『怪物』の誕生日


 どこかへと向かう馬車のなか。

 窓枠に肘をついて外へ視線を向けながら、アルバートは問いを投げる。

 

「サウザンドラは秘術をどう使うと思う」

「わ、私に聞かれても困りますよ」


 ティナは困惑して、手をまえに出して「勘弁してください」とやんわり振る。


「我らの秘術は盗まれた。邪智暴虐の魔女アイリスによってな」

「本当にアイリス様が盗んだのでしょうか……」

「実行犯は少なくともあの女だ。もちろん、計画を主導したのは当主のフレデリック・ガン・サウザンドラだろうがな」

「うーん……」


 未だに納得のいっていない様子のティナは肘をかかえて、うなる。


「魔術協会に被害届とか出せないんですか? アダン家の大切な秘術が盗まれました、という感じで」

「お前はとことん魔術世界に疎いな」

「うぐっ…すみません」

「まあいい。とにかく、そんなことは出来ない。そもそも、アダンはもう協会に所属してないし、サウザンドラ相手に協会で優位に交渉できるわけがない。最悪の場合は──」

「最悪の場合は……?」

「協会がアダンを抹消しに来るかもな」

「ひぃ?!」


 ティナは身震いする。

 平民出身、平民代表のような知識レベルのティナでも、アーケストレス魔術王国における『魔術協会』の大きさは認識している。

 

 協会に消されるということは、すなわちこの国土のなかで住む場所を失うということだ。


 国を相手にするようなものなのである。


「だから、魔術家どうしのいざこざは基本的に起こしてはならない。第三者の公的な介入は期待できないから、必ず家 対 家の水面下での血みどろの戦いになるためだ」

「そ、それでは、アルバート様もサウザンドラ家に対して戦いを挑むと…?!」


 ティナは迫真の表情でたずねる。

 アルバートは痺れの残る肩をさすりながら「……いや」と控えめな声で答えた。


「先の戦いで思い知った。300年以上、計7代にわたって積み上げてきた秘術の威力を。あれだけの戦力を投入して殺し損ねた。怨敵に復讐を果たすには、もっと、力が……力が必要だ。すべてを守り、敵を殺し尽くすにはな」


 アルバートは悔しさに顔を歪める。

 主人の表情をみて、ティナは沈痛の共感をしめす。

 アルバートが命名したアルバート湖の周辺は、今でも血みどろで酷い有様だ。


 そこで壮絶を極めた戦いがあったのは、一介のメイドでも想像に難くない。


 加えて、湖に土を取りにしばらく通ったことでアルバート湖がさらに厄介な状態になっていることを、ティナは肌身に知っていた。


 大量の生物が尸となったのが最大の原因だ。加えて、アイリス・ラナ・サウザンドラ、アルバート・アダン、この時代を代表する稀代の魔術師2名の、質の高い魔力がふんだんに放出された結果──数ヶ月が経過した今、アルバート湖の魚たちは全てが死滅し、周囲の動物たちは腐り朽ちてしまった。


 死の呪詛の爆発であった。


「近日中に勧告を出すが、アルバート湖にはもう近づくな。あそこは野性のアンデットに占拠されてしまったからな」

「アーサー様がいなかったら、ティナたちの命はありませんでしたよ」


 ティナは命懸けの土採取作業を思いだし、アルバートの隣に座するアーサーに頭をさげる。

 アーサーは黙したまま、穏やかに薄く微笑みをうかべた。


「アルバート様、はやくあのアンデットたちを倒してくださいよ。あそこのお魚はアダンの食糧事情の要なんですから」

「残念だが、ティナ。アンデットはあのままにしておく」

「えぇ?! お魚もう食べられないんですか?」

「賢者は敵を殺さず、仲間に引き入れるものだ。──気づいてないのか? アンデットだって、全て怪書に登録できるんだぞ」


 アルバートはそういって、すぐ隣の銀の鞄を開いて、アンデット・ラビッテを手乗りさせた。

 

 白骨化した綺麗な骨に、わずかばかり羽毛が付いているだけで、温かさとは無縁の外見をしている。

 頭骨の、本来なら瞳があるべき位置には、黒い空虚な穴が開いており、そこには真っ赤に揺らめく炎が瞳となって浮かんでいる。


「はわわわ……っ!」


 ティナは腰をぬかして、股の力が完全に抜けてしまった。ただ、そこはスーパーメイド。恐怖が理由だとしても、スカートをぐっしょりと濡らしそうになるのだけは気合いで絶え抜いた。有体に言うなら、下着を小便で湿らせただけで済んだ。


 これでもティナは13歳。

 まだ10歳の少年かつ、歳下の主人の前での失禁だけはしてはならなかった。


「はぐ、ぅ、ふぐぅ」

「どうしたんだ、ティナ。股を押さえて。トイレに行きたくなったのか?」


 ティナは恐怖に涙をため、恥ずかしさに頬を染め、気遣いのないアルバートに苛立ちを覚える。


 そこへ助け舟をだしたのは執事長アーサーだ。


「アルバート様、もう検証はよろしいのでは?」

「負のエネルギーの実験は成功だな。これでアダンの執事、メイド、22人全員が腰をぬかしたわけだ」


 アルバートはうなずき、アンデット・ラビッテを銀の鞄の中にしまった。


 その瞬間、含み笑いをする彼の高笑いが馬車のなかに響いた。引きつった笑みは、これほどにおかしくて仕方がない事はない、と言わんばかりに愉快そうに見えた。


 久々の満面の笑みだった。

 ティナはアルバートが何に笑っているのかわかっていなかったが、なんとなく空気に合わせて笑おうとして──すぐにやめた。


「これでもっと効率よく殺せる!」

「……へ?」

「殺して増やして、増やして殺すッ! 尸になっても、なお戦力として使える……ははは、素晴らしいとは思わないか?! これでもっとキメラが活躍できる! もっと凄いヤツが作れるじゃないか……ッ!」

「あ、アルバート様……」

「本物の貴族として、本当の誇りを示すためにはもっと力が必要だ。今までは甘っちょろいッ! ゴミをすべて捕まえて、全部溶かして、クズを絶滅させなくちゃならない! まだまだ足りないぞ、はははは……!」


 正常になったように思っていた。

 以前と同じになってくれたと。


 ただ、それが誤解だったとティナは気づかされた。


 少年はもう変わってしまった。


 彼はもう何者にも負けないため、すべてを守るため、より苛烈に″敵″を破壊するために、さらなる強い力を渇望する怪物になることを選んだのだ。

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