躍進と野望


「この土で何をするんですか?」


 ティナは魔術工房に運びこんだカートに山盛りに積まれた土を見下ろす。


「錬血の設計図を取りだす」

「れんけつ、ですか」

「血は古来より魔術と深い結びつきがある触媒だ。俺の体に仕込まれた毒も、血の魔術に由来する。ならば克服する方法も血に隠されてるはずだ」

「でも、これはただの血なのでは? サウザンドラほどの魔術に対抗できる何かが作れるとは思いませんが……」

「作れるさ。アイディアは寝床で出し尽くしてる」


 アルバートはそう言い、ティナに指示を出して、器具を準備させ、土に染みこんだ血の研究に着手しはじめた。


 ──1週間後


 魔術工房内は湖付近から取り寄せた土だらけになっていた。


 アルバートは難しいを顔して、サンプルに番号をつけて、どこの土にアイリスの血がもっとも含まれているかを調べつづける。


「ダメだ。50~99番まで廃棄しろ」

「えー! 全部捨てちゃんですか?!」

「それはただ臭いだけの土だ。血の呪いとは関係ない」


 アルバートの加速する無茶振りにティナはひぃひぃ言いながら付き合った。


 ──1ヶ月後


 日々のモンスター生成で、アイリスとの戦いで消耗しきったモンスター数が、完全に回復した。


 もちろん、特殊な個体は怪書に登録できていない限り、一点物ばかりなので簡単にはもどってこない。


「今日数えたらコケコッコのヒナが4匹増えてましたよ!」

「そうか……あいつらは、殻も雌も雄も、なんでも使えるからな……すくすく繁殖してくれて嬉しいかぎりだ……」


 アルバートは拡大鏡と、魔導具をつかって土の成分を調べながら受け答えする。


 ティナは、最近この土に食いつくように向き合うアルバートしか見ていない。


「……」


 ティナが話しかけなければ、アルバートは黙々と土のサンプルとにらめっこしてるだけだ。

 少女にとって、この待機時間が嫌というわけではなかった。


 アルバートの助手として多忙な毎日を送る中で、スーパーメイドとして覚醒させられはじめていたので、たまにはのんびり暇を持て余すのもよいものだ。


 ティナはそんな風に思い、モンスターをぐちゃぐちゃにしたり、細胞スライムを散らかさなくなったアルバートのとなりに寄り添いつづけていた。


「ティナ」

「……! どうしましたか?」

「チェンジだ。500番台は全滅だ」

「……」


 チェンジ、その言葉が聞こえれば、ティナの暇は無慈悲にも摘み取られたも同然だ。


 彼女はしくしく泣きながら、ほかのメイドや執事たちと協力して、魔術工房内の土を敷地の端にできた土山まで運びはじめた。


 ──2ヶ月後


 そんなこんなで、たくさん時間をかけ、アルバートはついにアイリスの血が多く含まれた土を探し当てた。


 サンプル数が4桁に乗ったことで、ついに成し遂げられた異形だ。


「お前たちご苦労だったな」


 アルバートは魔術工房内で彼の作業を手伝ったいた使用人たちをねぎらう。

 なかでも最年少なのに、すっかり貫禄がついたティナの頭をポンポン手を置いて撫でた。


「土を運びすぎてすっかり腕が太くなってしまいましたよ……これではお嫁にいけません」

「アダンが再興したあかつきには、良い婿を探してやる」

「……アルバート様はだめですか?」

「面白い冗談だ」


 アルバートは軽快に笑い飛ばして、ティナのオレンジ色の髪の毛から手を離した。


 かわりに机のうえの抽出され精製された、アイリスの血がはいった小瓶を高々とかかげる。


「秘術を奪えるのは貴様らだけではないぞ、サウザンドラ」


 蝋燭の明かりに照らされ紅く輝く血を見つめ、アルバートは笑みを深めた。



 ──1週間後



