海を求めて


 ジェノン商会の新会長メイソン・ジェノンの仕事は多岐にわたる。


 現状で特筆するべきは、やはり専属で長期契約を結ぶことになった貴族家アダンの新ビジネスのサポートすること2番手の事務だろう。

 ジェノン鉱山の資源を疲れ知らずのモンスターで運ばせたり、アダンのモンスターを労働力として月額で貸付したり、海岸地域の食品を謎のケースで運搬したり──天才貴族が毎週末持ってくるビジネス案を随時展開することは、それだけで大忙しだ。


 加えて急速に力をたくわえるアダンと親密になろうと、水面下でのコネクションづくりも目に見えて活発になってきている。

 商人や各種ギルドの窓口になっているのは、これまたジェノン商会なのだ。もうすでに半年先までメイソンに休日はない。


 そして、そんな多忙な新会長メイソン・ジェノンがただいま抱える最大の案件は”海”にある。


「クーニャン、貿易ギルドとの話はどうなってる。アルバートが催促してきていて、正直かなり怖いんだ」

「正直は美徳ですが、もうすこし隠したほうがいいですよ、ぼっちゃん」

「だって怖いものは怖いだろう」

「相手は11歳ですよ……」


 メイソンと付き合いの長い幼馴染メイドのクーニャンは「はあ」とわざとらしく、大きなため息をついた。


「とりあえず、貿易ギルドからはまだなんの連絡もない、とだけ」

「ええい、クソ、なんでジェノン商会の手紙を無視できるんだよ」

「貿易分野では無名ですからね」

「だからって商人ならジェノンの大きさは認知してるだろう!」

「まあ、それもそうですが……あり得るとすれば、アダンの介入を嫌がっている……憶測ですが」

「何かアダンに知られたくない事があると?」

「ええ」


 クーニャンに冷静に返されるのもメイソンにとっての不満の一つだ。

 いつだって自分の思考を導いてくれる、頼りになる幼馴染として活躍されるのだ。

 たまには自分が導きたいのに。


 しかし、そんな不満も彼女のこめかみの傷を見れば「ダメだ、こんな子供のままじゃ」という、新しいジェノンを作るための活力へと変わっていく。


 新体制の意味を忘れてはならない。

 メイソンはその事を日々、胸に刻みつける。


 そして、新しいジェノンを考えるたびにチラつくのが、古いジェノンだ。


 メイソンは部屋の隅で毛づくろいしている黒猫を、チラッと見やる。


「(己のために父親を毒牙にかけた。後悔はない)」


 メイソンが悪魔に頼んだ願いはひとつ。

 愛するマリンとの結婚だ。

 悪魔の使いは、彼の願いを聞き届け、商会はメイソンの手にわたり、結果として父はアンデットたちに酷い目にあわされた。

 坑道の奥から助け出された時には、もうすでに半身を欠損しており、外界の刺激になんの反応も示さない廃人となっていた。


 まるで、魂が抜けてしまったようだった。


 これではジェノン商会の会長は務まらないという話になり、結果的に、メイソンは本当に新しい会長となってしまった。


 恐ろしいほどに自分の思い通りになり、メイソンはひどく驚いた。しかし、悲しんではいない自分がいる事には驚かなかった。


 悪魔にシナリオを依頼した者は、やはり、同様に悪魔的であるのだと常々思うばかりだ。


「俺は薄情な息子だったのかもしれないな」

「? どうしたんですか、ぼっちゃん」

「いや、なんでもない。すこし思い更けていた」

「ぼっちゃんは優しい人ですよ」

「さてな、以前までは自信を持ってそう語れたが、今ではもうわからなくなってしまった。……いや、良くも悪くも、俺はジェノンの血族ということなのかもしれない」


 そう語る彼の顔には表情はなく、あるのはただひたすらに己を満たそうとする欲の瞳だけだ。


 この男もまた傑物の卵なのだ。

 

「ふう……まあいい、今はとにかく俺は間違えないようにすればいいんだ」


 鉱山のアンデットのことは武力を保有する協力者アルバートに任せてある。

 悪魔に願いを叶えてもらった者たちは、悪魔のために働いて願いの対価を支払うのが伝説の筋書きだ。

 メイソンは自分の役割を思い返す。

 悪魔が見たいと言っている『大きな崩壊』の発生をサポートするのが俺に与えられた役目、『マリンとの結婚』の対価だ。

 俺はあの少年に手を貸して『大きな崩壊』を引き起こせればいい。


 悪魔とアダンになんの繋がりがあるのかはわからない。だが、おそらくアルバートも俺と同じなのだろう。悪魔に何かを願い、そしてその代価を要求されているんだ。


「ずいぶん若い当主だと思ったよ……」


 アルバートは俺と同種。

 自分より一回りも幼いのに、その思考を実践に移すあたり、俺よりよほど恐ろしいが。


 メイソンは『怪物』アルバート・アダンに畏怖畏敬の念を抱き、渇いた笑みを浮かべる。

 

