ジェノン商会籠絡編 Ⅺ


 ジャックは特別なブラッドファングだ。

 再起するアダンを根底支えるアルバート魔力量にも、いくばくかの余裕が出てきた事で、豪華なモンスターを量産できるようになった。

 非常に脅威度が高いことで知られるブラッドファングであるが、いまや彼らはアダン家に3桁数字の配備が進み、もっとも主要な労働力となりつつある。

 そんな彼らの中でも、ジャックと呼ばれるブラッドファングは一番主人に気に入られている。

 

 アルバート自身気がついてはいないが、このブラッドファング──ジャックこそ彼が最初に生成した個体だ。


 かの湖での死闘でも生き残った猛者であり、その能力は現場で叩き上げられ、ほかの個体より頭ひとつ抜けている。


 さらには、最初に生まれたために、必然的にアダン家が死にかけていた頃から苦楽を共にすることになった結果、普段、アルバートが足としてモンスターを使う場合には、必然的にジャックが優先されるようになっていた。


 アダン家のすべての使役モンスター間の序列でも、最高の地位にいるらしく群れのボスと言っても過言ではない。

 家出してしまったフェンリルや執事長室で眠りこける故・エドガーの愛犬パールには頭があがらないようではあるが。


「ジャック、走れ、追いつかれるなよ」

「ガルゥうう!」


 エイポックの襟をくわえて引っ張り、間一髪のところで救出したジャックは、アルバートのもとへ素早く舞い戻る。

 アルバートは素早くジャックの背中の鞍にまたがった。背中にストンっと重みが乗った事を感じ、ジャックはそのまま全速力で危険エリアを離脱せんと走りだした。


 坑道に敷かれたレールをたどって出口まで一直線にひた駆ける。


 エイポックは信じられない速さと、あまりの揺れない乗り心地に驚いた。


 ブラッドファングは体幹が非常に優れており、身体の無駄な上下がまったくない。

 ゆえに不必要な駆動を極力無くした、最速のための足運びが可能なのだ。


「これならあの怪物からも逃げきれる……っ」


 エイポックはジャックのお尻の上にしがみつきなぎら、後方から追ってくるだろう怪物を見やる。


「ふしゅる、ぅぅう!」

「あっちもかなり速い…!」


 ジャックの健脚は目を見張るものがある。

 アルバート専用個体として大切にチューニングされ、特訓を積んだ証だ。


 とはいえ、蟻は蟻。

 カエルの子はカエル。

 ブラッドファングはブラッドファング。


 死を克服し、改造された肉体を誇示する無敵のキメラに追われては、さしものジャックもたまらない。


「追いつかれるぞ!」


 エイポックはアルバートに知らせる。


「凄い脚だ。素晴らしい[

「どうして、あんた歪な形状なのになぜあれほどの瞬発力が出るんだ」

「はてな。創造者の高いセンスが見て取れると」


 エイポックはちらっと背後を確認する。

 直後、彼の視界は、ぐわんっと勢いよく引き上げられ、″真上からリヴァイス・ケルベロスのことを見下ろしていた。


「は?」


 何が起こったのかわからない。

 だが、何かが起こった。

 曖昧な感覚だけを頼りに、エイポックは首をかたむけ状況を把握する。


 そして理解した。


 アルバートはバック宙返りをして、怪物の噛みつき攻撃を躱したのである。

 もちろん、アルバート自身がしたのではない。

 彼が騎乗するブラッドファングに、後方からの攻撃を避けるよう宙返りさせたのだ。


 ありえない。

 こんな精密な操作ができるなんて、非現実的すぎる。


 ダイヤモンド級冒険者として、さまざまな貴族と会う機会がこれまでにあった。

 使役術を先行する魔術師たちにもたくさん会ってきた。


 この魔術師は違う。

 まるで別次元の技術だ。


 調教して「人を噛まなくなりました!」とか、「乗ることも出来ます!」とか、そんなチャチなレベルの使役ではない。


 手足だ。

 彼にとって使役術は拡張された四肢だ。


 このアルバートと呼ばれる少年は、己の肉体のように高位モンスターを操り、モンスターもその指示を、主人の思い描いた通りに再現している。

 魔術のクオリティの高さ、少年の大きく見える背中に「これがアダン…」と、英雄は畏敬の念を抱かざるおえない。


 その後、アルバートの巧みなモンスター騎乗スキルは、バケモノに追いつかれても、捕まらない立ち回りを披露した。

 