 アルバートはさっそく新しいキメラの開発に従事していた。


 杖を突き、魔術工房内をいったりきたり、物運び係のファング7匹と、ティナ、そのほか数名の使用人とともに、どんどん魔術工房が散らかっていく。


 ようやく正常な日常が戻ってきた。

 アイリスの裏切りが発覚して2ヶ月。

 賑やかさが嬉しいのやら、もう彼女がいないことが寂しいのやら。

 ティナは自分がどう受け止めればよいのかわからなかったが、何かが前へ動き出したという実感だけはあった。


 アイリスの血を見つけてから1週間が経過した今日、アルバートは研究の集大成として一匹のスライムを完成させるに至っていた。


 その名も『血液・希薄スライム』。


「え? これがスライムなんですか?」


 ティナと使用人たちは、机のうえにある真っ赤な大瓶を見つめて言った。


「血、なのはわかりますけど、スライムって感じじゃないですね」

「希薄スライムだからな」


 希薄スライム。 

 それは、細胞スライムとスライムに、誤ってティナがバケツの水をぶっかけた事で誕生してしまった生命体の名前だ。


「希薄スライムは、史上最弱モンスターの歴史を更新した偉大なるモンスターだ」

「スライムより弱いと?」

「大正解。ほぼ水だから物理的に何もできない。──ただ、こいつは希薄スライムじゃない。血液・希薄スライム。それもverサウザンドラだ」


 使用人たちの頭のうえにクエスチョンマークが浮かぶ。


「まあ、見ておけ」


 アルバートは怪書を召喚して、それを机のうえに開いて置く。

 登録されている血液・希薄スライムverサウザンドラのページを開いて、心がたしかに繋がっていることを確信しつつ瓶の蓋をあける。


 赤き希薄スライムは、宙を落下する水を巻き戻しているかのように空中へ、逆渦を巻いて登っていく。


 その摩訶不思議な光景に使用人たちはざわめきたつ。


「落ち着け」

「な、なんで飛んでるんですか……!」

「軽さ、加えて強力な触媒である擬似血液が周囲の魔力を吸ってひとり歩きしてるんだ」


 アルバートは杖をすてて、机のうえの短剣を手に取ると、それで手首を斬りつけた。


 ティナは「あっ」と声を出してリストカットするメンヘラに駆け寄ろうとするが、アルバートは手を出して静止させた。


「こい。今日から俺が家だ」


 使役者の声に反応して、赤きスライムは、なつっこく彼のもとへ降りてくる。

 そして、だらだらと血が流れるアルバートの手首めがけてスルリと入り込んでいく。


「ぐっ……!」


 手首からドクドクと血が溢れて止まらない。


 明らかにヤバそうな光景だが、使用人たちに「来るな!」とアルバートは叫ぶ。

 やがて、足元が血まみれになって、空中に浮かんでいたスライムは完全にアルバートの傷口から体内へ入ってしまった。


「アルバート様! だ、大丈夫なんですか?!」


 ティナは杖をひろって、それをアルバートへと渡す。


「もう必要ない」


 アルバートの顔色は、先ほどよりもずっと良くなっていた。

 よく見ると手首の傷も、傷口の血が″固まって″完全に止まってしまっている。


「すこし痺れは残るか……まあ、及第点といったところだろう」

「アルバート様……! まさか、呪いを克服されたのですか?」

「完治とは至らなかったがな。呪いを完全に解除するには術者を殺す必要があるだろう」

 

 そう言い、軽快な足取りで歩き出したアルバートは本を手にとり、階段を登ろうと一段目に足をかける。


「今夜は祝勝会だ。準備をしろ」

 

 復活した当主が見せる、頼りがいある笑みに使用人たちは歓声をあげた。


「アダンの躍進はここからだ」


 アルバートは燃える心を胸に宣言した。


 

