ジェノン商会籠絡編 Ⅲ

 ジェノン商会の建物前から移動して、アダン一行は段層のはしっこに来ていた。この第一段目からは数百メートル眼下にジャヴォーダンの0段層の街を眺められる。

 アルバートは柵に寄りかかって、風に仰がれながら不機嫌に言葉をこぼした。


「あれはダメだな」

「すこしは我慢しないといけないのかな、とかティナは思いますよ」


 助手メイドはびくびくして、となりで黙している灰髪の少女ユウに「ねっ、そうですよね?」と同意をもとめる。


「私は、そういうの、わからない」

「ユウちゃん、いま正さないとアルバート様が誤った成長をしてしまいますよ」

「でも」

「ただでさえ何か危ない方向に向かってるんですから……っ」


「なんの心配してるんだ、お前は」


 アルバートはティナの頭をこづく。


「己を通してこそ、誇りある貴族だ」

「そうですかねぇ……」

「俺はそう信じてる。単に押さえられるのも好きじゃないし」


 ティナは「貴族ってそういうものじゃないの?」と思わなくもなかったが、口に出したら反論されて、けちょんけちょんにされそうだったのでやめておいた。


 代わりにこそっと我らが執事長に「アルバート様って頑固ですよね?」と、不満げな顔で同意を求める。

 アーサーは穏やかにニコリと微笑み「それもまた美徳です」と述べるだけだ。


「とにかくだ。あの会長じゃ話にならない」

「でも、アルバート様はジェノン商会と仲良くならないといけないって……」

「ジェノン商会は手に入れる。だが、マクド・ジェノンが会長であるかぎり、アダンはこの商会と商談をすることすらままならない」

「それは、アルバート様がジジイ発言したからでは?」

「弱腰になるな。最後には、必ず俺が勝つ」


 アルバートは馬車の車輪のうえに緩く腰掛ける。

 なにか考えはあるのだろうか。

 ティナは不安になりながらも、アルバートの顔つきに頼りがいを感じてしまう。

 完全に主人に毒されてしまったようだった。


「マスター、さっきの」

「ん? ああ、あのメイドか。何かしようとしてたな。何しようとしてたんだ?」

「見えなかったけど、たぶんガラスの針を持ってたと思う」

「暗具か。どこまでも下品なジジイだ。父さんの件をいつまで引きずってるのか」


 アルバートはため息をつき、加えて「よく気づいたな」といって、珍しいことに真顔でユウのことを見つめた。


「普段は睨んでくるのに」


 ユウはすこしは恨みを許してもらえたものと判断した。

 そして、頑張って仕えていれば、いつかは辛辣なパワハラから解放され、良い待遇を受けられると希望を抱いた。


「リン、お姉ちゃんは、頑張る」

「今更、当たり前のこと言ってると殺すぞ。お前らは全霊を賭しておくアダンにつかえることではじめて生存権を得ていることを忘れるな」

「……道のりは長し」

「ユウちゃんにそんな強く当たらないでください!」


 眉尻をさげて消沈するユウを、ティナは手を横にひらいてアルバートから庇う。


「ふん」


 アルバートは怒りの矛をおさめて、一旦メンバーを解散させ、使用人たちにも休憩を取るようにうながした。


 用事がないとアダンの敷地から離れる機会がすくない執事や、メイドらは、主人の気まぐれに喜んで街へくりだした。


 一方、当のアルバートはジェノン商会囲うために、事前に頭に入れていた情報を整理しようと、アーサーだけを連れて食事処へ足を運んだ。


 お金は節約するために貴族御用達の高級料亭ではない。


 金持ち商人たちがギリギリ使いそうな雰囲気の良い店をチョイスした。


 貴族は世間体も大切なので、あんまりケチっているとそれだけで甘く見られるのだ。


 運ばれた料理に手をつけていると、最近よく喋ってくれるアーサーの方から口を開いた。


「この老骨では食事の供回りは不足でしょうに」

「別に誰でも構わない」

「ティナやユウのほうが色があったのでは」

「どうだろうな。奴らは貴族じゃない」

「美しさに貴賎はないものです」

「色狂いになろうとは思わんがな」

「それはまだ坊っちゃんがお若いからです。時がくれば老骨との食事など我慢にしかなりませぬ」

「そういうものか」

「そういうものです。ですので、わたくしめには気を使わぬようお願いいたします」

「……ふむ。とはいえ、あんまり贔屓すると、ティナが他のメイドにいじめられる」

「では、ユウは?」

「あの暗殺者に関しては、わざと双子を引き離してるからな。たまには一緒にさせてストレスを抜くのが肝要だ。爆発されては困る」

「織り込み済みでございましたか。これは愚純な提案をしてしまいました」

「構わん。ところで、この店のハニーソースステーキなる食べ物が気になっていてだな──」


 アルバートは、2品目に取り掛かるべく美味しそうな挿絵のついたメニューを指さした。


 と、その時、ことだ。


「マーーリーーンーー! 僕は、僕はなッ! 君のことを、こーーんなに愛してるんだぁあーー!」


 騒々しい声が聞こえて来た。

 

 めちゃうるせえ。


 アルバートは眉根をひそめながら、突然カウンター席から聞こえてきた大声に、びっくりしてふりかえってしまう。


 視線を向ければ、真昼間だと言うのに、空のジョッキを振りまわす青年が、突っ伏して騒いでいるではないか。

 アルバートはそれだけ認識すると、すぐに興味を失って、おいしい昼食のために思考を割きはじめた。


「ん?」


 しかし、ある事が気になってもう一度、向こうのカウンターで騒いでいる青年を見ることになった。


 アルバートには彼の顔に見覚えがあった。


「最近見たな……でも、どこで?」


 しばし彼の顔を観察して、青年が誰なのか思い出した。


「あいつ、メイソン……メイソン・ジェノンだ」

「マクド殿の御子息でありますか。荒れているご様子ですが」

「だな。だが、それがいい。……そうかそうか、良いぞ。運が向いてきたじゃないか」


 まだ道筋は見えない。

 しかし、アルバートには彼こそがジェノンを手中に収めるために今必要な渡船なのだと、直感で感じとっていた。

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