 そうして、逃げ続けていると、やがてアルバートたちは前方を走るトロッコに追いついてしまう。


 下り坂が終わり、停車していたトロッコの付近には、毒で完全に動けなくなったタイヨウとルナ、魔力欠乏を起こしたナリヤ、失禁したマクドがいる。


 アルバートはその光景を見て、わずかに口角を上げた。


「あんたの仲間たちだな?」

「まだこんな所に居たのか……くそ、やはり、逃げきれなかったのか」

「諦めるにはまだ早い」


 アルバートはジャックに複数つけられたポーチの中から、赤い半透明の液体が入った瓶を取りだす。


「こいつで時間を稼ぐ」


 それは『燃える水』であった。

 身体強化を肩に施して、勢いよくリヴァイス・ケルベロスへと投げつける。


 高価な霊薬で、高位冒険者でも使用するのを躊躇するほどの魔導具をあっさり使う豪快さ。エイポックは目を見張る。


 やはり、貴族は金持っているのだな、とあらためて特権階級の人間との差を感じた。


 燃え広がる炎によって、リヴァイス・ケルベロスの動きが僅かに鈍くなる。


「今だ、ジャック、トロッコを引いて入り口まで走るぞ」


 空中で身を翻すジャックから、アルバートは華麗な身のこなしで降りると、ジャックの後ろ足のラックに付けられていた荷物の鞄を2つを両手に持った。


 エイポックは彼が何をするのかわからなかったが、少なくとも戦う者の目をしていたことだけはわかった。


「待て、しんがりは君みたいな若い少年には任せられない…!」

「俺は栄光あるアダンの末裔だ。この場は俺が引き受ける」

「っ、しかし、だからって一人でどうこうできる脅威度のモンスターじゃない。あれはディザスターだ」

「負い目を感じる必要なんてない。『竜殺し』、俺は貴族、偉大なる力を持つものの責務を果たすだけだ」


 アルバートはそこで文言を区切る。

 彼の言葉が終わるのを待っていたかのように、リヴァイス・ケルベロスは『燃える水』の炎を踏み越えてやってきていた。


「急拵えが動けばいいが」


 アルバートはすかさず銀の鞄の持ち手のボタンを親指でカチッと押す。

 すると、鞄が勢いよくパカっと開かれ、その中に収められていたモンスターが解放される。


 半開きの鞄から飛び出したのは、目を疑うような光景であった。


 それは、無数の触手であった。

 否、無数と思われたが、触手の数は大した本数ではない。せいぜい8本か。


 注目するべきは、その触手が水辺に住むモンスター、オクトパスのそれに酷似している事と、断面直径にして1メートルを下らない太さをもっている事だ。


 やがて、半開きの鞄のなかから現れた触手はどんどん内側から出てきて、わずか数秒のあと、鞄から出てきた分だけでも、その長さは数十メートルに到達した。


 坑道の地面も壁も、天井も肉厚の吸盤付き触手で埋め尽くす光景は圧巻の一言に尽きる。


「縛れ」


 アルバートの指示が入る。


 分厚い触手たちはキレ良く意思を示して動きだし、その実力の迫力に怖気付くリヴァイス・ケルベロスを捕まえてしまった。


「ふしゅる…る、ぅ、る、ぅ…」


「あれも使役術なのか……?」


 初めて見る戦い方に感心するエイポック。

 彼は肉厚の触手が、多脚多頭の怪物を捕縛する怪獣同志の戦場のまんなかで、自分の無力さを感じざるをおえなかった。


 しかし、そんな時。

 エイポックは突然「なんか変だぞ!」と叫んだ。


 リヴァイス・ケルベロスの様子に変化があった。

 触手に強力に固定される身体が、変形したのだ。まるで、練り合わせた小麦のように、黄色い溶液を出しながら、ネチョリと隙間をぬけて崩れてしまう。


「ふしゅる、るぅ」

「ふしゅる……っ!」

「ふしゅるるぅう、」

「う、ぅ、ふきゅ、るぅ」


 砕けた体は、粘土のように自在に変形して、頭の数だけ分裂した。


 ちいさな悪魔たちの生誕だ。


 アルバートは目を見張り「なんて事だ!」と迫真の表情で頭をかかえた。

