アルバート湖の死闘 Ⅳ



 アイリスは覇気を増幅させた。


 研ぎ澄まされていく魔力の流れ。

 血の令嬢の左右の手に握られた赫の剣、彼女は、その二振りの剣身を構成する凝固した血を溶かして、血液へと変換した。


 無意味な武装解除を、あのアイリスがするわけがない。

 アルバートは、彼女が何かする、その事だけはわかっていた。


 一瞬できた隙に、モンスターたちが襲いかかる。


 あと少し。

 一呼吸分だけ時間があれば、彼女の白い肌に傷を負わせられる。


 剣闘士の決着の瞬間を固唾を飲んで見守るごとく、傍観者アルバートは集中する。


 ふと、彼は極度の集中状態のなか、凍えるような声を聞いた。


「──錬血秘式・星落とし」


 それは、死刑宣告等価の一撃だ。


 アイリスが詠唱をつむいだ刹那。

 二つに分かれていた柄をひとつに戻し、短剣の柄をぎゅっと握りしめ、彼女は周囲の血溜まりから触媒をチャージした。


 操られる大量の血が、早送りの世界を俯瞰するように、一瞬で空中を流動したかと思うと──次の瞬間、アルバートの肩に鋭い痛みがはしった。


 ナニカに貫かれた。

 その事実を頭が認識するよりも早く、アルバートの体は衝撃でぶっ飛ばされる。


 手に持っていた銀の鞄は、一瞬の抵抗もできず手放させられ、大砲のように飛ぶ彼の身体は、木の幹にたたきつけられた。


「はぐぅ、ウ……ゥ?!」


 肺の空気がすべて抜けて、耳の奥で鼓膜が裂ける。全身の骨が砕ける音がちょくせつ脳を震わせた。


 アルバートは血と泥のうえに倒れ伏した。

 心臓少し上で勢いよく出血する肩口を押さえて、耐え難い痛みに悶え苦しむ。


 これが本当の痛みか。そう理解させられるほど、人生でダントツで痛い経験を更新してしまった。

 益体のない事を思考しながら、苦痛からなんとか逃れんとする。

 しかし、それだけでは凡人だ。

 アルバートは死んだ方がマシな痛みを、ぐっと腹に力をこめて堪え、うすく目をひらいて敵──アイリスのことを見据える。


 驚きがひろがっていた。

 否、マヌケな光景があったと言うべきか。

 

 長大な真っ赤な細剣があったのだ。

 きっと100mは下らない長さだろう。


 吟遊詩人の作り話に出てきそうなアホウなほど長い剣を、100m先でアイリスは微動だにせず支えている。


 なんですそれは……。

 どいうことですか……。

 

