ジェノン商会籠絡編 ⅩⅡ

 光が見えてきた。

 長い長い、暗い死の充満する坑道からようやく逃れられる。

 英雄の心中は、かつて翠の狂竜が山脈へ飛び立ち、長い夜の明けた時のことを思い出していた。

 また生き延びた。強者との戦いの後はいつだって、自分が弱者であり、千の技術をつかってようやく対等に渡り合えていることをわからせられる。


 緊張感のない護衛クエストや、勝てるだろう怪物の討伐クエストでは得られぬ経験だ。 


 エイポックはこれこそ命の奪い合いなのだろうと思う。

 

 否、果たして自分はあのディザスターにとってそれだけの脅威になれただろうか。

 まずそこからが疑問だ。

 

 英雄が悶々とした気分でいると、ついにトロッコは光へと到達する。


 空が見えた。

 青い空だ。

 肌をなでる空気には一分の毒素すらふくまれていない。

 これは疑いようのない解放の味だ。


「帰ってきた……」


 エイポックはため息をついた。


「道を開けてくださーい! 負傷者がと通ります!」


 専用の鎧を着こなすおしゃれなブラッドファングが坑道から出てきた時、鉱山に突入する前に冒険者たちが集っていた広場は騒然としていた。


 あちらこちらに倒れている冒険者たちは互いに助け合い、ゴールド等級のパーティが率先して貴重な治癒のポーションを使い低級の冒険者たちを介抱している。

 エイポックは危機的状況に瀕していたのが自分たちだけではなかったのだと悟った。

 あれほどのアンデットが潜んでいたとするなら、この被害もうなずけるか。

 

 冒険者の面倒をみている者たちの中には、貴族家に仕えていそうな使用人身分の者たちが多く混じっている。

 メイド服の白い前掛けを血で汚しながらも、優しい言葉で怪我人たちの気力をたもつ。特段と華やかな感じはしない、いわゆる平民出身のオーラをまとっているが、所作の一つ一つは洗練されている。厳しい教育を潜り抜けてきた者の証であった。


「あんたたちは、ジェノン商会の?」


 エイポックは近くいた温かい髪色のメイドに尋ねる。


 彼女は全身血まみれの大男がいつの間にか患者に加わっていることにびくっと身体を震わせた。


「い、いえ、私たちはアダンの者です。それより傷……」

「では、アルバート殿の?」

「は、はい。アルバート様は責務を重んじるお方ですから。それより傷を……」


 まだうら若い少女はそう答える。その顔は心配そうだが、ほのかに誇らしげだ。

 彼女は「と、とりあえず、まずは手当てしますね!」と言い、すぐにエイポックと、死にかけのナリヤ親子の手当てをしはじめる。


「坑道にいたあの怪物……あれは異常だった。すぐに冒険者ギルドに緊急クエストの発令を要請するべき案件だ」

「いまはご自身の傷の回復に努めてください」

「しかし──」

「しかしも、へったくれもないです。さあ、横になって」


 少女はぺちんっと手をたたき、英雄の巨漢を横たえた。


「『竜殺し』なぞ語っているくせに……私は…」

 

 悔しさを噛み締め、彼はつぶやく。

 久しぶりに死に直面し、恐怖にくじけた自分が情けない。

 人生最大の試練として、20年以上も昔にドラゴンを追い払った。それでもう最強になった気でいた。さらなる挑戦をしなかった。

 この惨敗が、そのせいだとは思わない。あよ災害は普通じゃなかった。

 だが、敵の恐ろしさを言い訳に使って自らの心の平穏を保てるほど、図太くもない。


 結果は、依頼人を守れず、少年に助けられ、自分は戦場から離脱しただけ。


「青い……俺もいまだ若輩みたいだ、アビー」


 英雄は永い眠りにつく妻のことを思いながらつかの間の安息に身をゆだねることにした。

 

 ──────────────


 ──坑道の奥地


 暗い、暗い、じめじめとした空間があった。

 空気はよどみ、かすかに含まれる粉塵に肺が侵されるのを感じる。

 どこからか入ってくるわずかな光が、染み出た水に削られ滑らかになった採掘跡のある岩肌の輪郭をなぞる。ここは坑道の奥の奥……露出した岩壁を四方に構えた天然の部屋だ。

 その中央に木製の椅子に括りつけられた老人の姿がある。

 マクド・ジェノン、大商会を一代で築き上げた傑物だ。


 今は覇気も何も失われている。

 痛みに呻くばかりだ。

 

 獣に噛まれた足の傷にウミがたかっている事が彼の苦痛の根源だ。

 しかもこのウミ、ただのウミではない。アンデットの体内から発見せれ、怪物学者によって量産された死体処理用の見るに堪えない醜きモンスターである。


「うぐ、ぅぅ」

「──以上、腐肉ウミの唾液にある微弱な麻酔効果は実践レベルで活用可能であることが証明された、ピリオド。気化させ濃度を高めれば、十分に麻痺毒としての運用は可能、ピリオド。ヴェノム・ゾンビの効果を見るに実験は大成功だ、ピリオド」

「ぅぅ……、こ…この、声は……」


 アルバートは部屋の隅に置いてある机に向かっていた。

 机の上には複雑怪奇な機械が置いてある。

 機械は人骨の腕と台座からなり、使用者の声にしたがってガチャガチャと動き、人間ではマネできないほど整った均一の文字をセットされた羊皮紙に刻んでいた。


 アルバートはマクドの意識がもどったことに気が付き、机に背を向ける。

 

