変わりゆく情勢


 3ヵ月前の第五ジェノン鉱山での事件は、すでにジャヴォーダンでも忘れ去られようとしてる。


 近隣住民たちのモンスター被害はなくなり、ジェノン商会への風評被害とは裏腹に、アダンの都市内での評判はあがっていた。


 加えて、ジェノン鉱山での事件において、暗い坑道で繰り広げられた惨劇を目撃した者たちは、皆、口をそろえてある英雄の名をこの事件の功労者としてあげる。

 誰も予想していなかった、悪霊たちの見るも無残な蹂躙劇。その猛攻を前にして、アルバート・アダンは資産と秘術を尽くしてこれを見事に打倒した。

 だが、当事者たちがどれだけの賞賛をおくろうと、あの屍人たちの地獄を知らない市民たちには正確な情報は伝わらない。

 魔術師といえど、若干10歳の少年が『竜殺し』を上回る戦力を備えているだなんて言われても、とても信じれないのだ。


 ただ、その一方で、ジャヴォーダンにおいてその少年──界隈では『怪物』の二つ名が密かに定着しだした若き魔術師は、ジャヴォーダンにてさまざまな分野にて急速に知名度を高めていた──。


 ──────────────

 

 よく晴れた夏の朝。

 青空の下、ある通りを歩くローブを来た少女がいる。


 白いローブにちいさな身を包み、手に大きな杖を持っている。

 アーケストレス魔術王国の者が見れば、彼女が貴族たちの魔術成果の模倣をすることを専門とした神秘の担い手、詠唱者であると気づくだろう。


「すみません、馬車を呼びたいんですが」


 少女は交通ギルドの停車所で係員に話しかけた。

 段層都市としての側面を持つジャヴォーダンは、その高低差を克服するために魔導機関車などの交通系が発展している。都市内部に点在する停車所では手軽に馬車を捕まえられるのは都市内外で有名な話である。


「おや、お嬢さん外から来たのかい」


 係員の最初の言葉はそれだった。

 少女は自分のどこらへんに、よそ者感が出てしまっていたのか不思議に思う。

 ジャヴォーダンは辺境ではあるが、特別にエーテル語の訛りなどはないはずだが。


「ジャヴォーダンは初めてかい」

「いえ、少し前に親戚に会いに来まして。今回で二度目です。どうしてわかったんですか?」

「はは、そらゃ簡単な話さ。なんせジャヴォーダンじゃ、もうしばらく馬車は走ってないからねえ」

「え? 馬車が走ってない?」

「ああ。正確には馬が車を引いてないって言うべきか……と、噂をすれば”怪車”のお出ましだ」


 係員の視線の先から、それはやってきた。

 パカラっパカラっ、と乾いた樋爪が石畳みを打ち鳴らすなじみ深い音ではない、ドスンっドスンっと重量感を感じさせる足音が聞こえてくる。

 以前ジャヴォーダン都市内を走り回っていた馬車に違いない。

 しかし、その御者台に手綱を握る者はおらず、馬車のほうが小さく見えてしまうほどのスケールを誇る引手の巨躯は尋常のそれではない。


 冒険者の側面も持つ白いローブの少女は、目の前に現れた紅い鎧をまとった怪物が、とてつもない脅威度を誇る怪物だと知識として知っていた。


「あれはブラッドファング……! どうしてここに! ッ、係員さん、危険です離れてください!」

「はは、やっぱり、みんなそういう反応をするんだね」

「?」

「いやね、このブラッドファングは何も危険じゃないんだよ」

「危険じゃない? で、でも、ブラッドファングは脅威度20の……」 


 少女が言いよどんだあたりで、係員はなれた手つきで馬車を引くブラッドファングの鼻頭を撫でるという曲芸をやってのける。勘弁しろ。見る者は肝の冷える思いだ。


「ほらね?」

「ぅ、嘘……こ、これほどの高位モンスターを飼いならすなんて……。係員さん、もしかして使役術がすごいところの出身だったんですか?」

「使役術? ああ、いや、まさか! 私は平々凡々な小市民にすぎない。魔術師ではないし、調教師でもないさ。このブラッドファングはジェノン商会から貸し出されているんだよ」

