古魔術師の強かさ


 宵をまわった頃。

 ジャヴォーダンの城壁外で、アイリスは馬車の一団を止めていた。


「その格好はなんだ……まさか、あのガキにやられたのか!?」

「いえ、わたしの血ではありません。その……すこしアルバートと喧嘩をしまして」

「そうか。それは良かった」


 そう言って胸をホッと撫で下ろすのは、この馬車団を率いる張本人フレデリック・ガン・サウザンドラだ。


「いやはや、お前が無事で本当によかった。心配したんだぞ。お前が死んだらウォルマーレと進めている縁談も頓挫する。そうすれば、少なからず魔術協会での信頼も揺ぐだろうからな」

「……わたしはアルバート以外の殿方と結婚する気はないです」

「嘆かわしい。まだそんな戯言を述べているのか」


 フレデリックは呆れて物が言えないという風に、天を仰ぎ見る。


「家出の件といい、自分の責務から逃れる姿勢といい……お前には再度教育を施す必要があるようだな」


 フレデリックは「とはいえ、全てはアダンを消した後だが」と付け加える。

 アイリスはその一言に目を見張った。


「まさか、そのためにこれ程の騎士をつれて来たのですか?」

「話はあとでする。アイリス、騎士を2人付けるから、ジャヴォーダンの別荘に戻っていな──」

「答えてください、お父様」


 冷たい鋼鉄を思わせる声だった。

 よく研ぎ澄まされ、鼻腔を金属の香りがくすぐるほどに鋭い。


 フレデリックは娘の放つ気迫に、それまでの飄々とした態度を顔にしたに隠した。


 アイリスは今にも赫の武器を召喚しそうなほどに″本気″であった。


「アルバートから聞きました。彼の父ワルポーロ・アダンを殺害し、屋敷を消失させた者がいると」

「なんだと? 屋敷が燃えたとは聞いていたが、まさかそんなことが起こっていたとは」

「お父様、わたしはその件でアルバートに問われたのです。サウザンドラこそが、その犯人なのではないかと」

「なんという言い掛かりだ! 信じられん、アダンめ! 仮にもこの4年間厚意にしてやったというのに!」


 フレデリックは「恩知らずとはこの事か!」と大袈裟に言ってみせる。


「では、お父様はアダンを襲った犯人とは無関係なのですか?」

「当たり前だろう。誇り高きサウザンドラが何故そのようなゲスなマネをする必要がある」

「では、この騎士たちは?」

「実はなアイリス、お前の安全を確かめるため飛ばしていた眷属が、アダンの手によって潰されたのだ。私はそれを受けてお前の身が心配になった。没落し、屋敷すら失ったアダンだ。錯乱してお前に危害を加えようとするのではないか、と思ってな」


 フレデリックはつらつらと言葉を並べていき、最後にアイリスの血に塗れた姿を見て涙をながした。


「そんな姿になって……! ああ、やはり私は間違っていなかった! 現実にアダンは狂気に飲まれ、お前を害して来た! もっとはやく私が動けていれば!」


 フレデリックはアイリスに近寄り、その小さな体を抱きしめる。


「もう平気だ。サウザンドラはお前の家だ。ここがお前の帰る場所だ」

「……」

「アダンのことは任せろ。不幸な事があったようだが、それは仕方のない事だ。私たち魔術師は光と闇の狭間に生きている。あの家のように油断を見せれば、つけ入られる。そして、最後には自暴自棄なり、予想もつかないような文言を並べたてて狂行におよぶ。歴史を紐解けば、このような事は珍しくはないんだ」


 フレデリックはアイリスの蒼瞳を見据える。


「わかったな? アダンは我らサウザンドラの手で終わらせてやろう。それが彼らの為だ」

「……」

「これ以上、努力して存続したところで、他の誇りを失った魔術家、野望を抱く俗物どもによってついばみ潰されるだろう。かつての盟友として葬ってやるのが一番だ」


 フレデリックは同意を求める視線をアイリスに向ける。アイリスは、その瞳を見つめ返し真意を探ろうとした。

 しかし、さしもの天才令嬢と言えども、半世紀以上、魔術世界を渡り歩いて来たサウザンドラの当主相手に、読心を挑むには青すぎた。父の真意はわからなかったが、彼女は「させません」とだけ、ただ一言につむいだ。


 フレデリックの手を振りはらい、蒼い瞳を赤く染める。

 サアナはアイリスの鋭い闘気に肝を冷やしていた。


「アダンは……アルバートは終わらせません」

「アイリス、なんのつもりだ」

「お父様の意思と、わたしの意思は同じ方向を向いていないということです」

「はあ……アイリスよ、何故、父の思いをわかってくれないのだ」


 フレデリックは心底落ち込んだように、寂しげな表情をつくった。


「そもそも、わたしはお父様を許してません。もしそのような理由で、アダンを強襲するというのなら、わたしはアルバート・アダンの唯一無二の信頼をうける妻として、彼を守るために戦います」


 かたわらでサアナが青ざめた顔をしているが、走りだしたアイリスはもう止まらない。


 フレデリックは怪訝な顔をして、前へ出ようとする騎士たちを押しとどめる。


「……わかった、アイリス。お前の勝ちでいい。元々、私たちはお前が心配でここまで来ただけだ」

「では、帰っていただけると?」

「ああ。ただし条件がある。グリンダリッジに戻れ。あそこはお前の家だ。お前はサウザンドラを継ぐ者だ。勝手は許さない。聞けないのならば……そうだな、やはりお前の心をかどわかすアダンを滅ぼすしかあるまい」


 若干の本音をもらしながら、フレデリックは邪悪を顔の裏にかくして、厳格な父の表情でつげる。


「わかりました……サウザンドラに戻ります」


 フレデリックはそう言い、アイリスの肩に手をポンポンっと置いた。


「時にアイリス」

「はい、なんですか」

「アダンの秘術について新しい知見は得られたか? あの家の魔術には2代経とうともエドガー・アダンの息吹が宿っている。なにか勉強できた事があるんじゃないか」


 フレデリックは興味深そうにたずねた。

 若干、声がうわずっている事に、アイリスは自分の父親もまた魔術師なのだと改めて実感した。


「…………いえ、なにも。アルバートは秘術の管理に関しては徹底的でした。家の人間でないわたしやサアナでは、まるでその神秘の中枢に近づけませんでした」

「そうか。それは非常に残念だ。近頃、流通しているアダンのモンスターの謎を解明したかったのだがな……」


 フレデリックはボソボソとつぶやく。

 アイリスは馬車に乗りこんで、アダン屋敷の方角を見つめる。


「わたしたち2人の研究ですものね」


 少女は人生で忘れられない大切な時間をふりかえる。その瞳は、蒼く澄んでいて、慈愛に満ちた優しい色をしていた。

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