ジェノン商会籠絡編 Ⅹ


「はぁ……はぁ、はぁ、はあ…まさか、紅鉄工房でも、ダメ、なのか……」


 ナリヤはかすむ視界であまりにもイカサマな強さに笑いすらこみあげてきてしまった。


「なんだよ、それ……なんなんだよ、アレ……」

「お兄ちゃん! はやくパパを担いで! 今のうちに逃げないと!」


 倒せないとしても、全身炭化させたアドバンテージを無駄にしてはいけない。ルナは父が稼いだ時間こそ最後の逃走チャンスと思い、一刻も早くこの場から逃げるために頭を働かせた。


「トロッコがある! あれに乗れば走るよりいいんじゃないか!」


 タイヨウの提案にルナはすぐ賛成した。


 歩くことすらままならない父をトロッコに乗せ、エイポックとマクドを乗せて──。そう頭で考え、すぐに行動に移す。


 しかし、その最初の一歩は拒まれた。


 タイヨウとルナがナリヤを担いだ時、2人の体はいつの間にか地面に倒れてしまっていたのだ。


 しびれが走る感覚から、これがドラゴンクラン大魔術学院の霊薬学の授業で習った、毒なのだと気づくのに時間がかかった。


「お兄ちゃん……これって」

「ゾンビの遺体から毒が漏れてる」


 タイヨウは炭化したゾンビの死体のいくつかから、紫色の霧のようなものが、わずかに漏れ出ていることに気がついた。


 ヴェノム・ゾンビ。

 怪物学者の開発した『Zシリーズ』のなかで一番嫌らしいバージョンである。


「殺したら毒を撒き散らすのか……! くそ、動け、動け……っ、少しずつでも、動け!」


 タイヨウは焦燥感に駆られながら、必死に自分を冷静にしようと思考を保ちつつげる。

 すぐ後ろで、あの悪魔が今にも動き出しそうだ。


 タイヨウとルナは杖を支えに何とか立ちあがり、父親を引きずってトロッコに乗せる。


「2人とも……トロッコに乗るんだよ……」


「っ! エイポックさん!」


 トロッコに寄りかかるようにしながら、反対側の辺を見ると、吹き飛ばされたはずのエイポックが、薄く微笑みをたたえて立っていた。


「ミスターを頼む」


 彼は失禁したまま気絶したマクドを片手で持ちあげトロッコに投げて乗せる。

 兄妹は英雄の踏ん張りに勇気づけられ、最後の一踏ん張りでトロッコに転げ落ちるように乗りこんだ。


「はあ、はあ、はあ……っ、さあ、エイポックさんも早く!」

「手を伸ばしてください!」


 しんどそうな顔してトロッコに寄りかかるエイポックは、兄妹が必死に引きこもうとする手をふりはらう。


「あのディザスターはじきに動けるようになる……誰かが時間を稼がないと、全滅しちまうさ」


 エイポックはそういい、乾いた笑みを浮かべると、トロッコを固定していたレールの留め金をブロードソードで叩き破壊した。


 トロッコは自重で滑りだし、ゆっくり加速しはじめた。


「エイポックさん!」

「はやく乗ってください!」


「悪いな。だが、かっこいいところは英雄が持っていくものだ。私はこれでも名ばかりの『竜殺し』。見せ場はもらうぞ」


 エイポックはそう言って、トロッコに乗ってずんずん危険域から離脱していく彼らを見送った。


「さてと……」


 ひとり残った焼死体だらけのひどい匂いの坑道。

 

「毒か。悪いが私には効かないが……体にはよくあるまい」


 エイポックはブロードソードをうちわのように使い一度ふって、あたりの毒煙を払い飛ばした。


「フュ…フュゥ……気功なんて久しぶりに使ったな……もっと真面目に勉強してれば鋼鉄の体を手に入れられたのかねぇ……」


 エイポックは身体を巡る魔力を、魔術師の国家とは、まったく違う地域の活用法でもって、生命エネルギーに変換して傷を緩和させていく。


 しかし、その早さより遥かに早く人間なら即死確定のダメージから、悪魔は復帰してしまった。


「どの首を落とせば殺せるのか……」

「ふしゅるぅ、う」

「全部を同時に落とすか? はは、むっず」


 エイポックは半ば諦めながらも、とりあえずブロードソードを構える。

 