「資金力のあるジェノン商会といえど、モンスターの調教は困難なはず。どこか使役術の銘家でもスポンサーについとしか……いや、でもブラッドファングなんてモンスターを他人にも使えるようにするなんて常識的じゃないはず…」


 少女はこれまで勉強してきた使役術の基礎が根幹から崩れ去るような気がしていた。

 彼女は数年後ドラゴンクラン大魔術学院怪物学部使役科の受験に挑む予定であるわけだが、まだラビッテすら手乗りスキンシップさせたことはない。


 途方もない魔術の痕跡が目の前にあることで、少女は足元がすくんでしまった。


「すべてはアダンのおかげさ」

「アダン……エドガー・アダンの魔術家…」

「いいや、今、アダンといえばこの町では彼のことを示す」

「彼、ですか」

「アルバート・アダン。ふふ、そうだ、観光する余裕があるあらジェノン鉱山を見学しに行くといい。きっとすごいものが見れるよ」


 係員はそう言って少女を怪車へといざなった。


 ──しばらく後


 白いローブの少女がジェノン鉱山へやってくると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。

 

 我が目は幻に酔っているらしい。

 少女はそう現実逃避したかったが、ダメだダメだと頭をぷるぷると横に振る。


 まずいろいろおかしい光景を受け入れなければならない。

 自然に任せたらまずならない垂直の断面をさらし、その断面に向かって巨大なトロッコを何往復もさせて動く石造──ゴーレムらしきモンスターたちが掘削を続けている光景を、現実として認識しなければ。


 ──って。


 なんだそれは。

 誰がこんな事させてるんだ。

 というかどうしてゴーレムたちが労働してるんだ。遺跡の番人だろう。

 

「それに、なにこの規模感……全部、使役されているの?」


 だとしたらいったいどれほどの魔力的リソースを掛けているのだろうか。

 少女は山を崩し続ける”数百体”のゴーレムを見て絶句をやめられない。


「凄いものだろう、マジックゴーレムによる露天掘り作業」

「ッ」

「この鉱山の地脈を確かめたところ、なんと地面下地層含めて全部が大変に価値のある魔力鉱石だと判明したんだ。全部掘りつくせば、もしかしたら都市をひとつ建てられるかもしれん」


 少女へ自慢げに語るのは黒と紅い礼服を来た少年だった。

 黒い髪と紅い瞳、細見の体型、整った顔立ちと気品ある立ち姿。

 一発で貴族だとわかる。それも、本人の意識もかなり正統派に傾倒している。

 

「アルバート…アダン…」


 少女はその顔に見覚えがあった。


 かつて彼女はこの貴族の少年に助けられた。いまよりちょっとだけ幼かったその時の甘酸っぱい記憶のなかの少年よりも、今の彼はいくばくか大人びて見えた。


「どこかで会ったか?」

「ええと、その、ギャザラーガーデンで……」

「いや、聞くまい。詠唱者なら勉強していてること褒めるべきだろうからな」

「あ、ありがとうございます。……でも、私はアルバート様にお会いしたことがありますよ」


 少女は庶民派魔道具店ギャザラーガーデンにて、妙な魔術使いに絡まれた時、アルバートが助けてくれた思い出を脚色をまじえて伝えた。

 

