽子が黒い空に吸い込まれていく。
雷がいななき、一呼吸の間に天上から海のような雨が落ちてくる。
不自然な嵐は、その威力をぐんぐん増していき、巨大な波を引き起こして船体をおおきく、おおきく上下に揺らした。
「あ、アダンさん、危ないですよ……!」
「放っておけ、平気だから」
バンダナを深く巻いた若い船乗りが船首でたたずむアルバートへ親切心からの注意をうながす。
平気だと主張するも、船乗りは子供が好奇心から高いところに上っていると思っているのか、なかなか譲らずまとわりついてくる。
「アルバ……アダンさん降りないと本当に海に落ちちゃいますよ!」
「しつこい、俺は平気だ」
「でも、アダンさん、泳げないじゃないですか!」
「それはいいんだ。モンスターがいるから。はあ…お前、ティナみたいなやつだな……いいから手を離せ──む?」
「あ、波が……盛り上がって……」
バンダナ船乗りは膨らむ海面をみつめ茫然とする。
高波と形容するには、あまりにも突出が激しすぎる。
水に映る巨大な影は、その背後の黒雲より濃く視界を埋め尽くしていく。
「おいでなさったか」
「ひい、ぃぃ……!」
海の底から現れたのはド級サイズの軟体生物であった──。
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