アルバート湖の死闘 Ⅰ


 ニア・リヴァイアサン。

 その開発は、太古の海に存在していたという伝説の怪物リヴァイアサンの化石を、たまたま立ち寄った骨董品屋で見つけたところからはじまった。


 当時、アルバートには漠然とした予感があった。


 それは、細胞スライムを基盤とした【観察記録】および怪書によるキメラ生成を応用すれば、すでに滅びた種族でも復元できるのではないか──そんな類いの突飛な発想だ。


 これは存外に実用的なアイディアだった。


 新しい生命を生みだすより、ファングの遺体の一部から、ファング本体を再構築するほうが楽だったのだ。


 アルバートは、このファング蘇生実験を密かに行い、アイリスに気がつかれないように湖のそばに独自の実験場を設けて、そこで開発をつづけた。


 アルバート自身、銀貨3枚で叩き売りされていた石ころに期待などしてはいなかったが、強大な敵を正面から討ち倒すためにはチカラが必要だった。


 手のひらサイズの石ころがリヴァイアサンの心臓の化石だったことは僥倖中の僥倖であった。


「やはり、キメラより手っ取り早く強いな」


 アルバートは生えそろった鋭い牙を見せる、30メートル級の魚にかわいた笑みを向ける。

 アルバートが扱いやすくするために、獣系の素材を合成してあるのだ。


 自分の産み出した恐ろしい怪物に、惚れ惚れしながらも、アルバートは自分の心がだんだんに冷えていくのを感じていた。


「……やって、しまった、か」


 ついにはそんな言葉すら漏らしてしまった。


 秘術の漏洩をふせぐため、スパイを生きて返すわけにはいかなかった。

 これは家を守るために必要な事だった。


 そう頭ではわかっていても、腰の抜ける脱力感は抑えられない。


 殺してしまった。

 消してしまった。

 喰わしてしまった。


 大好きだったあの人を。

 

「あぁ…あぁああ!」


 本を魔力の粒子に還して、アルバートは手で目元をおおう。


「父さん…守ったよ…、俺は、俺はアダンを、守ったんだ……ッ」


 狂ったように肩を震わせて、血走った目で陸を睨む。


「次はグリンダリッジをぶっ壊してやる……俺たちがやられた恨みを、憎しみを、すべてを晴らしてやる…」


 アルバートはドン・シャークに命令をだして陸へスーッとスライドするように移動しはじめた。


 ふと、陸地を目指すアルバートが振り返った。

 その理由は彼自身にもわからない。


 湖面にただよう小舟の残骸が気になったのか。

 あるいはあっけない終幕に物足りなさを感じたのか。


 否、それは少しして彼の心のなかに無数にある″繋がり″のうち、ニア・リヴァイアサンのものが激しく震えたからだ。


「グォォオオオオオオ!」

「ッ」


 湖底に帰っていったはずのリヴァイアサンが、水面で暴れまわる。

 アルバートはドン・シャークのうえで立っていられなくなり湖に落水した。


 凄まじい波が湖全体に波紋をよぶなか、ニア・リヴァイアサンは空高く飛び跳ねた。


 まるで、最後のあがき、あるいは生の終わりに華を咲かせるような大ジャンプだ。


 その時、


「ッ! あれはッ!」


 アルバートは思わず声をだす。


 数十メートルの高さまで、水面から勢いよく飛び出した怪物の腹がうごめいた。


 ──ズシャ

 

 魚類の真っ白な腹の内側から何かが飛び出した。


 赤い刃であった。


「グォォオオオオオオンッ……」


 腹が縦におおきく切り開かれ、ニア・リヴァイアサンは咆哮をだんだんと弱く、細く、薄くしていった。


 巨大が重力にしたがい落ちてくる。


 アルバートはその間に、怪物の開かれた腹から鮮血と臓物にまみれた彼女がでてくるのを目撃してしまった。


「生きてるッ!?」

「アルバート、覚悟はいいですか」


 アイリスは飛びあがる。蒼い瞳を真っ赤な色に染めて、血に濡れた金髪をたなびかせながら、手には赤い剣をもっている。


「ま、まず……ッ」


 アルバートはドン・シャークのヒレにつかまって陸へと逃げはじめた。


「アルバート、わたしは怒りましたよ」


 アイリスは腰をわずかに落として、下半身にチカラをためこむ。

 【錬血式】による怪脚によって、死する怪物の亡骸を足場に、彼女の体は矢のごとく放たれた。

 反作用で吹き飛んだニア・リヴァイアサンを、ふわっと背景に押しやって、赤い刃がアルバートの首を飛ばしに急接近する。


 彼は息を呑み、目をぐわっと見開いた。


 アイリスの力強い眼差しに射抜かれていた。彼女はもう間近だ。数メートルまで凶器を手にした彼女がせまっている。


 順当にいけば、間違いなく刃はアルバートの首を刈り飛ばすだろう。


 しかし──そうはならないのだ。


「今だッ、噛みつけ!」


 アルバートは叫ぶ。


「っ、これは!」


 アイリスは瞠目する。


 水面にただようアルバートを真っすぐに見つめていたアイリスは、突然の衝撃によって、視界を明後日の方向へ攫われてしまった。何かに体当たりされた?

 

 アルバートはホッと息をつき、束の間の安心ののち陸へとむかう。

 水面からもう1匹の怪物が飛び出したことで、アイリスは空へ打ち上げられている。

 この時間を無駄にしてはならない。


 対するアイリスは、落下する自分のことを美味しく食さんとするべく、水面で口を開けて構える巨大なサメに眉根をひそめる。


「お口チャック!」


 狙いをさだめたアイリスは、手にもつ血の剣を思いきりふりぬいた。

 瞬間、赤い刃の射程を10メートル近くまで伸ばして、サメの鼻頭をかすめるように切り裂いた。


 牽制の一撃にサメはもだえる。

 血の姫はその隙を見逃さない。


 アイリスはサメの鼻頭に華麗に着地すると、今しがた切りつけたその傷口に、白い人差し指と中指を、ピンとたてて突っ込んだ。


「滅びなさい、憐れな怪物よ──」


 詠唱すらしないそのわずかな所作は、その魔術練度の代弁者だ。

 アルバートは闘争のために練られた暴力的魔力のゆらめきを感じて、驚きか、恐怖か、はたまた怖いもの見たさか、で背後へふりかえった。


 アイリスを足止めさせていた巨大なサメの怪物が″ふくらんでいた″。

 わずかな後、全身の血液を、超速でめぐる魔力で沸騰させられた怪物は、内側から破裂するように爆散してしまう。


 目を覆いたくなるような光景だ。


 血と肉が湖の上空に舞い上がる。

 爆発した衝撃波で湖に津波が発生する。

 

 血の匂いにむせかえる壮絶の中心で、その少女の肩から腕にかけて刻まれた、魔術の秘宝が紅々と輝いている。


 搭載している刻印のパワーの差に震撼しながら、アルバートはドン・シャークとともに、岸辺に打ち上げられてしまった。


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