 悪魔リヴァイス・ケルベロスは、木の枝が前脚を形作っているような歪な義足の、その先っぽで、走り出す前の馬が蹄で地面をこするがごとくまえがきをする。


 両雄睨みあい、場の空気が張り詰める。


 片方は死と引き換えの一撃を覚悟のため。

 片方は彼を見ずに、数百メートル先に走るトロッコを追いかけるために。 


 やがて、ケルベロスの駆け出しで英雄の最後の火蓋が切って落とされた。


「行かせるかよ!」


 一瞬でせまってくる巨大な肉壁へ、エイポックはブロードソードを突き出した。


 最後の一突きは、リヴァイス・ケルベロスの頭のひとつを正確に捉えて、その頭を真っ二つにかち割った。


 さらに、分厚い刃にはひねりが加えられ悪魔の体の奥をわずかにえぐった。


「ふしゅる、ぅ、ぅ」


 しかし、それだけだ。

 剣を振る力すら残ってない英雄など、究極生物の敵ではない。


 リヴァイス・ケルベロスは剣に貫かれた頭をふって、いとも容易くエイポックを弾き飛ばす。


 地面に転がるエイポックのもとへ、巨大な死が一歩、また一歩と近づく。


 その間に、坑道の奥から走って飛び出してくるゾンビの生き残りが、奇声をあげ、エイポックを無視してトロッコを追いかけはじめた。


 だが、そのゾンビの足にエイポックは掴みかかる。文字通り死にかけの状態でも腕にだけ力を込めて握力で足首をへし折った。


「行かせねぇって、アンデット…」


 エイポックが悪態をつき、脚を破壊されたゾンビは崩れ落ちた。


「あ、」


 瞬間、エイポックは見た。

 倒れたゾンビの腹が気泡のように一気に膨らんだ光景を。

 

 そして、彼は感じた。

 わずか瞬き数回の後、その気泡は音をたてて激しく爆発した痛みを。


「ぐぁ、あ!?」


 至近距離だ。

 死にかけの50歳手前だ。

 避けるられるはずもなかった。


「爆弾、ぞん、び……っ!? な、なん、なんだよ……」


 凶悪すぎる仕掛けに、全身血塗れになり、エイポックの意識がとうのく。


 耳に聞こえるのは大きな足音と、地面を踏み揺らすして響く衝撃音だけだ。


 やがて、倒れるエイポックのすぐ手前に悪魔はたどりつく。木の枝で構築された義足のような前脚をふりあげた。


 ぺしゃんこに潰す気だ。


 エイポックは手を空高く伸ばしていた。死の間際であろうと決して負けを認めず、貪欲に喰らいつかんとしたのだろうか。


 終わった英雄、と密かに後ろ指をさされる日々をようやく払拭出来た。


 戦士としては悪くない最期だ。


 心残りがあるとすれば、やはり彼女のことか。


「あび、ぃ……さいご、まで!きみ、を、ぉ、こして、あげられなかったな……」


 悔しさに涙が溢れて来た。

 生まれてこの方、戦いと真摯に向き合ってきた。


 なのになんだ。

 こんな怪物がいるなんて。

 

 ズルイじゃないか。

 こいつらは鍛錬してないのに。


 彼は見えなくなった視界のなか、可憐な少女を幻視しながら、暗い影に押しつぶされて──。


「──ジャック、押し飛ばせ」


 死を覚悟した男の耳にとどいて来たのは全身を砕かれる音じゃない。


 英雄が反射的に瞼を持ち上げると、目の前までせまっていた足はそこにはなかった。

 見えるのは、あの悪魔的怪物がふわっと吹っ飛ばされている光景だ。


「負傷者を回収だ。逃げるぞ」


 まだ幼い少年の背中。

 仕立ての良いコートは、坑道に入るまえに見たジャヴォーダン近郊の貴族のものだ。


 かたわらには彼より遥かに大きい真っ赤な鱗の鎧をたずさえた巨躯の四足獣。

 発達した筋肉から、熱い蒸気を立ち昇らせてその上から金属鎧をまとっていた。


「どうして、あなたが、ここに……」

「あれ相手に耐えるなんてやるじゃないか」


 少年はそう言い、装備周りの豪華なブラッドファングにエイポックを乗せると、鞍にまたがり、急いでその場を離脱した。


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