アルバート湖の死闘 Ⅲ


「はは、偽物のくせに……本物の吸血鬼みたいだ」


 片足が沈む前にもう片足で水面を蹴って、推進力を生み、なおかつ血の双剣で器用にスライム弾の射線をカットしつづける少女。


「同じ生物なのか疑わしくなってきた……」


 アルバートは「しかし、勝つのは俺だ」とつぶやき、怪書の最後のページを開いて、魔術工房へと伸びる″繋がり″に働きかけた。


「勿体無いが、出し惜しみをしてる場合じゃないか」


 ″最終戦力″を呼びおえ、アルバートはパタンと怪書を閉じる。そして、まっすぐに向かって走ってくるアイリスを見やった。


「ところで、なんで俺の方に来るんだ。ユニットがうっとおしくないのか……?」


 アルバートの困惑の答えは、彼女が剣を振りまわしてスライム弾をはじいている事に納得するほかない。

 

 スラトゥレンスィの流れ弾に気をつけながら、彼は湖を周回するように走りだす。

 

 難なくスライム弾の雨をかわすアイリスがアルバートへ迫る。ついに、使役者本人に危機が訪れた──と思われた。


 しかし、彼女の足元の水面が揺らぐことで演出されたピンチだとアイリスは知る事になる。


「もう、うっとおしい!」


 彼女の足元、水の下から突き上げるようにドン・シャークたちが飛び出したのだ。


 苛立ちの声をあげるアイリス。

 それを見てアルバートは機嫌が良くなる。

 久しぶりの満面の笑顔だった。


「ははっ、ひっかかった」

「アルバート、性格悪いですよっ!」


 この男、アルバート・アダンという魔術師が今回のために配置したモンスターの数は、アダンが現在所有する総数の約55%にあたる。

 当然のようにドン・シャークも1匹や2匹ではすまない。


「ニア・リヴァイアサンとはいかないが、そいつだって海の王者だ。水中ならブラッドファングだって喰らうだろう」


 アルバートは無数のサメに踊り食いされるだろうアイリスに手を振って別れをつげる。


「フェンリルを使うまでもなかったか〜。所詮はドブネズミということだ。ハハハのハッ!」


 調子に乗るアルバートに、アイリスは眉をひくつかせ赤い瞳をよりいっそう輝かせた。


 魔力がうねり、少女の肩の紅光が風を巻き起こす。


 彼女の神経を逆撫でしたのは失策だ。

 余計なちょっかいは、アイリスの血刃を一時的に10メートル近くまで拡大させ、それを縦横無尽に乱舞させることになった。


 結果、水面で落下してくるアイリスを待っていたドン・シャーク数十体は、いとも容易く全滅し、そのはらわたの色を晒しただけに終わってしまった。


 アルバートはアイリスの剣戟をまったく目で追えていなかった。

 ゆえに気がついた時には、魔力を3,000を投資したドン・シャーク部隊が絶滅していた──そんな現実を押しつけられる事になった。


「ぁ、あれぇ……?」


 アルバートは薄々気がつき始める。


 目の前にいる血の令嬢が、自身の想像をはるかに越えていることに。


「ふぅ…こんなところですかね」


 ドン・シャーク部隊を蹴散らしたアイリスはその凛とした瞳でターゲットを捕捉する。

 もう顔がわかるくらいに、岸辺に接近を許してしまっている。

 

「シャクトパス!」


 アルバートは叫んだ。


 なんだよ!

 ドン・シャーク全然つかえねぇじゃん!

 てか、全然ユニットのほう処理しないじゃん!

 全方位から撃ってくるの鬱陶しいだろ!?


「連射力が足りないのか……? ──いや、そうか、威力が……」


 湖の対岸にいたユニットから放たれたスライム弾が、アルバートの頬をかすめる。

 その一撃はまるでゼリーをぶつけられたくらいに柔らかい。

 スラトゥレンスィに「遊んでるのか?」と問い返したくなるものだった。


 アルバートは理解した。


 スライム弾はボディの内圧によって発射する特性上、撃つたびに、どうしても威力が落ちてくることを。

 空中という無防備な状態で、最高威力の初弾をしのがれた時点で、アイリスにとってスラトゥレンスィは脅威ではなかったことを。


「チッ…」


 数をそろえること。

 よく実験を重ねずに量産したこと。


 普段ならやらないミスが彼を祟っていた。


「よく考えればジャンボスライムは、常に弾の補給をして圧力をたもってたな……」


 アルバートはスライムに知能で負けたことに苛立ち、すぐに無駄な攻撃をやめさせる。

 仕方なくユニットを解体して、トレントとブラッドファング、スラトゥレンスィに自分のもとに応援にくるように動かした。


 とはいえ、足の速いブラッドファングでもすぐには動けない。トレントやスラトゥレンスィならば尚更だ。


 ゆえにアルバートは自分から質量の壁となった解散ユニット部隊のほうへ逃げこんだ。


「認めよう、アイリス。あんたは強いよ」


 アイリスがシャクトパスと接敵。


「だが、最後に勝つのは、このアルバート・アダンだ。貴様に勝ち目はない!」


 アルバートがそう言い放った瞬間。

 アイリスはシャクトパスのタコ足拘束攻撃を斬撃でもって、難なくかわして、つづく血の一閃でそのサメ頭を切り飛ばした。


 開発のために費やした魔力2,500と時間、試行錯誤すべてが水泡に帰す。


 無駄が嫌いな守銭奴アルバートは、その光景に胸が締めつけられる。


「クソッ! そいつ作るのにどれだけ魔力と時間をかけたと思ってるんだッ!」

「わたしに内緒で作るからです。こんな者たち、こうです!」


 自分が時間をかけて準備したモンスターたちが蹂躙される光景にストレスが加速する。


 並の冒険者では全滅必須の戦闘力を誇るはずの縫合ケルベロスも、サイコロステーキみたいに細切れに切り捨てられた頃、アルバートはなんとか解散ユニット部隊の後方に逃げこむ事に成功した。