「アルバート様はあの時、颯爽と現れてくださり私の手を取り優しく声をかけてくれて……」

「あの時の詠唱者か。その後はどうだ。もうくだらない暴力に屈してはいないな」

「も、もちろんです。今はドラゴンクランの入学試験に向けて勉強に励んでいます!」

「素晴らしい。ぜひその調子で頑張ってくれ」


 アルバートは勤勉な努力を積む人間が好きだった。


「あの、ところでアルバート様はドラゴンクランへご入学なされるのですか?」

「愚問だ」

「すみません……当然ですよね…」


 少女は話の振り方を間違えた、と内心で悶絶する。


「栄えある貴族だ。試験はないが、勉強を教えることはできるぞ。見たところ使役学を専攻しようとしているようだが」


 白いローブの内側にのぞく魔力を増幅させるタリスマン、小型のモンスターを捕獲するためのちいさな籠、魔力の持続力に優れた魔術杖など、識者からすればこの少女がどんな系統の魔術の道を選んだのかは明かだった。


「い、いえ、そんな、私ごときにアルバート様のお手をわずらわせるなど……」

「嫌なのか?」


 アルバートは目を細め一歩素早く詰め寄ると、少女の手首をつかんだ。

 魔力が式に転写された気配がまるでなかった。

 強化魔術以前の魔術師らしからぬ身のこなしに少女は息を飲み、すくみ上がる。


「お喋りはやめよう。お前、アイリスの使いだな?」

「ぁ……」


 酷く冷たい声、たずねるのではなく、確認するだけの肉声。

 少女は顔をこわばらせて、とっさに言葉を紡ぐことができなかった。

 なぜなら、目の前の『怪物』はとっくに彼女の目的に気が付いてしまっていたのだ。


「ふは、ははははーっ! ふっはは、ははは!」


 アルバートはおかしくて仕方ないと言わんばかりに高笑いし、少女の手首を離して解放した。

 少女は恐怖に震えながら彼からいっこくも早く遠ざかろうと走りだす。


「何もしないのに、欲を言えばすこし観察したいが」

「す、すみません。でした……!」

「許す。怒ってない。──ただ、アイリスに伝えろ。ふざけた真似をするな、とな」


 アルバートはそれだけ言って、涙目で逃げ去っていく少女の背中を見送った。


 ────────────


 あの湖での決別から8か月がたち、アダンは順調に勢力を拡大している。

 昼食後の穏やかなアフタヌーンティーの時間を、アルバートは一人で楽しんでいた。

 瞼を持ち上げれば、建設が急がれるアダン屋敷の骨組みが組みあがっていく光景が見える。

 

 プライスレスな午後の休憩は毎日を研究と組織作りにいそしむ長だけのものだ。

 が、ここには一人だけ彼と同席する少女がいる。

 

「殺さなくて、いい?」

「物騒なこというな」

「でも、あれ、敵なはず」

「あいつは勤勉な学徒だ。卑劣なる魔女に学費代わりのおつかいを頼まれたんだろう」


 ちょっと髪の伸びたユウは、前髪隙間からのぞく灰瞳をぱちくりさせる。


「どうして、血の姫は来ない?」

「さあな。ニャオやお前の妹たちの報告を聞く限りは、俺に……アダンに興味がないらしい」


 法廷での敗北は濃厚。

 実力行使をすればいつでも滅ぼされる。


 アダンとサウザンドラには力の差がありずぎる。

 アリがどれだけ騒いでいようと人間が気に留めないのと一緒だ。

 彼らはアダンを脅威として考えていない。


「やつらは魔術協会でかなり精力的に動いてる。組織を昇りあがるキッカケでも見つけたんだろ」


 それだけ言って「アダンも急ぐ必要がある」と、カップを机に置いた。


「もう出る?」

「思ったよりはやく客人を追い返せたからな。お前の妹のおかげだ」

「良かった」

「本人には言わなくていいぞ」

「む」

「では、先に行ってメイソンに3時間後の来訪を伝えろ。行け」

「了解、マスター。商会で待ってる」


 ユウはそう言い、横で待機していた彼女専用の愛獣ブラッドファング──グレイにまたがって門から出て行った。


 アルバートはそれを見送ると、ティーカップの中身を飲み干し、足元の鞄を拾い上げ、母ミランダに遠出の挨拶をしに行った。




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