「すごいものだろう。声を認識して自動で手記をしたためる魔道具だ。印刷ギルドの特許物だが、金を出したらアダンにも貸してくれたよ」

「ッ! き、貴様……!」

 

 マクドはすべてを察する。

 自分はこのムカつく貴族に囚われてしまったのだと。


「何のマネだ…ッ! なぜワシが縛られている! いや、それよりもなんだこの状況は!」

「驚くのも無理はないな」

「貴様、まさか、アンデット騒動のどさくさに紛れてこんな愚かな手に出るとはな! はは、腹いせに暴力に訴えるとはあさましいことだ!」

「少しは口が回る、素と齟齬はなさそうだ」

「今すぐにこの下らん報復をやめて、ワシを解放しろ。復讐は何も生まんぞ」

「当事者の気持ちがスッキリすること以外はな」

「ええい、クソ! 話の分からんやつめ! こんな馬鹿なマネはよして、はやくワシを解放しろ! さもないと、ワシら二人ともアンデットたちの餌にされるんだぞ!」

「ん? あー……」


 アルバートはマクドがまだ悟りきれていない事に苦笑いを浮かべる。


「何がおかしい!」

「いいや、何も。とりあえず、解放だけは絶対にしないとだけ伝えておく」

「貴様、血迷ったのか!? 二人とも死ぬんだぞ!?」

「死なない自信がある。いや、確信か」

「くうう……! 若造めが! どこまで頭が悪いのじゃ……!」

「まあ、落ち着けよ。別にあんたを殺しはしないさ。あんたは心が痛まない大切なサンプルだ」


 アルバートはそう言いながら思い出したように「そういえば、あんた、足噛まれてたのは覚えているか?」と、マクドに背を向けて荷物を整理しながらたずねた。

 意味不明な問いかけにマクドは、ちらっと自身の足を見下ろした。

 そして、知った。両足とも食いちぎられ、その傷口に黄色いウミたちが群がっていることに。

 酷すぎる光景にマクドは「え?」とほうけた顔をする。悪い夢だと思った。仕方のないことだ。だがしかし、これは違う、現実なのだ。

 麻痺毒によって忘れられていた生の実感が、まだ許されている人生の猶予が、最高に癪に障る子供によって保たれている。なんたる屈辱だ。なんという悪意だ。怖い。死にたくない。助けてくれ。


 マクドは足元から崩れ落ちるような不安に駆られる。


「た、たた、頼む……ッ」

「なにを? 何を頼もうというんだ、このアルバート・アダンに」

「助け、助けて、助けてくれ……! ワシが、悪かった…ワシは、こんな、ところで死にたくない……ッ!」

「なら、まずは謝ってもらおうか」

「すまない!」

「何に謝ってるんだ」

「ッ…何って…」

「何に対して謝ってるんだ」

「は……」


 マクドは追い詰められた頭で、自分が謝るべきことを思案する。

 いま、目の前のこの子供は何の謝罪を求めているのか。

 

「あ……ぁ…アダンと交わした誓約のことで、嘘をついた……」

「それで」

「もう解決した話を持ち出して、申し訳なかったと、思っている……」

「ほう」


 アルバートは顎をしごきながら「まあ、いいだろう」とつぶやく。

 マクドは九死に一生を拾ったことに大きくため息をついた。


「しっかりと謝罪ももらったことだし、そろそろ実験を始めよう」

「は? じ……実験……?」

 

 少年の手のひらのなかにいつの間にか古びた本が握られている。

 その本が開かれると、不思議とマクドは心を掴まれてしまったような感覚に襲われた。


「入っていいぞ。面会の時間だ」

 

 主人の声によって腐肉で動く屍が、車いすを押して暗闇から現れた。

 車いすには一人の老人が座っている。

 老人の顔は、皮と骨だけしか残っていないような絶望に満ちた顔だ。

 マクドにはその顔に見覚えがあった。

 しかし、その人物はマクドの眼前に現れる事は絶対にありえないはずだった。


「ば…馬鹿な、なにが起こって……」


 マクドの呼吸が荒くなっていく。

 瞳は揺れ、顔じゅうから冷汗が噴き出る。


 アルバートは目を見開いて、冷めた瞳でぶつくさとつぶやき、実験の経過を音声手記で行っていく。


 一通り観察を行ったのち、アルバートはマクドへと向き直った。


「なあ、マクド、聞くんだが。人間とモンスターの違いはなんだと思う」

「はぁ…はぁ…はあ…」

「俺は思うんだ。第三者から見たとき、そこに境界線はないとな」


 怪物学者が虚ろにつぶやきながら見下ろす怪書のページには、老体の写生図が描かれ、細かな情報が乗っている。各項目があるなか、個体数の欄には『10』と記されている。


「しかして、疑問はまだたくさんある。種と個、魂の在処。エドガーがこの本を人間用に作っていないことを考えれば納得できるが──ところで、お前は自分が本物である自覚はあるのか」

「ぅぅうああ、やめろ…やめろ……! やめてくれ、その”偽物”をどこかへやってくれえ!」


 マクドは車いすに座った干からびた老人と目をあわせて叫ぶ。

 アルバートは怪書を見下ろしながら「いいや、違うぞ」と縛り付けられたマクドへと残酷な現実をつきつける。


「お前が偽物だよ」

「いやだぁああああああああああああアアアアアア──」


 深淵の研究に利用された魂は、暗い奥地で狂気にとけて行った──。


 

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