─────────────────────



 ──一方、グリンダリッジでは


 雷鳴が暗雲をつらぬく空の下。

 移り変わる流れのなかで、古城は暴風と雷のなかに取り残されているかのようだ。


 半年してもいまだ目覚めないアイリス・ラナ・サウザンドラの魂を、世界が奪いに来ている──当主付きの執事アルソールは、窓の外を見ながらそんな不吉な事を思っていた。


 雨音だけが響く廊下をまっすぐ歩く。


 突き当たりまでやってきて、彼はサウザンドラ当主フレデリックの書斎の扉にたどりついた。


 吉報を届けられないことがわかっている。

 アルソールは叩きたくないな、と内心は思い、嫌々ながら重厚な扉をノックをした。


「失礼いたします」

「アイリスは? どうなった? 無事なのか?」


 彼が入ってくるなり、遅々として進まない書類の確認作業の手をとめて、フレデリックは顔をあげた。


 アルソールは彼の心中を察して、すぐに判明した容態を伝えはじめた。


「識者たちの意見を総括して率直に申し上げますと──まるで不明な状態です」

「不明? なにを言っている。それでも第三鬼席を背負う騎士か!」

「申し訳ございません。唯一判明したことをお伝えするならば、アイリス様は、どうやら『世界法則の悪魔』と契約を行ったようでして──」

「は……? 契約だと? アイリスが?」


 フレデリックはその言葉に心底恐ろしい才能を垣間見た。


 10歳の少女が禁忌魔術の一端に自らの覚悟と意思だけでたどりついた。


 現代において、魔術協会、およびドラゴンクラン大魔術学院に在籍するすべての魔術師たちのなかで、『世界法則の悪魔』の足音を聞いた者がいるのか?


 いるはずがない。


「しかし、アイリス様のアナザーウィンドウには現にー403,369の″負債″が記録されていました」

「……ッ! ありえない……どれほどの覚悟があれば、そんな事が……。っ、いや、待てよ」


 フレデリックはふと、馬車のなかで見たアイリスの影から現れた『黒い小人』たちのことを思い出した。


 瞬きをしたら霞のように消えてしまったので、その時は幻覚だと思って、気にもとめなかった。

 だが、その顔のない黒い小人たちは、フレデリックのことを嘲笑うかのように、粘着質な笑みを暗いシルエットにうかべていた。

 

 あの小人たちこそ悪魔の指先だったのだ。


 本来ならありえない量の魔力の使用を可能にする代わり、その先の未来で使えるはずだった魔力を消失させる神秘のなせる業。


 その存在は、上古の時代の魔術学者たちの魔導書にて、曖昧に語られるばかりで、伝説の域をでない代物だった。

 

 今までは──。


「アイリス、お前は天才だ……っ!」


 フレデリックは歓喜する。

 

「しかし、同時に疑問だ。たしか、アルバート・アダンと喧嘩したと言っていたが……」

「彼を無力化するのに、それだけの魔力が必要であった事を示唆しているのでしょうか?」

「……いいや、まさかな。所詮は息絶えた血だ。血が終われば、魔術は終わる。アイリスは慣れない高等魔術をつかっただけだろう」


 アルソールの推察を鼻で笑い飛ばし、フレデリックは″あるかもしれない可能性″を見ない事にした。


「今はアダンなどどうでもいい」

「左様ですか? あの家はここ最近、頻繁に国外へ出向いて何かしているようですが」

「いい、放っておけ。どうせ、どこかの魔術家に喰われるだけだ。それよりも、アイリスとの約束を反故にしたら、そっちの方が面倒だろう」

「それは……確かに、おっしゃる通りかと。サウザンドラがアダンに手を出すのは難しいですね」

「そうさ、仮にも約束をしたからな。あの子は『世界法則の悪魔』の足音を聞いた過去一千年で唯一の魔術師だ。ふふ…ふはは…いいぞ! まさか、こんなに上手く行くなんて! 私の代でサウザンドラが協会を手中に収める悲願が現実的になってきたじゃないか!」

 

 雨の降る窓の外。

 遠く離れた王都アーケストレスのある方角を見つめて、フレデリックは邪悪な笑みを深めた。

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