再始動


 心地よい朝の日差しが窓から差し込んでいる。


 ここは、ちょこっと豪華なログハウス。当主がいつまでもテント住みなのはいかがなものか、という名目で建てられたアダンの敷地にある書庫、コケコッコハウス、モンスターハウスに継ぐ4つ目の建築物だ。

 

 そのなかで、陽の光とおなじ温かな色合い髪色と、同色の瞳をもつメイドの少女──ティナが紅茶を淹れている。


 おぼんにカップとボット、ミルクと、高価な趣向品シュガーを備えた小瓶をのせ、茶菓子をそえる。


 これで準備は完了だ。

 

 常ならば、貴族のたしなむアフタヌーンティーにふさわしい品質ではない、

 この貧相な品揃えでは、せいぜい、貴族かぶれの商人の午後といったところか。


 だが、これでいい。

 当主は現実主義的な人間だ。

 財産なんて数えるほどしかないのに、贅を追求することなど望みはしない。

 ほかの貴族に見えないところならば、その傾向はより顕著であるはずだ。


「アルバート様、茶と菓子をお持ちしました」


 ティナの言葉はさびしくひびく。窓際に設置されたベッドに横たわるアダン家当主──アルバート・アダンは、窓の外を見つめて、彼女の言葉にふりかえらない。


 片腕をギプスでささえており、顔半分を包帯で多い、肌の色は悪い。

 このしばらくの間、彼は強いストレスに苛まれているようで、すこしずつ痩せてはいた。

 だが、今の彼の姿は、そのことを差し置いても同情するにも余りある。


 ティナはぼーっと窓の外を眺めるばかりで、すっかり返事をしてくれなくなった痛ましい主人の姿を見て目元をふせた。


 彼があまり喋らなくなってしまって、数日が経過していた。凄惨な現場から救助されて以来、ずっとこの調子だ。


 たまに「エドガー……アダン……」とつぶやいて、手記に思いついたことをメモしているらしいが、それ以外は何もしなくなってしまった。


 毎日「魔力がもったいない」といって、1日に使える魔力を使いきっていたモンスター生産もやめてしまった。


 彼のなかで何かが燃え尽きてしまったようだった。


「アルバート様、なにか食べないとお身体に差し支えます」


 ティナは再度話しかける。

 しかし、返事はない。


 ふと、ベット脇の子机のうえに散乱した、空の治癒霊薬の小瓶が見えた。


 ティナはおぼんを置くなり、空になった小瓶を片付けはじめた。


「こんなにポーションを使って大丈夫なんですか?」

「……」

「身体の具合はすこしはよろしくなりましたか?」

「……」

「……お紅茶とお菓子、ここに置いておきますね」


 ティナは反応しないアルバートから返事をもらうのを諦めて、一礼して下がろうとする。

 と、その時「ごは……ッ」と背後でえづく奇音が聞こえる。

 ふりかえると、アルバートが口から血の塊をはいて、肩を震わせていた。


 ティナは慌てて駆けより、彼の背中をさする。


「だ、大丈夫ですか、アルバート様!」


 尋常でないほどに汗をかき、苦しそうに心臓をおさえている。

 咳をするたびに、赫の呪いに毒された血が邪悪な気をはなつ。


 ティナは泣きそうなりながら、すぐに助けを呼んだ。


 ──しばらく後


 ティナはモンスターハウスのモンスター達の餌やりや、無限に片付けの終わらない魔術工房の掃除をしていた。


 これは毎日のように行われる、魔術師の助手の変わらぬ仕事である。

 しかし、今日はいつもと違っていた。

 魔術工房が片付いてしまったのだ。

 ティナはふぅ、と一息ついて、額の汗をぬぐい、綺麗になった工房を見渡す。


 この数ヶ月、散らかすアルバートとちょっと散らかすアイリスと、イタチごっこの掃除がつづいていて気苦労が絶えなかった。


 一生掃除しつづけるのかな?


 そんなことすら思ったほどだ。


 いつか綺麗になる事を夢見ていた。

 しかし、いざ綺麗になって整頓された魔術工房を見てみると、ティナは「なにか違う」と思ってしまっていた。

 見たかったのはこんな魔術工房ではなかった。胸にポッカリと空虚な隙間が生まれてしまったみたいだった。


 すべてはあの日より始まった。


「アイリス様……ティナたちの時間はすべて嘘だったんですか……」


 少女の寂しげなつぶやきは、彼女以外誰もいない部屋にこだました。



 ──その日の夜


 アルバートは小机に置かれた燭台の火をたよりに、ベッドの上でいうことの聞かない手を動かして手記をつくっていた。


「エドガー……アダン……」


 手記には、いくつもの可能性が書かれては、横線で書き直しがされている。


 アルバートは毒によって侵され、自由の多くを失ったものの、考えることを決してやめはしなかった。


 表面上の停滞、見た目だけの敗北なら甘んじて受け入れよう。

 ただし、自分が負けを認めない限り、人間は負けないのだ。


「勝つまでが……闘いだ」


 常に前に向かって進みつづける。

 アルバートは麻痺して動かなくなった表情筋を、皮膚感覚のない手で揉んでマッサージする。


 そして、また考えはじめた。


「エドガー……アダン……俺のフェンリル……」


 あの時、湖でフェンリルが動かなくなった理由。

 さまざま考えたが、思いつく回答は最後にはいつも同じであった。

 

 アルバートは手記のあいだに挟んだ手紙に視線を落とす。昨晩、アーサーに掘り返してもらったエドガー・アダンの墓の、空の棺桶から見つかった手紙だ。


    『我の墓場:予定地』


 古びた紙に、魔力の込められた特殊なインクで焼き刻まれた文字。


 アルバートは頭を抱える。


 奇跡的に太古の化石より復元に成功したフェンリル。怪書によって制御された怪物を、ああも簡単に奪うなんて──。


 出来る人間なんて、一人しかいない。

 可能性は限りなくゼロに近かった。

 しかし、この手紙の存在によって、疑いはほぼ確信へと変わりつつある。


「……どいつもこいつも、俺のことを欺きやがって……──腹が立って来た」


 アルバートは手紙を壁に叩きつけて、怒りを原動力に一念発起する。


 麻痺した身体を強引に動かして、ベッドから転がり落ちた。

 勢いあまって、小机の角に頭をぶつける有様。目も当てられない。


 だが、痛みはヤケクソのアルバートを鼓舞をする。

 彼は気が長いほうではない。

 舐められたままが一番嫌いだ。


「終わってたまるか……っ、こんなところで終われるわけがない……ッ!」


 少年は重鉱のように鈍い身体を気力だけで起き上がらせて「うぁああああ!」と奇声じみた大声をあげた。


「アルバート様ーー! 何があったんですか──」


 声を聞きつけて、ログハウスにティナが飛び込んでくる。


「ティナ、お前の飯が食べたい」


 アルバートは尊大な態度で申しつける。

 彼のその偉そうな気迫は、いっしゅんで少女にわからせた。


「……っ! アルバート様! お夜食ですね! 今すぐお作りします!」


 感極まってログハウスを飛び出そうとするティナ。


「……その前に起こせ」

「あ、はい! では、暴れないでくださいね、アルバート様っ!」


 床にうつ伏せで倒れてなお、不遜すぎる主人の事を、メイドは嬉しそうに笑みを浮かべながら抱き上げるのだった。

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