「ん。ぼっちゃん、アルバート様がお見えです」

「来たな『怪物』。俺が直接出迎える、準備をしろ」


 メイソンの号令で商会が騒がしく動きはじめた。


 ──1か月後


 アルバート率いるアダン遠征隊はアーケストレス最南端の都市ラ・アトランティスへやってきていた。

 この都市は『港湾都市』として知られ、お隣のローレシアや別大陸と船による交易が盛んにあることで知られる。


 アルバートがこの都市へ赴くハメになったのには理由がある。

 

「すごい…これ全部、水なんですかー!?」

「海だからな」

「帆船がたくさん止まってますよ!」

「こんなに止まってるものか? 積み荷作業をしてるようでも無さそうだが……」

「わああー! あれはかの有名な防波堤ってやつですね! あれで海洋のモンスターたちを撃退するんですね!」


 馬車を降りるなり、興奮しはじめたティナが一向に止まる気配を見せない。

 アルバートは何十隻も停泊している船に違和感を覚えながらも「こんなものか」と納得して、意識を次へとむける。

 先んじて都市に放っていたニャオたちを呼び戻すために怪書を開き、そして、偵察活動を開始させる。用のなくなった怪書はすぐに魔力の粒子に返還してしまいこむ。


 代わりに執事から銀の鞄を受け取る。

 いつなんどき危険が迫るかわからない世の中、加えて気まぐれでサウザンドラが攻勢を仕掛けてくるかもしれない。


 そのための用心だ。


「ティナ、いつまで騒いでるんだ。さっさと行くぞ。港を眺めても金は増えない」

「むぅー、余裕のない人のもとにもお金は舞い込みませんよ!」

「金は舞い込むのを待つものじゃない。自分から稼ぎに行くものだ」

「はあ。アルバート様は冷めてるんですね。なっがーい道のりに揺られて、1か月もかけてここまで来たのに!」

「来た事あるからな。一応、アーケストレス国内の主要都市はすでに回ってる」

「おお! さすがですね!」

「アダンは期待されていた…あの頃は、皆が俺と個人的に会いたがってだな……フフ」


 アルバートはすこし得意な顔をして「やれやれ、人気者はつらいな」ともらす。

 

「アルバート様って自分のこと結構好きですよね」

「む。当たり前だ。自分を誇れぬ人間にどれほどのことが成し遂げられる。お前もアダンのメイドとして自分を誇りに思っていい」


 アルバートはそう言い「さ、いくぞ。時間は金だ」と言って、歩きはじめる。


 港から少し移動すると、立派な建物が見えて来た。

 アルバートは建物の名前を確認したのち、すぐに足を踏み入れた。


 ここはラ・アトランティスでも最も大きな組織、かの有名な貿易ギルドである。

 大小数百隻もの船を所有し、大国の港を繋ぎ、毎月、大量の漁獲物と輸入物を運びこむ。


 まさに、海で稼ぐ商人たちの一大組合だ。


 そんな貿易ギルドへ、アルバートは堂々たる足取りで乗りこみ、武闘派の若手執事たち──アーサーの教え子達──、愛嬌のあるメイドたちに周りを固めさせながら、ギルド長と会うための約束を取りつける。


 当然のごとく、受付はビビる。


「あ、ああ、アダン様、ですね……! す、すぐに予定を確認いたします!」


 貿易ギルドの受付嬢はあたふたしてせわしなく手を動かした。

 通常、貴族でもあまりやらない、というかいろいろは常識外れな訪問の仕方だ。


 悪くいえば、傲慢・誇示が過ぎる。

 だが、それはあくまで三流貴族の話。


 チンピラの俺すげぇだろアピールと取れる行動も、一流の教養と、カリスマ、そして慢心を超えた慢心に満ちた振る舞いのできる主人にかかれば、覇王の風格へと進化する。


 有体に言うならば、本物なのだ。

 アルバートは凄味を持っているのだ。


「よ、よよ、四日後、が空いているみたいです……っ!」

「じゃあ、その日でいい」


 この日のアダンのアポイントメント取り付けは、それだけで港湾都市の語り種となった。


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