「すー、はぁー……ふんッ!」


 当のアイリスは呼吸を深くして、キリッと顔を引き締めると、超拡大された赫の剣──『星落としの槍』を液体の血にもどした。


 アルバートは脳震盪を起こした頭で、思い出していた。


 ああ、そうか……。

 聞いたことがあったな……。

 3代目サウザンドラの絶剣……。

 ちゃんと刻印に継承されてるわけだ……。


「ぐそ…薄汚い、ドブネズミのくせに、魔術の研鑽だけは積んでやがる……ぐぼ、ぁ、ァ……」


 力を振り絞り、足に力をいれる、


「本命が、残ってる…というのに、…なんてザマだ……。ッ」


 立ち上がろうとした途端、血の塊をはきだし、アルバートは地面に膝をついた。


「しまった……赫の武器の攻撃を、喰らってしまったか……」


 アルバートの身体を呪いが侵食し始める。


 かすむ視界。

 脳裏によぎる敗北、

 死神の足音はより近い。


 星落としの槍を解除して、再び血の双剣を手にしたアイリス。しかし、顔色が悪い。魔力欠乏症の兆候が現れていた。


「マイナス値まで来てしまいましたね……」


 アイリスは小さくアナザーウィンドウを開いて、魔力とスタミナが底を尽きている事を知る。


 ここから先は世界法則の数字を越えた、気力と根性だけで保たせる段階だ。


 しんどいが頑張るしかない。


「倒れるわけには、行きません……わたしが、アルバートを救わなくては……!」


 星落としの槍の衝撃波で寄ってきていたモンスターたちとは多少スペースが空いた。


 目の前に広がるのは今尚、3桁を維持するモンスターたち。

 幸い、キメラは少ない。


「もう少し、耐えるのですよ」


 自分に言い聞かせ、アイリスは疲労を感じさせない、可憐な乱舞と、絶世の剣劇を披露して、モンスターたちを蹂躙していく。


 アルバートは拳を握りしめ、木を背になんとか姿勢を保ちながら、怪書をつかって最後の賭けにでた。


「圧殺、しろ……潰せ……潰せぇ、ぇえ!」


 圧殺。それは、使役モンスターたちを強引に一箇所にたいあたりさせて、質量で押しつぶす攻撃だ、

 当然、モンスター同士が、人間をはるかに上回るパワーでぶつかり合うので、その多くは味方に潰されて死ぬ事になる。


 とてもスマートとは言えない戦術だ。


 しかし、これしかなかった。

 残念ながら疲労困憊のアイリスだろうと、ブラッドファング以下のモンスターたちでは、相手にならないのだ。

 彼女の言葉の通り、雑兵ではどれだけ束ねても意味がない。


 ならば、″時間稼ぎに使う″しかない。


 これは120%の準備をしたと思い込んだアルバートが、【錬血式】を、サウザンドラを──いいや、アイリスという少女を過小評価していた結果だ。


「…これ、で、潰れろ! ……潰れて、くれ」


 アルバートの自殺命令に、使役モンスターたちの繋がりから抵抗が入る。

 しかし、彼はそんな言葉を無視して彼らに特攻させた。


 モンスターたちがアイリスの方へ次々に突っ込んでいく。

 アルバートの頭のなかで、ひとつひとつ紡いだ絆がみるみるうちに減っていく。


「……なにが、誇りある、貴族だ」


 アルバートは力なく血の池に尻餅をつき、次々に自殺していくモンスターたちを見つめる。


「……ぁ?」


 それはまたしても突然のことだった。

 モンスターたちの肉団子が爆発したのだ。


 真っ赤な灼熱の気配に、思わず顔をおおいたくなる。


 アルバートのうすく開いた目から見えるのは、真っ赤な瞳の少女、彼女が両手にもつ血の剣が、″炎を纏っている″神々しき画だ。


 アルバートはモンスターたちが燃やされ、焼き切られ、潰され、炭になるのをほうけた顔で見つめていた。


 ほうけるしか無かった。

 

「どこにそんなパワーが……」

「……愛じゃないですかね。……いえ、知りませんけど」


 アイリスは堂々と答えて、自分で言ってすぐ恥ずかしくなって否定した、

 

「愛……? ふざけやがって、魔女め……」


 凄惨な現場を背に、炎血の双剣を手に、雑兵処理を終えたアイリスが近寄ってくる。

 まだ、ブラッドファング含めたファング系モンスターたちが100匹ほどアルバートの周りを固めている。しかし、彼女の凛と澄ました瞳は、アルバートだけを見据えている。


「──錬血秘式・赫炎軌跡。血液内の魔力を高速で循環させて摩擦熱を溜めこむ技術です。血の魔術の使い手をまえに、数を用意したのは失策でしたね……」


 そう言いアイリスは、血の剣を斬りはらい炎を消す。しかし、

 ただ、足取りはおぼつかない。

 ついには、地面に膝をついてしまった。

 剣をたてて荒い息をはき、汗ばんだ額はそででぬぐう。


 アルバートはキョトンとした顔をして、直後、薄い微笑みをたたえた。


「ポロポロじゃないか……」

「そっちこそ…満身創痍、手駒も尽きて内心焦っているのでしょう、アルバート……」

「焦ってる? 俺が? ハハハ……ハハハハハッ!」


 アルバートはよく響く声で笑い飛ばす。

 実際はまるで余裕などなかった。


 だが、今は強がれる。

 それは虚勢ではない。

 ″ソレ″がこの場に降臨したからだ。


「悪いが、アイリス、この戦場はアダンの勝ちだ……」


 アルバートは湖のほうへ視線を向けた。

 アイリスはその視線の先を追いかける。


「あ」


 彼女は似合わない間抜けな声をもらした。


 散々荒れていた湖面はいまでは明鏡止水のごとく、しんと静まりかえっている。

 夜空に浮かぶ月が反射して、幻想世界の到来を思わせた。

 そんな時間をわすれた湖面のうえに、一匹、体長10メートルはくだらない大きな大きな、四足獣のキメラがいた。

 一歩、また一歩と近づいてくるその狼型キメラの足元は凍りつき、世界は冬を思いだす。


 空気の割れる音。

 パキパキィ、ィと凍る湖の表面が、言い知れぬ不安をかきたてる。


 アイリスでさえ死を予感する気迫だった。


「出し惜しみは終わりだ。魔術工房から″傑作″を呼ばせてもらった」

「アルバート……あの子は、わたしのために育てていたんですか……」

「どうだかな。……どうでもいいさ、もう手遅れだ。どう足掻いても、アレは──フェンリルは殺せない。ゲームオーバーだよ、あんたはここで死ぬ……」


 アダン魔術工房から呼び寄せた最終戦力。

 万年冬峰の古代王フェンリルが到着した。

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