「アルバート! 逃げずに戦いなさい!」

「だったらまずチート能力やめろ……ッ!」

「あなただってこんなたくさんモンスター用意して、囲って、襲って、恥ずかしくないんですか!」

「恥ずかしくないッ!」

「言い切った……」


 口論の末、頭をかきむしるアルバート。


 いかんいかん。

 冷静になるんだ。


 アルバートは心を落ち着かせて、顔を引き締める。そして、すぐさま新しい銀の鞄を草むらこら拾って、主力──キメラを放った。


 そして、さらに奥へ逃げて、また銀の鞄を手にとり、キメラを放つ──。


 キメラを放ち、トレントの壁の奥へ逃げる──。

 

 やがて、バターを切り裂くようにブラッドファングの四肢が飛ばされるのに見慣れてきた頃。


 湖を周回するように逃げつづけて10分ほどが経過した。


 アルバートはふと思う。「なんで自分が逃げているんだ?」と。


 こんな状況は想定していなかった。

 いや、″想定だけ″はしていたか?

 アイリスが自分の想像を上回り、ニア・リヴァイアサンの一撃だけでは死なないかもしれない──そう考えたから、これだけの戦力を用意したんだ。


 秘術を持ち逃げするだろうアイリスを逃がさないために。


 なのに何故、彼女は逃げずに、自分のことを殺しに来る?


 アルバートは邪智暴虐の魔女アイリスの思考が読めずに恐怖した。

 

 湖に用意したモンスターたちが少なくなって来た。


 だが、問題はない。


 先程ほど、アダン屋敷のモンスターハウスから呼んでいた増援部隊が到着したからだ。


「また増えた……っ!」

「これで70%と言ったところか……手を焼かせてくれる」


 これらは商品だ。

 本来、アダンの資金源になるはずだったモンスターたちである。


 戦力として投入する予定はなかった。

 だが、この際なりふり構っていられない。


「では、こちらも本気を出しましょう」

「ぇ、本気じゃなかったとでも……?」


 今まで遠目に見てなんとか視認できていたアイリスの動きが、みるみるうちに加速していく。


 心臓が跳ねあがる気がした。

 やばい以外の感想が思いつかなかった。


「はやく、はやく……囲い殺せ。今すぐに、はやく、はやくはやくはやくッ!」


 押し切れない苛立ち。

 真っ赤にそまっていく湖。

 岸辺の土は血をたんまりと吸い、スポンジのようになってしまった。


 アイリスの顔にも疲労は十分に溜まっているだろう。

 ならば行けるはずだ、はやく殺せ。

 数で押し切れば勝てる相手だ。

 なのにどうしてもっと苛烈に攻めない!

 そうじゃないだろう、足を動かせ!


 使役者はやがて、余計な口をだしまくる試合観戦者になりさがり、モンスターたちは思うように動かなくなっていく。


 血が流れるたびに、主人の猛烈な怒りは繋がりを通して使役モンスターたちに伝わり、彼らは凶暴化してアイリスを殺しにかかる。


 しかし、それは悪い方向へ働いていた。

 使役者であるアルバートが精神的な虚弱性をさらすだけ、モンスターたちは弱くなってしまっていたのである、


 あるいは最初から彼にとって特別なアイリスという少女を相手にしてる時点で、この戦いは、不利なものだったのかもしれない。


「退きなさい、雑兵に用はありません!」


 アイリスは叫ぶ。

 アルバートといっしょに世話をして、毎日触れ合ったモンスターたちを、自分の手で虐殺する苦しさに、胸を裂かれながら叫ぶ。


 剣をふりすぎて腕が鉛のように重い。

 身体能力をあげるために体内をめぐる血の流れを数十倍に加速させていたために、疲労が溜まる早さも常人の数十倍だ。

 額に汗をにじませる彼女には、アルバート以上に余裕などありはしなかった。


 一向に薄くならない質量の壁。

 アイリスは、そのずっと後方100mの位置に魔王のように立つアルバートをみすえる。

 

 憎しみにゆがんだ顔が見えた。

 普段では考えられない余裕を失った彼の、はじめての本心と素顔が見えた。


 アイリスは彼の憎しみを止めたかった。

 そこへ至った理由はわからずとも、今すぐに止めなければならなかった。

 その気持ちが強くなっていく。


「やむ負えませんね──」


 自身の魔力量が底を尽きかけていること。

 アルバートの保有する戦力があまりにも巨大で、正面からの突破は不可能ということ。

 そして、もうひとつの″懸念″のために、彼女は血の奥義の使用を決断した。

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