 エイポックは「ん?」と、感情がこもってない彼の言葉に一瞬疑問をいだく。


 が、そんな事を考えている暇はない。


 触手の拘束を逃れた悪魔たちは、縦横無尽に坑道を駆けて、まっすぐにトロッコを襲わんとしはじめたのだ。


 ジャックはリヴァイス・ケルベロスたちを止めるべく応戦に入る。

 アルバートはもつれた触手たちを、小物たちの一掃をする為に動かした。


 しかし、早々にトロッコに到達したちいさなリヴァイス・ケルベロスたちによって、車体はひっくり返されてしまう。


「ぅ、ぅ」


 喋る事すらままならない重症者3名が地面に転がされた。

 エイポックは拳に力をこめ、彼らを守るために振り抜いた。


「やらせはしない!」

「ふしゅる、ぅう…?」


 あれほど恐ろしいと知っているリヴァイス・ケルベロスに素手で挑みかかる。分裂したとはいえ未だ大型モンスターのサイズである。脅威に立ち向かう、無謀とも取れる英雄の迷いない行動は勇敢と言わざる負えない。


「うぉおおお!」


 リヴァイス・ケルベロスを殴りつける。体に穴を開けられ、爆破され、なお彼は戦うのだ。


 けれど、押さえられるのは1体が限界だ。


 すぐにトロッコに追いついた2体目のリヴァイス・ケルベロスによって、背後に庇う3人は蹂躙され──。


「そっちじゃない」


 意識の朦朧としてるタイヨウ、ルナ、ナリヤを襲おうとしていたリヴァイス・ケルベロスは、ジャックの突進によって、突き飛ばされる。


 悪魔が突き飛ばされた先には、代わりとばかりに無防備な獲物が1人いた。


 運が良いのか、悪いのか。

 トロッコから転げた衝撃で目が覚めたマクド。彼は目の前に黄色い涎を垂らす牙の生えそろった口を見つける。にちゃーっと粘着質な笑みを深める獣の顔だ、


「え?」

「ふしゅる、る、ぅ…」

「は……ま、待て、なんでワシを……っ」

「ふしゅる、るるぅ!」

「やめろ、おぃ、やめ、貴様、このワシを誰だと思って…?!」


 どんなに身分が高かろうが、どれほど資産を持っていようが、恐ろしい怪物の前では、人間は等しく肉でしかない。


 リヴァイス・ケルベロスは、黄色い液体の滲みでる口で、容赦なくマクドの足に喰らいついた。


「ぐぎゃあ?! ぁガァアア!」


 ケルベロスはそのままマクドの足を引きずって、坑道の奥へと走りだした。

 マクドは地面に身体を擦り、老体を残酷に破壊されながら、必死に叫ぶ。


「いだ、痛ッ、やめ、あがぁ、削れる……ッ、いだぃ、助けてぐれ、ェェェ! うぎゃああァァアア!」


 この一瞬の苦痛からわずかでも早く逃れるために、マクドは叫び続ける。

 だが、声に応えて集まるのは、そのほかのリヴァイス・ケルベロス達だけだ。


 騒がしくするマクドのもとへ、一点集中してしまったケルベロス達によって、四肢を奪いあいされながら、彼は坑道の闇のなかへと消えていってしまった。


 壮絶な光景に、エイポックをはじめ『翠竜堕とし』の皆が唖然として固まってしまう。


「伏せろ」


 アルバートはキリッと締まった顔つきでそう言い、鞄から伸びる巨大触手を使ってリヴァイス・ケルベロスの分裂体を串刺しにして一時無力化した。


 そして、そのまま触手を器用にコントロールして倒れている全員をトロッコに乗せると、ジャックに引かせて行動を離脱させんとする。


 エイポックは動きだすトロッコからだんだん小さくなっていく背中を見やる。


 迫り来るバケモノの壁を相手に一歩も引かず、恐怖に打ち勝ち、さらわれた人間を助けにいく勇敢な後ろ姿。


「坑道に残るのは自殺行為だ……!」

「安心しろ。必ず生きて帰る」


 少年の力強い声と、意志の堅い瞳をみてエイポックはそれ以上、言葉を紡ぐことはしなかった。


 獣に引かれるトロッコで逃げおおせる彼がその胸の内に思うのは、ただひたすらにあの英雄が、生きて鉱山を出てくることへの祈りばかりである。


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